katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

さくら教室と1000円理容店のカットTBの店舗の下絵

2024-12-26 07:14:30 | モザイクタイル教室

今日は午後からさくら教室・・・って事で、それまで昨日の1000円カットの理容店、カットTBの下絵の是正から。まぁテーマが、南篠崎店以外は、看板では

無くて、壁画の方向で、しかも他の店舗は理容店である・・・って根付いているって事で、理容店色を全面に出す事すら考えなくて良いって事・・・。

それと、店舗事に特徴やスペースが違うんで、そこも考慮に入れないとならず・・・ピエロの壁画の時とは違って、大きな四角のスペースでは無く、

トリッキーな形であったり、歩行者の目線なのか?車の目線なのか?場所に寄って大きく違ったりして・・・。そんな事も踏まえて1つ目は大杉店から。

ここは幹線道路の環七って所を曲がった通りなんだけれど、正面にスカイツリーが見えて開けた通りで、多分職人さんがホームセンターに行く時に通るとか、

その先に学校もあったりはするのね。そんな事も考慮に入れて、割と低めの高さに設定して・・・それとここは入口右側に大きなスペースがあるんだけれど

・・・流石に他の2店舗が全面となると、予算的にも厳しいんで、ここは抑えめにバック無しの予定で、ピエロのみのデザイン。お次は南篠崎店。

ここは一番トリッキーなスペースで、昔からのバス通り。しかも看板が無い新店舗なんで唯一看板の文字入り。ただ他の店舗と比較すると、一番狭い場所。

って事で、アピール的にも全面って事にしたのね。そして最後は京葉店。今の所、悩んでいる最中で・・・2パターン。1つは

顔面アップで呼び込み・・・ここは京葉道路って都心に向かう広い道路で、片側2車線なんだけれど、真ん中に柵があって反対車線からは上しか見えないのね。

だから上にインパクトを持たせる為のデザインで・・・ただ呼び込みの手を本来は逆の左にして、ハサミを逆にして右利きにしたいのだけど、スペースの関係

で、こうするしか無かったのね。それともう1つが、

南篠崎パターンで、左の大きい部分に寄せた感じね。これはまだ検討中。そんなこんなでさくら教室。

まぁバックのひし形を地味ぃぃに進めていたのね。って言うか、さくらは弟子なんで最後にご挨拶って事と、お飾りを持って来てくれたのね。毎年有難う。

って話なんだけれど、さくらとも、この店舗の壁画の話をしたんだけれど、何しろ今度の場合、一般家庭では無く店舗。人を集める場所であり、俺には珍しい

幹線道路のような人目に付く場所である事。その場合、店舗を利用していない人にも見られるし、噂にもなりやすい。しかも張り始めるとネット張りなんで

一夜にして張り上がる・・・インパクトとしてもかなりのアピールになる。そりゃこんなもんが、いきなり出て来たら、目にしない人は、いきなりゾウが

表れても目が行かないようなもんで、見たくなくても目が行くのね。それが地元に3つも出来るのだから、そりゃおったまげ〜ってな話なのね。こんな店舗は

何処にも無いからね・・・そうね、かのナイチンゲールは・・・って始まる、トラベルナース的に言えば、かのガウディさんも最初はカーサ何がしって、

最初は賃貸物件から始まったらしいのね。それはパトロンのグエルさんのお力沿いであって、多分だけど・・・あのさぁ、ウチにガウディってのがいるんだけど、お宅のリフォームやらせてくんない?

って、グエルさんの力で営業したんだろうね。すると、そんな金無いけど、リフォーム代で良いのなら、やれば・・・ってな感じ。しかもゴシック様式の中に

あの奇妙な建物になるのだから、そりゃ一気に評判になる。しかもオーナーは自分が住む訳じゃ無いし、部屋が満室なら何も問題が無い・・・。

それが満室になれば、噂を聞き付け評判になる。だってそんな変わったものガウディにしか出来ないのだから・・・まぁ当たり前の話。つまり要約、その路線に当てはまる仕事が来た・・・そんな話。

さて果たしてそうなるのでしょうか?俺・・・あははは。ただやっぱBTSみたいに最初は何だありゃ・・・って、小馬鹿にされるくらいじゃ無いとね・・・。

恐らく最初は、これを見た一般の人が馴染みの工務店に相談に行くんだろうね・・・そしてそこで、そんなのは・・・って否定されるはず。ただその中に

ネットで探し当てる人もいたりして・・・つまり俺の仕事は既存のルートでは無くて、裏街道なんで必殺仕事人みたいなスタートになるはずなのね。

知る人ぞ知る・・・ってね。ただ何事も最初になるってのは、何をどうって言う相場とかが判らないと・・・って言い出すのね。ただそれって普通は?って話。

何処にも無いって言うのが、オーダーメイドなのね。注文されてのスタートだから、1点ものなのね。しかも価値なんか認められたら当然適正価格なんてもんが設定されるのだから、今より遥かに高く貰えるようになる。

何でもそうなのに、株だって見知らぬ株なら、大した額じゃ無いし、無名選手ならその辺にいくらでも転がっているのね。ただ人気が出れば破格な金額なんて、何処の世界にでもあるのね。

そもそも江戸川区なんて、俺の親父が買った頃は、陸の孤島とか、それ何処とか、最寄りの小岩駅までバスに乗っても1時間近く掛かったような場所だから、

その当時の親父には大変でも、恐ろしく安かっただろうね・・・。ただ今じゃそんなに安く無いし。だから俺もいつまでも下積みしている訳には行かないんで・・・いつまでも駆け出しや、修行、下積みをしている場合じゃ無いのね。

グエル公園までの道のりに、そんなに掛かったら死んじゃうからね。みんなで世界遺産作ろうって思ってるんだからね・・・その前に俺が少しでも知名度を

上げて、そのきっかけになるナウシカの仕事をしないとね・・・ただ巨匠までの道のりの仕事が手に入った・・・と思ってね。これを見てまた馬鹿にしたり、

そんなの無理だし、61歳にもなって夢見て・・・まともに仕事しろとか、良いよなぁ好きな事やって・・・って。好き放題言われたけれど、いよいよそれとも

お別れ出来るきっかけの仕事を頂いたのね。しかし、そんな事を言った人達なんてなーんもしてくれないから。それと逆に心配して老婆心。ものの取りよう

だったりもするのね。日本語って難しいし、でも面白いのね・・・

信じる者は救われるって言うし、触らぬ神に祟りなし。一石二鳥に二兎追う者は一兎も得ず・・・必ず肯定文と否定文があるのね。どっちが正解?・・・

さっ、俺の株は俺がアップさせないとならないし、今の底値の株、一体何処まで上げられるか?・・・俺も俺が楽しみなのね・・・。折角、来年に向けて、

色んな話が来ているのだから、そこへもまた上乗せ出来る肩書き実績を作らないとね・・・・学歴が無い分、これが出来るって証拠が一番判りやすいから。


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親子3代のご近所さんと寅さん教室

2024-12-23 07:08:44 | モザイクタイル教室

今日はまず親子3代のご近所さんから。まぁご存知な人もいるだろうけど、これが小学4年生の作品なんだから、恐ろしいくらい凄いのね。あえて上手いって

言わずに凄いとするのは、例えば慶応の労作展の場合、宿題って言う強制なのね。だからやらなきゃ行けない・・・って事になる。勿論、その強制力があるにせよ、

数百時間をやり切る事はこれも凄いんだけど、まずその子達よりも幼い。これは子供枠の特典がある。10歳で・・・って話だから。その上、習い事として

やっている。そこも例えば、世の中にはピアノだの野球、塾・・・いくらだってそんな子はいるのね。でもモザイクって何人いるんだろうか?きっととても特殊

な分野で中々いないだろうね。勿論体験程度の数時間やった・・・って子は、星の数くらいいるだろうけれどね。でもこれだけの作品を作っている子は?

