ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

尾張徳川家の雛まつり(2月14日)

2009-02-15 10:20:58 | 旅日記

今日はバレンタインデーで、まだ雛の節句の時期には早いのですが、♀ペンが前から行きたかった「徳川家の雛まつり」にお供しました。


「この紋どころが目に入らぬかっ!」
美術館には国宝「源氏物語絵巻」をはじめ、代々徳川家に伝わる名宝や大名道具が多数展示されています。


「雛まつり」は、この季節の特別展です。
徳川家のお姫様のために誂えられた美しいお雛様や数々の雛道具が展示されています。
実物そっくりに作られたお道具の精巧さは目を見張るばかり。また明治、大正、昭和三題に渡る雛壇飾りは、時代の特徴が比較出来る珍しいものでした。


昼食に季節の雛御膳を頂いた後…


黒門を潜って池泉式庭園の徳川園を回りました。


今の時期は冬牡丹が見ものですが、その上にちらほらと桜が咲いています。


子福桜(こぶくさくら)というそうです。
明け方の嵐が嘘のように。春の光が降り注ぎ暖かい一日でした。

泉州山中宿(2月12日 )

2009-02-13 17:00:01 | 旅日記
JR阪和線や阪和自動車道が通る山中渓周辺は、古くから和泉と紀州を結ぶ南海道の(後年は紀州街道とも熊野街道とも呼ばれた)要衝で、山中宿として栄えたところです。
四石山の帰りに、短い時間ですが散策して往事を偲びました。


山中渓駅から少し北へ行ったところに府道と石畳の旧街道に挟まれた空き地があります。
かっての旅籠跡で、今は遊園地「わんぱく王国」の駐車場になっています。
最盛期には20軒もの旅籠があったといいます。


石畳の道が復元された旧街道の前は住民センターで、この宿のいわれを刻んだ立派な石標が立っています。


復元された庄屋屋敷。立て札には、庄屋は関西の呼び方で、関東では名主といったことなどが記されていました。
なお、本陣の跡には現在は新しい民家が建っています。


民家の横の細い道を入ると山中神社。
熊野街道だけに「馬目王子」と、「八王子社」の小さい祠があるだけの、小規模な神社でした。


霊験あらたかな子安地蔵。縁起に小野篁の名が記されているなど矢田寺に似ています。
参道に覆い被さるシダレザクラは、花期にはさぞ見事な眺めでしょう。


駅前の熊野街道と県道の分岐にある道祖神。
塞ノ神ともいい、外部からの災いを防ぐ宿の守り神ですが、信州などで見慣れたものと違って石の屋根の下に安置されています。
子安地蔵の手前に明治の小学校跡があり、前の小川横に「筆神さん」があります。学童が習字で使った筆を納めたところだそうでが、やはりこれと同じ形でした。


四石山に登りました(2月12日)

2009-02-12 18:19:19 | 山日記

山中渓駅近くの「わんぱく王国」内の坂道を登ると、巨大な恐竜に出会いました(9時45分)。
山の斜面を使った大滑り台で、剣竜の口に飲み込まれ尻尾がゴールになっています。


この遊具のすぐ上で山道に入ります。
がらがらの岩屑に落ち葉が積もって、やや歩き難い道です。


やっと尾根に出ました(10時12分)。
関電の巡視路が通っていて、左は送電線鉄塔の立つ330mピークへ、30mほど右に行くと谷に下るようになります。
(写真の正面、棒の立っているところが尾根に出た場所、この標識を手前に下ります)


心配になるほど、ぐんぐん下り、最後はゴムで土止めした階段で細い流れの沢に出ました。
沢を渡ると、


ところどころに虎ロープの張ってある急坂を登り返します。
木の幹にすがらないと、ずり落ちそうなきつい傾斜です。


別の尾根に出ると傾斜は緩み、道は大きく左にカーブします。
沢の辺りから現れた、目障りな白いビニール紐が道の両側にずっと続いています。
灌木にアカマツが交る植生で、時期に入山すると「罰金100万円」というマツタケ山持主の警告がありました。
木の間から左前方に目指す山頂らしいピークがちらちら見えます。


何度か小さな高まりを過ぎましたが、どれも見通しのない林の中で休憩場所を探しているうちに11時、山頂に着きました。
山頂は雑木に囲まれ、わずかに西側の木の枝越しに関空方面が眺められます。
それも今年初めての黄砂に災いされて、ぼんやり霞んでいました。
金熊寺側に少し下った採石場付近まで往復しようと思っていたのですが、これでは往復1時間を費やすのも無駄と、昼食などで頂上で45分を過ごしました。

