kaeruのつぶやき

日々のつぶやきにお付き合い下さい

尽きせぬ想い。

2015-09-30 17:41:00 | どこまで続くかこのブログ

昨日はアイパッドのゲームにとりつかれ疲れました。気がついたら10時間以上アイパッドを叩いていたわけで、阿呆か!とつぶやいたのが深夜1時は過ぎていたでしょう。

皆さんがブログの更新も終え秋の夜を寝息も静かにお休みだろうと、我が身の遊び心に心を痛めつつ床に身を沈めました。

どんなゲームか? 気にする方はいませんでしょうが、kaeruの頭がどれほど単純かを見ておいていただいた方がこのブログの至らぬ内容をご理解いただくに役立つかと思いますので、これです。

「フリーセル」というトランプのカードを番号順に積み上げるという分かりやすい、kaeruでも出来るという遊びです。以前もここで紹介したことがあったと思います。その頃三日ほどブログを休んだことがありました、それはこれが原因でした。

そんなこんなで今夜は心静かにと思いましたらワイコマさんからのコメントに「お月見賛歌」が書かれていましたので、皆さんの画像から一枚づつでもここに載せさせてもらってブログお月見を、と思いました。

しかし、残念、例の低速度になってしまい写真取り込みがまったく進みません。そこでワイコマさんのブログを見ていただければ、と思います。

     ワイコマ日誌「一昨夜の満月」

以下は一昨日の私のブログへのワイコマさんのコメントの一部です。

 一つだけ、これただけ多くの皆さんが満月を眺めて・・いた、

皆が同じ時間でなくともお月様と対峙してその素晴しい月に

感激するもの、物思いにむ耽るもの
いろんな思いて゛もって見上げていた
これってすごいな~~ お月様って不思議
な力を持っているんだ~~と感じました

 なお、月の映像としては一昨日のブログに赤い風車さんの「スーパームーン」も紹介してあります。


月を眺めに。

2015-09-28 23:53:29 | どこまで続くかこのブログ

昨夜が十五夜で今夜が満月と暦にありました、昨日の私の写真へのワイコマさんのコメントのこともあり、さらにchidoriさんの見事な月の写真が頭にあり、たまにはと風流心に誘われてアイパッドを片手に外へ。

アイパッドはカメラ機能の付いてます、という水準だと思いますが画面の大きさが魅力です。この写真では下の建物の灯には当然建物の影があるのですが、まったく見えません。機能としてはその影もよりはっきりと写し出せるのかも知れませんが、あっても使えません。

来年の今月今夜ならもう少しましなお月さんが撮れるかもしれません。

 

この月をご覧下さい、「夢幻泡影」スーパームーン 。


生存証明。

2015-09-27 23:12:16 | どこまで続くかこのブログ

今夜は夜の横浜にいて、月を見ていました。

などとどうでもいい個人的なことに公共の電波を使うな!

とか言う声は聞こえてこないでしょう。

昔と言ってもすこしばかり前ですが、公共の電波を使ってくだらぬことを放送するな、とか個人的なことを映すな、というような声がかなり出回っていたように思います。

電波の公共性には変わりがないのでしょうが、あの声はどこへ行ったのでしょう。

久しぶりに少し時間をかけて駅の周辺を歩きその変わり方に驚いて来ました。

なるほどこの代わり様のなかで、この変化に沿って動かねばなならない政治が変わるのは同然だと、少し頭の向き方を代えて共産党提唱の「国民連合政府へ国民的共同を」に思いが向きました。