となると、それは限られる。しかもこれが彼女の遊びな作品。

ハマグリが完成したのね。これで4時間・・・やった事の無い人には、この凄さは伝わらないだろうけれど、習っている人ならこの凄さは簡単に判るのね。

しかも大人であればあるほど判るはず。更にぺきぺきであるとは言え、大人と同じ材料で同じ道具で・・・となると、全てが対等って事になる。

そりゃ益々大人は追い込まれる気持ちになる。しかも月に1回の3時間だけで・・・本来なら飽きちゃった・・・って事になっても不思議じゃ無いのに。

それがここまで続けられる裏付けは、ライバルがお母さんであり、ママである事で一緒にやっている事だと思うのね・・・こんな環境は俺には作れない。

エリートみたいな育て方なのね・・・歌舞伎に近い環境だもの。俺は先生としてそんな珍しい事に携わらせて頂いている訳で・・・まだ道半ばではあるけど

ここまで来た・・・そんな報告。一年の総括って感じにね。そのライバルの

彼女のお婆ちゃん、俺はお母さんと呼んでいるんだけど、最初の頃とは全く違って、そこはクラッシュで・・・とか、そこはなるべく統一で・・・って言う

だけで、ここまで切れるようになっている。そして彼女もお母さんもこれから、髪の毛や腰みのの短冊のパーツを永遠に切り続ける事になるんだけど、

二人共期待出来るようになっているのね。そしてママは・・・

立体で更に1cmタイル・・・ステップアップし始めたのね。もう1cmを切るのだから数ミリのパーツを繰り返さないとならない・・・とても果てしない。

ただその一歩目としては、素晴らしいスタートだと思うのね。経験値は少ない段階で、このグレードの目・・・ほぉーやるぅ・・・って期待大。

正直、老婆心としては難しく無い?大丈夫?って思ったんだけど、全く心配が要らない滑り出しにはお見事です・・・しか無いのね。勿論、この先このままで

行けるかどうか?道中厳しい事もあるけれど、そもそもこのグレードが初日・・・これ以下にならないこの先って考えると、完成に大きく夢がある。

そんな初日に、これ何処に飾ろうかな?って言うから、じゃ江戸川区の区民展にでも出しましょう・・・って言ったのね。何せこれはオリジナル・・・

しかも落ちぶれたとは言え、金魚の町である。しかもモザイク・・・誰一人被る作品は無い。きっとこのままのグレードで終わるのなら・・・そりゃ面白い

展開が待っているはずなのね。にしても、3人が着実に実力を付けているのね。そんな後は、寅さん教室。

そうね、寅さんの場合は、気持ちの立て直しからかな・・・今は。そもそも趣味の場合、気持ちとお金の余裕が無いと、中々成立しないもの。ただ働いているのなら、

月に1回の習い事の金額って、高校生のお小遣いよりも少ないだろうから、そこが厳しいならそもそも論外であるから、そうなるとほぼ気持ちの問題なのね。

勿論、他の趣味へ行くとか、同じ趣味でも先生を変えるとか、色々あると思うのね。でもどちらであっても、お金の問題では無いのね。となると、気持ちって

何?・・・まぁ簡単な話で、例えばカルチャー教室みたいな場所だとする。普通は2時間位。そこで数回で完結するものをやっている・・・こんな感じね。

昔はカルチャー教室って言うのは、ステイタスとして通っている・・・ってだけで、ハイカラさん扱いだったのね。あら素敵ぃぃって感じにね。ただそれも、

多種多様な分野を色々見れるから、あれもこれも手を出す事になり、お手軽感もあって、雨後の筍のように乱立すると、新鮮味を失い、ハイカラでは無く普通

になってしまったのね。しかも棟梁のように器用な人は完全に物足りない。そりゃ当たり前なのね。そもそも体験教室やカルチャー教室は、やって見た・・

って感じの初心者向けであり、出来ない人を作らない弱者救済の為の施設で、学校みたいな場所で、みんな同じものを作るって所なのね。つまり物足りないって

人は、もっと上を目指すから、ネットで先生を探す・・・って事になるのね。ただこうして説明すると、興味の無い人は、そうなんだぁーって感情移入が

出来ないから、もっと判りやすくすると、不動産屋さんとか、楽天みたいに、中間マージンを取る場所って言うのは、自分で探すの面倒でしょ?ここ見て・・

ってサービスが売りなのね。つまりカルチャーも探す手間を省く人の為のもので、比較対象がしやすいって場所なのね。この場合、何か無いかなぁーって、

感じの人には向いているけれど、美術品を探しているなんて時は、向いていないし、もし塾のように、目的意識が高く、目指しているって人向きか?となると、

物足りなさが出るのは当然な話なのね。つまり意識の高さや、ネットの閲覧に長けている人は、ピンポイントで探したり出来るのね。情報は探せばいくらでも出て来る時代だから。

その時にネットの上位にいれば、発見される確立が高く、低ければどんなに素晴らしいものを扱っていようが、見つかる確立は少ないのね。まぁ簡単言えば

誰もが探せない徳川埋蔵金なら、探すのに手間もお金も掛かる。しかしながら、当たれば前代未聞となる。でも単なる小銭なら、自動販売機付近を見て

回れば、高確率で何らかの小銭は落ちていたりするし、江戸川の花火大会の翌日の河原なら、間違い無く落ちていると思うのね。もっと簡単なら、空き缶や段ボールの回収前に回る・・・もはや泥棒だけどね。

あくまで比喩なんだけど、こうした違いって事が判ると、自分が行きたい場所はこんな所・・・って事になるんだけれど、余りに漠然だと何かやりたい・・・

ってな事になるから、探し疲れなんて本末転倒になったりするのね。本気であればあるほどね。所が同じ探していても、今やっている事があって、何か無いかなーなら、

それが余裕となるから、探し疲れる事無く、まっ良いかぁ・・・今日は。ってな具合に先延ばし出来るのね。これが明日食べるお金が無い・・・って言うなら、さっきの比喩のどれ?って話で、選択を間違えると死が待っているのね。

明日のお金が無いのに、徳川埋蔵金探しじゃねぇ・・・。これがプロジェクト・・・ってやるのならテレビ番組になるけどね。いすれにしても、迷った時に

考えるって言うのは手遅れなのね。だって迷っいている時点で余裕なんて無いじゃん。つまり迷う一歩前に用意しないと・・・自分はどんな時に困る傾向にあるか?

みたいに、元気な時に考えて置く。だって元気って余裕があるのだから。なのに大抵の場合、元気100倍オロナミンC的に、元気いっぱい全力で楽しんじゃう。

そしたら燃え尽きちゃうよね・・・だから体力はヘトヘト、お金も使って、楽しみが終わってしまうから、テンションが下がる。下がって気持ち・・・気。

気が滅入っちゃったりしてから、これからどうしよう・・・こんなんで良いアイデア出る?まず無理だろうね。だから元気・・・気が元通りの時は、まともな

状態だから、この時に考えて置く。この時にイケイケドンドンのフォワード的な性格なら、そんなの関係ねぇーって、何も考えずに進んで下さい。

そっちの人は、楽しみ優先だから、心配ご無用で、きっと楽しい、悲しいの大波な人生を繰り返すだろうから、また良い時が来るよ、頑張ってぇーって、

周りの人に励まされれば、そうだねーって乗り切れる。がしかし、くよくよして、卑下して、落ち込み・・・ディフェンダー的な性格の場合、何をしても、

上手く行かない・・・って大抵は、元気じゃ無い時に考えようとするのね。でも、じゃそんな人はどんな時が元気で、どんな事になる?ってな話なのね。

それが傾向と対策の話。そもそも根本的に変えられないと、この先の人生は老いて行くし、待っていても良い事は何も起こらないのね。悪い事は起きるけど。

まぁ簡単な話で、そもそもくよくよする側のディフェンダーは、成功よりも失敗に敏感なのね。例えば営業なんてフォワードは、大抵要らねぇーよって、吐き捨てられる時間が多い。

そこでくよくよしても始まらないから、そんなの関係ねぇーって、次々って進むと、数打ちゃ当たる方式で、挫けない性格なのね。だから成功の確立が高くなる。

所がもしディフェンダーの性格で、くよくよくよくよしていたら、何回目の要らねぇーよで挫けるんだろうか?しかも会社に帰って針のむしろ・・・。

もう終わったな・・・になるのは、目に見えている。逆にそのディフェンダーで、経理・・・つまり他人と会話するでは無く、淡々とこなす仕事だとしたら?

もしかしたら、毎日のコツコツだけなら、得点になるかも知れないが、フォワードだと、一発逆転の考え方だから、今日の失敗を取り返すどころか、大きく

明日の逆転は無く、その失敗を取り戻す事は出来ないだろうし、こんな仕事・・なんて思った瞬間、舐めているからもっと大きな失敗をする・・・。

適材適所なんてそんなもん。つまり自分をキチンと知る事が出来るのなら、今置かれている状況は?環境は?そして心、気は?って簡単に理解は出来る。

ただキチンと確立を上げて客観視出来ないと、過信したり、卑下したりする事で、自己判断を間違えるのね。まぁザックリで言うなら、余裕があれば、

中、長期を考えて、自分投資になるだろうし、余裕が無ければ、今の生活を守るだけになる。ただその投資にしても、人の成功であって、自分に当てはめた時、

正しい選択かどうか?の判断を気・・・元気である気の時に判断するのと、追い込まれてするのでは、もう言うまでも無いのね。まっ今の寅さんの教室は、

こんな話が一番かもね・・・目に見えず、体にも触れずに、心の中を覗き、痛い所に向き合う・・・身の回りの無責任な頑張ってね・・・なんて何の足しにも

ならない事に、気が付いてしまった今、大事なのは自分の改革みたいな話で、透析のように血の入れ替えするつもりじゃ無いと、変えられないし、このまま

老いるにはまだ若過ぎるのね。そのままでは果てしないのね・・・時間が長すぎて。楽しみを求めている人は楽しい場所はいくらでもあるし、いくらでも

ご紹介出来るのね。ただ本当に困っている場合・・・それはきっと俺の出番なのかも・・・って思うのね。そんな場合、楽しいだけじゃ済まないから。

例えば悪意を持って、朝ドラで、栄養士のなりたての小娘が、一流シェフにカロリーが高いと指摘する。やる気を認めて貰って任されると、予算、カロリー、

美味しさはクリアーするも、昼休み内に提供する事の出来ない人が続出。まぁ当たり前なのね・・・趣味じゃ無いんだから、仕事ってのは生きるって事なのね。

その自覚が無いから、一番大事な事が欠けている・・・こんな気持ちでいたら、一体誰がどんな責任を負うのだろうか?食べられなかった人は、空腹で

仕事に行き、本来全部の人に食べて貰えたら、そんな事は無くなり、こっちは収入はアップし、責任者として自分の仲間に支払える・・・。自覚の無さと責任感の無さ・・・

まぁ若いから未熟って言葉で良いだろうが。つまり若く無いのなら、未熟では済まされない・・・この文章だけで、今日のお教室の総括にもなるが。

こちらとしても、お金を頂いている以上、楽しかった・・・って気楽な言葉で済ませられるのは体験だけで、リピーターさんともなると、結果が問われる。

これを寅さんが読んでいたとするのなら・・・何かの足しになるかも知れないけれど・・・お馴染みの、けれどね。けど、即効性があるのは、kameyaさんの

人達だったり、もしかして来年の労作展のお母さんだったり、本気で取り組むイベントや事業だったりする責任者の人なら、遊びでやっている訳じゃ無い。

って気は伝わるかもね・・・でも反面、ちぃーとも楽しそうじゃ無くて、まっぴらごめん・・・って思われるかも知れないけれど・・・けれど、あははは。

そんな後は床屋さんの看板・・・

ありきたりだなぁ・・・って思うのか?これがモザイク看板だよって思うのか?邪道で行くのは京葉店だから・・・王道で行こうかなぁ・・・って感じ。

今の所・・・

 