帰りは沢から登り返した分岐でしばらく休み、12時50分にわんぱく王国の恐竜滑り台前に着きました。
山頂の山名板の多さから登山者も多い山と思いますが、今日は終日誰にも出会わない二人で貸し切りの山でした。
パパやママと一緒に滑り台ではしゃぐ幼児たちを見ながら、コーヒータイムを過ごし、今日のハイキングを終えました。

小泉神社おんだ祭 (2月11日)

2009-02-11 17:05:24 | 矢田だより

小泉神社は、約500年前に奉祀されたこの地方の守護神です。


毎年2月11日に、この神社で「おんだ」と呼ばれる「お田植え」神事が行われます。
神事に使われる牛の着ぐるみや木の農具です。


神主さんの祝詞や巫女さんの神楽奉納のあと…


まず「田男」が田圃の草を刈り、周囲の畦をならし、畦豆を植える所作をします。


いよいよウシさんの登場。まず唐鋤(カラスキ)で田をならします。
このとき巫女や参拝者は、境内の砂を雨に見立ててウシに投げかけます。


砂をたくさん浴びせるほど、この年は雨がよく降り豊作だというので、
ウシを曳く係の人も「こりゃかなわん」。


こうして注連縄を張った神田の周囲を三周。さらに馬鍬(まんぐぁ)で三周します。


巫女さんが苗に見立てた松葉の束を植えていきます。
神事が終わるとこの苗を頂いて門口に立て、農家は豊作を、そうでない家は家内安全を祈ります。
最後に餅の代わりにミカン撒きがあってお祭りは終わります。

私たちも松苗とミカンを頂いて帰りました。

変化に満ちた未知の道(2月9日)

2009-02-09 16:31:08 | 矢田だより

東明寺への途中、大谷池という大きな溜池があります。
ここから矢田山へ向かいます。地形図でも点線で示されている、前から気になっていた初めての道です。


すぐに竹林に入りました。美しい緑の中の急登が続きます。


背丈を越すシノタケのブッシュ帯に入りました。幸い道は切り開かれています。


尾根近くなるとナラやクヌギの落ち葉を踏む道になり、ササの背が低くなって尾根上の「矢田の道」に飛び出しました。なんと「頂上展望台」のまん前です。
いつも通っているのに、ここに踏み跡が続いているのに全く気付きませんでした。


最高点(まほろば展望休憩所)を下りて、先日の乙田への分岐から右へ下ります。
最初ははっきりしていた道は、すぐにまたブッシュに突入。


枯れて倒れた背の高いシノタケに道を阻まれて、やむなく沢に下りました。
ここからは、このような小さな滝や…


こんなナメが何度も現れ、「長靴の方がよかったなあ」と♀ペンがため息。
慎重に沢を下り終えて元の大谷池に帰るのに、登りと同じ時間がかかりました。
終わってみると短いが変化の多い、充実した矢田歩きでした。

はじめての道(2月9日)

2009-02-09 14:11:19 | 矢田だより
大谷池から矢田山(最高点)に登り、乙田への分岐を右に下りました。


登りは竹林や雑木林、下りは凄いブッシュや狭い沢下りの連続で、昨日とは逆に全くGPSトラックが採れませんでした。

赤線で時計回りに歩いた推定コースを書き入れてみました。短いコースですが登り、下りとも1時間、合計2時間歩きました。

民博梅林から追分梅林へ(2月9日)

2009-02-08 20:43:47 | 矢田だより

民博というのは「大和民俗公園」内の「奈良県立民俗博物館」のことです。
梅林は博物館の東側にあり、紅梅や白梅など150本ほど植えられています。


この紅梅は毎年一番に咲いて目を楽しませてくれます。


今日も途中で新しい道を探しながら1時間ほどで追分へ。
現在308号線となっている道は古くから奈良と大坂を結ぶ重要な街道で、大和郡山城下への分岐点でもあって本陣が置かれていました。
今は「本陣跡村井家住宅」として県文化財に指定されています。


本陣跡から東を見たところ。
古い石標には「左 なら??いせ 右 こふりやま 道」と記されています。


308号線を挟んで南北に梅林がありますが、まだ蕾固く、ちらほらとほころび始めたところです。

帰りは子供の森を通って帰りました。歩行時間2時間5分でした。