ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

そろそろ出番です(2013.09.13)

2013-09-13 09:33:19 | 矢田だより

ヒガンバナ
今朝の散歩のとき大和民俗公園で。ようやく咲き始めました。
秋のお彼岸の頃に咲くから「彼岸花」
かと思ったら、「(これを食べたら)後は彼岸…死ぬしかない」という意味もあるとか。死人花、幽霊花と嫌な別名もあり、そういえば子供の頃は不吉な花と教えられていました。田圃の土手にあるのはモグラが嫌うから?しかし別名の曼珠沙華(マンジュシャゲ)はサンスクリット語の「天上の花」です。
 「彼岸花」で思い出すのは小津安二郎監督の映画。佐分利信、有馬稲子、山本富士子…懐かしい顔ぶれでした。変愚院が山登りを始めた頃でした。「曼珠沙華」の方はもっと古く「赤い花なら曼珠沙華 阿蘭陀屋敷に雨が降る…」の歌謡曲「長崎物語」、終戦後、中学生になったばかりの変愚院も歌っていました(当時は流行歌と呼ばれていた)、昭和14年発売だそうです。昔の歌は寿命が長かった…。

 

シュウカイドウ
わが家の庭で。今年は夏の暑さで葉が痛んだものが多く、花も少ないのが残念です。
中国名「秋海棠」の音読み。「花の色海棠(カイドウザクラ)に似たり、故に名付く」と貝原益軒の本にあります(Wikipedia)。多年生の球根で、
我が家の花は前に住んでいた河内(大東市)からの子孫?です。
「秋海棠 西瓜の色に 咲きにけり」松尾芭蕉 


赤トンボ舞う大和葛城山(2013.09.10)

2013-09-11 13:58:03 | 山日記

白露を過ぎ、ようやく秋らしくなった空にイワシ雲が浮かんでいる。今日は足慣らしに大和葛城山に行く。早めに家を出たので水分橋に着いた時には車は数台しかなく、水越トンネルの大阪側入口を見下ろす絶好の場所に駐車できた。


辺り一面のクズの花を見ながら国道309号線を跨ぐ橋を渡り、竹林の横を少し下って青崩からの道に合って水分集落の最上部から天狗谷道(青崩道)に入る。最後の民家を過ぎると山間の畠の中の短いが急な登りになり、舗装の道に日が眩しく照り返す。センニンソウ、ウド、ニラなどの白い花が目立つ。


道がなだらかになって勢いよく流れる導水路の横から植林帯に入る。先日の雨の名残か、しっとり黒ずんではいるが湿気が多く、木陰なのにすぐ汗が滲みだしてくる。右手に天狗谷を見下ろす道は、ヤブミョウガの白い花が浮かぶ薄暗いところを抜けると高度を上げるにつれて流れに近づいていく。キンミズヒキの黄色が鮮やかだ。


道が狭まり、やや小岩交じりの山道らしくなるとキンミズヒキや赤いミズヒキに交じってツリフネソウの咲く草地になり、谷を左岸に渡り本格的な登りが始まる。

右の山側に盛りを過ぎたツリフネソウの大群落を見て、木の階段で整備されて歩き易くなった道を登る。メイゲツソウはまだ咲き始めたばかりだった。鎖場を過ぎて右岸に渡り返して登り、水場で谷と別れる。♀ペンがイワタバコを見に行ったが、もう花は残っていなかった。冷たい水で喉を潤して中間点(青崩、山頂どちらへも1.7km)のベンチへ登る。

ここでザックを下ろして10分間休む。木漏れ日が眩しいが風が吹き上げてきて、汗に濡れた背中が冷たく感じる。
 幅広い木の根道が終わると長い階段道が続くが、身体が山に馴染んできたのか、いつもここまでより楽に思う。ボロギクやヤマジノホトトギスが咲いている
水平道から、河内弘川寺への林道に出会うT字路で右に折れて、涸れた谷の右岸を登る。花期の過ぎたフシグロセンノウやヤマアジサイが待っていてくれた。葉だけになったショウジョウバカマの道には木の下の緑の苔が美しい。


4月に来たときには最上部だけだった砂防工事はだいぶ進んでいて、かなり下から迂回路で左岸に渡るようになっている。トラロープの張られた急斜面を登り、ほぼ水平な道を少し行って渡り返す。この辺りの見慣れた天狗谷の風景は一変している。


林道に出てキャンプ場の横からロープウエイの道に出会うと、いつもなら誰かに出会うのに不思議なほど全く人影がない。まだ閉まっている白樺食堂の前を過ぎて、まだ朱い穂のススキに囲まれた道を頂上に登る。西の方は展望が効き、やや靄ってはいるが、アベノハルカスを筆頭に大阪南部のビル群が見えた。