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棟梁教室とくじらの下地

2024-12-17 07:07:43 | モザイクタイル教室

今日は久しぶりの棟梁教室。まぁこの1年何しろ体調を崩したり、怪我をしたり踏んだり蹴ったりって感じで・・・弱っていたのね。そんな中の教室。

って言うか、相談とでも言うか・・・大作を作っていると、鍋敷きをやっているのとは違って、数年掛かるからその中であれこれとこうした事が起こるのね。

勿論良い事だって起こるから、新しい家族を迎えるとか、逆に亡くなるなんて事もある。その時に杏さんのようにウチの犬って限定した場合は、ウチの犬だけ

の事になるが、棟梁やピエロの壁画のように、家族の紋章みたいな感じに、その人の人生みたいなテーマの場合、色んな登場人物だったり、趣味や物だったりすれば、

色んな事が起こるのね。だから追加モチーフなんて事もあるのね。ただもう残りのスペースは少なくなるし、でも入れたい・・・幸い残っているから出来るし、

でもただ入れるのでは無く、素敵になりたい訳で・・・。ではどうやったら?そんな思いの丈に該当するのか?って事になるんだけれど、あれこれへっぽこな

事はあるものの、心はしっかりしていて、気がしっかりしているのなら、技の心配なんて一つも無いから、後は体って事になるが、そこは俺ではどうにもならない。

心技体なんていつでも万全なんて中々揃わないんだけれど、何しろ棟梁はメンタルがもろい・・・まぁ恐らくその心の部分の病は気からで相当、体に影響した

と思われる。後は環境に馴染むなんて事も、水が合わないなんて表現があるように、魚は水が合わないと死ぬからね。引っ越した訳じゃ無いのに・・・なんて

単純に思う人もいるだろうが、仕事だってそう。会社は変わらずも部署が変われば全てが一から・・・なんて事もある。そんな事でも平気な人もいるし、

全く話にならない位、立ち上がれないようになる人もいる。それはお祭り金魚を同じ日に同じ環境で投入したのに、一夜で死ぬ金魚もいれば、何十年も生きるものもいる。

こんな比喩なのね。ただ人間は感情を持つ生き物なのね・・・特に。そこの部分を沢山持つ人と持たない人って分けたとすると、持つ側は感受性が豊かとも

言う事になる。感性だの感受性が豊か・・・こんな言葉を好む人がいるんだが、それは持たない側や少ない側の意見で、全ては良い事と悪い事は背中合わせである。

この事を理解していないからなのね。つまり豊かって表現は、ガソリン満タンってイメージだとすると、常に満タンが当たり前で普通と思っているのね。

それを良いなぁ・・・って普段満タンにしていなくて、半分にしとこう・・・節約、節約って意識し減らしている側からすると、まだ半分しか減って無いのに、

また満タン・・・なんて思うかもね。でも満タンが普通だと、減っちゃったって思うもので・・・逆に言えば、半分にしとこうって人は、ランプが付いたら

入れようかなぁ・・・って感じにギリギリでも平気って感じだったりする。この比喩はガソリンってメーターありきの話で、感受性って言うメーターは無い

のね。つまり人の体や心って言うものにも、実はメーターがあって、でも無意識だと自分では感じないから、それを世の中では自覚の無さと言うのね。

感受性豊かって言うのは、人一倍とか、人よりも多めとか、みたいな話で、じゃどんな特性があるか?そしてどんなマイナスがあるか?なのね。

常に良い事ばかりじゃ無いから。これがもし生かされるのなら・・・例えば、微妙な違いに人より気が付く。味を整える時、さじ加減、繊細な切り方・・・

じゃスポーツ。盗塁するタイミング、ピッチャーの球種、投げる癖だったりを見抜く目だったり・・・要するに五感が優れているって事なのね。では逆。

悪い事は、普通に生活を送ってしまっている場合、宝の持ち腐れになる。つまり豊かを活かす場所に恵まれない。その場所が趣味って遊びや戯れの居場所では

1人だけ浮く。しかも普通では流せるものだったり、忘れられる事が、一生引きずる・・・当たり前で、読んで字のごとく、人よりも感じ方や受け方が豊かだから。

当然、ニュースを見て嘆いて、悲しみ、ドツキ漫才がいじめに見え、スポーツは戦争に見え、負けた者の悲しみを背負い、全てに感情移入をする・・・。

まっ弱わればお医者さん行きだろうね。それが豊かじゃ無い普通側なら、喉元すぎれば熱さは忘れるし、人の噂も七十五日だし、忘れる能力に長けている。

そんな中、全ての人が若さって言う武器で、悲しみや辛さ、理不尽な思いなど、負の気持ちや心を稼いだお金と若さのフットワークで、楽しみと交換する。

この繰り返しが人生。勿論これはディフェンダー側の考えだから、楽しみ追求って言う側なら、フォワードとして、楽しい事を嗅覚で察知出来るだろうし。

ただねぇ、人はいつしか衰えるのね。小倉さんじゃ無いが、好きなゴルフも歩けないと出来ない。段々出来る事の許容範囲が狭くなるのね。

いつもいつも同じでいられる・・・おー過信の塊。みんな平等に歳を取っているのに・・・いつまで若さに頼っているんだか。そんなもん、使い減りしない

もんかねぇ・・・素晴らしい世界一の包丁は研がなくて良いのかね・・・恐らく料理人なら毎日研ぐのね。そう言う点では、趣味と言ってこれだけのものを

作るのだから、コツコツ進めている棟梁は技は身に付けたと思うのね。つまり心技体と言うのなら、技が抜群であるとするのなら、心と体はどの位見劣り

して見えるのか?つまり棟梁が必要なのは心や気と言った、目に見えない事の方が大事なのね。例えば、アスリート。めちゃめちゃ毎日すり減らして鍛える。

だから強靭になるのに、やり過ぎて壊れる。怪我をする。何故?これでもか、これでもかって努力をする。でもやり過ぎた・・・何故やり過ぎたか?なのね。

そこに負けたから・・・なんて人と比べて、後少しだったのに・・・だから今までの量では越えられない・・・ってもっともっとって、休まず続けるんだろうね。

ライバルの存在はそうした事の繰り返し。自分の限界なんてもんはそうした切磋琢磨から生まれたりもするが、そこに身を置くって怖いのね。これを仕事と

するのなら、出世するって言うのは、年功序列なら歳で良いから、悩みは少なくて済むが、異例の出世なら、若くて年配の上に立つ・・・精神的なダメージ

を受けるだろうね。みんなと一緒で出世しなければ、お手々繋いで仲良くいられたのに・・・。って思える人は良いけれど、妬みや欲望、嫉妬・・・。

何せ感情の生き物だからねぇ・・・人間は。人と付き合えば色んな事があるし、でも孤独にはならない。独りならしがらみは無くなるが、孤独になる。

まぁ簡単な話なのね。まぁ棟梁はこっちの人間だって事なのね・・・あははは。黒いアヒルの自覚を持つ事だな・・・。ってな話。普通のお茶飲み話。

ただ普通って自分中心で考えるから、大谷さんの周りには超一流の選ばれし者しかいないし・・・普通なら普通の人達になる。その大谷さんが一流の人が

憧れるのを辞めましょう・・・って言うのね。そうキチンと努力して叩きのめす機会を伺う・・・そしてその日が来るのを待つ。やっぱそうなると、戦の前に

団子用意しないとなぁ・・・ってな新作落語チックな話ね。まぁ、近々で言うなら、割と棟梁シャキーンって感じね。そんな後は、くじらの下地。

とは言うものの、これはモザイクをする為の下地じゃ無くて、これで仕上げて展示販売用なのね。そもそも俳句ってのは、短冊のようなものに書いたり、

色紙に書くもの・・・それが王道と言うのなら、まさか銘木を彫ってってスタイルなんて見た事無いはずなのね。つまり邪道になるんだろうね。これが政治なら、

保守と革新とかね。相対するものとして。ただ全てのものが邪道から始まるのね・・・だって敷かれたレールが無いのだから。誰もやっていない事って言うのは・・・。

ただね、新しいものが入って来ると、今まで安泰だったものが揺らぐし、安定が崩れるのが怖いものなのね。波風が立つし・・・個性を活かすと、俺は

力のさじ加減をしないと、破壊王になっちゃうからね・・・でも受け入れて貰えると、それを全力が出せるのね。容赦無く・・・完膚なきまでに・・ね。

ただそれを受け入れられる人が多くなると、いつしか邪道が王道になり、歩がと、に化ける・・・すると金扱い。成り上がりシステムなのね。ただ所詮、

歩ごときは、金もどきにしかなれない。俺はその程度じゃ満足出来ないし、そもそも群れの中に入りたいのでは無く、群れを作りたいのだから、もののけ姫

のたたら場を作りたいんだろうね・・・だから俺はアシタカになりたいのでは無くて、エボシ御前になりたいんだろうね・・・。ことごとく俺は俺が余り

好きで無い側の方向に向いている・・・好みと得意なんて、元々自覚の無さであって、習慣で植え付けられたものだから・・・取っ払っちゃえば良いのね。

それは何も無いからやりやすいだけで、守るものが沢山あると好きに出来ないしねぇ・・・ただ、それとて一つ一つ無くなって行く・・・先人がそうである

ようにね。でも一流は常に準備をするらしい・・・まぁクマでも冬眠の前には準備するなら、俺も人だからなぁ・・・くまごとき以上にはなりたいし。

一流って言うのも物足りないからなぁ・・・超一流とかそれ以上って何をどうするんだろうか?・・・って常に考えちゃう。高卒の足りない頭で・・・。

日々葛藤・・・誰も教えてくれないし、先生として教えちゃうと、生徒の成長は出がらし先生になるって事だからね・・・これだけの物を作る生徒の先生を

するって言うのは、サボっていたらすぐ捨てられちゃうのね・・・例え先生だろうが。そもそも生徒の方が伸びしろが多いのだから、追い付いて来るペースが

早いもので・・・まぁこっちも油断出来ないし、高度な質問もして来る。ただね、モザイクな質問は技術だから、割と簡単でも、その人がやりたい事を

達成させるには、その人の脳の中に入り込むくらいの事を出来ないとね・・・何かはたらく細胞チックな話だけど・・・。ただね、人の脳に入り込むような

事をすれば、その人の悲しみまで味わう事になるのね・・・楽しみならまだしも。そもそもここには楽しみなんて落ちてないし、困った事ならいつでも0に

出来る用意はしてるんだけどね・・・。とは言え、そろそろ楽しく出来る準備も出来るようにもなりそうだし・・・まぁ何事も準備だね。


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杏さんと健さん教室

2024-12-16 04:47:02 | モザイクタイル教室

今日はウチの犬の杏さんと、闘牛士の背中の健さん教室。まずは杏さんから。何かじわじわっとネモフィラが終わりを迎えようとしているのね。

そんな中、外から何となくらしいんだけど、久松小の卒業記念の作品を通りすがりに見た・・・って話を聞いたのね。そうね、俺に力があれば、生徒さんが

見たい・・・って事前に連絡すれば見せられるんだろうが、今どきはねぇ・・中々簡単には入れないだろうし・・・ただモザイク好きってだけで無く、

生徒さんには刺激にはなるだろうし、ゆっくり見せてあげたいなぁと思うんだけどね・・・まぁしかし、杏さんはフットワーク良いんだか、色々と回って

見てくれているのね。しかもこの犬を作る腕を持っている人が見るのだから、凄い話で、例えば杏さんがライブが好きで、あれこれと定期的に行くらしいのね。

それって興味があるとか、好きってだけで見る・・・って点では一緒でしょ?所が大きく違うのは、ただ好きってだけで無くモザイクはやっているのね。

方やライブは、見るだけの楽しみなのね。見るだけは聞くだけなのね。ここで実は本人には直接話さなかったけれど、こんな話をしたのね。例えば、最近

ライブに参戦する・・・とか、セットリスト・・・つまり曲順の事をセトリとか、単なるコンサートやライブを聴きに行くだけなのに、プロまがいな言い方

をする傾向があるのね。まぁ作り手として良く聞くのは、コラボみたいな話ね。別に単なる言葉だから、どうでも良いっちゃどうでも良いのね。ただ、

それをいつものように掘り起こすと、みんなが普通に使っている言葉に重みがグーンと変わって来るって話なのね。例えばその単なる聴くだけの事を、

参戦って言うのなら、そもそも参戦ってどんな感じ?って事なのね。例えば、戦で参戦つかまつる・・・ってなぎなたでも振り回したら、仲間として期待して

いなかった知り合いが助太刀参上って感じで、しかも相当な腕利きであって、来ていきなり斬られる弱さじゃ無くて、バッタバッタ斬るツワモノ・・・そんな

イメージだったり、キャプテン翼の親友の岬くんのように、ピンチで救ってくれる仲間だったり、助っ人みたいな人がやって来るイメージなのね。

確かにお客さん不在やスカスカのライブなんて、見られたもんじゃないし、盛り上がるはずも無いから、それも参戦と言うのかも知れないが、つまり参戦

って言うと参加よりも重い言葉に感じる分、ものの取り方は変わって来て、こんな解釈なら聴くのでは無く、歌ったり踊ったり、はしゃいだりするだろうね。

勿論、生で見るのだから、そう言う気分には大なり小なりなる。問題はその中にあって、こうやって言葉を並べて一緒に言うと、同じくくりに聞こえるのね。

つまり同等みたいにね。その時に女の人なら熱狂的にキャーって俗に言う黄色い声なんて感じになったりする。これを何処の歌のどの位はOKで、どの範囲を

越えると迷惑になるのか?・・・踊るにしても隣も踊っているのなら、動いている分、お互いに気にならないが、隣が座っていたらメチャ気になるし、

ぶつかるなんて事もあるだろうね。そして一番の問題は単なるストレス解消ばりに一緒に歌う・・・もはや隣の声の方がデカく、アーチストを越える・・・

一体何をしに行ったのか判らない・・・こんな場合の人側なら、やりたい放題やっているのだから、参戦なんて言葉になるだろうね。こんな事例を踏まえて

一体どのくらいがマナーとして普通?って話。それを安全なら何もせずじっと座って聴いていたとしたら・・・誰にも迷惑にならないだろうが、必ず立つ時間

があるだろうから、見えなくなる事はあるはず。ではみんなが立ったら立つって場合、これは仕方無くであって、自分の意思は無く、人任せになる。

これを参戦って言うか?なのね。つまり参戦って言うのは自主的な要素が無いと言わないだろうし、参戦って言葉を使うには、そう言った意味があると思うのね。

ただ演奏もしないし、メンバーに選ばれている訳でも無いのにね・・・ここであえて苦言のように振って置いて、からのぉ、ではこのライブ好きの杏さんが

もしさぁみんなで作ろう・・・って先生の俺が音頭を取ったら、この腕を持ってして参加したら、それは参加、それとも参戦?そもそももし、ライブに参戦

って使うなら、この腕を持ってしてなら、参戦以上の言葉になるだろうね・・・きっとね。だって聴くだけで参戦なら、この腕・・・かなり上手くなったよ。

これはメンバーに選ばれる腕だと思うのね・・・当然、何かあったら必ず誘うけどね・・・その時はこちらから参戦して・・・って言うけどね。

言葉ってもんは、何をどう使っても良いってもんでも無いのね。受ける側にとても影響するもんでね、ライブって言うのはお金を払って見るだけの観客なのね。

そう言う点では、欠席しようが、本人の問題なのね。でも本当の意味での参戦って言うのは、実力者として認められたものがサポートのように一緒に・・・

って意味であり、何かそのアーチストを見たい・・・好きって事を言うのであれば、ファンクラブに入っているとか、推しであるとか、影で支えるって行為も

十分伝わるのね。つまりもっと踏み込めば、それなら久松小も参戦になる。だってわずかながらも生で見たのだから。2階席で見た感じなんでしょ?

