kaeruのつぶやき

日々のつぶやきにお付き合い下さい

国政展望ー29ー 9ヶ月の間に……

2017-11-29 22:06:13 | 国政展望

   日本共産党の宮本岳議員の質疑から国会での森友疑惑の追及が始まったのでした、私のFBです。

 

約9ヶ月後の昨日も国会質疑で宮本岳議員の追及を注目しました、

前半は米軍ヘリ墜落問題です、

ユーチューブは、https://youtu.be/xi586Kr0Xak


薬になる薬価の話。

2017-11-26 17:11:34 | 100歳へ上手な生き方

今日は、ログ友のワイコマさんの昨日のブログの丸写です。

ワイコマさんにはこんなコメントを送って了承を願いました。

《丸写し。      (kaeru )2017-11-26 17:02:30

「薬九層倍」と四字熟語になるくらいですから、薬の原価と売価差の大きさは昔からのことだったのでしょう。それに院内外で売価に3倍差!
病み続けてきた身に堪える話です。昨日のブログ内容我がブログに丸写しさせてもらいます、ご了承ください。》

【  院外処方はなぜ院内の3倍の技術料か、疑問の声  

   内閣官房行政改革推進本部の行政事業レビューで11月16日、調剤技術料が取り上げられた。同事務局は、1処方の平均的な技術料について、院内処方と院外処方で約3倍の差が生じていることを指摘する資料を提出。評価者からは、「なぜ院外だと3倍も払うのか、疑問だ」などの声が提示され、取りまとめとして「薬局の実態として、厚労省の目指すかかりつけ薬剤師・薬局は現時点では少数派で、今の調剤報酬体系のままで目指すことには疑問の余地がある。真に患者のためのかかりつけ薬剤師・薬局を進めるためにも、メリハリのある適正で効率的な調剤技術料の設定を目指すべ
きではないか」との意見が出された

   厚労省は、医薬分業の名目で、院外薬局を増やしました。誘導していて、今では院外が主流です。でも大学でも院内での処方に戻しているところもあるのです。なぜなら、まず高いのです。院内なら、900円くらいで院外は2700円くらいです。3倍違うのです。これでは医療費が増える原因を作っているのは厚労省ということになります。実際そうなのです。それで病院によっては院内処方なのです。
   町の薬局が十分に機能を果たしていないのに、お金だけ高いのはおかしいのですが、国はなにもしないのです。大体中でも外でも、指導は同じです。ですから、値段が違うのはおかしいことは明らか。
無駄な医療費が費やされているのです。いまや薬は8兆円ですから。無駄を省けば数兆円違うのです。

   それで今回の診療報酬では薬剤費を削ります。でもこれは、上の解決には全くなっていません。こんな疑問を何時も感じながら来年の医療費改正を眺めるだけ、こんな問題国会でも新聞やマスコミでも、取り上げられません・・そんな国なんでね。】


平家落人伝説に結ぶ旅の夢。

2017-11-25 19:48:20 | 「てんがらもんラジオ」

   月日の経つのは早い、という文句が年末に向けて使われ始まるでしょう。一昨日の「てんがらもんラジオ」から今日で三日目になっているのでした。

   23日の「てんがらもんラジオ」は向井さんの旅の話、同じ日の同じ時間に遠く離れた神奈川県逗子市でこういう講演会が開らかれていました。

   実はこの講演会には私もお手伝いに行かねばなりませんでしたが、ぶり返した風邪のため欠席、ならば向井さんの話を視聴できたはずなのですが、薬のせいで眠りこけ目が覚めたら向井さんが「では後半の話に」という場面でした。    

 その後半の話がタイトルと結びつくのですが、話そのものは番組を視聴してください、http://www.ustream.tv/recorded/110004105併せてのびたさんのブログです、理解が深まります。

http://blog.goo.ne.jp/new-nobita/e/2360a932a1202a5a68b1cb20df69200d

   向井さんの話に出る五木も五家庄も平家落人伝承と結びついています。全国にそういう地域がどのくらいあるか、ウイキペディアによると71ヶ所数えられます、そのうち23ヶ所が九州でした。ところが……、ここから逗子での講演会と向井さんの話が結びつくのですが、この地名のなかに大隅半島の南大隅町が入っていません。

