kaeruのつぶやき

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「てんがらもん」210回 鹿児島からの響き。

2016-03-31 22:43:28 | 「てんがらもんラジオ」

   今回のゲスト中松禎夫さん(名前の禎は村永さんのブログで、番組画面の禎は人偏に貞=これが変換候補にでてきません。どちらなのかな?)はMBC南日本放送のニュースキャスターでした。

  番組は、「てんがらもん」210回 ゲスト中松禎夫さん  です。

   タイトルの意味は中松さんが男声合唱団「ひびき」の団長だということです。中松さんの声を聴いて声優ではないが「なるほど」と思わせるものがあります、鹿児島の多くの聴き手を魅了してきたことでしょう。男声合唱団の魅力はその迫力だと言われましたが、その事も納得されます。身体そのものが楽器になる、身体それ自体が音楽だと。それは歌っている人だけでなく聴き手もその境地に引き込んでしまうということです。

「ひびき」のHPがありましたのでどうーぞ、男声合唱団 ひびき  。

  タイトルの意味にはもう一つあります。それは毎回のことですが、ゲストの方とレギュラーの会話から鹿児島の人々の様子が伝わってくる、響いてくるということです。

   中松さんは合唱団の活動のほかに、YMCAとか世界食糧デー鹿児島大会に携わっています、そしてホームレス援護活動について話されました。生活を取り戻すために仕事につけるように条件づくりをする活動です。鹿児島市は全国的にみても積極的な取り組みをしていると言われました。

   これらの活動は「自分の生きているうちに出来ることをする、生き甲斐です」と言われます。秋には75歳、後期高齢者の仲間入りとのことです。後期高齢者の日常はかくありたいと思い、来週のゲスト南日本新聞の三宅記者の話に繋がると感じました。


地方議会 委員会 秘密会。

2016-03-30 22:14:13 | 葉山そして人

   昨日の近藤議員・議長のHPに今日午後の本会議で窪田議員の「要求書」が特別委員会に付託されると出ていました。インターネットで議会をのぞいてみましたら「今日の会議は秘密会」というようなことで見られませんでした。そこで同じく「細川慎一議員の覚醒剤所持・使用等に関する調査特別委員会」の3月18日の録画を見ましたら、開会直後「秘密会」になってしまいました。これです、http://www.ustream.tv/recorded/84591860

  議会と「秘密」が絶対に両立しないとは思いませんが「公開」が前提であるはずなのにどう考えたらいいのか「地方自治法 議会 秘密会」で検索してみました。Wikipediaによると

これで見ると「秘密会」にできるが、例外だと思われます。そこで、日頃参考にしている『自治体活動と地方議会』(新日本出版社)を開いてみました。こう書かれていますした。

  ① 議事公開の原則

  地方自治法第115条第1項は「普通地方公共団体の議会は、これを公開する」と定めています。公開の内容には、会議の傍聴の自由、報道の自由、会議録の公開・閲覧の自由があるとされています。ただし、例外規定として秘密会(一定の条件のもとに公開を停止することができること)があります。

 やはり例外規定でした。


「罪を糾さず、厄介払い」でいいのか。

2016-03-30 01:02:46 | 葉山そして人

  久しぶりに近藤議員(議長)のHPに細川議員に関係する記事が載りました、

これです。

   なれば、細川慎一議員は失職することになります。

 

   この「要求書」により「特別委員会」の調査と本会議の議を経て、細川議員が失職となったとすれば、彼は覚醒剤所持使用という反社会的行為で町民を裏切った「罪」でなく、住まいが葉山町で無くなったという資格喪失にとどまるわけです。

  細川議員のことがニュースになっている当時同様な事件がありました。

   一人の地方公務員ですが、「市民への信頼回復と職員の綱紀粛正」のために当然とられるべき処分です。これとくらべて葉山町議会の対応は覚醒剤所持使用という犯罪への毅然とした態度を感じさせないものです。議会から厄介者がいなくなればいい、と見受けられます。