感の良い人だとこの辺で気付かれているだろうけど、つまりモザイクで呼ばれる事は確実に参戦であり、もっと言えば助太刀って言うのは他人だからね。

生徒さんは元々仲間なのだから、メンバーです。そして上手くなったと判断して、その機会が来た時は必ずお誘いします・・・とお伝えして置きます。

自分の作品って言うのは、その時の自分の名刺です。いちいち人に名前なぞ名乗らなくても、あれを作った人・・・それだけで破壊力があります。ただそれだけなのね。

同じように、健さんも一緒。

こんな腕前で趣味・・・勿論、好みで判断するのなら、サザン大好きって言う人もいれば、下品な歌があるから・・・って好きじゃ無いっ人もいるし、

評価ってよりも興味が無い・・・なんて人もいるし、こんな程度の話では、お金を出してCDなんか買った事は無いだろうし、昔借りた事はある・・・。

こんな場合、ファンサイドでは無く、アーチストサイドから見たら、何も反映されていないけれど、CDを買ってくれたり、ライブに来てくれたり、グッズを

買ってくれたり・・・ファンクラブに入ってくれたりって言うのは、そのアーチストの株券を持っているって意味なのね。つまり支えてくれている人達なのね。

その資金が明日の新譜に繋がる訳で・・・人に応援されて支えられて生きるって側は常にこんな事の上にある・・・それを仕事って言うと、自分の家族を

守る為に働く事になるから、大きく変わって行くのね。いずれにせよ、どんな形であれ、考え方や表現の仕方一つで、物事は大きく変わるものなのね。

この2人はそう言った点では、この程度の話は着いて来られるので、スルッと流せるし、もうわざわざ言う事でも無いけれど、意識が変わると行動は変わる。

意識が変わらないと、行動が変わらないから、繊細さなんて、几帳面とか神経質とか、細かいとか、掃除の端っこをそぉっと、人差し指で撫でる姑みたいな

そんな仲間側にあるもので、そんなのどうでも良い・・・って言うのなら、普通だから、自己満足のまま趣味で良いと思うのね。ただ上手くなるって言う側

を選ぶと、えー良いじゃんーって言うのと、えっ?・・・それ自分で作ったの?って人の評価どっちが良い・・・って話で、10年後でもそれで大丈夫?って話。

まぁ簡単な話なのね。いずれにしても、この2人はこのままのグレードで終われれば、後者なのは当然の話なのね。そんな話の中、健さんの場合なら、

80年代の洋楽が好きだから、そんな話になって・・・くくりと言うのなら、80年から89年まで80年代なんだけれど、人ってそんなにザックリじゃ無いのね。

つまり健さんの80年代って言うのには、例えば86年までが80年代って具合にここまで・・・って範囲が各々あるのね。それとか、もっと大きくくくったら、

洋楽好きになるけれど、今の洋楽は好きなの?って言うのも、その人の許容範囲探しの質問になる。つまりそこがOKなら洋楽全般が好きで、しかも86年までの

80年代が最も好き・・・って事になる。更にもっとえぐれば、BTSは洋楽?こんな質問も大事で、それはKポップでしょ・・・って言うのか、それは洋楽です。

って言うのであるのとでは全く意味が違って来る繊細な質問って言うのは、こんな事であって、そこにこだわりがあるのかぁ・・・って事になる。つまり個人

レッスンって言うのは、学校では無いので、その人その人のこだわり知らないと、先生の考えの押し付けじゃ無いのね。個性的に・・・って教えるのは、

こっちの知らない情報を集める事で、その人を知る事を辞めたら、随分と楽に出来るのね。しかも人は生き物・・・その日の気分なんてもんがある。

調子が良かったり悪かったり・・・いつもと違うなんて事が判るのなら、立て直しの薬が欲しくなるだろうし、調子が良いならチャレンジも良いし、悪い

なら、悪いなりの進み方がある。心技体って言うのは、揃わないと・・・。でも揃うはずは無いのね。だって無意識では偶然だもの。そんなもん必然にしないと。

それを揃うなんて偶然では無くて、揃えるのね・・・必然にね。だから当たり前になれば良いだけ。それには意識・・・意識が変われば行動が変わる・・・。

ただそれだけ。俺はただモザイクの事だけそれに特化している・・・欠陥な人間なのね。しかも異常に・・・😁


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くじらとキウイの相席教室

2024-12-12 04:13:52 | モザイクタイル教室

今日はくじらとキウイの相席教室。ただくじらは前回大作だった鯉の作品を完成して新作へ入るはずだったが、忙しくてノープランで・・・。そんな中、

新作の構想的な話をしつつなんで、お気楽なのがやりたい・・・って事で、コースターをしつつ・・・って事になるんだけれど、俳句のイベント的な事があって

画廊で俳句の展示販売みたいな話なんだけれど、こんな時に考える事は、まず画廊・・・この言葉にどんなイメージがあるか?そして次は、その場所。

では想像して見て・・・タクシーとハイヤー、駄菓子と銘菓、江戸川区と世田谷区、お祭り金魚とらんちゅう、大学病院と医院・・・。何が違う?

