ワイコマさんのお連れ合い・小松夫人が亡くなられました。
ブログの息子さん娘さんお二人の姿に、我が家で母親である私たち夫婦の娘の手を握って、看取っていた孫の姿を思い出しています。
愛する者の死は、遺された者の人生の芯になってその人を支え続けてくれます、2人の孫の生き抜いている姿でそれを知ることが出来ました。
またワイコマさんのブログを通じて貴女の病身が、私のがんとの闘病を励ましてくれました、有難う御座いました。機会をつくりお墓参りをさせて貰います、安らかにお眠りください、合掌。
ワイコマさんのお連れ合い・小松夫人が亡くなられました。
ブログの息子さん娘さんお二人の姿に、我が家で母親である私たち夫婦の娘の手を握って、看取っていた孫の姿を思い出しています。
愛する者の死は、遺された者の人生の芯になってその人を支え続けてくれます、2人の孫の生き抜いている姿でそれを知ることが出来ました。
またワイコマさんのブログを通じて貴女の病身が、私のがんとの闘病を励ましてくれました、有難う御座いました。機会をつくりお墓参りをさせて貰います、安らかにお眠りください、合掌。
今日の「のぞみ会」の話の中心は「自分史づくり」でした。
来年1月1日に葉山町町制100年ということもあり、お互い葉山町に住んでなん年とか、住むようになったきっかけとか話が弾みました。
そのなかで私が開いたのがこの年表です、
昨日の「つぶやき」の「大きな年表」の方ではなくその前に手にした方です、開いたページはここ、1933年(昭和8)です、
この写真の左端「年」欄に「5/7 茂誕生」と鉛筆で記されています。
その場では、本の持ち主本人かなとか、親族の誰かという話になったのですが、その後他の記録もあって本人だと分かりました。この年表だけでも小学校から高校までの入学、就職そして解雇、十五年後に「職場復帰」が記されています。その復帰闘争の記録が、雑誌に記されていることがネットで検索され、名前が◯◯茂でした。
そんなことを通じて年表に自分事のメモを記すだけでも「自分史」の試みになると感じました。
そのパターンを「本」にしたのがこれでしょう、
こちらは↓のようなページ構成で、
左ページは年表、右側に自分史(自分関係史)を記すようになっています。年表ページも事件ばかりでなく、流行り言葉とか映画・流行歌・新商品など世相も含めてその時代への理解が広がる事項が記されています。自分が生まれた時代への理解が幾らかでも広がるでしょう。
「のぞみ会」として、自分史のなかに「のぞみ会と自分」というような内容を入れるようにしたい、と話されました。そして2027年は「のぞみ会40周年」になるので、そこも視野に入れた思いも……、ということになりました。
タカラジェンヌ、なぜストを起こせない
この見出しに「そうだなー」と思い、続きを読みたかったのですが、有料会員ではないので残念と思いつつ……。
年表に出ているかと手近の年表を開いてみました、1933(昭和8)年です、私の生まれる4年前というよりその年の2月20日は小林多喜二が築地署で特高刑事による拷問を受け殺された年です。
その年表には出ていませんでした。
大きな年表を取り出しました、出ていました。
これです、
「労働運動」欄の
6・25 待遇改善を求め大阪松竹座スト、6.27高野山に籠城、7・8解決
とあります、その月の14日には、
6・14 東京の松竹少女歌劇団で解雇・減給反対の争議発生、レビューガール、湯ヶ原に籠城、7・15解決。
昨日に続き、本を⤴️します。
1月1日からもうすぐ2ヶ月が経とうとしてます。
現在は「戦時情報管制下」ではありません、が、
かつてこの本が私たちに教えてくれるような戦争遂行のため、人命無視の情報管制が行われていたのです。
実は先ほどから「つぶやき」ながら以前このブログで、この本を紹介していたことを思い出していました。
これです、
今回本の目次を⤴️しておきます、
ページ数を略して、
母の一生を変えた一人娘の死
「はしがき」にかえて―
二大地震の社会背景と概況
救援よりも国民監視
関東大地震を超えるM8・0
直下型地震の追い討ち
軍機保護法下の新聞報道と学術調査
東南海地震=各県の被害
愛知県—壊滅した軍需工場と勤労学徒の死
静岡県—全滅の歴史を再現した太田川・菊川流域
三重県—大津波荒れ狂う熊野灘沿岸
和歌山県—その他 震央から三〇〇キロの大阪にも被害…. 34
三河地震=各町村の被害
空襲警報下の集団火葬
疎開学童たちの悲劇
ああ、全滅の明治村
最後の天気予報
参考文献と写真出典一覧
あとがき
前回のアップに田村高廣さんの言葉が記されていますが、その最後の部分に大きく共鳴しながらここにも記しておきます。
だから今、『戦争反対』 を口先で叫ぶだけではダメですよ。その戦争をくりかえさないために、どうしなければならないか、もっと考えるべきではではないですか。戦争は人災でしょう。だからこれは政治の姿勢や人の考え方によって防ぐことができる。しかし地震は天災ですから、起こること自体は防げません。だけど今は科学の力でそれを予知できるというでしょう。それなら何百億円もの金を使って戦争の道具である飛行機などの兵器を買うよりは、地震の予知のために必要なコンピューターを買うとか、技術者を配置するようにしたらどうでしょう。たとえばのことです。戦争は、それに人間性もムチャムチャにする、いやですね。そんな体験をみんな、それぞれにしたのですから、戦争反対ということをもっと真面目に考えるべきですよ。ただ言うだけでなしに……