今夜の月も、国民連合政府も自分が生きてきた証明のようなものでしょう。


残り物に笑いあり。

2015-09-26 22:26:38 | 「てんがらもんラジオ」

先日の痴呆症予防講習会は演題は “歌って笑って元気いっぱい!!” というので、音楽療法で北海道を中心に痴呆症予防に携わっている方が講師でした。

文字通り笑いと歌が一杯の二時間余。

久しぶりに大声で歌いました。本物の蛙は冬眠生活でしょうが、ニセモノカエルはみんなで歌えば恥ずかしくない!という心理真理にもとづき気持ちよかったです。

先日「鹿児島の凄さ」を紹介した後こんな映像が残っていました。

鹿児島の高齢者の頭脳がしっかりしているのは、なぜかの答えです。

先日はそのわけとして、魚を食べる量が多いことと、世代を越えた付き合いが盛んなことが上がっていました。講演では講師の体験からの結論として「集まって、話して 冗談を言い合い笑う」ということなのです。

一言で言うと「てんがらもんラジオ」のスタジオの雰囲気ということでしょう。

「てんがらもんラジオ」の人気の正体が分かったと、そしてその屋外版が「chidoriのブログ仲間の旅」なのかと納得したところです。


本物の旅 追伸。

2015-09-26 10:23:49 | ブログ仲間

次の写真は今回の旅参加者のうち私以外の人のカメラには無いものです。

                 

塩尻駅で車に乗せてもらい、中津川駅に向かって走りはじめて少したった時、ワイコマさんが車を停めます、無人スタンドです。丁度店の小母さんが葡萄を補充に来ていました。

この場面をスマホで撮ったものと思い込んでいました。そのスマホは自分のスマホが故障し直しに出していた店から借りていた物で、返す時中の写真を削除してしまったのでした。皆さんの写真を見て自分の撮ったものも見てこの場面をアイパッドで撮っていたことに気づき、さすがアイパッドと訳のわからないことを口にしたわけです。

この旅の最初から塩尻駅での別れまで行き届いたワイコマさんの心配り、いや準備段階から更にその記録のまとめを贈ってくださることまでの心配りの今回の旅の最初の場面でした。

アイパッドのお陰でこのシーンを紹介できてよかった、さすがアイパッド!と、またわけの分からぬことをつぶやきました。


本物の旅物語 了 余韻と予感。

2015-09-25 23:42:39 | ブログ仲間

「chidoriのブログ仲間 旅と勉強会」と称しての二泊三日ですから何を勉強したのですか?と聞く人もいませんので特に勉強について書くこともないのです。と思っていたらgooから1年前の「つぶやき」がおくられてきました。

そこにこんなことが、

今回、ワイコマさんに頼んでご自分のタブレットを持ってきてもらました。それは、私のタブレットでは「てんがらもん」が視聴出来なかったので旅先で視聴したかったからです。

「今回」とは昨年の旅のことで、同じ9月でしたが19日からの二泊三日でした。この旅を直前にして「ただでタブレットが!」の宣伝チラシが目につきテレビや電話の回線やらを変えて手にしたタブレットでした、が役に立たずに終わったのでした。今回(今年のこと)のアイパッドはかなり有効に使えました、旅の写真も含めて。

この点も勉強のうちに入るかと思いますが、何よりもの「勉強」は去年の旅を通じて確信になったブログ仲間への信頼がより深まったことでしょう。chidoriさんからのkaeru像の写真を内のカミさんに見せながら、又ワイコマさんのメモリーに詰め込まれた記録をながめながら、あらためて旅の楽しい余韻に浸っています。

この余韻は来年の第三回の「旅」も楽しい有意義なものになるだろうという予感につながっています。本物の旅とは人への信頼が深まる行程のことでしょう。


「てんがらもん184回」国民文化祭と文化。

2015-09-24 21:08:32 | 「てんがらもんラジオ」

「てんがらもん184回」ゲスト 田中佐美さん

田中さんは6月18日に続いて二度目です、今回は11月に迫った「国民文化祭」の成功を訴えるためでした。前回の分を拾い見してみて、この時も文化祭のことを話されていました。しかし、私の記憶には残っていないのです。その時の感想文にも触れていません。そんなことも含めて国民文化祭さらに広げて文化について考えさせられました。

戦後70年のなかで文化国家日本という言い方が新聞やラジオでも多分テレビ時代に入っても見たり聞いたりした記憶があります。それがいつ頃からか失われていました。まず、田中さんの話でそのことに気づかせてもらったことを感謝します。