河内側に比べると大和平野は見晴らしがよくなく、大峰の方は殆ど見えない。ススキを前景に金剛山を撮ろうと15分ほど腰を下ろしていたが、先ほどの青空はどこへやら頭上にも雲が拡がってきた。この間、全く二人で貸切りの山頂で、こんなことは珍しい。高原ロッジへ下る道の上には赤トンボが乱舞していた。両側のススキにとまるとか、せめて青空を背にしてくれればいいのに、足元を羽音が聞こえるほどに飛び回っている。帰ってから見ると素早い動きに加えて、まだ色も淡いので写真にならない。♀ペンがムービーモードで撮れば良かったと言ったが後の祭りだ。

(頂上付近の花…左上から時計回りにワレモコウ、アザミ、ツリガネニンジン、オミナエシ、ヤマシロギク(イナカギク)?、ヤマハギ)写真の他にもアカツメグサ、ヨモギ、ホタルブクロなど色んな花が咲いていた。

高原ロッジから出てきた人が今日会った初めて人で、ツツジ園も無人だった。ゆっくりと咲き残った夏の花や咲き始めた秋の花を摂りながら辺りを散策する。実は今日の♀ペンの目的はこの辺りのナンバンギセルだったが見つからない。トイレの前に帰ってもう一度、頂上の方へ登り返してススキの根元を分けたりして探していたが、とうとう一本も発見できなかった。1時間ほど滞在した頂上部を後に元の道を下り、中間ベンチへの木段道にかかる頃に初めて登ってくる人に出会った。その後も登ってくる人はあったが、それでも10人たらずの静かな天狗谷だった。 


(天狗谷下部の花…左上から時計回りにフシグロセンノウ、ツルリンドウ、クズ、ゲンノショウコ)
 他にも、赤い色のゲンノショウコ、ヌスビトハギ、ミゾソバ、ツユクサ、ヘクソカズラなどたくさんの野の花を愛でながら、のんびりと歩いて駐車場所に帰り着く頃、雲が晴れてまた夏の様な強い陽射しが帰ってきた。

<コースタイム> 水分橋上駐車場所 07:15 … 中間ベンチ 08:20~08:30 … 葛城山頂 09:20~09:35 … キャンプ場10:20 … 中間ベンチ 10:50~11:00 … 水分橋 11:45 


わが家の庭も夏の名残り(2013.09.09)

2013-09-09 16:23:04 | 我が家の歳時記

しばらく、ぐずついていたお天気でしたが、今日は爽やかな秋晴れになりました。

手入れの行き届かないわが家の庭で、ひときわ紅の色が鮮やかなミズヒキソウです。


これも鳥が種を運んできたのでしょうか?ヤブミョウガの花も咲きました。


今年の夏は一鉢しか咲かなかった月下美人が、今頃になってたくさん蕾を付けました。全部咲いてくれると凄いのですが…。


秋野菜二題

2013-09-08 07:54:22 | 我が家の歳時記

ご近所から頂いたゴーヤ。夏の盛りから何度も頂いていますが、これが最後になりそう。沖縄での呼び名になっているゴーヤが一般的ですが、正しい呼び名は「ツルレイシ」。

ニガウリ(苦瓜)も一般的な名前ですが英語でも bitter melon 、やっぱり苦い瓜です。我が家ではゴーヤチャンプルーや佃煮にして頂きます。
俳句では秋の季語です。「沖縄の壺よりレイ枝もろく裂け」 長谷川 かな女

 

ナス「秋茄子は嫁に喰わすな」といいますが、「旨いから食わすな(私が喰う?)」というのは意地悪な姑で、優しい姑は「秋茄子には種がないから石女(うまずめ)にならないように」と気を配ります。特別な種類のナスがある訳ではなくて、秋に採れる小粒で色も鮮やかな紫色のものをいいます。

「秋茄子の日に籠(こ)にあふれみつるかな」高浜 虚子


9月の山~剣岳の想い出(1998.09.07)

2013-09-07 07:49:17 | 過去の今日

♀ペンと行くのは始めての剣岳。1998年9月6日。雷鳥沢の登りは案の定きつく感じました。初めて来たときより年齢は37プラスだが、8㎏のザックは20kgマイナスだと自分に言い聞かせて、一歩一歩踏みしめて登りました。草原帯からハイマツ帯に入って乗越が近くなる頃、すぐ傍に雷鳥を見ました。

 

