葉山の四季

葉山の四季をお伝えしたいと思います。

「しんぶん赤旗」 金曜日は文化の話題 「ローマの休日」 ❣️

2023-02-10 18:56:49 | 詩的なつぶやき

タイトルの真ん中「金曜日は文化の話題」、

それがあの映画「ローマの休日」で、オードリー・ヘプパーンです。

日本公開が1954年4月とのこと、上田市でもその頃の上映でしょう、とすれば高校2年でした。今でもしっかりと刻まれていますが、観終わった後の、高揚感でもあり虚脱感でもあるようなふらつく様な幸福感でした。「人生生きる価値あり」と、灰色の高校生活のなかに生きる礎石を見出したような気持ちに浸れたのです。

ということで石子さんの一文に目を通して下さい。

 オードリー・ヘプバーンが1993年1月20日に亡くなって30年になります。ウィリアム・ワイラー監督で初主演した「ローマの休日」公開70年目です。
 日本上映は1954年4月でした。私は昼間働いて定時制高校に通っていましたからこの映画の“休日”という題にひかれて映画館に入りました。アン王女のオードリーのすがすがしさ。アメリカの新聞記者ジョーを演じたグレゴリー・ペックのかっこ良さ。終わっても席を立てず続けてもう一度見ました。
 ヨーロッパ各国訪問中の某国のアン王女が窮屈な日々に不満を爆発させて宮殿からひそかに夜のローマに飛び出すのです。 行くあてもなく街角でショーに助けられて彼のアパートへ。翌朝、2人はそれぞれ身分を隠してローマ観光に。アンは長い髪を切り、 “真実の口” でジョーにビックリさせられます。
 ジョーのスクーターに乗って走るアンに見る者も口ーマを走るような気分になります。2人のユーモアが笑いを誘い、アンとジョーに恋心が芽生え王女から快活な女性に変わっていくオドリーに自由になったうれしさが美しくあふれます。
 王女が外に出て世界を知る。 愛を知る。 自分を知る。 オードリーが素朴に喜び、大声で笑い、冷静になり自分の意志で生きようとする女性像を焼きつけました。この映画出演は名優キャサリン・ヘプバーンがいるので混同を避けるため会社から改名を要望されても「名前と一緒に出演します」と拒否したほど自分の姿勢を大切にしました。

 脚本に生きたトランボの心

 「ローマの休日」で、オードリー・ヘプバーンは第26回米アカデミー貫主演女優賞を受賞しましたが、作品は脚本貫(原案)も受賞。じつはハリ
ウッドの赤狩りで映画界から追放されていたダルトン・トランポが友人の名前で書いたのです。 描かれた王女の自由になりたい思い、外に脱出する行動は、束縛され本名の執筆活動を奪われても書き続けるトランポの心境と抵抗心が反映されていたのです。

 「ローマの休日」を見た時の私は1953年に中国から京都に引き揚げてきてまだ8カ月でした。日本になじめないことばかりでした。 中国の国共内戦の飢餓や朝鮮戦争の体験、父を亡くした引き揚げ者としてどう生きるか悩んでいて人と話すのが苦手でした。この映画のラストシーン。 特ダネ報道をやめて王女を人間として尊重するジョーの「ローマが永遠に忘れえぬ街です」ということばにジョーへの思いを込めた王女アンの2人に見つめ続けられたように感動し力づけられて映画館を出ました。
 この高校の生徒会役員選挙に立候補し、初めて選挙演説もして当選。 オードリーに私の人生転換第一歩あと押ししてもらったのです。

 自分の意志を行動で示した

 十代のオードリーはオランダに住み、ドイツ軍と戦う地下組織の連絡係をしたり、餓えたりしました。1959年のフレッド・ジンネマン監督「尼僧物語」で成長したオードリーを見ました。 オードリー生地のベルギー。演じた有名外科医の娘ガブリエルが尼僧修練をつみ、ベルギー領コンゴで看護師として奉仕して帰国。ドイツ軍の侵略で街頭治療中の父が殺され、ベ
ルギー国王も降伏します。沈黙を求める僧院長に「敵を許せません」と抵抗運動参加を決意。院の裏口か真っ直ぐ街に向かっていオードリーの後姿が忘れられません。
 戦争で生きのびた体験から50代でユニセフ活動に取り組み戦争を否定し子どもたちを救援したオードリー・ヘプバーン。自分の意志を行動で示した俳優として今でも励まされます。  (いしこ・じゅん 映画評論家)

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接続不調につき……。

2019-03-01 21:18:31 | 詩的なつぶやき

現在では「がんは遺伝子の病気である」と考えられています。1950年代になって、遺伝子の本体はDNAであるという概念が確立し、がんと遺伝子の関係に目が向けられ、1976年に「がん遺伝子」が発見され、がん治療史に大転換を記しました。

