『孤独の肖像1st.』を聴いた。個としての自身の、精神としての鍼灸文化のココロそのもの、との思いした。
『哲学・論理学原論』を再々度読み返して、南郷先生の説かれること、これまでの著作に対しての自身の理解が、浅いというか中身は何も無いのではとの思いへとなっていって、呆然自失というか、信じれるもの頼れるものが何も無いとでもいえばいいような孤独感が次第次第に、との思いで車の運転をしている時に、『孤独の肖像1st.』(作詞・作曲 中島みゆき)が流れて来た。
自身の心情にぴったりの曲であったので、手に入れて何度か繰り返し聴いてみると、これは、自身のみならず、鍼灸文化のココロでもあると思えた。
歌詞中の「愛」を「科学的」に読みかえれば......。「科学的」を失った寂しさから怪しげな観念論的理論を求めてであるのだと。
しかしながら、歌詞にあるように「もう一度始めから」だけが......と思える。これは、鍼灸文化においても自身においてもである。
『哲学・論理学原論』を再々度読み返して、南郷先生の説かれること、これまでの著作に対しての自身の理解が、浅いというか中身は何も無いのではとの思いへとなっていって、呆然自失というか、信じれるもの頼れるものが何も無いとでもいえばいいような孤独感が次第次第に、との思いで車の運転をしている時に、『孤独の肖像1st.』(作詞・作曲 中島みゆき)が流れて来た。
自身の心情にぴったりの曲であったので、手に入れて何度か繰り返し聴いてみると、これは、自身のみならず、鍼灸文化のココロでもあると思えた。
歌詞中の「愛」を「科学的」に読みかえれば......。「科学的」を失った寂しさから怪しげな観念論的理論を求めてであるのだと。
しかしながら、歌詞にあるように「もう一度始めから」だけが......と思える。これは、鍼灸文化においても自身においてもである。