kaeruのつぶやき

日々のつぶやきにお付き合い下さい

神社で送り迎える今年と新年。

2012-12-31 21:20:58 | 葉山そして人

 森山神社の境内で今年を送り新年を迎えます。

 

 神社の初詣参拝始まりの合図を除夜の初打ち太鼓といいますが、

去年ではないまだ今年、それを私がやらせてもらいました。 その年に

新しく氏子会の世話人になった者の役割だといわれ、図らずも生涯一

度の経験をさせてもらえた訳です。

 初太鼓を打つ時点では、神殿前から境内その先の石段から参道へと

列が繋がり、普段は犬の散歩の人影くらいの神社ですが、夜中の三時

くらいまで参拝者が絶えないという状況です。

 

 世話人は、甘酒やお神酒を参拝者に飲んでもらう役で、かなり忙しい

のです。

 では、行って参ります。


「3・11」後に人が求めたもの、食料・水・衣類・本……。

2012-12-30 23:44:13 | 本のひと言

 3・11直後、破壊された生活の場から人びとは何を求めていたのでしょう。

 言うまでもなく、食べ物、水、そして衣類に体を休めるところ、衣食住です。

 ですから、石巻市にある金港堂という書店が営業を再開した日・4月27日

ある店員が「やっと再開できたという気持ちの一方、書店なんかにお客さん

は来ないんではないかとも思っていた。本というのは趣味の一部で、生活が

苦しい時最初に切られる部分だから本は売れないだろう」と、考えたのも肯け

ます。

 ところが 「それが逆だったんです、お客さんが書店に集ってくる様子を見て、

自分の仕事ってこういうものだったんだと発見した思いでした」と語っています。

 

 1995年1月の阪神・淡路大震災のとき、ジュンク堂書店・サンパル店が再開

したのは2月3日、震災からわずか半月余でした。人の住んでいないこの地域で

開店してなにになるのか、との後悔をしつつの営業開始だったそうです。

 ところが、「シャッターを開けた途端、だぁーとお客さんが入ったこられてね。そし

て僕(ジュング堂工藤会長)が忘れられないのは、その方々から口々にお礼を言

われたことなんです」、続けて「これまで本屋は非常時に必要とされる商売ではな

いと思っていたのです。本当はそうではないんですね」

 

 私の経験でも昨年の5月、石巻市に支援活動でいろいろな物品を団地に持ち込

み人びとに渡していた時、小学一年生くらいの子どもから 「こどもの本はないの?」

と聞かれたのでした。 玩具は幾つか置かれていましたが子ども向けばかりでなく、

本類は何も持ち込んでいませんでした。

 

 私達の生活の本質は「衣食住本」、といっては言い過ぎでしょうか。


最期へ、人生最大の自由を。

2012-12-29 21:58:50 | 本のひと言

 半月ほど前喪中はがきが届きました。 12月に入って亡くなったYさんの

息子さん名で母享年80余歳と記されていました。頂いて思い浮かべたの

は、YさんはやはりY家の墓に入ることになったんだろうということでした。

 数年前、数人の顔なじみの年寄り仲間と話しているうち、自分の墓の話

になり、ある人が亭主の墓に入りたくないと言いだし、Yさんも同意したの

でした。 

  ただ入りたくない理由は先に言いだした人は、散々夫には苦労させられ

た「あんな亭主と……」というが、Yさんは「それが嫌なのではない、姑が一

緒にいると思うとたまらない」というのです。生きているということと死後と

は一直線でつながっている、と感じ印象に残っているのです。

 その後Yさんと会う機会が少なくなり、これは半年ほど前、Yさん宅近くの

人から「あの家には誰も居ないようだよ」と聞き、別の人は「郵便物は届い

ているから居るんじゃない」という程度の消息できていたのでした。

 

 人間は生まれた時は意志はないが、亡くなる時は自己主張があり得ま

す。 ある意味ではそこに向けて人生を集約させていくのではないでしょう

か。 墓の話はともかくとして「人生最大の自由」を発揮して臨みたいもの

です。


75歳が取り組もうとしていること。

2012-12-28 22:30:55 | 本のひと言

 何を読もうとしているのか、何を書こうとしているのか、何をつくろうとして

いるのか。 大切なのは「つくろう」なのですが、このひらがな四文字の漢字

変換には「作ろう・創ろう・造ろう、さらに繕う」があります。

 75男=kaeruの「つくろう」を示す一字は?

