ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

ペルーの旅(1)

2012-03-11 17:00:54 | 旅日記
3月2日 リマ~ナスカ



伊丹から羽田、ロス、さらにリマへと実質20時間近くのフライト、通関時間や待ち時間やを入れると一日近く費やして、やっとアンデスの国の地を踏みました。飛行機の外に出るとどっと暑さが押し寄せてきます。上着を脱いでザックに押し込みました。



出国手続きを終え、円からソルに両替を済ませてホルヘチャペス国際空港を出ます。迎えの大型バスは人数の倍近くの座席数があり、ゆったり座ることができました。マルコ君という現地ガイドの青年がペルーの現状などを話し始めました。あとで聞くと横浜の高校に留学して大学生活も日本で送ったそうで、道理で流暢に日本語を話す筈です。(このあとの写真は殆どバスの窓越に写したため、青みがかった色になっています)



車の行き交うリマ市郊外から太平洋の荒波が打ち寄せる海岸に出ました。サーフィンの盛んな処や、



波が穏やかな海水浴場などが点々と続きます。
ペルーは、フジモリ大統領の時代に破綻しかけていた経済が回復して、今や高い成長率を誇っています。しかし都市への人口流入が続き、貧富の差が次第に激しくなっているそうです。またフジモリ氏は現政権により汚職や虐殺の罪で有罪判決を受けた犯罪人とされましたが、今でも貧困層を中心に大きな支持を受けているといいいます。「彼に対する評価で日本への情報の伝わり方が正確ではない」と後に代わった二人のガイドも口を揃えて言っていました。例えば、犯罪人の家族の雇用を勧め、また出獄後の元犯罪者を刑務所の看守にするなど、経済・治安の両面で大きな役割を果たしたので、とても人気があるそうです。



ここでしばらく海岸を離れて曲がりくねった山道を登って行き…



丘の上にある小さな町を通ります。向こうに見えるキリスト像の立つ小山の斜面にはびっしりと貧しい人たちの家が立ち並んでいます。



いつ崩壊するか分からない崩れやすい斜面ですが、もともとは無人地帯に無断で入り込んで住んでいる人たちは4年間住めば占有権を認められるため、立ち退く気配は微塵もありません。



これは昔、金鉱があったところです。ここにも無断で入り込んだ人たちが住みついて、ひょっとすると残っているかもしれない金を見つけようと無数の穴を掘り続けています。



再び海岸に下りて南に走る高速1号線パナアメリカナ・スールに入ると、建設中のリゾート地や



美しい岩礁を背にした町を走り過ぎていきます。ここもホテルなどの建設ラッシュです。

ところでこの写真を見ると砂丘のような感じで砂が海岸近くまで迫っている様子が分かります。地図を見るとペルーは海岸からあまり遠くない東側にアンデス山脈を控えています。国民の半数以上が暮らしているのは、地形上、コスタと呼ばれる海から50km~150kmの間の細長く狭い砂漠の上なのです。



日本でも同じ名前の、ASIAという高級住宅地に立ち並ぶ家々は、手入れの行き届いた緑の芝生にプールなども備えています。土地の価格は計り知れず、庶民には見当もつかないそうです。



入り江と砂漠に挟まれた狭い土地に緑の色が見えます。再び貧しい人たちの住む地域に入りました。ブロック塀などに「KEIKO」と赤い字で書いてあるのが目立ちます。前の大統領選挙で最後の決戦投票で敗れたフジモリ氏のお嬢さんの名前です。マルコ君は「今の大統領はお金や物品で有権者を誘導して当選した」と話して憤っていました。



そろそろ昼時です。しばらく走って小さなレストランに案内されました。天井は風通しのよい竹で出来ていました。



ペルーで初めての昼食です。まず、エビや輪切りのトウモロコシが入ったスープがでます。



メインディッシュ。白身の魚の上にニンニクを置いて焼いています。



デザートにフルーツポンチ



飲み物はビールとインカ・コーラ。もとはレモングラスの花粉を使って着色した(現在は着色料)黄色いコーラです。甘くて炭酸はあまりきつくなく、思ったより美味しい飲み物でした。