今年も富士山に執り付かれた「スーパースター」たちに出会えました。
一人目は実川欣伸さん。何年か前にも紹介しましたが、ともかく考えられる
限りの登り方で富士山を「遊び尽くしている」人です。
例えば34時間50分で6連続登頂。30時間52分で四登山道連続登頂。
42時間で東京駅から登頂。下田から伊豆半島を縦断して39時間で山頂へ…。
富士山だけでなく、日本縦断で3000m峰29座を29日で踏破。海外ではキリマンジャロ、エルブルース、マッキンリーなど五大陸の最高峰に登っています。
すでに富士登山は555回を超え、近頃は一日二回の山頂往復を続けておられます。
2日の夕闇迫る頃、六合目宝永山荘で噂話をしていると笑顔で姿を現し、一緒に
生ビールを飲みながらいろいろと話を伺いました。

夕食を済ませると五合目駐車場に停めてある車で眠って朝を待つと、ライトを手に下って行きました。
翌3日朝は7合目で追いつかれ、「寒くて起きるのが辛く遅くなりました」といいながら道脇のツララをかじって、しばらく立ち話。

私たちが九合目近くまで登るともう下山してきて、「このしろ池に氷が張っていますが、雪は溶けてアイゼンは要りませんよ」と教えてくれました。下山時の八合目では二度目に登って来てと…結局この日は三度もお目にかかりました。
佐々木茂良さん。朝5時に車で秦野市の自宅を出て富士宮へ。五合目から登りだして山頂往復後、金時山へ登って帰るのが日課です。
この人はもと教員で現在は市の選挙管理委員。
登山を始めた動機が変わっています。新田次郎の直木賞受賞作「強力伝」を読んで感動し、モデルとなった強力の娘さん、「金時山の金時娘」さんから直接話を聞いて、自分も富士山に登って見ようと興味をもったのが最初だそうです。
富士山登頂は400回を超え、金時山に至っては1,230回を超えるという猛者です。

お目にかかるのは一昨年以来ですが、今年は剣ヶ峰への最後の急坂で逢い、頂上で久闊を叙しあいました。笑顔のとても優しい、口調も穏やかで物静かな人です。「私のことがTVで報道されるので良かったら見てください」と名刺の裏に放送日時を書いて渡されました。
特集番組の放送日時は次の通りです。このBLOGをご覧の皆さんにもぜひ見て頂ければと思います。
10月23日(木)19時45分 NHKBS2
10月28日(火)22時 NHKハイビジョン
11月3日(月)12時
お二人とも「来年もまた逢いましょう」と名残りを惜しんでお別れしました。
一人目は実川欣伸さん。何年か前にも紹介しましたが、ともかく考えられる
限りの登り方で富士山を「遊び尽くしている」人です。
例えば34時間50分で6連続登頂。30時間52分で四登山道連続登頂。
42時間で東京駅から登頂。下田から伊豆半島を縦断して39時間で山頂へ…。
富士山だけでなく、日本縦断で3000m峰29座を29日で踏破。海外ではキリマンジャロ、エルブルース、マッキンリーなど五大陸の最高峰に登っています。
すでに富士登山は555回を超え、近頃は一日二回の山頂往復を続けておられます。
2日の夕闇迫る頃、六合目宝永山荘で噂話をしていると笑顔で姿を現し、一緒に
生ビールを飲みながらいろいろと話を伺いました。

夕食を済ませると五合目駐車場に停めてある車で眠って朝を待つと、ライトを手に下って行きました。
翌3日朝は7合目で追いつかれ、「寒くて起きるのが辛く遅くなりました」といいながら道脇のツララをかじって、しばらく立ち話。

私たちが九合目近くまで登るともう下山してきて、「このしろ池に氷が張っていますが、雪は溶けてアイゼンは要りませんよ」と教えてくれました。下山時の八合目では二度目に登って来てと…結局この日は三度もお目にかかりました。
佐々木茂良さん。朝5時に車で秦野市の自宅を出て富士宮へ。五合目から登りだして山頂往復後、金時山へ登って帰るのが日課です。
この人はもと教員で現在は市の選挙管理委員。
登山を始めた動機が変わっています。新田次郎の直木賞受賞作「強力伝」を読んで感動し、モデルとなった強力の娘さん、「金時山の金時娘」さんから直接話を聞いて、自分も富士山に登って見ようと興味をもったのが最初だそうです。
富士山登頂は400回を超え、金時山に至っては1,230回を超えるという猛者です。

お目にかかるのは一昨年以来ですが、今年は剣ヶ峰への最後の急坂で逢い、頂上で久闊を叙しあいました。笑顔のとても優しい、口調も穏やかで物静かな人です。「私のことがTVで報道されるので良かったら見てください」と名刺の裏に放送日時を書いて渡されました。
特集番組の放送日時は次の通りです。このBLOGをご覧の皆さんにもぜひ見て頂ければと思います。
10月23日(木)19時45分 NHKBS2
10月28日(火)22時 NHKハイビジョン
11月3日(月)12時
お二人とも「来年もまた逢いましょう」と名残りを惜しんでお別れしました。