 一字というより、創作・創造の二字に示されていることといえます。

 また、繕の意味も含まれていると気づきます。

 

 年明けに具体化し、動きだせればと思います。 動き出す、と言いきれない

水準の話ですが、可能性を現実性に発展させるのが人の「つくる」という行

為です。

 そのために読む・書く・そしてソロバンです。

 「読む」も書物だけでなく、人の心を、時の流れを、町の動きを等々。

 「書く」も自分の整理のために、友人に理解を求めて、公への説明として、

などなど。

 「読み書き」は「ソロバン」に集約されていきます。

 

 中途半端な「話」ですが、今日はここまでで締めさせて頂きます。


97歳と78歳がいま取り組んでいること。

2012-12-27 21:19:19 | 本のひと言

 97歳のご婦人=Kさん、78歳にご婦人=kさんと呼ばせてもらいます。

 いま、Kさんが調べているのは、250年ほど前のこの地域(逗子・葉山)

のある家族の動きです。 Kさんは郷土史家として土地の旧家の古文書

や寺院の過去帳などを調べていて、ある一家の行方に関心をもったそう

です。

 当時、農民の移住は禁止されていたのですが、現在の逗子市地域の

ある村から現在の葉山町地域のある村へ、移住した記録がありました。 

それなりの事情と手続きを経てのことだろうと推測されます。

 ところがその一家が逗子市内の別の村の寺院の過去帳に記載され

ているのだそうです。 そのことは当時の農民への諸規制のなかでは起

りえないことなのだそうですが、記録に残っているのですからもっと調べ

てみたいと言われます。

 

 kさんは、いまインドへの旅たちを計画しているのこと。

 今年、ミヤンマーを訪問し大怪我をして帰ってきたのです。 なんでも夜

中、真っ暗ななか列車が止ったのでドアを開けホームに降りた、つもりが

ホームではなかった!

 この旅は息子さんを連れていったので、なんとか戻って来れたのですが、

この数年のカンボジア、中国雲南省、ベトナムなどへはすべて一人旅。

旅行社のツアーとは無縁の無頼旅行という感じです。 その地の人々の

暮らしを裸で知りたい、というのが旅の目的だとか。80歳まではこういう

外国へ無頼旅行をし、81歳以降は国内を回るのだと意気込んでいます。

 

 後生畏るべしならぬ、「先生畏るべし、見習うべし」。

 250年前の庶民の生活のなかに分け入るKさん、激動する東南アジア

の庶民のエネルギーを直に伝えてくれるkさん、お二人の話を聞きつつ過

去であろうと外国であろうと、現にこの地で日々を生きる者を支え動かし

ている力は庶民の生きるエネルギーであると、改めて確信を深めました。


三人寄れば……。

2012-12-26 21:39:21 | 本のひと言

 おんな三人寄ればなんとやら、、とか。 ならば、男ならどうなるのでしょう。 

「三人旅はするな」といわれるのは男ではないでしょうか、わずか三人でも

なかに派閥をつくろうとする、一人が仲間外れにされるということです。

 

 すると、男性二人に女性一人は? 多分長くは続かないでしょう。 「三人寄

れば公界」 とは 「人が三人集まればそこは公的な場」 という意味ですが、こ

の組み合わせは、それでなくても派閥づくりをしやすい男性が多数派工作に

走りやすいから、もちろん構成員の年齢とか目的とかで長く続く場合もあるで

しょうが。

 

 今日の集りと行動は女性二人に男性一人のパターン。 昨日の97女と78女

に75男(小生)、『激動期の日本 逗子を語る』 の頒布で得たなかから一部を

市の社会福祉協議会への寄付金として届け会長ほか二人と懇談してきました。

 懇談の内容からみて今までの取り組みの話を97女が、この本づくりについて

は78女、75男の役割は二年後の市制60周年と97女の白寿の祝い行事として

本の普及を位置づけ協力を依頼する、という形になりました。

 図らずも、過去現在未来という時間系にそった各自の経緯が活かされています。

帰りの喫茶店での打ち合わせでも、この組み合わせはかなり有効だと感じたの

ですが、それは明日に。


継続を力に、正反合の法則。

2012-12-25 22:54:23 | 本のひと言

 風邪は完全に治った筈ですが、喉のイガイガが取れずイライラしています。

 この数年ぶりの風邪で寝込んでみて気がついたのですが、以前はほとんで

毎日帰宅するとぬるま湯に塩をいれて嗽をしていたのでした。まわりに風邪が

はやっても自分はかなり元気で動き回っていて嗽のおかげと自負していたの

でした。 それがいつの間にかやならくなっていました。もちろん今回の風邪は

嗽をしなくなったことだけのせいではないでしょうが。

 