  南大隅町については逗子の講演会に向けて作られた冊子、これですが、

   このなかに九州・禰寝家(ねじめけ)伝承という一文があります。禰寝家というのは大隅国の有力国人、戦国大名、薩摩藩士の氏族のち小松に改姓、幕末に活躍した小松帯刀はその子孫。

  冊子では六代の子が大隅半島に渡ったことが禰寝家に繋がったとし、更に小松家は昭和20年代まで、六代の供養祭に毎年参拝に来られた、と記しています。

このような地域の地名が落人伝説のなかに見えないのは、いわゆる落人とは違った見方をしているからかも知れません。「全国平家会」という全国組織があります、ここから発刊されている本ですが、

        

ここには載っているのか?  何時か見てみようと思います。

   六代とか六代御前とか説明なしにきました、平氏の興隆の基盤を築いた平正盛から六代で名は高清ですが「平家物語」などでも六代と称されています。清盛のひ孫にあたり、六代が逗子の川辺りで斬首されたことをもって、平家は途絶えたのでした。

   それが遠い大隅半島に根を張った禰寝家に繋がっていたとなると、平家は現代に通じていることになるわけです。以前もこのブログでつぶやいたことがありますので参照して下さい、

 http://blog.goo.ne.jp/kaeru-23/e/e117475029fe161dc678801734808a6f


 こうして歴史のなかに身をおいてみると、遠いと思っていた地方や町、更に山奥や離れ小島も自分の住む地域と、それを通じて自分とも繋がっているのかと思います。そして例えば逗子の方々と大隅半島をはじめ、九州の平家伝承の地を訪ねる旅ができれば、一層その思いは深まるでしょう。

   村永さんのブログの名称「最後まで自分の足で歩いていきたいな」のように自分の足で歩く最後の場所のひとつとして、歩ければとの思いがします、もちろん向井さんのガイドで……。


国政展望ー27ー「プラウダ」という新聞。

2017-11-23 19:06:26 | 国政展望

   今日の「赤旗」を広げたら「プラウダ」という文字が目につきました。ある種の懐かしさを感じて読んだのがこの記事です。

同じものがこちらで読めます。

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2017-11-23/2017112305_02_0.html

   ロシア革命100周年に対する日本共産党の見方が簡潔に記されています。

   こちらは11月7日の「革命記念日」に「しんぶん赤旗」に掲載されて「特集・ロシア革命100年と社会主義を考える」です。

少し長いですがより詳しく記されています。

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2017-11-07/2017110704_01_0.html


いつもの風邪がやってきた。

2017-11-22 20:42:10 | 100歳へ上手な生き方

   昨日お医者さんの前で、今回の風邪は今までと違って……と何回目かの話をして来たところでした。

  ところが今日は朝から鼻水が出る咳が出る、頭が痛むという付き合い慣れたパターン、これが私の風邪だと、ダウンしてしまいました。1ヶ月半以上の風邪はなんだったのか、治る前のパターンなのか、これから本格的な風邪なのか。

一年前のブログですと、

   丁度一年前、心臓の精密検査入院の日々でした。これもやはり齢80になる前の身体の変化の一例だったのでしょう。

   今回の風邪も一道標というべきもので、100歳に向けての行程表の一つの印と読取るべきでしょう。


100 歳まで生きるためには……

2017-11-21 20:03:14 | 100歳へ上手な生き方

  雑誌でも本でも「100歳時代」という文字が目につき、ついこのブログでもカテゴリーに「100歳」を使ってみたのですが、80歳をこえたら風邪でさえ完全に治りました、という状況になかなかならないのです。

