昨日の村永さんのブログに、この写真。
6年前の娘さんの結婚式に向かう時のもので、今回事情があっての上京の報告に添えられていました。
私の住む三浦半島を見ると鳥瞰(ちょうかん)という言葉が浮かんできます。鳥瞰は「高い所から見下ろし眺める、転じて、全体を大きく眺め見渡すこと」とあります。しかし、天空を飛ぶ鳥の視線は地上の一点を常にとらえつつあるでしょう。眼下の全景のなかで餌になるものの動きを追い、全景と一点が統一的にとらえられているにちがいありません。
歴史の面白さにはこの鳥の眼です、時代の動きと自分の人生も含めて、ある個人の生涯を歴史のなかに置いて観る、そして長い歴史も自分を通して現在につながってくる。
そんな思いを深めたことを紹介します。
承久三年(1222年)の「承久の乱」で敗れた三浦胤義(たねよし)の幼い子たちが北条方によって斬首された話です。この講演があった夜、話された小野さんの家に講演会に参加された北条氏の子孫だという方から電話がありました。「遠い祖先のやったことではあるが大変申し訳ないことをした、お詫びをしたい」と、800年を超えての謝罪であり相互理解でした。
もう一つ、
この講演会に鹿児島県から参加を予定されている方がいます。六代御前(ろくだいごぜん)とは平氏の始祖・平正盛(たいらのまさもり)から六代目にあたる平高清(たいらのたかきよ)のことですが、この人も逗子の田越川畔で斬首されています。この斬首によって平氏は途絶えたと言われていますが、歴史の重なりのなかにはこれと異なる様相も見えるものです。
全国に六代御前伝承があり、その一つが鹿児島県です。この地から今回の講演会に参加されるのです、これも800年を超えた人と人地域と地域を結びつける歴史の魅力と思います。
大河ドラマ「西郷どん」も後半に入り、合わせて「てんがらもんラジオ」での「歴史の話」も後半に入ります。地域と全国的な歴史への関心が寄せられるこの好機に、地域史を全国史のなかに位置付け、世界史の展開のなかに薩摩藩と明治維新のことを語って欲しい。
鳥が地上の一点を目指すように、歴史の流れの中に個人史を据えられるならば、話の魅力はいっそう高まるでしょう。浜田さんも若い時期から歴史に興味を待たれたそうです、私が歴史に関心があると自覚したのは中学校一年のときでした。最初の社会科の授業で担当から「社会科で何を勉強したいか」に「歴史です」と答えたのでした。
新しい参加者も増えているという歴史研究会に参加されている方々に、勉強仲間という思いを伝えさせてもらいます。
而今と爾今、(訓みはどちらも「じこん」)。
而今、現在この瞬間という意味を持つ。爾今、今からとか現在以降という意味。
而今を暦の文字として選んだ意味を、この二つの言葉の違いから考えねばと思う。