雷鳥平から途中で一度の休憩を含めて95分かかって別山乗越に着きました。見下ろす剣沢・三田平に小屋の屋根が見えます。小屋はすべて個室でシャワー室まであり、夕食にはなんと、下ろし大根添えのビフテキと湯豆腐がでて感激。他にコンニャクのオランダ煮、素麺カボチャの中華風、ナメコ汁と豪華でした。美しい夕焼けを見てぐっすり休みました。

 

7日。午前5時半出発。1時間で一服剣に登ると、曇り空ですが素晴らしい展望が拡がりました。ここから頭上に見上げる前剣へ岩礫の急登。ここから岩の痩せ尾根を下ると、いよいよ核心部・「門」のトラバースです。

昔、ここで雷雨に遭い雷光に怯えて鎖から手を離す女の子がいて、サブリーダーの私はその方が恐ろしかったことを思い出しました。今日もガイド役の男性に連れられた女性4人組が通過に時間がかかっていて、しばらく待たされました。岩場に取り付くと♀ペンはあっという間に渡ってしまいました。


先行のパーティに先を譲って貰って平蔵のコルを過ぎ、「カニのタテ這い」もスイスイ登り終えました。昨日まで「登れるかなあ?」と心配していたのに、「本に書いてあるのは大げさなんヤ」と自信をもった様子です。

早月尾根からのルートと合うと、後はガラガラの岩屑を踏んで祠のある頂上です。♀ペンは念願の頂きに感激の面もち。私も5度目とはいうものの26年振りで、感慨深く祠に手をあわせました。先ほどまで見えていた槍・穂高は雲に隠れましたが、白馬から唐松、五龍、鹿島鑓、針ノ木と後立山連峰がくっきり。立山三山から薬師に続く山並み。室堂平から地獄谷の眺め。奥大日から大日への稜線。早月尾根の稜線と毛勝三山…360度の展望を楽しみました。


下りの難関「カニの横這い」では先行の若い男性二人組が手間取っていました。ここは私が先に降りてスタンスを確認。♀ペンも殆ど鎖を頼らずにクライミングダウンしました。一番傾斜が急で、かって電柱のアングルがあったところは、立派なハシゴが架けられていました。

後はのんびりと来た道を下り、正午に余分な荷物を預けてあった剣沢小屋に帰りました。この日はこれからが長く、しばらく小屋の女主人と話した後、別山乗越へ登り雷鳥沢を下り、地獄谷を周回して室堂をパスして天狗平まで。バスがなかった頃、重荷にあえぎながら登った懐かしい道を、冷たいビールを楽しみに高原ホテルまで歩きました。到着は16時15分、休憩を含めて11時間近い行動の長い一日でした。

*画像加工.com さんのフリーソフトを使わせて頂きました*


野分のまた(次)の日

2013-09-05 10:10:34 | 大和郡山歳時記

古来、この時期の風を鎮めるための祈祷や祭りが各地で行われてきました。越中八尾の「おわら風の盆」は代表的な「風祭り」です。

「野分のまたの日こそ いみじうあわれにをかしけれ」と清少納言は言いましたが、昨日は野分というには、あまりにも激しい雨と風の一日でした。収穫前の大事な時期だけに農家の方々のご心配は大変だったと思います。どうか大きな被害がありませんように…。

ご近所から「ウリ」を頂きました。     「瓜貰う太陽の熱さめざるを」山口誓子

瓜の季語は夏ですが、台風一過の後は長く暑い夏もそろそろ終わって欲しいものです。

 


玩作・ヒマラヤトレッキング(3)

2013-09-04 06:24:28 | 四方山話

 

前回と同じくエベレストですが、これはゴーキョ・ピーク(5,360m)頂上より見た景色です。高度としてはカラパタールより低く、距離も離れているのですが、エベレストの展望地としてはこちらの方が優れていると思います。正面中央、一段高くエベレスト。右はローツェ(8,516m)。カラタパールからはエベレストよりも高く見えたヌプチェ(7,879m)はその手前で円錐型に黒く見えています。


ゴーキョピークへはカラパタールから4年後の2003年に行きました。ナムチェバザールからまずクムジュンに向かいます。ここのゴンパには伝説のイェティ(雪男)の頭皮が保管されています。ここからコシ・コーラに沿って北に向かいキンズマに下り一泊。

 

翌日はモーン・ラ(峠)を越えます。峠に立つチョルテン(仏塔)とタウォツェ(6,501m)。ここから真下に見えるドゥード・コシに一気に下り、ポルチェ・タンガのテント地に着きます。翌日はシャクナゲ林を抜けて次のキャンプ地・ドーレへ。


