kaeruのつぶやき

日々のつぶやきにお付き合い下さい

アメリカの民主主義、日本の民主主義。

2018-03-31 11:45:56 | 国政展望

「しんぶん赤旗」  きょうの潮流

 観客席で涙をぬぐう姿も。スピルバーグ監督の最新作映画「ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書」。報道の使命とは何か。実在の人物たちのドラマを軸に力強いメッセージを放ちます▼舞台は1971年のアメリカ。ベトナム戦争が泥沼化する中、4代にわたる歴代政権のウソを暴く報道機関と権力とのたたかいを描きます。スクープのもとになったのが、邦題にある機密文書。ベトナム戦争について、「勝てない」と知りながら若者を戦場に送り続けた事実が7000ページにわたって記されていました▼最初に報じたのはニューヨーク・タイムズ。ニクソン政権によって同紙が記事差し止め命令を受けたことで、今度はワシントン・ポストが公表に踏み切ります。巨大な代償を払うことを覚悟の上の決断。メリル・ストリープ演じる女性社主の葛藤が見どころです▼「報道の自由を守るのは報道」「報道機関は国民に仕えるものであり、統治者に仕えるものではない」。珠玉のせりふが現代の日本を突き刺します▼森友学園をめぐる公文書改ざん事件をスクープしたのは3月2日付「朝日」。8日付「毎日」が後に続きましたが、共産党の小池晃参院議員が国会で取り上げた当初は、「朝日」に立証責任を求めるコメンテーターすらいました。NHK・「読売」・「日経」が“改ざん”に表現を改めたのは27日。「改ざん指摘やむをえない」との安倍晋三首相の答弁後です▼権力の監視にはメディアの連帯が必須。本作をぜひご覧いただきたい。


 http://eigakan.org/theaterpage/schedule.php?t=cqeRjNRe


防災のソフト面を考える。

2018-03-30 20:03:02 | 「てんがらもんラジオ」

「てんがらもんラジオ第314回」は、

http://www.ustream.tv/recorded/113904263  です。

昨日のブログで、大平さんの話のなかのピアノに関することはのびたさんのブログに頼る、とつぶやきましたので、そのブログを紹介しておきます。

のびたさんのブログ、

https://blog.goo.ne.jp/new-nobita/e/7e62d1922352a0ecb2f9b849f9cf87bc

なお、この新聞の「かお」は大平さんのフェイスブックのものです。のびたさんのブログとともに目を通していただければ理解が深まるでしょう。

 

   私は、大平さんの話のなかの「防災のソフト面」について、考えさせられました。昨日の話と重なりますが、これも大平さんのフェイスブックからです。

   大平さんの防災の話はソフト面を強調されました。私の場合まずハード面のことですが、我が家では枕元にヘルメットが置かれ、妻は必需品を纏めて置いています。その点私はボンクラだなと思います。ヘルメット以外のものは置いてない、その分ソフト面への心構えをしっかりさせることだと思い直しています。

   そのためには、自分のなかで大災害を風化させない、被害を直接体験したのではありませんが支援活動という体験を決して風化させてはならないのです。大平さんも「慣れの恐ろしさ」を言われました。その通りで1995年神戸長田区を中心に一週間ほどの支援の時も、「3・11」の時も戻った当初はかなり意識的に地域での活動をした記憶があります。ところが、先ほどのヘルメットも妻が持ってきたもので、町の防災訓練への参加も、はじめの頃は率先して出かけましたが、最近は妻の誘いについて行くという有様です。

  それではこれからどうするか。新学期から長男一家が近くに住む、となると老夫婦としては頼りになる、と思うことが間違いのもとです。それが大平さんが言う「命てんでんこ」の大切さです。このことは「3・11」が悲劇をも含めて証明したことでした。だからこそ地震の規模、津波の恐れとか発生の時刻、曜日などなど状況によって異なる対応を普段から決め、家族各自の意識にしておかねばならないというのが大平さんの主張ですし、我が家の心構えにしなければならないのです。