田中さんも国民文化祭は「文化の国体」のようなもの、と言われましたが国体の方がずーと身近に感じています。それは私の個人的なことではなく、国体と国民文化祭の取り組みの違いにも表れているようです。Wikipediaによると国民文化祭は2018年以降開催県が未定です。文化庁では開催費用の削減案が上がっていると書かれています。因みに国体は2026年までの開催県が記されています。

今日の語りに感じた田中さんの国民文化祭成功への情熱は前回の話を通じて感じられたバレー観に裏付けられています。そのバレー観は父親から言われた「文化活動は平和でなければだめだ」にさらに基礎を置いているのでしょう。お父さんの言葉は文化が衰えると危ない、戦争の危機が近いという意味を持ちます。昨今の安保法制を巡る状況はその危険性を感じさせます。

田中さんは文化祭のため県に働きかけるなどイニシャチブを発揮しました。それは文化は享受するだけでなく自らつくりだすものであることを示しています。平和もまた同様に自らの手でつくりだすものだということを感じます。

ブログ仲間との旅を終えた直後ですので、旅は総合的な文化活動だ、という思いを記しておきます。文化活動だからこそインターネットでは得られない相互の信頼と知見が深まり、次へのステップになると気付いたことも今回の「てんがらもん」からの学びでした。 


本物の旅物語 6 奈良井宿。

2015-09-22 22:16:46 | ブログ仲間

今回の木曽路の旅を通じて印象深く残っているのが奈良井宿です。

多くの場所でそれぞれの印象が刻まれているので、容量の少ないkaeruの頭脳では混然一体となり馬籠も妻籠もどこもここも要するに木曽路です、となりそうです。

ならば今のうちに奈良井宿についてそれなりの感想を記しておくことは、また何時か訪れてみたいと思ったその時の己の為になるでしょう。

その意味でこの二枚の写真が何かを示唆しています。

暗いのは私のアイパッドで撮ったもの、明るいのはchidoriブログからの転用です(無断使用にて失礼します)。アイパッドの扱いの問題とかは別にして、この明暗の有り様は奈良井宿という街(がい)から受けた私の印象に合っています、書かれている言葉も含めて。

 湖底に沈んだ村とかいう表現を借りれば、湖中に浮かぶ街、湖底ではないといって水面に出ている鐘楼もない、高い鐘楼も水面下にある。時代という湖の中ほどの水中にあるひとつの街、そこへ人々が出入りしているのです。

その時携える言葉は温故知新でしょう。

注:スマホで見たら暗い方の写真が逆さです、スマホの画像フォルダとアイパッドのそれが連携していないようです。直るのかなー、思案投首です。


スマホアイパッドも仲間の内です。

2015-09-21 21:50:37 | ブログ仲間
 
親友 心友、新友。

 「sinnyuu」を変換すると、親友と心友が出ます。 これに付け加えたいのが、新友です。 この三日行動を共にしたのは、新友でした、新しい友。 五人とも「はじめまして」...
 

 去年の今日の「つぶやき」が送られてきて去年の仲間旅の感想などが読めました。先日の旅を重ねてみて、この感想が更に深められたことを喜びたいと思います。

昨夜やり残した写真を紹介しましょう、題して「おはぎと読経」。

秋の彼岸のぼた餅をおはぎといい、春の彼岸のおはぎをぼた餅と称します。春は牡丹に、秋は萩に擬えています。

この写真はお経の経典のある部分です。

昨日寺の彼岸法要に列席した時、スマホに読経部分を写しながら録画したのです。先日の旅のメロディー橋のビデオを部分的でも紹介できないものかと思いまして試してみました。ダメでした。試した範囲ではどうやら静止画しかアップできないようです。

機器の不調は解決しました、昨日の阿呆か、というつぶやきは取消しましょう。

kaeru相応のそれなりの機器で、これからもよろしくという感じです。