ドーレは標高4,040m。また高山病の兆候が出始めて歩くのが億劫ですが、頑張って標高差250mの丘へ高度順化に…。正面の白い山はタムセルクです。


翌日はマッチェルマへ。ラ・パロマの峠を越えてチョー・オユー(左・8,201m)から右のギャチュン・カン(7,922m)に続くチベット国境の山々を見ながら進みます。


マッチェルモは標高4465m。ここでもしばらく休んで標高差200mの高度順化に行きました。錐のような鋭鋒・キャジャリ、この土地の名を冠したマッチェルモ・ピーク(6,017m)、カンテガとタムセルクなど白銀の峰々が見渡せますが、圧巻はこのチョー・オユー(8,201mです。CHO OYU はトルコ玉の神の意味。その名にふさわしく純白の雪の衣を被った気高い山容です。


翌日はゴジュンバ氷河のアブレーション・バレー(氷河側谷)の水流に沿って登ります。


ゴーキョまでには三つの氷河湖があります。これは最後の湖・ゴーキョレイク。ここからは10分ほどで最後のキャンプ地・ゴーキョ(標高4,791m)に着きます。この日も午後は標高差100mほど登って高度順化しました。

 

トレッキング10日目。いよいよ最終目的地のゴーキョ・ピークへ向かいます。ザレ尾根の急登から草付の斜面を登り、標高5,000mを過ぎるとエベレストが見え始めます。見下ろすとドゥード・ポカリの湖面が光っています。正面はタウチェ。


出発後、2時間半。600mの高度差を克服してゴーキョ・ピーク(5,360m)の頂きに立ちました。大きなケルンに結び付けられた五色のタルチョーがはためき、ぐるりを取り巻く白銀の峰々が祝福してくれました。

*オンライン無料加工サイト「写真加工.com」を使わせて頂きました*
*元画像と他の画像、詳しい山行記はこちらをご覧ください。*


玩作・ヒマラヤトレッキング(2)

2013-09-03 09:15:04 | 四方山話

 

ナムチェバザールの先、プンキタンガでドゥードコシはY字形に分かれます。いわゆるエベレスト街道(ベースキャンプへの道)は右手のイムジャ・コーラに沿って北東に向かって遡ります。最初の目的地はタンボチェ。標高3876mのここにはゴンパとロッジだけで民家はありません。このゴンパはこの地方で最大のものでが、今の建物は1989年に火事で焼け1993年に再建されたものです。帰りに内部を見学させて貰いました。


ここから少し下ったデボチェのロッジの主人は、ゴンパの医務僧を兼ねています。ここで泊まって次の日はまずパンボチェへ。ここパンボチェは最奥の村でこの先に民家はなく、集落と見えるのは全てカルカ(夏の放牧場)です。


メンダンやマニ石の並ぶイムジャ・コーラ沿いの道、ついで高原状の道を通って標高4,243mのペリチェに着きました。ここはU字状の砂地にあるカルカで風の通り道です。夜中には石造の小屋が吹き飛ぶかと危ぶまれるほどの強風に驚かされました。


翌日は高度順化日。そろそろ高度の影響が現われてきて、顔がむくみ脱力感に悩まされ始めました。しかし、頑張って近くの丘(推定標高4,600m)に登ります。下に見えるのは別の支流沿いのディンボチェ・カルカ。


辛くても登った甲斐があって展望は素晴らしく、すぐ前にタウチェ(6,501m)とチョルツェ(6,440m)、アイランドピーク(6,160m) <イムジャコーラの奥にあるので現地名はイムジャツェ>、などが望めました。これは8000峰のマカルー(8,463m)です。


次の日、ペリチェからさらに奥のロブチェへ向かいます。クーンブ氷河のモレーン(氷河末端の堆石)の登りは標高差300m。高度の影響で相当に厳しく感じました。遭難碑の立つ峠を下り荒涼とした風景のなかを行くと美しい三角錐の山が三つ並んで出迎えてくれました。左端がプモリ(7,165m)、中央はリンテルン(6,749m)、右端はクーンプツェ(6,665m)です。(余談ですが1999年のこの日は変愚院65歳の誕生日でした。)この日はロブチェで泊まり、翌日正午頃「烏の墓場」の意味を持つゴラクシェプに着き、午後は高度順化で明日登る道を標高差100mほど試登したあと狭い石小屋で寝ました。

 

ルクラを出て9日目。やっと目的のカラパタールへ向かう日が来ました。最初はなだらかな雪原を進みます。右端にエベレストの下部が黒く見えています。やがて斜面に取りつきジグザグに登ります。標高差は僅か300m足らずですが、5000mを超える高度では思うように足が進みません。