は “「がん」を読む ー11ー ” の一部ですが、その元になっているのは

 ここまで書いたらiPadが接続不調に、📱では不自由なのであとは明日にします。


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「ミラボー橋」 目で見るリズム

2016-10-14 22:44:12 | 詩的なつぶやき

図書館でこの二冊を借りてきました。

受付で同じ本ですが? と言われました。良いのです、と答えましたが、違うのです。

最初、岩波文庫(左)で開いたとき「この詩は知っている」と思い、講談社文芸文庫版が隣にあったので開いたら、……違うでしょう。

こちらは岩波文庫版でのつぎの頁で、下が講談社版です。

このゆがんだ写真版では気分がでない、かもしれませんが……口にしてみると

違いが分かる、言葉のリズムは目でも見えると思います。

目は耳ほどにものを聴く……、

耳の聴こえなくなったkaeruの目の進化でしょうか。

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今夜は心落ちつけて。

2015-10-14 20:50:42 | 詩的なつぶやき

昨夜は「心落ち着かぬ夜」で「そんな時はこうしましょう」と「俳句です」などと書いて 短歌一首を記しました。

誠に落ち着きのない有り様だったことが表れています。

昨夜紹介した大岡信の『折々のうた 三六五日』にあげられている「うた」は短歌だけでなく俳句も多く、 その他漢詩狂歌などなど多彩に渡っていて、

一昨日の十三日には俳句、

行く我にとどまる汝に秋二つ 正岡子規

があり今日付では、

握力計の知られざるちから身にありて4Bの鉛筆に文字現わるる 冬道麻子

があげられています。

この本はと「あとがき」に目を移すと、

「朝日新聞」第一面の片隅に、日本の短詩型文学から毎朝一作ずつ抜きだし、短文でそれを鑑賞する、という試みを始めたのは、一九七九(昭和五四)年一月二十五日、朝日新聞創刊百周年記念日のことだった。

と書き出されています。 この「あとがき」の日付は「2002年11月はじめ」で、それまでに約5,800数十回紙面に載ったものを一年三百六十五日に配したがこの一冊でした。

検索してみますと、この連載の最終回は6762回目、2007年3月31日でした。

どういう詩だったのでしょう。

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心落ち着かぬ夜は。

2015-10-13 11:00:13 | 詩的なつぶやき

何か心が落ち着かぬことがあり、ブログに向かっても何をつぶやくか浮かんできません。
そんな時はこうしましょう、俳句です。

大岡信の『折々のうた 三六五日』を広げてみると、十月十三日に、

笠置シヅ子があばれ歌ふを聴きゐれば笠置シヅ子も命賭けゐる 前川左美雄

大岡信の短文に【笠置シヅ子の「東京ブギウギ」が大阪の梅田劇場で唄われ、大反響を巻き起こしたのは昭和二十二年九月、以来三年ほどのあいだ彼女はたて続けにブギを唄い、流行歌の世界をつむじ風のように席かん(手偏+卷)した。右の歌の「あばれ歌ふ」には作者の微妙な違和感も込められていそうだが、それにもまして笠置シヅ子の迫力をよらえるのに適切な表現だった。「命賭けゐる」も同じく。】とあります。

歌を読み短文を写している間に眠くなりました。こうしているのが心落ち着かぬ夜には一番いいようで、眠りましょう。

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「からだ記念日」

2015-07-06 20:55:22 | 詩的なつぶやき

  「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日

歌人俵万智さんの第1歌集『サラダ記念日』におさめられています。

今日の一首とも言うべき短歌ですが、ボーイフレンドに料理をほめられた

という以外はサラダも七月六日も詠みの調子からのものだそうです。

   こういうロマンチックな記念日名に対して蛙の臍曲がりは「からだ記念

日」、まぁ蛙には臍がないのですから曲がりようもないのですが。

   ところでこの歌に対してもっと強烈な「カラダ記念日」という歌があり

ます。

    「この刺青いいわ」と女(スケ)が言ったから七月六日はカラダ記念日

作家筒井康隆のパクリ短歌。

   この一首は筒井さんの短編集『薬菜飯店』におさめられているようです。

  荒梅雨に昨日と今日と大雨警戒報、どこかでこんな歌も

    「この雨じゃ帰れない」と君が言ったから七月六日はからだ記念日

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二月のはじめに。

2015-02-01 20:57:42 | 詩的なつぶやき

昨日が「1月の終りの詩」でしたので今日は「二月の初めの俳句」です。

と言ってもkaeruの詠みでは興ざめしますので、昨日に続き

『折々のうた  三六五日』から、

     こしかたゆくすゑ雪あかりする        種田山頭火

        日本中を漂泊しつづけた山頭火が、昭和十四年十二月半ば、松山市に

        安住の一草庵を得たときの句。(大岡信の解説より)