   そしてなるほどと思ったのが野外生活の体験の大切さです。大平さんはこのことを「遊びとは考えていない」と言われました。リクレーションとしてのキャンプではなく、建物の中に入れない!という状況を想定したとき、水や火が工夫をしなければ使えない状況のなかでどう生活をするのか、生活の原点というような時間を体験することです。それが災害を実感することになるし、何よりも生活の原点は命が原点でもあるということを身をもって実感することになります。


フェイスブックで大平卓さん。

2018-03-29 22:14:47 | 「てんがらもんラジオ」

   今日の「てんがらもんラジオ」のゲストの大平卓さんという方については昨日のchidori さんのブログに紹介されています。お話のなかにピアノのことが……、この分野のことはのびたさんの話に耳を傾けよう、と思ったのですが、念のため「ストリートピアノ  鹿児島  大平卓」と検索していくうち、大平さんのフェイスブックに出会いました。

早速でしたが「友達」をお願いしました。

今夜の「つぶやき」はここまでにします。

(大平さんへ。フェイスブックのご披露の件、ご了承ください。また「友達承認」をもご了承下さるようこの場でもお願いします。)

         


句集『ひとり』

2018-03-28 14:11:29 | kaeruの五七五

今朝、妻が広げた「しんぶん赤旗」を指差して「これ」と言います、これです、

瀬戸内寂聴さんが俳句を詠んでいたとは知りませんでした、当然この句集もこれではじめて知ってのです。

以下一文内容、(ふりがな略)

【 第6回星野立子賞が瀬戸内寂聴氏の句集『ひとり』に決定した。

星野立子賞は俳壇史における立子の功績を顕彰し、女性の出版した句集のみを対象に授与される。選考委員は宮坂静生、黒田杏子、西村和子、小澤實、星野椿氏。

星野立子は高浜虚子の次女。昭和5年に初の女性主宰誌『玉藻』を創刊し、女性俳句の隆盛に尽力した。「ままごとの飯もおさいも土筆かな」「大仏の冬日は山へ移りけり」など、天性の伸びやかさをもつ立子の句は今なお多くの人に愛されている。

受賞作『ひとり』は瀬戸内氏が95歳で刊行した初の句集。瀬戸内氏というと京都嵯峨野の「寂庵」の庵主で、『源氏物語』の現代語訳や小説家としての顔が広く知られているが、俳句作家としての顔を持っていることをこの句集刊行まで知らなかった。

「過ぎ来し九十五年の人生が十七音になって詠まれた時、慟哭にも似た感動を皆が共有したのであった。躍り出る春水の如く温かく柔らかく、そして人々を包み込んでゆく魅力があった」と星野椿氏は選評する。氏は立子の長女。

〈生ぜしも死するもひとり柚子湯かな〉の人生観は一遍上人の言葉、「生ぜしもひとりなり、死するもひとりなり」を受けているとのことだが、観念的になるのを「柚子湯」が避け、「ひとり」の命を慈しむ。〈はるさめかなみだかあてなにじみをり〉の繊細な心。〈子を捨てしわれに母の日喪のごとく〉には、たった十七文音の中に作者の来し方が見えてきて、胸を打たれる。

掉尾の一句は〈御山のひとりに深き花の闇〉。「御山」とはかつて住職を務めた岩手県の天台寺のこと。山の闇、しかも桜の咲く闇と対峙しながら、作者はひとり、その闇の中に何を見つめていたのだろう。

「花の闇」とは、女性として聖俗を生き抜いてきた氏の人生そのものであるように思えてならない。

(日下部 由季・俳人)


爺婆世代から孫世代へ。

2018-03-26 21:34:04 | 「てんがらもんラジオ」

   今回の「てんがらもんラジオ」の歴史の話は「西郷どん」がらみで、島津斉彬とその曽祖父重豪との話でした。重豪は斉彬の利発さを愛し幼少の頃から青年期まで影響を与えたそうです。