常に言っている比較対象をする時には、きちんと悪意を持ってみんなの嫌いな格差を持って考えるのね。その時に大抵は傷付けないとか、遠慮したり、

何しろ曖昧にする事で平和に事を進めようとするのね。実はその前に落語の枕的な話として、ポストにワークマンのチラシが入っていたのね。

ではワークマンってどんなイメージ?って2人に聞いたのね。すると、建築作業着屋さんだけど、女子って言うのもあるから、ユニクロみたいな感覚って。

そうね、その通りで見事な説明だと思うのね。ただ俺が聞きたいのはそう言う事じゃ無いのね。自分だけの言葉で、自分しか考え付かないオリジナルの

小話とでも言うのかな?・・・そこで俺はこんな話をしたのね。キウイの娘みたいな年頃の女の子が明日初めてのデートでは買いに行かないんだけれど、

山とか川とかハイキングとかキャンプに行く時に、丈夫だったり、暖かかったり、涼しかったり、機能性に長けてて、お洒落じゃ無いけどダサくない。

こんなイメージ・・・ってね。すると2人はそんな悪くない・・・って頑張るのね。ん・・・それじゃ本編に入っても話が判らないだろうね・・・。

世の中ってスカした表現にTPOに応じて・・・なんてのがあるのね。例えば旬なら何だかちっとも良い評判を聞かない朝ドラの中でギャルの話がある。

ギャルは貫き通すと言いつつ、就職するのに面接の為に、真っ先に髪を黒く染め、メイクを落とし、付け爪を辞め・・・ダサっって話ね。まっいつの世も

一緒で、昔ならバンバンのいちご白書をもう一度の歌詞の中に、学生集会に顔を出していたような奴が彼女に、髪を切って就職を決めた時に、もう若く無い

・・・って言い訳したね・・・って話。言い訳したのを後悔してんじゃん。朝ドラもそう。きちんとTPOを考えて、誰もが見栄えで判断するから、って、

表面を変えた所で、考え方が曖昧だとそう言う事になるのね。当たり前の話なのね。常に曖昧にしないで、自分はどっち寄りで考えるってやらないと、

その時の都合良く出来るのが曖昧なのね。そもそも個性って何だ?って言うのなら、万人受けの曖昧では無く、自分自身の考え、自分だけの考え、思想って話

・・・そんなもんじゃ無いの?それを広辞苑見りゃ判るような言葉を並べた所で、そんなもんは優秀な奴らより見劣りする事しか表現出来まい。

ここに何年来てんだ・・・って話。もっとエグれ。しかも、個人レッスンみたいなもん。誰にも聞かれちゃいない。もっともっと本心で語らないと。

ただね、少なくとも聞かなくても、俳人くじらと言うのなら、毎日そうしているはずなのね。もしそれをしていないのなら、詰まんない奴だなって思うのね。

だって読むまでも無いじゃん。そもそも何でもそう。音楽だって先人の決めたコード、音符、記号ってその中で、個性を出さないとならないのね。

俳句もそう。芭蕉の頃とは違って英語やカタカナ、ポケベル、携帯、スマホ・・と言った変化で消えて行くものや、切り替わりがあったり、野球に詳しければ

良いが、ゲッツーって言葉で俳句を作って判るかな?・・・みたいに、通にしか判らない言葉で出来るものだろうか?とか、音楽だって、1音一文字のように

さいたぁ・・・さいたぁ・・・ドレミ、ドレミみたいな歌で、小さな石鹸カタカタなったり、学生運動に参加したり、キャベツを食べて四畳半だったり、

って貧乏臭いとフォークソングになるって時代に、拓郎さんの早口言葉みたいな同じフォークでも斬新な切り口だったり、おっさんで顔は良くなくても、

って時代に松山千春さんのようなお洒落な顔立ちで見栄えの良い人が出で来て、ニューミュージックと変化して見たり・・・先人達が自分らしさを追求して、

個性を出して葛藤するのね。こうした感想を言うと、悪意があってトゲがあるように聞こえるが、こっちはキチンとCDを買ってファンでは無いが、その当時

どんな葛藤があったか?時代背景はどんな感じだったか?って想像はするし、そもそもどれもこれもがその当時、一斉を風靡したものなのね。こっちはそれを

追い掛ける者として、好きじゃないから・・・とか好みで語っているつもりは無いのね。ある程度、受け入れた者の感想だったり、表現であって、先生を

やっている者としては、ただただ詰まんない説明で、聞いて貰えんの?って話なのね。個性って言いつつ、個性なんか出しゃ叩かれる時代にね。それを

多様性なんて言葉を使って曖昧にして、便利だわー。そうすりゃ政治と同じで自分の都合の良い解釈出来るもんねー。だから仲間ん時は、右に同じぃぃって

言えても、違うってほころび出来りゃさっさと乗り換えぇぇ。それを昭和の時代なら、お得意さんとか常連さんとかいちげんさんってキチンと分けたりして、

扱いは違います・・・って分かりやすかったのに、嫌乗り換えてくれる人の方を優先しますぅ・・・だって乗り換えない人はどうせそのままだからぁ。って

携帯会社システムみたいな考え方もあったりして・・・多様性だからぁ、良いじゃん。かと思えば、ダフ屋って言うと悪に聞こえたものが、今は素人ダフ屋

なのに、転売ヤーってもはや、ダフ屋よりダフ屋じゃん素人の癖にって、意地汚い奴らとか、それも多様性と言えば良いし、だって買えたから儲かるしって、

別に金品を暴行して取ったり、オレオレ詐欺でも無いし・・・って、きっとそっち側にはそっち側の言い分があるんでしょ・・・きっと。じゃ多様性なのね。

だっていっぱいいるんだから・・・俺しかいませんって言うのは、多様性って言葉には属さないと思うのね。天の邪鬼的な扱いだから、簡単に真似されるような、

誰もが簡単に出来るような、安易とかそんな表現には当てはまらないのね。個性的って言うのは。そうやって考えれば、矛盾だなぁ・・・って思って、俺は

世の中を変えるんだ・・・って思うのなら、政治家として立候補すりゃ良いし、俺は音楽で人を癒やすんだぁって言うなら、歌手になりゃ良いし、

別に特技も思想も何も無ければ、ひとまず嫌々でも働いて、それで得たお金で好きな事や、美味しいものをささやかに楽しめば良いとか、多様性ならみんなと

一緒じゃ無くても良いんでしょ?格差社会も多様性じゃん。お金持ちはたらふく楽しんで沢山税金収めて貰って、俺みたいな貧乏人は、その人達の税金で、

道路も使わせて貰って、お金持ちと同じ空気も吸わせて頂いて、トイレにも行く・・・それを悔しいと思うなら、ムカつくって思うのなら、貧乏人の特権。

それがハングリー精神。お金持ちは使えない言葉。成り上がりに、下剋上。こんな言葉は特権なのね。まぁ団体でやりたきゃ、ええじゃないか・・・って

一揆を起こせば良いし、ムーブメントとかってカタカナの方が、聞こえが良いならそれも良いが、やっぱ昭和の残党としては一揆かなぁ。話を戻して、

こう言う事が理解出来ると、それを受け入れて自分の言葉に置き換えると、そこにゲスとか上品とか、お洒落とか、気品とか、高級とか庶民とか・・・

何とか風って言うのが確立出来るのね。これにこれが合うぅぅって安ぅって感じなのね。そうじゃ無くてTPOなんて気にするなら、きちんと好みなんてもんの

前に、そこの背景を理解する事。例えば、あくまで個人の見解ね。何せ個性だから。例えば駄菓子って言うと、庶民な感じで、銘菓って言うと、お祖父様

お祖母様って呼ぶような、マンションでは無くて、一戸建てのお家があるようなお宅の人達で、三越の地下で売っている由緒正しいお菓子で、風呂敷とか

そのブランド名に匹敵する柄で、全てを味すら語るような威嚇にも感じる威力抜群で、先方の名前に恥じないもの・・・駄菓子はホレって食べろって、

物は投げては行けないけれど、何しろ作っている業者もギリギリでやってるから、なるべく包装にはお金を掛けずに、でもインパクトとして派手に・・・。

こうやってしっかり差別、区別をする事で、ではその案件どっち寄り?って話なのね。その時に曖昧にすると、まぁ何しろフィーリングなんて曖昧でやるから

今日はこっちで明日はどっち?って安っぽくなるのね。勿論確立の問題だから、当たる時もある。じゃ何割?その確立が良ければ中島誠之助さんみたいな、

目利きよ。作れなくても良い仕事してますねぇ〜って本物を見極められる。それなら良い銘柄の株も見極められるし、無名の新人もスカウト出来る。

まぁ何しろ、こうやってキチンと分ける。だから今回のくじらの話は、カジュアルじゃ無いのね。だから格式。ライブやフェスじゃ無くて、歌舞伎や帝劇。

