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戦没者追悼と靖国

2014年08月15日 | 時事
安倍首相、靖国神社に玉串料奉納 2閣僚が参拝
今年も厳かに全国戦没者追悼式典が営まれた模様です。

この時期、何故かやたらと目くじらを立てられる靖国神社ですが、テレビを介すのも含めて国民の誰もが戦没者の御霊に祈りを奉げるこの式典が、靖国神社の隣にある日本武道館で行われていたことは余り報道されません。過去には靖国神社で行われたこともありますけど、天候やスペースを考えれば当然広い屋内で行うことが望ましいわけですから、1965年以来靖国の代わりにここで行われることが通例となっています。つまり学校で言えば、運動場で行う行事を体育館に移動させただけのようなものなのですね。武道館で奉げられた祈りは、当然靖国にも届くことでしょう。なので自分は別に敢えてこの日に靖国に参拝する必要はないと思っています。むしろ例大祭の方が大事でしょう。まあ、こうしてメディアに取り上げられることで有名になり、皮肉にも一般の参拝者は増加傾向にあるようですから、当の神社にしてみればどっちでも良いのかもしれませんがね(笑)

靖国問題を語るときの切り口になるのが大きく2点あります。政教分離とA級戦犯合祀の問題です。昔はメディアも前者で攻める事が多く、今でも玉串料に必ず「私費で」と一文が添えられます。いくら追悼施設でも1宗教団体であることには変わりありませんから、この件は自分もまだ議論の余地があると思っています。まあ、最近は参拝を宗教行為でなく、寺であれ教会であれ構わずに祈りを奉げる日本人の習慣レベルの行為だと捉える風潮が強くなっているので、最近は余り聞きませんね。専ら中韓ウケの良い後者の話題で責め立てることが多くなりました。
しかし、そのA級戦犯と靖国問題については、正しく知れば知るほど、朝日の慰安婦捏造問題と同じ性質の誤報であるということがはっきりしてくるのです。そもそもABCは単なるカテゴリーであり、「A型戦犯」と訳すべきものなのです。それを語感から勝手に「戦争犯罪のランク」だと誤解している人があまりにも多い気がします。しかもA級は日本人を東京裁判で有罪にするためだけに新たに生み出されたカテゴリーであり、事後法です。つまりA級戦犯とは「本来裁かれるべきでなかったのにカテゴリーに無理やり入れられた可愛そうな人達」という意味で用いるべき言葉なのですが、今日の朝日でもそうだったようにいつの間にか「最大級の戦争犯罪者」のようなニュアンスで用いられてしまっている所に怖さを感じます。他にも、「神社」なのに墓があって遺骨があると思い込んでいる人もいて、まさに「そこから!?」という低レベルの理解で反対している人もいるわけです。まあ、頭に血が上っているとどんな説得も耳に入りませんから、この問題は下記のように少し遠回りをして冷静に考えてみることが一番良いのかもしれません。

今日は終戦記念日だけでなく、お盆でもあります。我々日本人は、先の戦争よりもっと昔から、この時期に先祖の墓参りをしたり、盆踊りなど死者を供養する行事を営んだりしています。それは何故かと言うと、「死んだ人間が怨霊となって祟る」ことを何より恐れているからです。これは神道の考えで、そもそも仏教には霊という概念はありません。輪廻転生しますからね。死んだおじいちゃん達が8月(地方によっては7月)に帰ってくるという概念は、日本独自のものなのです。墓参りを疎かにすると、その霊が怒って子孫に災いをもたらし、逆に大切にし「安らかに見守ってください」と願うと、御霊となって幸をもたらしてくれると信じられています。これは1300年前の奈良・平安時代に広まった御霊信仰の一種なのです。
死者の霊は、生前の恨みや怨念が強いほど激しく祟るもののようですから、戦争により期せずして命を絶たれた方々の無念は計り知れません。GHQの占領が解かれ、主権回復した1951年の翌年にはもうこの戦没者追悼式典を行うことが取り決められ、毎年欠かすことなく行われており、靖国神社でもまた大東亜戦争の英霊を祭る儀式が欠かさず営まれているわけです。A級が合祀されたのは少し時期が空きますが、彼らの御霊が万が一負に転じればより大きな災いをもたらす要素を秘めている以上、合祀すべしと考えた祭司の気持ちも分かりますし、首相は参拝を控えている場合でなく、むしろ積極的に鎮魂せざるを得ない状況にあるのではないかとさえ思います。
さて、日本の首相が靖国参拝したのは、昨年末の第二次安倍政権を除くと2006年の小泉政権にまで遡ります。この空白の7年間、日本はどうだったか思い出してみると、内閣は第一次安倍政権も含め悉く1年持つか持たないかの短命でぐらつき、ついには民主党などという伝統のデの字も知らない輩が首相になると、たちまち東日本大震災です。安倍首相でなくても、「これは英霊を疎かにした祟りだ!」と思ってしまいますよね。
古くは幕末、大政奉還によってそれまで800年以上武家に握られていた政権を取り戻した明治天皇が、即位するよりも前にまず行ったことは、3大怨霊の1人といわれた崇徳上皇の鎮魂だったわけですし、阪神淡路大震災やオウム事件あった翌年に橋本総理が11年ぶりに靖国参拝しているのもまた、そうせざるを得なかった何か特別な思いがあったのでしょう。何とも非科学的な話ですが、歴史が証明している通り、日本人にとって祖先の霊を大切にする行為が日本の安寧に非常に深い関わりがあることは、日本独自の宗教観として信じざるを得ないものなのです。海外、特に中韓に何を言われようとも、我々日本人にとって死者を祀ることは欠かせない儀式ですし、それを止める行為は、災いを自ら招く最悪の選択であるといえるでしょう。中韓など、日本人以外の民族がそう思えないというのは理解できますが、それは紛れもなく一種の宗教性を秘めているからであり、我々日本人にとって死者を鎮魂する行為は、キリスト教のイースターやイスラムのラマダンなどと同じく、他国に配慮したり自分の都合を思案したりしている場合ではない最優先の宗教行為なのです。

安倍首相には、時機を見て今年もしっかり参拝してもらいたいものです。

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