3月28日から第47回大和郡山「お城まつり」が開催されています。
毎日さまざまな催しがありますが、今日は恒例の「白狐お渡り」が
行われました。

スタート地点の「源九郎稲荷神社」。
大納言豊臣秀長が入部のおり郡山場内に勧請し、歌舞伎「義経
千本桜」(源義経の忠臣・佐藤忠信は、実は義経が崇敬していた
この稲荷の化身であった。義経は奥州に落ちるときに幼名「源九郎」
を与える…)で知られる神社です。

昭和初年頃、この神社の地続きの洞泉寺町の遊郭の楼主たちが
中心となって始まった行事で、白狐の面を被った行列がお囃子
と共に市内を練り歩いたといいます。

中断されていた行事は、昭和53年に大和郡山市青年会議所など
によって復活し、昭和58年からはお城まつりの行事の一つとして
市民に親しまれています。

今の行事の主役は可愛い子供たち。白狐のお面を被って、お囃子と
手拍子にあわせて踊りながら市内を練り歩きます。

「白狐お渡り」に先だって行われた「子供時代行列」。
馬上から手を振るのは、藩主・柳沢吉保に扮した上田清市長です。

こちらも主役はもちろん子供たち。これはお殿様の侍女に続く
女武者たち…。
市内の中心部は大勢の見物人や観光客で賑わっていました。
そろそろ、お城の夜桜も見頃になります。
毎日さまざまな催しがありますが、今日は恒例の「白狐お渡り」が
行われました。

スタート地点の「源九郎稲荷神社」。
大納言豊臣秀長が入部のおり郡山場内に勧請し、歌舞伎「義経
千本桜」(源義経の忠臣・佐藤忠信は、実は義経が崇敬していた
この稲荷の化身であった。義経は奥州に落ちるときに幼名「源九郎」
を与える…)で知られる神社です。

昭和初年頃、この神社の地続きの洞泉寺町の遊郭の楼主たちが
中心となって始まった行事で、白狐の面を被った行列がお囃子
と共に市内を練り歩いたといいます。

中断されていた行事は、昭和53年に大和郡山市青年会議所など
によって復活し、昭和58年からはお城まつりの行事の一つとして
市民に親しまれています。

今の行事の主役は可愛い子供たち。白狐のお面を被って、お囃子と
手拍子にあわせて踊りながら市内を練り歩きます。

「白狐お渡り」に先だって行われた「子供時代行列」。
馬上から手を振るのは、藩主・柳沢吉保に扮した上田清市長です。

こちらも主役はもちろん子供たち。これはお殿様の侍女に続く
女武者たち…。
市内の中心部は大勢の見物人や観光客で賑わっていました。
そろそろ、お城の夜桜も見頃になります。