 嗽は再開しています、「継続は力」 として 「嗽を続ければ風邪はひかない」とい

うことになればいいと思います。 この場合、力とは効果という意味、あるいは実績

とも言い替えられます。 「継続してきたそのことが実績として示されている」 と表

現し直してみましょう。

 

 人間の継続とは生きてきたという事実です。

 昨日、『激動期の日本 逗子を語る』 について打合せをした方は97歳と78歳

のご婦人、大先輩と中先輩。 このお二人の侃々顎々のやりとりを聞いています

とまさに力と力のせめぎ合いで、その頃合いに 「こんな風に考えられませんか」

と口を挟むのが若輩者?の私の役割というパターンです。

 「三人寄れば文殊の知恵」です。 高齢者・超高齢者の自ずから持っている継続

という力を、充分に発揮するためには仕組が必要です。 そこには「正・反・合の法

則」 が活かされることでしょう。


その町にしかない本、本屋。

2012-12-24 23:13:56 | 本のひと言

 『激動期の日本 逗子を語る』 という地域の歴史の聴き取りをまとめた本

が四月に発行され、関係者の手によってこの間1000冊位が配られたり売

られたりされました。 それ以外に町の一軒の書店で売れたのが300冊ほど

ありました。

 これはかなりの売り上げと思います。 五月の連休明けから店に出され

たことを考えると休日を除けば一日二冊近く売れていたことになります。

 小さな書店を通じて買われていたことは、フリーの住民の方が本を目に

し手にして関心・興味をもち買われていたわけです。

 

 昨日紹介しました齋藤孝さんの本に、「書店は街のカルチャーセンター

的役割をもつべきだ」という趣旨のことを言われていますが、その町・街独

自の文化を届ける役割を発揮した事例だと小さいことではありますが、言え

ます。

 

 この本の年表の1943年(昭和18)の4月1日に「逗子町 横須賀市に強

制的に合併し軍港都市横須賀市となる」とあり、1954年(昭和25年)4月

15日「逗子市 市制施行」とあります。

 今日の打合せで、2014年の市制60周年には内容も増補し販売できる

ようにしようと話し合われました。


ほんのひと言。

2012-12-23 23:20:52 | 本のひと言

 PC内の整理は順当にすすんでいまして、PCを使用できるまでに整理され

ました。 特に難しいこともなく出来てみれば、分からないことにぶっかって頭

を抱えていたことが不思議に思えるのです。 「分からない」とは問題の対象

の仕組みが分からないということです。 文字通り仕組み=組み立てが分か

らないから、分けられないということになります。

 

 ところで、対象の仕組みを理解し解決する能力を養うために何が必要でしょ

うか。 そこで登場するのが「本」です、『10分あれば書店に行きなさい』という

新書が手元にあります。 著者は「世界一、書店通いをした」という齋藤孝さん。

ネット検索による情報収集の危な気さをこんな風に言っています。

「何かを調べたいとき、ネット検索だけでわかったつもりになる、リンク先のネット

書店で関連書を買い「調査終了」のつもりになる……、そんな情報収集では、知

識に「広がり」や「深み」が生れない。」 そして、「街の書店に行こう!」という呼び

掛けになります。

 「本にあってネットにないもの」という項には「情報がほしいだけなら、今やイン

ターネットのほうが便利かもしれない。~本には深い価値がある。読書とは、単

に字面を追って情報を得る作業ではない。その一冊にはディスプレイからは伝

わらない、書き手の人格が込められている。~その人格と付き合うからこそ読書

は面白いのである。」

 

 さて、この1週間あなたは何冊の本を読みましたか?この1ヶ月間何冊の本を

買いましたか?


kaeruはどこを歩いているか?(kaeruの「おくのほそ道」6)

2012-12-22 23:23:51 | kaeruの「おくのほそ道」

 この間も奥の細道を歩きつづけているkaeruです。雨の日も風の日も(風邪の日を除いて)一歩一歩この自動車社会の中を、頼るは己の脚ばかりと確実な足どりでついに郡山を目前にする所まで来ていました。 

 歩きはじめて約60万6千歩になったとのデータです、約412km昔風にいうと百三里で奥の細道は六百里と記憶していますので、その足跡の六分の一は越えたわけです。

 早くPCを本調子にして歩調と同じようにサクサクと書きたいものです。