クーンブ氷河を見下ろしながら高度を上げて、ついに念願のカラパタール頂上(5,545m)に着きました。氷河を隔ててすぐ前に世界最高峰・エヴェレストが聳えています。
エベレスト(8848m)
ネパールの現地語ではSagarmatha(サガルマータ)。中央の黒い岩峰で、ここから見ると手前にある右のヌプツェの方が高く見えます。sagarは「宇宙」「世界」を、mathaは「頭」「頂き」を表します。文字通り「世界の頂上」です



カラパタールからはクーンブ山群の山々、また北のチベットとの国境に連なる山々が見渡せます。その中で私の一番好きな山はプモリ(7,161m)。「乙女の峰」という名にふさわしい、美しい水晶の結晶のような姿です。

*元画像や詳しい山行記はこちらをご覧ください*

 


玩作・ヒマラヤトレッキング(1)

2013-09-02 11:13:13 | 四方山話

地理学者・五百沢智也さんの「ヒマラヤ・トレッキング」という本があります。広大なヒマラヤの東から西までを自分の足で歩き、写真とともに地図・鳥瞰図に美しいスケッチを加えた美しい書物です。<1976年 山と渓谷社刊 \4,800>。ご本人が「ガイドブック兼解説書」とおっしゃるように、トレッキングの準備の段階から現地の事情まで分かりやすく記されています。久しぶりに書棚からこの本を取り出して、ヒマラヤへの夢をかき立てられたあの頃を思い出しました。

心に残る美しい風景を見ると「私も絵が描けたらなあ」と思います。絵は好きなのですが才能がないので、孫が小さいときにトラの絵を描いてみせると即座に「ネコ!」と言われたほどの腕前です。山のスケッチなど夢のまた夢でしたが、最近、若い山仲間に教えて貰ったフリーソフトを使って、思い出の写真をスケッチ風に加工してみました。「贋作」としなかったのは、元の写真だけは自分で撮った写真から選んだためです。

これまで世界最高峰を目指す多くの国の登山隊が通った「エベレスト街道」は、現地の人たちにとっては重要な生活道路であり、チベットなどからの交易路でもあります。現在、その主な出発点となっているのはルクラです。

空港というには狭い飛行場を出て、ガイドやポーターたちに迎えられて2週間のトレッキングが始まりました。テントや食料などの荷物はこのゾッキョ君(ウシとヤクの混血)が運んでくれます。


 

飛行場からロッジや登山道具店等の並ぶ商店街を抜けると街の出入口に立つカンニ(仏塔門)を潜ります。いよいよトレッキングの始まりです。


タダコシの村はずれの絵文石。貴い経文が書かれています。他にも石板に描かれたメンダン、マニコルなどが置かれた聖なる場所が随所にあり、必ず左側を通ることになっています。


二日目。ドゥード・コシに架かる吊り橋を何度か渡り返します。ドゥード・コシは「ミルクの川」の意味で、氷河が削り取った細かい砂粒で青白く濁っています。この橋ではヤクの一隊が渡って来るのに出会いました。


ナムチェ・バザールは標高3,446mにあるクーンブ地方の中心的な村です。三方を山に囲まれた擂り鉢状の山腹に、ロッジ、レストラン、登山用具店、土産物屋などが立ち並んでいます。これは1999年の様子ですので建物は100軒ほどでしたが、現在はもっと増えていると思います。


ナムチェで一日滞在して高度に身体を慣らす、いわゆる高度順化日をとりました。背後の山はクォンデ・リ(6,011m)。


ロッジの庭に張ったテントから1時間ほど歩いて尾根に出ました。すでに高度は富士山の高さを超えています。
背後の山はクォンデ・リ(6,011m)。真っ白な雪に覆われていました。


ここは気持ちの良いアルプ状のところです。クンビラ(5,761m)はルクラからすでに見えていましたが、ここではすぐ近くに仰ぐことができます。この山はシェルパ族が最も崇敬する神の山で、登山することはゆるされていません。


別の年(2003年)の高度順化にはエベレスト・ビュー・ホテルに行きました。3,880mの標高に立つ日本人経営のホテルのテラスからヒマラヤの峰々を眺めながら飲むコーヒーの味は格別でした。
左端にエベレスト(8,884m)、その右にローツェ(8,516m)が見えます。正面の塔のような山はアマダブラム(6,
812m)。


アブ・ダブラムの ama は「母」、dablamは「星を象った首飾り」の意味。dablamはシェルパがフォーマルな装いに付けるもので、中に小さな仏の絵姿が入っています。

高度順化を重ねながら、エベレスト展望の旅は続きます。*オンライン無料加工サイト「写真加工.com」を使わせて頂きました*