
鶴岡八幡宮
京都の石清水八幡宮を厚く信仰していた源頼義が
前9年の役で奥州の安部氏を平定した後
康平6年(1063)8月
京の石清水八幡宮を鎌倉由比ガ浜郷に勧請し社殿を創建した
その後
治承4年(1180)
源頼朝が鎌倉入りするや由比ガ浜の八幡宮(元八幡)を
この地小林郷に移した
建久2年(1191)
武士の守護神の宗社に相応しく上下両宮の現在の姿に整えた
源頼朝が
この高台に社殿を作った時は
既に平家は滅亡
奥州・藤原氏も討伐し
全国60余州を平定した時であった
翌年には
征夷大将軍になり
まさに頼朝の絶頂期であった
鎌倉はこの頃は既に
京都と並んで政治文化の中心となっており
頼朝は関東の総鎮守となって崇敬されていた
以来
鶴岡八幡宮は常に鎌倉のシンボルであり
幕府の儀式や行事はすべてここを中心に行われた
また武門のシンボルとしても豊臣
徳川家から手厚い信仰を受けていた
鎌倉史跡散歩 鶴岡八幡宮より

久々の八幡宮
本殿へ向かう長い石段も
昔は
長くてもっと大きかったと思うんだけど
小さく感じたよん
以前より
外国人が多くて驚いた
源義経は
この八幡宮を見ることなく
鎌倉にはたった一回足を踏み入れただけ・・・
ただ見て歩くだけでなく
歴史を感じながらじっくり歩くのも
良いもんだ

鶴岡八幡宮には
蓮池があるんですが
じっくりのんびり
眺めたことがなかったので
こちらも実現できて良かったです

ところで
蓮と睡蓮って
何気なく紛らわしいんだけど
違いって解ります?