「猫の目」教員免許、先読めず現場困惑
免許状なんて、教員になってしまえば紙屑同然なのですがね。
医者もそうでしょうけど、教員も免許を取るために覚えることと、就職してから覚えることでは、天と地ほどの差があります。大学を出て、それなりに知識があるつもりで入りましたが、4月1日からやることが山積みで、いざ始業式の前日になって、学級開きで子どもの心をつかむ話とか、教室掲示、板書、自己紹介のさせ方、学級組織の組み立て方とか、何も分かっていなかったことに気づき、日付が変わって1時過ぎまで先輩の先生に教えてもらっていました。流石に9年も経てば大体の見通しが立ち、自分流に事が進められるようになってきましたが、それでもまだ毎日余裕のない日々です。特に低学年の子はまだ語彙も少ないですから教えるにも一苦労ですし、さらによく泣くは転ぶは騒ぐはケンカするはトイレも失敗するは、日中は戦場です。周りの子にも配慮しながら一人一人対応していくわけですが、今までの積み重ねがあってからこそ淡々とこなしていけるわけで、研修では決して学べないことを、日々体当たりで学んでいっている感じですね。
特に今年は毎年の情報主任に加えて研究主任も仰せつかったため、校内研究を先導する立場にあり、早速先月指導案を作って公開授業を済ませ、自ら叩き台となったわけですが、さらに自分の属している算数の研究会で来週にも市内の先生に見てもらう研究授業が当たり、先週の金曜から今日まで毎日午前様で指導案を書いています。授業を見てもらうのは、見るだけより100倍勉強になりますから、自分は大変なのも100も承知で拒まずに受けるようにしています。この9年間で校内研4回、校外研2回ですから、3年に2回は
後悔公開している計算になりますね。また、毎年の実践を論文にまとめて8年間欠かさず提出しているわけですが、このような経歴を免許状に書き込む欄などはなく、また主任手当てなどもなく、1種免許のまま給料も同年代と変わらず推移していくわけです。(正確には特別支援の経験が3年あるので1ランク上のはずですが。)
そもそも、免許や資格などというのは「最低レベルをクリアしている」証にしか過ぎないわけで、取得してからも自力でがんばれば当然それ以上の力がつきますし、何もしなければ衰えるわけです。不適格教員の排除のための更新という最初の目的は、制度開始以前の段階で頓挫しているわけで、通常の研修に加え、単純に研修が増えただけに成り下がっている今の制度は甚だ疑問ですね。免許を取ってから教職以外の仕事についている、いわゆるペーパーティーチャーが現場に入るに当たり更新講習を義務付けるのは良いとして、現場の最前線で日々研究と実践に励んでいる教員に対して、現場を離れて研修を30時間も受けろというのは、本当に意味のあることなのでしょうか。むしろ大学の教授やこの制度を決めた人間に現場へ30時間教育実習に来させ、現場の実態を知ってもらいたい気分です。
資質向上を目的とするなら、それこそ役職手当を細かくつけたり、研究授業や協議会提案、実践論文などに給料を加算したりすれば良いわけです。残業代もなく、やってもやらなくても、定時に帰っても午前様でも同じ給料という現状では、やらない人は当然やらないばかりか、やる気のある人までアホらしくなってしまいます。例えば研究授業をするのなら教材研究に指導案作成、授業の準備にそれこそ30時間は費やすので、時給千円として3万円もつけてくれれば十分なのですが・・・毎年更新講習の費用として20億予算をつけるわけですから、それくらいは配分できるはずですけどね。
民主党政権が終わる前に早く結論を出してくれ~!