ただ何をどう言っても17文字の俳句。あれこれ言っても野球って言っているようなもので、俺でも出来る。ただ足を止めさせる事が出来るのか?感情を揺さぶる

事が出来るのか?欲しいと思わせる事が出来るのか?要するにただ出来たじゃ無いのね。つまりいつものくじらの俳句を結婚式に参加するような、衣装が必要

になる。いつも見慣れた17文字では無くて、公民館とかの句会じゃ無くて、格式・・・見せる俳句なのね。アイデアは伝えたから、後はすり合わせのみ。

こうやって相談って言うのは、相手が気が付かない事を提案する事で、それをお金も期限も場所も考える事だったりする・・・コーディネイトとはそう言うもの。

いずれにしても、後はくじらの問題。そんな中、キウイが

これを進めつつ、今の話に文字を彫るってこんな所は彫れないとか、大きさを説明したり、コースターでも、視覚だけじゃ無く触覚を使うって指導していて、

やるじゃん・・・って茶化すと、何かベテランっぽいね・・・って言うから、ベテランじゃんってくじらと2人で突っ込んだんだけど、何も知らない人では、

この絵馬からとんでも無い腕利きって思えないだろうな・・・まっ人は見掛けで判断するものだから・・・まぁそう言う俺も見栄えはへっぽこだから・・・。


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りょうさんx2マス教室

2024-12-10 23:13:13 | モザイクタイル教室

今日はりょうさんが午前午後と2マス教室。それでは出勤って時に、問い合わせの電話が入って・・・危うく遅刻なんて事になりそうだったが、何とか送迎に

間に合って・・・そんなこんなで落ち着いてお教室が始まったと思ったら、大家さんから電話・・・アトリエにいないの?いるよ・・・今教室って言うと、

ちょっと下に降りて来て・・・って。何か俺やったかなぁ・・・って行くと、

70cmの肉厚ヒラメがドーン・・・あっ釣れたの?友達、大家さんのどっち?・・・俺・・・そうなのね、大家さん今日は釣れたのね。しかも中々のビックサイズ。すげー。

この大きさになると、旅荘の舟盛りでも珍しい大きさだと思うんだけれど・・・しかも刺し身じゃ無くて、生きたまま・・・生き物として好きだから、

パクパクしていると、さかなクンじゃ無いけれど、楽しいわ。本当ならさばく所も見たい所だったが、大家さんが釣ったってのも見れたし、この大きさで生きている・・・

すげーしか無かったのね。そんなこんなでお教室は、白いガラスタイルなんだけれど、月並みだけど、花もドレスもカチンコチンじゃ無くて、グネっ

って感じなのね・・・ヒラメも。この感じ方が大事なのね。ただ未熟な人にこの感じ方で切って・・・ではハードルが上がり過ぎ。ただ独りで来るのに慣れ

進み具合も良くなるとは限らないのに、2マス・・・この辺の覚悟なニュアンスは、進行具合ばかりとは限らず、時間が掛かっても質重視とも考えられるのね。

そうなると上手くなりたい・・・良いのが欲しい・・・と欲張りたくなる。ただここが大事な所で、上手くなりたい・・・ってどの位?とか、良いのが欲しい

・・・ってどのくらいって聞かれた事が無いと、その質問に答えられないし、答えても人それぞれ・・・なんて何でもかんでも曖昧な表現をすると上手くならないのね。

ではそれを説明するんだけれど、何でも同じだから要領だけね。まず悪意を持ってこのやり取りを学校名を入れて、上手くなりたいって事は良い学校に行きたい・・・

って変換をしたとする。だから上手くなりたい・・・を良い学校に行きたいとすると、良い学校ってどこ?って話なのね。人それぞれだから・・・と曖昧に

言われても、個人レッスンなんだから、気を使う必要は無いのね。しかも人それぞれなら、その表現では全く何も伝わらないのね。具体的に慶応とか早稲田とか、

東大、芸大ってキチンと明確にする事で、そうするにはどうすべきか?どうやれば現実に近づけるか?やり方、方法ときっかけになるようなやり取りが無いと、

漠然と曖昧にされれば、じゃこんな感じ・・・?って言う先生としての指針的な話が出来るのと、曖昧な表現で何となく良い感じに・・・一体どうしたいのか?

その曖昧な表現で何をどう目指すのか?・・・さっきのヒラメだって同じで、何でも良いから釣りたい・・・って言うのなら、その季節にいっぱいいる魚に

すれば、釣れる確率を上げられるし、良く釣れる情報で場所選び、そして潮の満潮や干潮なんて事を意識すれば、より確率を上げる事が出来るのね。

それを何処でも良いから入れる学校とか、何か上手くなりたいとか、何か釣りたい・・・これでは漠然としていて、一体どの位時間やお金が掛かるか?

想像が付かないのね。しかももっと言えば、お金も時間もいとわないって言えば、最高級を目指せるけれど、未熟な状況でマグロや高級車が最初から必要か?

となると、お金持ちならそんなスタートもあるが、逆に月に1回って中で、最高級を目指しても果てしなさに挫けちゃうと思うのね。それをりょうさんは、

回数を増やした事で、方針を少し変えたのね。どう変えたか?って言うのは、質と進み方って言うのは反比例してしまうもので、月に1回なら、切るのに慣れる

事を重視するから、進む事を7にして、質を3みたいな状況を進む事5、質も5って質を上げれば、当然もっと進まなくなるのね。でも今まで教えられなかった

事も教える事が出来るのね。じゃ何がどう変わるか?となると、例えば、蕎麦を切って・・・って時に、以前なら蕎麦、うどん、蕎麦、きしめん・・・となったら、

きしめんは切り直して・・・となったものが、うどんも切り直す事になるし、真っ直ぐなパーツの繰り返しが、カーブなラインとしてえぐるなんて事になる。

算数が数学になった感じなのね。ただこれが仮に月に1回では、次に来た時には、えっとーって忘れちゃう事が多くなるのね。でも1日6時間となると、

前半の3時間、疲れていない時間に難しい数学でも何とか付いて来られる。そして疲れた後半は手慣れた事、つまり算数に戻せば、えー6時間も・・・では無く

あっという間の時間だったりするのね。ただこんな目に見える指導って言うのは、技の部分であって、心技体って言うのは、心が一番最初に来るものなのね。

つまり心って部分を変えないと、何も始まらないのね。何しろりょうさんは自己肯定感が低いし、身の丈身の程って自分で決めちゃうし、でも上手くなりたい・・・。

こんな感じの人が、上手くなりたいと思うのに、自分なんて・・・きっと無理だと思うけれど、自分が納得すれば・・・でも・・・って物凄く複雑な心境に

なるでしょ?これでは、どうしたい?ってこんな繊細な感情を未熟な腕でどう表現する?って話になるのね。つまりこの複雑な心境をシンプルに判りやすくする。

まずここから。まず上手くなるって何?って具合に、自分が思い描く理想を決めるのね。ここが厄介で、自分で自分を決めるって良さげな表現なんだけれど、

それじゃ子供がメジャーリーガーになりたい・・・そう思うだけで、みんななれるのなら、苦労はしないで済むのね。違うのね、ほぼみんななれないのね。

なれる人は、人とは違う道を歩んだ人だけなのね。しかもみんなと一緒に楽しく・・・では、みんなと楽しくは出来ても、必ず甲乙丙丁は出るのね。

一緒に仲良く同じ先生で同じ教え方で、みんな同じ学校に行ける訳無いじゃん。それが普通。仲良く出来るのは気楽、気が楽なだけ。

そう言う点では、ウチはみんなが全員違うものだから、比較対象が無い分、人を真似たり、参考になるものは無いのね。良くも悪くもね。そんな中で、

趣味って言うくくりで楽しむのなら、そんなに難しく考える必要は無いものの、上手くなりたいって向上心は良い事だと思うのね。では何がどう上手く

見えるようになるか?となると、出来ない事が出来るようになる・・・とても判りやすいのね。鉛筆が持てた・・・いや持っただけで無く書けた。

いや書いただけで無くしっかりして来た。字っぽくなって来た、はみ出したりせずバランスも整って来た、お手本通りな字になっている、良いなぁそんな字を

書けて・・・って人に褒められる。人から先生になれば・・・とか、これ書いてくれないとか頼まれる。そして先生になる。趣味って一体どの辺?