番組を視聴してみて下さい。

http://www.ustream.tv/recorded/113757709

   再放送を聴きながら、今朝妻と交わした孫の話を考えました。

   石垣島の孫が高校三年生の一年を休学し、世界一周の船旅に応募、船では「仕事」しながらだとのこと。当初その研修で数日東京に通うため我が家に泊まるとのことでしたが、二泊三日で済んだそうです。その出航が4月10日、妻が言うには何か本を贈ったら、と。ほぼ一年間ですから、それなりのものになるのですが、贈る気になりません。本の中ではなく、普段経験できない船の中で見てきて欲しい、読みとって欲しいということです。

   もう一人の孫のこと。小学校卒業の祝いに一言を、というので、4月からこちらの中学校に通うことを歓迎します、一緒にこの町の歴史とか地理を学びたい、と書いて気がついたので……。

「お爺ちゃんは母方の祖父も父方の祖父も知りません。私の生まれる前に亡くなっていました。君は母方の祖父を知らないわけです。是非お墓参りをして小学校卒業の報告をしてきて下さい。葉山の爺ちゃんからも ”よろしく“ と伝えて下さい」と。

  斉彬は曽祖父との繋がりでしたが、その影響は斉彬の生涯を方向付け、薩摩藩は言うまでもなく日本の進む方向にも大きく影響していたのでした。

   時代が大きく動く時、爺婆世代と孫世代のコンビネーションは、想像するより大きなものではないかと、思うのです。昨日の私のブログに東京新宿での「NO!アベ」の大きな街頭宣伝と、アメリカの若い世代の銃規制への100万人の動きをアップしながらの思いでもあります。


2018年度末から新年度へ、情勢は急を告げている。

2018-03-25 20:44:18 | 国政展望

   4月からと言っても来週からですが、我が家に孫と母親を迎えなければならず、それは大歓迎ですが我が部屋を住めるようにしなければならずが迫っています。

そこで新宿の様子は、

志位さんのツイートで、

それと

ユーチューブは、

https://youtu.be/A1uB4rtloNA

 

こちらはアメリカでは全米で100万、


堀文子、瀬戸内寂聴。

2018-03-24 23:01:30 | 葉山そして人

ワイコマさんからのコメントに、葉山の美術館で「堀文子の白寿記念展」が明日までやってます、「お奨めです」と。有難く嬉しく読み、このブログを記そうと思いました。

この絵画展には先日行ってきたのですが、それは私よりは絵心のある妻が設定してくれたお陰でした。

実は瀬戸内寂聴の『いのち』について、今日の鎌倉散歩の報告のなかで触れようと思っていたのですがここで、

といいますのは、この小説のなかに堀文子の名前が出てきたのです、いや出てきた筈です。先程からあった筈と思いつつ、頁をめくり目を行に沿って走らせてみたのですが、無い。

以前でしたら、こういう場合、文字の方から目に飛び込んできたものです。いまは、なんだかショボショボし出した目で追っていると文字全体が眼帯のようになってきます。

堀文子展は、

 

堀文子の絵画、瀬戸内寂聴の小説、90歳代の己の命の表現、命の表現は命の証言とも言えるでしょう。人生の最終盤の証言台に立てば、誰に証言を求められる訳ではありませんが自ずから「証言を」という声が聴こえてきます。

表現手段は、小説家は小説で画家は絵で、ならばワタシは何をもって表現するか。

今日の鎌倉散歩は案内してくれる人がいて、三ヶ所を桜を訪ねながらの歩みでした。歩数計の話もあって、同じ3000歩とか一万歩でも、どういう時間が伴った歩数であろうか。寺の境内を歩くということでそんなことが頭に浮かんできました。

山地に抱えられた境内は、かなり歩いたなと思うと振り返りたくなります。そして同じ散歩でも、振り返りたくなる散歩散策の気持のありようの良さに気付きます。

90歳とか80歳、小説家はこれが最後の長編とか画家も大作はこれで……、とか言われる年代に普通のワタシは ?

? のままに……。