 

  次は、金子兜太監修の『美しい日本の季語』(誠文堂新光社刊)より、

     日脚伸ぶ母を躓かせぬやうに           廣瀬直人

         冬至過ぎると一日一日少しずつ日が伸びていきます。先人は「畳の目

         ひとつずつ」と表現したそうです。

 

  三句目は、『癒しの一句』(ふらんす堂刊)より、

       風邪うつしうつされわれら聖家族     伊藤白潮

           風邪の潜伏期もあって誰かが治ると次に、という順で具合が悪くなる、

           お互いをかばいあうことで家族の一体感も生まれる。

 

    和暦の元日は今月十九日です。日本の春に向けて雪の日もあります、風邪

   など召されませんよう、日脚の伸びも確実ですより良い日々をお過ごし下さ

   い、蛙の目覚めはもう少し先になりますが。

 

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1月の終りの詩。

2015-01-31 22:21:39 | 詩的なつぶやき

「早いもので今年も一ヶ月が過ぎました」との常套句ではじめても

おもしろ味もありません。

ならば「冬の薔薇」や「古道」の続きをつぶやこうかと思いましたが、

今日の健康診断に備えて朝メシ抜きその体で小父さん宅の粗大ごみ出し

を手伝って、保健所に行ってバリユムをのんでレントゲン技士のおねえ

さんの声が聴きづらく、何回も体を回し、やっと終わって、急いでたら

ふくお腹に入れて、一休みしてから歩いた距離が2万5千歩分。

 

というわけで、短く「1月31日の詩」

 

     私の耳は貝のから

     海の響をなつかしむ

                 堀口大學訳、コクトー

          大岡信『折々のうた  三六五日』 より。 

 

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終りから始まる一生。

2014-11-27 22:56:11 | 詩的なつぶやき

    昨日の詩を紹介した 『詩と人生について』 にこんな詩が紹介されていました。 「一生」と題する詩の一番目の節は、

  僕は未(いま)だ年齢(とし)を取らない。でも僕は赤坊(あかんぼう)になってしまった。僕は両親をもって居る。乳母(うば)の唄が輝いて、僕の夢は温(あつ)たかい。

   で始まります。

第七節最後の節は、

   僕はもう年齢を取らない。到頭僕は死んで仕舞った。僕は毎日種々(いろん)な祈祷(いのり)の声を持って居る。この快活な魂が輝いて、僕の灰は温たかい。

    実はこの本を私は終りから頁をめくっていました。ですから、この詩も第七節から読んだのです。そしてこの詩をこんな風に読み終わりました。ただ「取って行く」という意味は言葉通りに解釈しています。

 

       終りから始まる一生

   僕はもう年齢を取らない。到頭僕は死んで仕舞った。僕は毎日種々な祈祷の声を持って居る。この快活な魂が輝いて、僕の灰は温たかい。

   僕はずんずん年齢を取って行く。僕は老人(としより)になって仕舞った。僕は大きい手やら小さい手やらで組まれる大きな環(わ)を持って居る。限りない空が輝いて、僕の全身が温たかい。

   僕はずんずん年齢を取って行く。僕は壮年になって仕舞った。僕は可愛い赤坊の声を持って居る。白い頭布(ずきん)が輝いて、僕の額(ひたい)は温たかい。

   僕はずんずん年齢を取って行く。僕は青年になって仕舞った。僕は一つの手紙を持って居る。愉快な顔が輝いて、僕の心は温たかい。

   僕はずんずん年齢を取って行く、僕は少年になって仕舞った。僕は錫製(すずせい)の犀の玩具(おもちや)を持って居る。印度の砂が輝いて、僕の踵(かかと)が温たかい。

   僕はずんずん年齢を取って行く。僕は子供になって仕舞った。僕は玻瑠(がらす)の笛を持って居る。日は真白(まつしろ)に輝いて、僕の背中が温たかい。

   僕は全部の年齢を取って来た。そして僕は赤坊になって仕舞った。僕は両親を持って居る。乳母の唄が輝いて、僕の夢は温たかい。

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死という詩。

2014-11-26 23:39:24 | 詩的なつぶやき

  『詩と人生について』という本をめくっていたら、「死」と題する

詩がありました。一年前に死んだ友人のこともあったりしてこの詩

が目に入りました。

 

             死                川路 柳紅

 

   「死」がここにいたなら

   しっかりと「生」を握ろうーー

   おまえにとられないために。

 

   「死」がむこうにいたなら

   じっとして話しをしてみようーー

   鏡にうつる姿と話しをするように。

 

    「死」がしずかにやってきたなら、

    快く眠ろう、たったひとりでーー

    ちがった朝をむかえるために。

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