   確かに寝込むという状態ではないし、さすがに寝汗も出なくなって四日になりました。でも喉の痛みや熱っぽさが抜けない、診療所のお医者さん「喉がまだ赤い」と。それで食前に飲む薬が漢方で二種類になりました。

   半月ほど前、5日分の漢方薬が飲み終わり少し良くなったと素人判断で診療所に行かなかったのが悪かったようです。今度はまじめにお医者さんが「もう大丈夫です」とハンコを押すまで薬に頼ることにします。

  もう五年ほど前ですが、やはり風邪で薬をもらい三分の一も飲まないうちにすっかり治ったことがありました。その当時の体力が気持ちのなかには残っているので、油断大敵で注意注意です。

とはいえ、周辺は動いています。総選挙後、神奈川4区での早稲田議員誕生を受けて、新しいブログをつくりました。

こちらです、http://blog.goo.ne.jp/kszh4-shimin

のぞいて見てコメントなど寄せてもらえれば嬉しいですね。


最後の同級会が……

2017-11-15 15:47:52 | 100歳へ上手な生き方

  中学校の同級会の案内が先々月の中頃届いていました。日程は先月の26日の一泊、予定が入っていたが調整して参加するつもりでした。案内には「最後の同級会」と記されていて、お互い滿80歳になるのですから、そんな思いで幹事を受けもってくれたのでしょう。

  こちらの予定の変更を調整しようとしているうちに、寝込んでしまし遂に期日が来てしまいました。残念ながらの欠席の通知に最後なぞと言わず、また会う日をつくってくれ!と書き添え参加者の写真が欲しいとも。昨日幹事役から当日の写真が送られてきて、他の者からも又の機会をつくってくれ、とあったので来年もやるとの嬉しい内容でした。

   彼からの便りに以前の同級会の幹事だったA君の死が書かれ、上田でかんばっているB君が奥さんを亡くしていたことも…。

   体調不良での欠席が数名、今まで二桁の参加者だったが写真には8名でした。こうなると毎年やるとしてもその都度誰かが「最後」になるようです。それだけにその場に集まって駄弁り飲み食うだけでも元気な証になる同級会、これからは何よりの薬の役割をするでしょう。

   寝汗が1カ月越している我が身にとっては、こういう薬こそ腹の底から回復する効果があるというものです。


こんな論稿にも目を通すようになりました。

2017-11-11 21:19:39 | kaeruの『資本論』

   一昨日『資本論』との関係で柄にもなく恐慌のことを書いたのですが、昨日買った雑誌「前衛」に、

 

   この論稿があり、これは有り難い、復習になると思い目を通しはじめました。もしこの記事が先月号でしたらおそらく頁をめくって終わりだったでしょう。金融恐慌にも資本論にも関心がありますから、パラパラめくりながらも何を言っているのか? やはり分からない、と思いつつめくり終わるだったでしょう。

   今回は、まだめくり終わる段階までいっていません、少なくても読み進めつつ頁をめくる水準にはなっています。とはいえ微熱込みに脳味噌ではとてもこなしきれないのです。ともかく一番最後の部分を手掛かりに読みきろうとは思います。

  最後の8行分、

「当然のことながら、マルクスは、現代の国際金融危機=世界的大恐慌を予測していたわけではない。それにもかかわらず、それを理解するにあたり、これほどまでの示唆を与えていたわけである。やはり、マルクスは偉大であったとしか表現しようがない。同時に、『資本論』第1巻の刊行150周年を迎える今日、現代資本主義の分析のためにも、まだまだ『資本論』から学ぶべき点の多いことが再確認されるべきであろう。」   

  要はこの論稿を通じて「現代の金融危機」を理解するうえで、『資本論』がどういう「示唆を与えていた」かが理解できたか、が問われているわけです。それはこういうことです、と書き記すことができれば『資本論』第3部第5篇第30章31章の復習が出来た、と言えるのでしょうが、果たして書き記すことが出来るのか? 

  挑戦してみましょう。