こう言う具体化すると、めちゃ判りやすいでしょ?しかもそれって月1で出来そう?って話だし、それを習った事を自宅で復習反復したのが労作展の子達なのね。

話を戻して、良く良いものを見る・・・なんて表現があったりする。ここが大事で、みんながみんなルノアールとかゴッホって言うのなら、みんながそれ見て

上手くなるでしょ?そんな事は無いのね。流派みたいなもんで、自分がどんなものが好きか?になると好みってものがあるのね。じゃモザイクの好みを探せば

良いんじゃない?単純な話でね。その時にきちんと何の何処が好き・・・って傾向と対策があれば、自分なりの判断材料があるんだけれど、そりゃ無理でしょ?

だって未熟なんだから・・・そうなのね。こんな単純なら人は誰も困らないのね。実は人って小難しいのね。しかも欲張りはこうしたいって言うのをあれこれ持ってて、

しかもそこにお金があったり、コネがあれば、一流なんて人に教わる事も出来るんだろうね。でもウチに来る人はそんな事は無いだろうし・・・だから、

工夫しないとならないのね。例えば、料理が上手くなかったり、野球をろくすっぽ出来ない癖に評論だけは生意気にもするって人、いっぱいいるでしょ?

ほらやれもしないのに、いっちょ前に語る。これを語る人側で考えれば、好みを見つけるだろうが、語らない側だと、どうすれば良いか判らない感じね。

じゃ語らない側は本当にそうなのか?これもまた違うのね。ミッドフィルダーに守備型、攻撃型があるように、そこも分かれていたりするのね。

そうやってみんな違うから、教える側としては、その人を知ろうとしないと、はい、じゃみんな一緒にぃぃ・・・おてて繋いでになる。個人レッスンとはそうでは無いのね。

そしてりょうさんの目で生徒りょうさんを見た時に、不出来と思うみたいで・・・だからもしりょうさんの目が7で腕が2に見えていたとしたら?

見劣りするだろうね。ただこうして数字になれば5足りないのは判りやすい。でも普通は漠然ととか、何となくなのね。だから腕の向上ばかり目に付くようで・・・。

ただその目の判断正しい?となると、それとて漠然なのね。そこで提案なのは、棟梁ってどう見える?・・・同じkameyaさんで身近に見れる・・・すると、

凄い上手いって。じゃその人の目に頼れば良いじゃん。自分よりも上手く、良い目を持っていると思えるのだから、信憑性がある。だからアトリエでやったら、

感想を聞くと良い。棟梁にも感想は遠慮なく・・・と言ってあるから。そうすると、良くも悪くも客観的な感想を聞ける。だからルノアールやゴッホより

棟梁の目を信じて、棟梁みたいになりたい・・・ってこんなに身近に上手い人がいるのなら、そこを目指すと具体的で判りやすくなるのね。

そうすると、自分で自分にプレッシャーを掛けなくて済むし、それを意識すれば、次の機会に棟梁の作品を眺めるのでは無く、きっと自分とは違う事を

具体的に見つけるようになるはずなのね。良いものを良く見るって言うのは、名画とは限らないのね・・・。そうやって棟梁にも良い刺激になるだろうし、

その棟梁もここに至るまでに、何人かの弟子との相席で得た事があったはずなのね。それを今度は自分がその人側になる番になった・・・ただそれだけ。

これが伝承の仕組み。成立すれば上手くなって当然。当たり前過ぎるくらい当たり前の事だから。本当にこんなペースでやるのなら、上手くなるのは急激で

それも当たり前過ぎて普通な話・・・。楽しみなのね。

 

 


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トトロのママ教室とピエロの玄関左側面のバック

2024-12-09 02:13:18 | モザイクタイル教室

今日は親子3代の親子教室のママの教室なんだけれど、理由はハッキリしてるのは、新作が立体の金魚なのね。自宅で飼っている子なんだけれど、断熱材を

切ったり削ったりすると、ガサガサして流石に一緒には出来ないし、掛り切りになっちゃうからね。そんな理由からなんだけれど、一緒に娘さんも来て・・

張り終わっちゃったのね。まぁもう教える事は無いから、独りで進めちゃってたのね。しかし箸休め的なお楽しみ作品って感じで無く、本気じゃんって作品で、言う事無しなのね。

そんなこんなでママも大体は終わったんだけれど、こんな時に思うのは、これが労作展なら、下地として作るのも作品の1つと考えれば、最後まで作って

貰う・・・で良いと思うんだけど、これをママが数回掛けてアトリエだけで、作る・・・となると、お金も時間も掛かる。その時に、ここがモザイク教室なら、

下地を作らなくても、こんな風に作る・・・って風味であっても、純粋にタイルを切って張る・・・ってだけでも、大きくは間違っていないし、ただ流石に全部

俺がやってしまっては、それもちょっと違う気もするし・・・。雰囲気で言えば、作詞作曲じゃ無くても、モザイクは自分だから、作詞を手伝って貰った・・・って話なのね。

そんなこんなでトトロの目地もやって・・・

無事に完成となったのね。お疲れ様でした。お見事なのね。そんな後はピエロの玄関の左側面の続き。

こんな感じに残っちゃったのね。全体的には、

まぁこれなら明日これは終わるな・・・って感じになったのね。そんなこんなでアトリエに帰って、トトロの枠のワックス2度掛けと、金魚下地のペーパー掛けをして今日は終了。


