ヘーゲルは『精神現象学 序論』で、学問においては「概念の労苦を!」と説いている。では、「概念の労苦」とはいかなることなのか?自身の実践を振り返れば、「概念の労苦」とは、「概念」に見合う事実を持って概念を分かる、ということ。もっと言えば、その「概念」が観念的実体となるまで、というか自身の実践の積み重ねで「概念」の実体を創り出すというか......。例えば、料理のレシピを知っているだけで . . . 本文を読む
病には様々な二重性がある。治るのと治らないの、人間のと動物の、精神のと身体の......等々。しかしながら、この十数年、クリニックに務めて見て思うことは、接骨院や鍼灸院に比べて治り難い病の患者が多いということである。それは何故なのか?と考えると、患者自らが選んだ結果の偏りがあるのだと思える。そういう意味で、病には治療者の問題として、治せるのと治せないの(これは決して治ら . . . 本文を読む
思いつくままに「鍼灸学生の鍼灸東洋医学の学びかたについて」西洋医学と東洋医学を相対的独立かつ対立物の統一として出立時に学問体系の一般的な世界地図=一般論を持つ必要性「古典の学びについて」その時代の人類(の認識)のレベル、社会、自然を抜きに、現在の自然、社会、人間から視ることの不味さ鍼灸を歴史性あるものとして、その原点としての古典との把握「人間の病とは何か」 . . . 本文を読む
強揉み名人であるSさんから如何に学ぶべきか、ということは、自身のイメージする東洋医学・医術如何に学ぶべきか、そのものである、と思へる。
本ブログも、三年間の総括をして一区切りつけるべきである。との思いからそこを書き出したものの、書きあぐねて一年以上の年月がたつてしまつている。
「鍼灸問答」と題して、ある程度の鍼灸の問題への自身の答を書いてみたものの、本ブログの題名、主題でもある「鍼灸如何に学ぶ . . . 本文を読む
強揉みされ続けてコルということがある、と思へる。
一昨日のブログで取り上げた、強揉みされ続けて、の患者について改めて考えてみる。
当初はそれほどでも無かったコリが、剛力による強揉みで揉まれ続けることで、より重症のコリへと、ほぐれ難いコリへと何年何十年もかけてなっていったのだと思へる。
何故に剛力による、と断定するのかといへば、「首と頭は揉まないで!」「頭痛がしたり気持ち悪くなつたりするから。 . . . 本文を読む
オペ後の回復を促すための鍼の施術。その効果に驚かされる。
下腿の脛腓両骨骨折オペ後の浮腫、術後創、骨折の回復の促進の為に指圧、鍼を行つた。
当初は浮腫(と内出血)が酷く、1時間くらいかけて施術してもすぐにまた浮腫んでしまつていたものが、二週間目くらいから徐々に施術の効果が持続するようになつていき三週間目には浮腫はほとんど消失した。
しかしながら傷の治りが悪かつた(感染症になつて行く可能性もあ . . . 本文を読む
経絡・経穴は機能である。とは鍼灸の世界ではよく言われることである。これはどういうことなのであろうか?
鍼灸の世界では、例えば鍼灸学校では、経絡・経穴は機能である。という説明が日常的になされる。
これはなによりも、経絡・経穴はウソ、迷信の類である。その証拠に解剖して見ても経絡・経穴はどこにも無いではないか!との外野?からの批判に対しての、であると思う。
しかしながら、経絡・経穴というものは、解 . . . 本文を読む
鍼灸を学ぶのに何故にその学びかたを問わねばならないのか?
端的には、世界は過程の複合体であるから。
より構造的には、世界のあらゆる事物は(それゆえに鍼灸というものも、それを修得するということも)、過程性、構造性を持っての存在であるから、如何なる過程的構造(あるいは構造的過程)を持って、持たせて学ぶかで、その結果としての習得、修得の在り方が大きく違ってくる、からである。
それに対して、鍼灸学校 . . . 本文を読む
東洋医学・鍼灸の世界では、医学と医術の区別と連関ということが理解されていない。(これは、科学的な理論=対象の構造を対象に則して究明していくことを拒絶した罰であると思えるが......)
しかしながら、そもそも医学とは何か、医術とは何かが、そして両者はどう違うのかどう同じなのかが、より一般的には科学と技術の区別と連関が分かっていなければ、東洋医学とは何かも分かりようも無いし、東洋医学と錯覚して東洋 . . . 本文を読む
「六部定位脈診」の問題を考えるには、その原点に立ち返っての生成発展として視ること、弁証法性で視ることが必要である。
「六部定位脈診」というものも誰かが創り出したものであるから、それには始まりがある。
ただ、これにも二重性がある。古代中国において最初に「六部定位脈診」が誕生させられた時と昭和の始めに経絡治療の診断方法として再び誕生させられた時との二重性である。
古代中国においては、当初は患部の . . . 本文を読む
『素問』(小曽戸丈夫訳 たにぐち書店)を読み返している。
最初の数篇では、健康に生きていくためにの養生=生活過程を整えることの大事性、そしてそれはまず天地の気(四季の変化)に合わせてのでなければならないと、そのことの大事性が説かれる。
一般論としてはこれは全く正しい、先人の知恵の素晴らしさに、二千年以上も前によくぞ!と感心させられる。
これは、病気になればそのまま死んでいくということが珍しく . . . 本文を読む
ゴールデンウィークの間、脈診を弁証法性でとらえ返す、書くということ行った。
自身のアタマの働き、働かせかたが、結局は脈診の事細かな事実とそれに関わる思いに引きずられて、堂々巡りを繰り返し尻切れ蜻蛉になってしまって、迷路に入り込んで迷いに迷って、の感があった。
その中で想起されたのが、「たたらを踏むことの致命的欠陥」として「隙」について南郷先生が説かれていることであった。
端的には、闘うのに必 . . . 本文を読む
左頸部の張り、左方廻旋の制限を訴えるKさん。
施術してみると、左半身(下肢、腰部、背部、頸部......)の張りが強く(左坐骨神経痛と診断されたとも......おそらく右方に原因があると思われるが)それゆえの、加えて左肩関節にずれがあって、であると思えた。左頸部の問題は全身の歪の結果であるとして、それらを整えてやると、左頸部の症状は消失した。
これは、左頸部の問題としていくら施術しても(医師の . . . 本文を読む
化学物質過敏症についてのドキュメンタリー番組を見た。問題を問題にしないという認識の実力もまた創らねばならない、と思えた。
先日、化学物質過敏症のドキュメンタリー番組を見た。
そこに描かれている患者さんのパニック状態といってもいい姿に、化学物質の恐さを、また西洋医学ではない東洋医学の必要性を痛感させられた。
端的には、パニック状態になっていっている認識が、その症状を何倍にも増幅していっている、 . . . 本文を読む
グレープフルーツに含まれるフラノクマリンが代謝酵素であるCYP3A4を阻害し、一部のクスリの作用や副作用を増強させてしまうから、グレープフルーツやグレープフルーツジュースを同時に摂ってはいけないクスリがある、と言われる。
代表的なものは、高血圧のクスリであるca拮抗剤であるが、他にも様々なクスリが該当する。
逆に、グレープフルーツのみではなくて、フラクノマリンを含む他の柑橘類、例えば文旦 . . . 本文を読む