作家・火坂雅志氏。

2016-03-29 21:05:36 | 「真田丸」

  昨日紹介しました平山優さんの『真田信繁』の「あとがき」の最後に

【 大林氏(角川選書編集部)と私の出会いのきっかけを作って下さったのは、歴史小説家の故火坂雅志氏である。二人を案内して、信州の武田、真田関係の史跡を歩いた2011年12月の二日間、そして別所温泉で三人で語り明かした思い出は尽きない。火坂氏とは再会を約束し、その後はメールでのやりとりが続いたが、本年(2015年)急逝された。誠にざんねんである。火坂氏は、本書の完成を心待ちにしておられたという。本書を火坂氏の霊前に捧げ、擱書する。】

下の写真の単行本の開かれた頁にそれが書かれています。

火坂氏が写っている雑誌は「別冊宝島」の2014年11月発行のものです。

火坂氏は大河ドラマ「真田丸」の火付け役とでも言える人です、

それはここに書かれています。

 

該当部分は、

【真田幸村の大河ドラマ化に向けては、09年7月に作家火坂雅志さんの小説「真田三代」の連載が信濃毎日新聞で始まったのを一つのきっかけに、上田市民有志らが「NHK大河ドラマ『日本一(ひのもといち)の兵(つわもの)真田幸村公』放映の実現を願う会」を結成。署名集めをしてNHKに働き掛けるなど、運動を続けてきた。】


ドラマと史実。

2016-03-28 23:18:32 | 「真田丸」

   昨日つぶやいた畑山博さんの『真田幸村』、なかなか面白く読んでます。作家としては歴史物が専門ではなくても、歴史少年であったことや小諸から上田へかけての思いの深さが作品になっています。

   今回の大河ドラマが上田城も物語の中心のひとつであることから、ドラマのなかに史実がどう生かされるのかに関心を持つようになりました。どの大河ドラマも時代考証担当によって内容が史実との関係で検証されるのでしょうが、今まで気を向けたことがありませんでした。

   育った町、思い出のある城が舞台となると面白いだけではない、本当はどうなの、の思いも強くなります。そこで今回の時代考証担当のひとり・平山優さんの書かれたものに目が向きます。写真の本は二冊とも平山さんの書かれたものですが、『真田三代』の「あとがき」には2011年9月15日と『真田信繁』は2015年9月23日となっています。

  書かれた時期で四年間、新書版で300余頁と単行本では380余頁の差があり、一方は「真田三代  幸綱・昌幸・信繁の史実に迫る」内容で、他は「真田信繁  幸村と呼ばれた男の真実」を書くものです。

『真田信繁』の「あとがき」で平山さんがこう書かれています。

【 真田信繁についての史料が乏しく、手元に集積された史料は、先学の猪坂直一、小林計一郎氏らが戦後、信繁の伝記を公表した頃とほとんど変わっていない。そうした中で、新たな信繁伝をどのように書くべきか苦悩したが、常に自分の脳裏にあったのは、旧書『真田三代』(写真の右の新書版)における真田信繁伝への反省である。事実の検証や歴史叙述に、大いなる甘さを残した旧作に対して、私は痛痒つうようを感じ続けてきた。それを払拭ふっしょくするためにも、膨大な史料群と向き合う決意を固めた。】

   そして平山さんは「通俗的な大坂の陣論や家康論」に異議を唱えることになったのです。このことについて紹介できるほど私が理解をしていませんので後日とします。大河ドラマも小説も史実を縦糸に人間のつながりと言動を横糸にして生き生きとした「物語」を描きだし現代に甦らせます。


「人質」はさておいて畑山博という作家。

2016-03-27 22:42:38 | 「真田丸」

  「真田丸」第12回は「人質」なのですが内容は観ている人の耳につぶやいても嫌がられるだけでしょうし、観てない人に分かるようにつぶやくのには聴き取り不十分なのです。イヤホンで聴いているのですが音楽がセリフにかぶってきて聴き取れないのです。

   今回で言えば信繁と景勝とのやりとりはかなり内容の濃いものだったようです。景勝が信繁という人物に関心を寄せ人質として指名、信繁も景勝を理解し双方の交流の深まりが描かれています。

   さてタイトルの畑山博(はたやまひろし)という作家は、

という本を書いた人です。既に亡くなられていますが、葉山に住んでいました。本の内容は、【湘南・葉山の山腹に住む著者が、葉山の自然の中での生みの営みをつづる。山羊、ニワトリ、アライグマとの共生、海の見える畑での野良仕事など、若者のイメージとは異なる人間味豊かな湘南が味わえる。】です。

 ところが、こういう本も書いていたのです。

 

