東洋医学の実践的理論研究~人間が病むということの過程的構造からの東洋医学的治療論の研究~

人間が病むということの過程的像から、鍼灸等の問題を説いてみたいと思います。よろしくお願いいたします。

鍼灸の現在、未来について(補)〜時の流れということ〜

2019-09-30 14:53:51 | 覚え書(2)
古典的な鍼灸を目指している先生方には、もしかしたら、ものごとの歴史性についての大いなる錯覚があるのでは、と思える。

古代中国において、また、発達した西洋医学が導入されるまで、中国はもちろん日本においても、鍼灸(や湯液)というものは、医療として存在していた。

誰もが、民間療法等で手に負えないレベルの病になれば、鍼灸等に助けを求めた。そして、鍼灸等はそれなりに、その要求に応え続けて来た。

ところが、現代においては、その医療の座を西洋医学(医療)に明け渡して、である。病気になった時に、鍼灸等に助けを求めるのは、少数派であろう。

これは、一般人のみならず、鍼灸を専門とする人々自身においても、程度の差こそあれ、例えば、西洋医学に否定的な方でも、癌等の命に関わる病になれば......である。

それに対して、古の鍼灸(や湯液)が全盛であった頃の鍼灸、鍼灸師にはその実力があったはずだから、古典鍼灸の再興によって現代における鍼灸の再興を、と考える先生方も存在するごとくである。

しかしながら、それらの先生方は歴史性ということを、ものごとはその背景となる時代、社会と一体のものとして存在しているということを、もっと言えば、鍼灸が隆盛を極めた時代、社会は現代の日本にはどこにも存在しないのだ、ということがお分かりでは無いのでは、と思える。

ここは、本ブログでも何度か説いたと思うが、例えば、対象となる人間の身体も違えば、ものごとの考えかた、認識も違う。

別言すれば、鍼灸が隆盛を極めた古代中国や江戸という時代、社会というものは、どこにも存在しないのであるから......。

結果として、古の鍼灸の再興が成ったとして、過去の鍼灸の隆盛を再び、とはいかないのでは、と思う。

ではどうすればいいのか?の私なりの答が、本ブログの全体である。
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