三陸海岸北上の路は、陸前高田市までにしました。
2日目の宿は盛岡だったので、場合によっては釜石市や宮古市まで北上することも可能だったわけですが、時間的な制約と、地図上から垣間見える山越えオーラと、そろそろ被災地に居たたまれなくなってきたことから、高田松原の「奇跡の一本松」を最後にすることにしました。

南三陸町や気仙沼市の南側もそうでしたが、ここ陸前高田も集落一体が壊滅した地区です。道路から山を見渡しても、本当に何もありません。その道路より、さらに海側に面していた1本松。これより10kmまで津波が押し寄せ、戻った後にさらに高い第2波、第3波まできても、持っていかれなかったまさに奇跡の松の木です。既に根っこが塩害でやられており倒れる寸前とのことですが、ブルーシートにくるまれながらも何とか立っていました。
傍まで行こうとも思ったのですが、道がどうつながっているかも分からない状況で、重機が入っている所は立ち入り禁止になっていて良くわかりませんでした。何もない分、この1本の存在感が増していて、復興のシンボルにしたいという気持ちはよく分かりました。
この木が寿命を全うするまでに、復興が進めばよいのですが・・・
2日目の宿は盛岡だったので、場合によっては釜石市や宮古市まで北上することも可能だったわけですが、時間的な制約と、地図上から垣間見える山越えオーラと、そろそろ被災地に居たたまれなくなってきたことから、高田松原の「奇跡の一本松」を最後にすることにしました。

南三陸町や気仙沼市の南側もそうでしたが、ここ陸前高田も集落一体が壊滅した地区です。道路から山を見渡しても、本当に何もありません。その道路より、さらに海側に面していた1本松。これより10kmまで津波が押し寄せ、戻った後にさらに高い第2波、第3波まできても、持っていかれなかったまさに奇跡の松の木です。既に根っこが塩害でやられており倒れる寸前とのことですが、ブルーシートにくるまれながらも何とか立っていました。
傍まで行こうとも思ったのですが、道がどうつながっているかも分からない状況で、重機が入っている所は立ち入り禁止になっていて良くわかりませんでした。何もない分、この1本の存在感が増していて、復興のシンボルにしたいという気持ちはよく分かりました。
この木が寿命を全うするまでに、復興が進めばよいのですが・・・