時遊人~La liberte de l'esprit~

優游涵泳 不羈奔放 by椋柊

国民の映画

2011-04-22 | 舞台/役者
舞台は1940年代 ドイツ
ヒトラー内閣のもと
宣伝大臣のゲッベルスは
すべての芸術とメディアを検閲する権利を持っていた
冷徹だが
実は無類の映画好きで
愛する作品は「風と共に去りぬ」

ゲッベルスは
ある日
映画人を招きパーティを開く
理想のスタッフ・キャストを使い
ドイツ国民が誇れる「国民の映画」を
作ろうとしていたのだ

こうして
政治に映画人とナチス高官の
駆け引きと陰謀に満ちた
狂乱の一夜が始まる

力になびくか
信念を貫くか
権力と芸術のはざまで揺れ動く人々の
パワフルな群像劇が展開!

          (公演案内より引用しています)


          

まったく予習せず
足を運んでしまった神奈川芸術劇場

当初
坂東玉三郎氏が
初代・芸術監督として就任する筈が
見解の相違で
芸術監督を辞退

最終的に
宮本亜門氏が芸術監督に…

開館は2011年平成23年1月11日
こけら落しは三島由紀夫原作
宮本亜門演出の「金閣寺」でした

今回
大ホールを使っての舞台
席は前から2列目の9番
正直言って
舞台が結構高くてですね…
非常に見づらいと申しますか
首が凝った(笑)

通路を人が歩くと
地震みたいに座席が揺れるし
どうなの?
もしかして建築費値切ったとか?

個人的には
また行きたい!
と思わせる魅力を感じませんでした



作品についてですが
1幕が60分
15分の休憩を挟み
2幕が105分
長いなぁ~と始まる前は思ったんですけど…
全然長くない!

タイトルの「国民の映画」からは
想像出来ない物語でした
言葉に出来ない…
内に蠢く感情を
文字として表現する力量がない自分が
悲しい

映画とは何ぞや!
それはつまり
芝居とは何ぞや!
であり
芝居を語らずして映画は語れず
映画を語らずして芝居は語れず

芸術を語るに差別なし
芸術を愛するに差別なし
されど
差別なく
芸術が愛してくれるとは限らない

ユダヤ人であることが
ばれてしまった執事・フリッツに
「力になれなくてごめんなさい」と涙ながら
震える声で言っていたゲッベルス夫人・マグダが
フリッツが去った後
「残念だわ~ユダヤ人の割りに感じが悪くなかったから」
とサラリと言ってのけた場面なんざぁ~
恐ろしかったです

最後のシーンでは
映画を見ている時の
幸せそうな表情からして一転
椅子に腰掛け
不気味な笑みを湛えたゲッペルスと
起立したフリッツが映写機を挟んで佇みます
そして
フリッツが
登場人物たちの
その後と申しますか末路を淡々と
語っていくのであります

まず最初に
フリッツが
己が
収容所に収容された年の秋
仲間達2千人と共にガス室で最期を向かえたと語り
それから
ゲッベルスの館で
ひと時を過ごした人物たちの最期を
そして
あの方が自殺を遂げたその後
ゲッベルス一家がたどった末路を…

「以上でございます」と言う
フリッツの言葉が客席に響き渡り
舞台上の明かりが落とされたのであります

劇場内が
暫く静寂に包まれました
あの感覚…
前向きな感動とか気持ちの高ぶり
高揚感と言うより
貴方はどうする
貴方はどう生きる?

自分のあり方と言うか
問われているような…
責任を感じました

人は
いかなる信念をもって生きるか
何をもって
人の真理と成すべきか
人の進むべき道とは…

支離滅裂な感想で
申し訳ない


一見の価値ありです