   芥川賞作家だということはうろ覚えにありましたが、幸村を書いているとは思いもしませんでした、それも葉山図書館にあるとは。借りてきて「あとがき」を読んだら分かりました。

   こうあります【 子供のころ、信州小諸で育った。学校帰りの毎日の遊び場は小諸城址懐古園だった。あの関ヶ原合戦の折、中山道を進撃する徳川秀忠が、上田城の真田昌幸、幸村父子を勧降するため着陣した城である。

   歴史少年だった私は、それだけでもわくわくした、上田はそこから十五キロしか離れていないまちである。その町へ行くと、私の心はもう完全にタイム・スリップ状態だった。】本の著者紹介に「1935年東京生まれ、神奈川県三浦半島在住」主な著書のなかに『織田信長』や『新人物日本史  光芒の生涯』などがあります。歴史少年として関心を持ち続けていたのでした。


旧足立邸観桜会。

2016-03-26 23:13:04 | 葉山そして人

「足立邸観桜会  主催 葉山新聞社」の案内を兼ねて手伝ってくれ、との話が昨夜届いたので昼過ぎまで出かけてきました。

   足立邸というのは案内文から抜き書きしますと「1933年王子製紙の社長足立正が施主で設計は佐藤功一、佐藤は早稲田大学大隈記念館や日比谷公会堂などを設計した日本の代表的建築家。足立邸は佐藤がよく用いたハーフテイバー様式の代表作品、1930年代の葉山には新興実業家などが別荘を構えるピークを迎えていて、足立邸は当時の別荘建築の遺構。葉山の景観を形づくっている建築物の一つであるこの旧足立邸が取り壊されるという。なんらかの形で保存される運動の起こる契機にと観桜会を催す」と。

  文字が続きました、写真を。

   立っているのが葉山新聞社の山本氏、帽子の男性は建築家で逗子在住の長島氏、佐藤功一の弟弟子に当たるそうで、縷々説明してくれました。

 

  鎌倉選出の県会議員の早稲田夕季さんが歓談に参加(赤い服)。民主党(明日から民進党)県本部が衆議院神奈川4区に擁立する人、彼女の経歴にあるミニコミ紙記者とは葉山新聞の前身の「逗子葉山秋谷新聞」のことです。

 

   桜の咲き具合はというと、左側の桜の木、それなりにチラホラです。この庭には桜が4本あるそうですが、毎年これが一番早く咲くとか。

帰りがけに見たら、日が出てきたこともあって一気に、という感じです。


建物のなかから歓談の様子。

 

 

   片付けが終わり、皆さんが帰って建物を離れながら門に向かいつつ、持ち主の言葉が耳に残っていました。「今葉山でも門から建物までこれだけ奥まっているところはないでしょう」。

  建物の保存は建物をめぐる環境の保存でもあるが、それだけに問題は難しくなってきます。保存だけでは方向性は見えてこないでしょう。保存と活用が一体になって考えられないとということになるのですが、いい知恵があるのか。

「三人寄れば文殊の知恵」ということならば今日は文殊さんが十人以上は集まったのですから、なるほどそういう知恵があったのかと自分達で自分達をほめたくなるような知恵が出てくるでしょう。そいうとき力になるのも政治です。


『北海道新幹線殺人事件』という話。

2016-03-25 21:49:40 | 本のひと言

  この本(まだ未刊です、いや未完です、明日からの話ですから)の第1章は「二〇一六年三月二十五日」となっていますが、本当は「第一章  三月二十六日  東京発のはやぶさ1号のグリーン車内で、乗客の一人が殺される。君たちは、乗客として、この殺人を目撃するのだ」という長いタイトルなのです。

   さて、書き手は誰?  第一章を「二〇一六年三月二十五日」と書き出したのは推理作家・西村京太郎85歳、長いタイトルを第1章にして書き出したのはミステリー作家・三浦康平42歳。西村京太郎は『寝台列車殺人事件』がヒットし、単行本の累計発行部数は2億部を超えるという日本に二人とあって三人はいない(2012年)という超売れっ子作家、一方三浦康平は「売れない作家」。

  この話の第一話の終わり近くでこんなやり取りがあります。

  ここに名前が出る高橋社長とは三浦に『北海道新幹線殺人事件』を書かせた明日書房の社長、香織とは去年(2015年)、新人賞をもらった女性ミステリー作家、若林香織という。

