東洋医学とは何か。を考えるにあたって、人類の精神の歴史性を学ぶことの必須であること痛感される。
昨日、東洋医学的診断の実習について書く中で、否応無しに西洋医学との対比で書くこととなり、自身のアタマの中のイメージを拙いながらも文章化した。
「こんなことを言って良いのだろうか?」「洗練されない表現だなあ。」「もっとしっかりと自身のイメージを文章化しなければ!」等等と悩み、躊躇しながらのブログに書くであったのだが、なかなか明確なイメージとならないものを書いていくことで、正確にはタブレット端末に入力していくことで、そのイメージがそれなりに明確化され、結果として、東洋医学と西洋医学の違い、東洋医学とは何かという問題は、それらを創出した人類の精神の問題として考えねばならないということに思い至った。
詳細には近近きちんと原稿用紙に書くことをした上で、ブログに書く予定であるが、端的には、人類は自然に関わる中で、問題解決の術として二つの大きな流れを、対象を知ることによって問題を解決する哲学・学問と自身を知ることによって問題を解決する宗教を生み出したが、それと同じことを病と関わる中でも行ったのでは無いか。ということに思い至った。
端的には、病を知ることで問題を解決しようとする西洋医学と病にかかる人間を知ることで問題を解決しようとする東洋医学である。
自身では、こう考えられるようになって、はじめて東洋医学に関わることに自信とプライドを持てる様になった。それだけに、ここは改めてしっかりと書きたいと思う。
昨日、東洋医学的診断の実習について書く中で、否応無しに西洋医学との対比で書くこととなり、自身のアタマの中のイメージを拙いながらも文章化した。
「こんなことを言って良いのだろうか?」「洗練されない表現だなあ。」「もっとしっかりと自身のイメージを文章化しなければ!」等等と悩み、躊躇しながらのブログに書くであったのだが、なかなか明確なイメージとならないものを書いていくことで、正確にはタブレット端末に入力していくことで、そのイメージがそれなりに明確化され、結果として、東洋医学と西洋医学の違い、東洋医学とは何かという問題は、それらを創出した人類の精神の問題として考えねばならないということに思い至った。
詳細には近近きちんと原稿用紙に書くことをした上で、ブログに書く予定であるが、端的には、人類は自然に関わる中で、問題解決の術として二つの大きな流れを、対象を知ることによって問題を解決する哲学・学問と自身を知ることによって問題を解決する宗教を生み出したが、それと同じことを病と関わる中でも行ったのでは無いか。ということに思い至った。
端的には、病を知ることで問題を解決しようとする西洋医学と病にかかる人間を知ることで問題を解決しようとする東洋医学である。
自身では、こう考えられるようになって、はじめて東洋医学に関わることに自信とプライドを持てる様になった。それだけに、ここは改めてしっかりと書きたいと思う。