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とんかつのモザイクとピエロの玄関側面

2024-12-07 00:14:12 | モザイクタイル教室

今日は午後からとんかつのモザイクの方のお教室。って事で、午前中と夕方は実家の2階でピエロの玄関の側面を進めたのね。

午前中に文字を終えて、夕方にバックの白をやったのね。これで後は白のバックのみ・・・明日張り終われると理想なんだけれど・・・。いずれにせよ、

先が見えたのね。そんな間に、ホームセンターに行って、トトロのお母さんの新作の材料を買って・・・とんかつのお教室。そうね、例えば紙を切るとする。

最初真っ直ぐ一直線に切る・・・って切ったとする。それを丸を切るとしたら・・・?何か難易度が変わる感じがしないかな?例えば、真っ直ぐボールを

投げたり蹴ったりするのと、カーブのような変化をさせるって難易度が変わる気がしないかな?そうね、ボーリングで真っ直ぐ投げるのと、曲げて投げるとか、

・・・要するに曲がっちゃった・・・では無くて、曲げるのであって、偶然では無く必然でやる。まぁ完全に意識の問題なんだけれど、例えば杏さんのように

同じパーツを繰り返すと、もういちいち印を付けなくても、ハンを押したように全く同じパーツを特に意識する事無く切れるのね。もう意識無く・・・。

ただ最初はどうだったか?となると、徹底的に意識していたはずなのね。つまり未熟な時は意識して、その意識が身に付いたから、意識する事無くそれが普通になったのね。

その時にその目的意識はどうして必要だったか?となると、毛並みとしてその形で最後まで押し通す事が出来ると、切る練習に持って来いだったと思うのね。

これを仮に4角とか、単なるクラッシュとかで、ただ色合いだけ気にしていたとしたら?比較したらどうなるか?まぁ簡単な話で、4角だった場合、これも意識

して統一出来たら、4角を切る事は上手くなったとしても、恐らく今のグレードにはならないから、切る事は上手くなったとして同等でも、犬の見栄えは落ちる。

それをクラッシュだとすると、最初からランダム・・・つまり自由にやっていたのだから、切る事は切ったって事で、慣れたのは慣れた。しかしながら、

目的意識は低いし、切るって言うのは狙って切る事が切るって意味であって、必然なのに対して、ランダム偶然のような目的意識を持たないものは割るなのね。

まぁピアノの鍵盤を叩けば誰でも音は出る。これは弾いたとは言わない。つまりドを叩き、ドの音が響いた時に弾けたであり、目的意識とはそう言うものなのね。

それを色だけ選んで・・・の場合、それを今出来たとする。ではこの作品が出来る前に出来るようになったとしたら、何年経っても左程進歩が無いのね。

つまり上手さとは、目的意識を高める事になるのだけれど、あくまで普通は・・・なのね。ではとんかつさんの場合は?となると、とんかつに決まった

パーツがあるか?となると、ほぼ無いのね。そうなると、こんな形って指示が出せないのと、ぺきぺきであれだけの大作のフェルメールを作った実績があるけど、

1cmタイルの硬さ、小ささは初めてとなると、果てしなさが変わって来る。そこに徹底的に同じパーツ・・・って言うのは厳しいし、何せモチーフがとんかつ。

ころもと言う特徴で言えば、ゴツゴツとかギザギザとなり、ではそれだけを意識して、角が丸くならないように・・・ってだけで進めて来たのね。

ただ1cmタイルを切る事も、進まないのも慣れて来たんで、少しえぐって見て・・・つまり直線では無く曲げるパーツに・・・って事にしたのね。

今まではストライクにならなくても、ボールでも良いから、大体そんなパーツくらいで良いから慣れる事だったんだけど、これからは何となくストライクに。

しかも曲げて・・・角はキープしつつ・・・くびれを作る。まぁ簡単な話で、今までは、好き放題に切っていても良かったのね。それは邪魔がいないから。

だから線を越えても張る事は出来るから、自分に甘くすれば、太っちょでも痩せてても、何でも入るのね。けれど段々と、そのパーツじゃ無いと入らない・・

って、自分のパーツが邪魔をして来るのね。だから狙って切れるようにならないと、切れない・・・って事になるのね。だから必然のコース狙いをちょいと、

厳しめにしただけなのね。ただ果てしないのには慣れているので、特に問題は無いはずなのね。まぁこの繰り返しで、今日の分は進む訳で・・・。

きっとこれが終わった次の作品になると、ここで苦労した事は繁栄されると思うんだけどね・・・何しろここを乗り切って欲しいのね。

そんなこんな後は、日曜日のトトロのママの新作の準備をして、終了となるんだけれど、何しろアトリエに戻っても宿題パーツが無いし、新しい事をやるには

時間はそんなに無いし・・・まぁ貧乏性なせいか、時間があると何かしたくなるのね・・・その時間までは・・・早く帰る気がしちゃうのね。

まぁたまにはこんな日もあるかぁ・・・ってね。


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杏さんに親子3代さん教室とベスパ終了

2024-12-01 22:54:08 | モザイクタイル教室

今日はウチの犬の杏さんからスタート。そうね、ネモフィラが終わるまで特に広げる話も無いし、何も心配無いのね。そんな中、以前作った新浦安のシドさんの作品が見たい・・・

って話で、機会を見つけて見に行きたいとの事。既にユーミンママの壁画も大久保まで見に行って下さって・・・以前のkatsu作品を知って頂いているのね。

そもそもこの腕の方に見て頂けるのは、中々厳しい批評もあるだろうし、その中での評価として、とても良かった・・・と言われれば、自信にも繋がるのね。

って言うか、何しろわざわざ見たい・・・と思われる時点で有難い話なのね。ただ、先生の作品が見たい・・・って言うのは、普通なのかも知れないが、

アトリエに置いて行かれる生徒さんの大作でも、あぁこんな大きいんだ・・とか、結構進んでいるとか、こんなパーツ切っているんだぁ・・・とか、刺激に

している人はいたりするのね。そうね、何しろ一つとして同じ大作なんてものは無いし、やはり生の破壊力は違うからね。そっか・・・そう来たかぁって、

言うのは、図鑑の生き物と、実際とでは迫力が全く違うし、ただ生きてる、ただ大きいでは無くて、じっくり見る人には、ウロコ1つ1つ、花びら、葉っぱの

葉脈が見えちゃうだろうしね。まぁこっちにしては、また1人知っている人が増えたって事になるのは、また信用されるかも・・・って事でもあるのだから。

そんなこんなで午後からは親子3代のご近所さん教室。やはり今日はママから。

張り終わったのね。ただ真っ黒クロスケの目の穴を開けるのに一苦労・・・そんな中、さくらの以前の作品を見せて、こんな弟子もいるんですよって言うと、

えっ・・・って驚いていたけれど、手が思うように動かなかった時には、それしか出来なかった・・・って事なんだけれど、そんな体験をすればするほど、

ほぼ有り得ない、もうやりたくない・・・って気持ちになる位、時間が掛かるのね。ただそれさえ乗り切っちゃえば、いつもの通りの実力を発揮出来る訳で。

そんな訳で張り終わったんだけれど、1年掛かったようなのね。って事は、3時間x12ヶ月だから、36時間掛かった事になるから、これから目地を入れると、

40時間弱って事になる。これをどう思うか?そっか・・・って思うのか?なるほどね・・・って思うのか?そんなに掛かるの?って思い方一つで、

その人の実力さえも伺えたりするのね。例えば料理をご馳走になったとする。美味しい・・・って言う感想なら、誰にでも言えるし、大人も子供でも一緒。

それでは全く、自分ってものが無いのね。だからただご馳走になった。では実はそれは料理人の料理だった・・・とか、貴方のお母さんですよ・・・とか、

行き付けの店の・・・とか、そんな種明かしをされてから判るのと、何か食べている時に、もしかして・・・って判ると、目利き的に味が判る人になる。

それがもし料理を作る人なら、隠し味の材料も見つけるかも知れない・・・と、自分で再現出来るかも知れない。それが音楽の耳コピ的なもの。

感じる・・・って五感が鍛えられると、上手さって言うのは、ただ切っている、ただ張っているのとでは、進歩の差は歴然なのね。そんな中、新作の話も出て

・・・ウチの金魚を半立体で・・・って話に決まったのね。中々大変だとは思うけれど、モチーフとしてはウチの・・・って言うのは、頑張るには張り合いが

あると思うのね。ではお母さん。

黙々と進んでいて、3時間安定していて、もう完全に慣れた・・・って感じなのね。これなら腰の短冊のようなパーツの繰り返しも期待出来るのね。

良く言う、そば、うどん、きしめんの話なのね。ずっとその幅で繰り返せる事が上手くて綺麗なんだけれど、進みたいだけになると、バラバラになる。

それを綺麗だけに集中すると、全く進まなくなる。質を上げるとはそう言う事なんだけれど、そこに至るまでが大変なのね。しかも幅を合わせないと、どんどんと、

絵とズレて行くし、入らなくなって来るのね。ただかなり期待出来る感じにはなって来たのね。そして、最後は小学生の女の子って事になるんだけれど、

大作疲れで、遊びって事でアトリエにあった貝のモザイクを見て、これ作りたい・・・って事で、今日はお遊びのはずだったのね。所がこんなリアルにしたら、

そりゃ終わらなくても当然だし、さっきのお母さんの短冊よりも細かく細い・・・本人は終わりたかったようだけれど、消して楽な事を選ばない・・・

作り手として中々侮れないのね。いつかこの子が本当に大人になるまでやっていたとしたら・・・?そりゃかなりのツワモノになるだろうね・・・。

それがリアルなのが、大人と一緒に3時間耐えられるようになっているのだから・・・そんな事は中々有り得ないのね。しかも宿題のようなハードルがある

訳じゃ無いのに。自分の問題なだけなのに・・・それでこんなに遊ばない。そんな事が出来る子が中学、高校・・・何処まで出来るんだろう?もし大人に

なってもやっていたら?・・・そりゃ弟子にしたいわっ・・・。って事で、その後はベスパ。

俺も終わったのね。


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のぶさん教室とベスパ

2024-11-30 23:50:58 | モザイクタイル教室

今日は午後から料理の先生ののぶさん教室。と言う事で前後がベスパ。

後少しで完成って所まで来た感じなのね。この小ささでこのグレードなら何の問題も無いし、むしろ上出来だと思う・・・って所まで来た感じなのね。

まぁベスパさえ終われば、ほぼ終わった感あり・・・で、後は時間が解決って事になると、反対側の構想へ・・・って話なんだけれど、大まかには決まって

いるのね。そんなこんなのお教室。ただもうひたすらバックのクラッシュって感じで、コツとしては大きなスペースには大きく、小さいスペースに小さくでは

無くて、それでは当たり前過ぎて、水と油のように分かれてしまうのね。そこで大きいスペースには大きく入れるだけでは無くて、いかに小さいのも入れるか?

で、逆に小さなスペースにいかに大きなパーツを入れるか・・・を意識する事なのね。この意識で切ると、油に水、水に油って混ざらないものを混ぜる意識に

なるから、混ざったようになるのね。更にテクニックとしては、台の四角の部分や、の、の楕円みたいな部分をこれだけ切れると、1枚で切りたくなる。

でもそうじゃ無くて、わざと切らずにまたがせる事で、自然に見えるのね。ただそれを所の四角の小さな部分だけは、1枚で切ると、聞かれた時に、一番小さいパーツだけ1枚もので

切った・・・となると、ちゃんと理由ありで偶然じゃ無くて必然のバックのクラッシュであり、単なるランダムで終わらせたのでは無くなるのね。そして、

更に目地幅を均等にすると、ランダムが乱雑には見えなくなるから、より質が上がって見えるものなのね。まぁ何しろこれが初めての作品と考えたら、

相当なグレードで粛々と進んでいるって感じなのね。それも上手くしたら次回張り終わる・・・なんて事も考えられると、新作の話も出来て・・・。

ある意味、俺の下地待ち・・・みたいになったのね。次回作も可愛い作品で、お楽しみに・・・って話。ただ本来なら、後1回今年はあるんだけれど、先生

だから年末忙しいらしく・・・年明けになっちゃうのね。そんな訳で、良いお年を・・・となったのね。


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