   香織「高橋社長と話をしたんですけど、彼は、この本の通りに、三月二十六日のはやぶさ1号のグリーン車で、本当に殺人が起きると、信じていらっしゃるみたいでしたよ」と、いう。「冗談ですよ」「そうは見えませんでした。高橋社長は自分には予知能力があって、この本の通りに事件が起きるはずだと、おっしゃっていましたよ。だからこの本は、間違いなくベストセラーになるんだとも」

   こんな会話が交わされているのはいつ頃かというと、康平の「三月二十六日まで、あと一カ月もないんですよ」で、先月の末頃だと分かります。

  西村京太郎の新連載『北海道新幹線殺人事件』を載せているのはKADOKAWAの書籍PR誌「本の旅人」の3月号です。この発行日が先月の27日ですから話は同時進行してすすんでいるのです。

  果たして明日の北海道新幹線は?


「てんがらもん」209回 自分の色。

2016-03-24 21:43:29 | 「てんがらもんラジオ」

   第209回のゲスト・中之園恵美子さんの肩書「カラーリスト」とはどういう仕事なんだろうと、カラーとあるのだから色彩に関することだろうくらいでとにかく視聴してみようの番組でした。

   見はじめてまず目に付いたのは、中之園さんの服装です春に相応しい青色、それがスタジオに貼られた「FMぎんが」のポスターとマッチしているのです。番組の中でもそれについて話されていたかと思い、聞き直そうとしたら番組の120分中後半40分程しか録画されていませんでした。    

その40分です 「てんがらもん」209回 中之園恵美子さん 

  前半がありました、ヒゲさんから教えてもらいました、

  これです  「てんがらもん」209回前半です。

   番組放送中ソーシャルストリームに中之園さんを紹介するURLが表示されました。これです  カラーのプロ 中之園恵美子 。ここには番組で中之園さんが話されたことがほぼ全部書かれています、目を通してみて下さい

   百人一首の「忍れど色にでにけり」の色は思いが表情に出てしまう、ということですが、自分が似合う色とは自分が好きな色とは違う、という話が耳をとらえます。中之園さんが自分にあった色をという相談にのる時、メイクを落としてもらいます。素顔、素の自分を活かす、そこに基本を置くからです。自分が生きる色を見いだし生活に取り入れることで、人生を見直すくらいの変化が生まれてきた、とは中之園さんの体験と実感です。

   人の目によく見せようとするのではなく、ありのままの自分を生き生きと発揮させる、自分らしさ個性を表現する、それに相応しい色は何か、にこだわる。このことは特に子供にとって大切なことだと強調されていました。それは前回の久保田光さんのことから感じた「よい子の家」の保育理念にも通じるものでしょう。村永さんの「一貫したもの」が世代を越え分野を越えて広がっているようです。 


長柄桜山古墳群。

2016-03-23 22:51:52 | 葉山そして人

   葉山町の議員の除名というような話が続きましたので、葉山の話ではありますが古代の話です。葉山町と逗子市の境に長柄桜山古墳群があり、何年かぶりに歩いてきました。

  「のぞみ会」の定例日でしたがいつもの会館が休館日になったので、世話人のお宅の庭での集まりとなりました。その家は 「葉山人形物語」 で紹介しました長谷川さんのご自宅です。自宅にはお雛様が沢山飾られています。その一部を、

   長谷川さんが人形を集めているということを知った人が、引越しなどのとき貰って欲しいと持ってくるのだそうです。ふたつの部屋が雛壇でいっぱいになっていました。

これは会食です。

   昨年は私が黒一点だったのですが、今回はこの男性、90歳を大きくこえているそうです。家にいるのは一週間のうち2日だけ、カラオケが好きで葉山にはカラオケボックスがないので逗子までしょっちゅう来ているそうで、この辺(東逗子)は馴染みだといわれていました、頼もしい先輩です。

   食事の後私は皆さんと別れ葉桜団地をまわって長柄桜山古墳に立ち寄ったわけです。この古墳については、長柄桜山古墳群 逗子市 で。

古墳は団地と接してあります。

1号墳は入れませんでした。

2号墳は、入れました。学生風の青年が5人ほど集まっていました。

逗子市内への下り道はかなり急で、整備されていませんでした。