MACHU PICCHU (4)
インティワタナから急な階段を下っていくと、農業試験場と呼ばれている段々畑の上にでます。高地での栽培に適した作物の研究が行われていたようで、植物の種子などが発掘された場所です。小さな石組のあるところは未完成の神殿の跡です。
ワイナピチュの下に二軒の建物が見えます。ワイラナと呼ばれる建築様式で、復元された屋根はイチュというイネ科植物で葺かれています。
雨が降り出しました。草を食むリャマ君の横を急いで通り過ぎ、ワイラナに入って雨具を着けました。
ワイラナの少し先で再び登り道になります。下に小屋が見えるところがワイナピチュへの登山口。毎日、限られた人数しか登頂許可されません。キナバルやカナダィアン・ロッキーでもそうでしたが、自然遺産を守るにはこうした方法を取らざるを得ないのでしょう。富士山のように年間、何十万人もが登る山を、せめて現状のままで維持していくには非常に困難を伴うことが予想できます。
往路で上から見た技術者の居住区の一角です。
排水溝が完備していて生活の文化程度が高かったことを証明しています。
左手の通路を下ると「コンドルの神殿」へ通じるのですが、雨が激しくなってガイドは先を急ぎ早足で通り過ぎました。
「水汲み場」山地から遺跡内の水路を辿ってきた水が、今も遺跡で働く人々に利用されています。
先ほど上から俯瞰した「太陽の神殿・トレオン」を今度は下から見ます。
神殿の下部。自然の洞窟を利用した内部には階段があり、その奥はお墓として使われていたようです。
手前の階段を登って出口に通じる朝の道に合流して、マチュピチュの観光を終わりました。
降り続く雨の中、シャトルバスで山を下り、駅前通りのレストランでビュッフェ形式の昼食。そのあと自由行動になって、土産物屋がひしめくバザールのような一角を冷やかして
列車の予約時間を待ちました。帰りも同じフランス人グループと一緒でしたが、私たちより平均年齢はぐっと高そうです。ガイドさんの話では皆さん元気に歩き通したそうで、そのタフさには恐れ入りました。帰りのウルバンバ渓谷は恐ろしいほどの量の濁流が、時には岩にあたって大きく波打っていました。
クスコへ帰るバスが峠を越えるとき、雪を被ったアンデスの峰々がちらりと見えました。
車窓に見える高地の農作地帯。ジャガイモやトウモロコシなどの畠の中で、背の高い木のように見えるのはリュウゼツランです。
夕暮れが迫り、牛を連れて帰る農夫の後姿が旅愁を誘います。
クスコに帰り、マルサス広場にある昨日の昼とは別のレストランでビュッフェ形式の夕食(オプションでした)。店の名前は忘れましたが、このようにフォルクローレの聞けるお店を一般にペーニャといいます。
民俗衣装の踊りもありました。しかし、このオプションには少し不満も残ります。まず、私たちの席は舞台から一番遠くに離れていて、この写真(ビデオからのキャプチチャー)を撮るにも席を立って前に行かなければなりませんでした。また演奏曲目は世界各国からの観光客を楽しますためかペルーの音楽は僅かで、「Happy Birthday to you」(今日が誕生日の客はいないようなのに…)やトルコ行進曲などが次々演奏されます。ようやく最後に例の「コンドルは飛んでいく」でお開きになりました。
インティワタナから急な階段を下っていくと、農業試験場と呼ばれている段々畑の上にでます。高地での栽培に適した作物の研究が行われていたようで、植物の種子などが発掘された場所です。小さな石組のあるところは未完成の神殿の跡です。
ワイナピチュの下に二軒の建物が見えます。ワイラナと呼ばれる建築様式で、復元された屋根はイチュというイネ科植物で葺かれています。
雨が降り出しました。草を食むリャマ君の横を急いで通り過ぎ、ワイラナに入って雨具を着けました。
ワイラナの少し先で再び登り道になります。下に小屋が見えるところがワイナピチュへの登山口。毎日、限られた人数しか登頂許可されません。キナバルやカナダィアン・ロッキーでもそうでしたが、自然遺産を守るにはこうした方法を取らざるを得ないのでしょう。富士山のように年間、何十万人もが登る山を、せめて現状のままで維持していくには非常に困難を伴うことが予想できます。
往路で上から見た技術者の居住区の一角です。
排水溝が完備していて生活の文化程度が高かったことを証明しています。
左手の通路を下ると「コンドルの神殿」へ通じるのですが、雨が激しくなってガイドは先を急ぎ早足で通り過ぎました。
「水汲み場」山地から遺跡内の水路を辿ってきた水が、今も遺跡で働く人々に利用されています。
先ほど上から俯瞰した「太陽の神殿・トレオン」を今度は下から見ます。
神殿の下部。自然の洞窟を利用した内部には階段があり、その奥はお墓として使われていたようです。
手前の階段を登って出口に通じる朝の道に合流して、マチュピチュの観光を終わりました。
降り続く雨の中、シャトルバスで山を下り、駅前通りのレストランでビュッフェ形式の昼食。そのあと自由行動になって、土産物屋がひしめくバザールのような一角を冷やかして
列車の予約時間を待ちました。帰りも同じフランス人グループと一緒でしたが、私たちより平均年齢はぐっと高そうです。ガイドさんの話では皆さん元気に歩き通したそうで、そのタフさには恐れ入りました。帰りのウルバンバ渓谷は恐ろしいほどの量の濁流が、時には岩にあたって大きく波打っていました。
クスコへ帰るバスが峠を越えるとき、雪を被ったアンデスの峰々がちらりと見えました。
車窓に見える高地の農作地帯。ジャガイモやトウモロコシなどの畠の中で、背の高い木のように見えるのはリュウゼツランです。
夕暮れが迫り、牛を連れて帰る農夫の後姿が旅愁を誘います。
クスコに帰り、マルサス広場にある昨日の昼とは別のレストランでビュッフェ形式の夕食(オプションでした)。店の名前は忘れましたが、このようにフォルクローレの聞けるお店を一般にペーニャといいます。
民俗衣装の踊りもありました。しかし、このオプションには少し不満も残ります。まず、私たちの席は舞台から一番遠くに離れていて、この写真(ビデオからのキャプチチャー)を撮るにも席を立って前に行かなければなりませんでした。また演奏曲目は世界各国からの観光客を楽しますためかペルーの音楽は僅かで、「Happy Birthday to you」(今日が誕生日の客はいないようなのに…)やトルコ行進曲などが次々演奏されます。ようやく最後に例の「コンドルは飛んでいく」でお開きになりました。