昨日の「つぶやき」については、指先ではなく身体全体の姿勢に問題あり、でした。要は机にiPadを置いて安定させていれば問題なく⤴️されたのです。身体を布団の中に入れ、指先で作業するという怠け者スタイルがまず第一原因。それにもう一つ原因は、Apple Pencil がどこかに置きわすれたままで不器用な指先に頼るからです。
ということで猿的反省して、今日は机上の作業です。
一昨日はこの写真からはじめました、
多分この「つぶやき」に、何回か⤴️されていると思います、そして多分その都度『資本論』を読もうとか学ばねば的なことを「つぶやき」、いくらかそれらしいことをやってきたと思います。一昨日も目も確かなうちに読み終わるくらいのことをしておかねば、というような「つぶやき」で、不破哲三さんの《『資本論』全三部を読む 新版》も開いたりしました。
そして昨日、何となく開いたこの本、
のここに、
昭和十二年を詠み込んだ一首があります、
昭和十二年(1937)に発行された長谷部文雄訳『資本論 第一巻』については、この本のなかで岡本博之氏(元日本共産党中央委員会常任幹部会委員)が、こう書かれています。
もっともこの1939(7)年という年は、日本帝国主義がいわゆる盧溝橋事件をひきおこして全面的侵略を開始した年であり、いっさいの進歩的な言論研究、運動などを圧殺する暗黒政治がつよめられるなかで、長谷部『資本論』は発売禁止の処分を受けました。
昭和十二年(1937)は私の生まれた年で、自ずから関心を持たざるを得ない年です。この年に科学的社会主義理論探究の先達としての長谷部先生が『資本論』(第一巻)の翻訳を遂げ、それに対して国家権力が発売禁止の攻撃をかけて来ていたのです。
改めて自分がどういう時代に生まれたのか、そしてその時代に日本において『資本論』はどう受け止めれていたのか。研究翻訳発行と発売禁止の二つは、自分にとって何を意味しているのか、自問自答の「つぶやき」を始めるべきでしょう。
iPadの不調というより指先不調、昨夜と今夜続けてほぼ「つぶやき」終了直前で全面が消える、チトおかしい!? 昼間落ち着いて「つぶやき」なさいという天の「つぶやき」かも知れません、休みます。
メールに先程入ってきた仲間からの写真です、クリックして見て下さい。
以下の3枚は写真です。
https://photos.app.goo.gl/9e2A
https://photos.app.goo.gl/sgS4
https://photos.app.goo.gl/D1XS
こちらは東京新聞の発信です、
二、三日前にFacebookがったかXかに出たある補聴器会社のコマーシャルに応じてメールを送りましたら、今日電話がかかってきました。
難聴の者に電話? と思ったので耳が聴こえず〇〇センターのセンターしか分かりません、文字で送ってくれ、と言ったらメールが……。
昨日は足のことで「つぶやき」ました、これでも脚力には自信があります、多分同年齢の人のなかでは脚力上位の方でしょう。しかし、耳のことに話が移るとダメ、これはもう十年以上前からの難点、この間に2回両耳ですから4個買い、3個失くしています。
この一年以上、片耳だけでやってきましたが、かなり良い加減な聴き方です。コロナ禍と膀胱がんと心臓の3つをいい方向でこえて来ましたら、あれこれの活動や集まりに出ることが多くなり、聴こえの悪さが障害になっているなの感が強まって、何とかせねば、のところにコマーシャルでした。
そしたら今日のFacebook に、
主に今日寄せられたものです。
補聴器会社とメールのやり取りをした結果なのか、当方が目に付くようになったのか良く分かりませんが……。
忘れてはいけないのが自治体による補聴器購入助成制度です、この制度は隣の逗子市にはありますが葉山町にはありません、これもつくる運動を始めなければ、と思います。
昨日は6000歩こえたと「つぶやき」、どこを歩いたか?とも……、確か町の図書館に本を返しに行ったので往復3000歩はこえたでしょう。それに町役場で知人と会っていました、これも同じように1500歩とすると、この二つの外出で4500歩になるわけであとの1500から2000位は、家の中を何かと歩いていたと言えます。
というのは今日はまったく外出せず、玄関からもベランダ口からも一歩も出ていないが、現在1300歩をこえています。就床までに少しは増えるでしょうが家の中だけでも1500歩くらい歩いているということです。
要するに自分の足で動けるうちはこれくらいの可動力があり、自分で基本的な用が足せる、それが生活の基本でしょう。そのためにも外出を重視しておかねば、と思うのです。人との交流の必要性はもちろん、その日の天候などで、あるいは車への注意や行き交う人への注意など歩くことが脳を刺激するでしょう。
先日の朝に雪解け道では普段より歩数が数パーセント多く、時間の割合はそれを越えていました。歩数でだけでは見えない歩くことの全身的な効果はやはり外出にあると思います。
ワイコマさんのように写真撮ってアップして目でも見る楽しめたら良いのですが、せめてスマホなりタブレットで撮ってみようと思います。
先日スマホで撮った庭のものです
スマホの「花ノート」でヒメツルソバと出ていました、
こちらはスイセン、
これからはもう少し丁寧に撮らなければ、人に見てもらう花に申し訳ないと思いました。