katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

とんかつのモザイクとピエロの玄関側面

2024-12-07 00:14:12 | モザイクタイル教室

今日は午後からとんかつのモザイクの方のお教室。って事で、午前中と夕方は実家の2階でピエロの玄関の側面を進めたのね。

午前中に文字を終えて、夕方にバックの白をやったのね。これで後は白のバックのみ・・・明日張り終われると理想なんだけれど・・・。いずれにせよ、

先が見えたのね。そんな間に、ホームセンターに行って、トトロのお母さんの新作の材料を買って・・・とんかつのお教室。そうね、例えば紙を切るとする。

最初真っ直ぐ一直線に切る・・・って切ったとする。それを丸を切るとしたら・・・?何か難易度が変わる感じがしないかな?例えば、真っ直ぐボールを

投げたり蹴ったりするのと、カーブのような変化をさせるって難易度が変わる気がしないかな?そうね、ボーリングで真っ直ぐ投げるのと、曲げて投げるとか、

・・・要するに曲がっちゃった・・・では無くて、曲げるのであって、偶然では無く必然でやる。まぁ完全に意識の問題なんだけれど、例えば杏さんのように

同じパーツを繰り返すと、もういちいち印を付けなくても、ハンを押したように全く同じパーツを特に意識する事無く切れるのね。もう意識無く・・・。

ただ最初はどうだったか?となると、徹底的に意識していたはずなのね。つまり未熟な時は意識して、その意識が身に付いたから、意識する事無くそれが普通になったのね。

その時にその目的意識はどうして必要だったか?となると、毛並みとしてその形で最後まで押し通す事が出来ると、切る練習に持って来いだったと思うのね。

これを仮に4角とか、単なるクラッシュとかで、ただ色合いだけ気にしていたとしたら?比較したらどうなるか?まぁ簡単な話で、4角だった場合、これも意識

して統一出来たら、4角を切る事は上手くなったとしても、恐らく今のグレードにはならないから、切る事は上手くなったとして同等でも、犬の見栄えは落ちる。

それをクラッシュだとすると、最初からランダム・・・つまり自由にやっていたのだから、切る事は切ったって事で、慣れたのは慣れた。しかしながら、

目的意識は低いし、切るって言うのは狙って切る事が切るって意味であって、必然なのに対して、ランダム偶然のような目的意識を持たないものは割るなのね。

まぁピアノの鍵盤を叩けば誰でも音は出る。これは弾いたとは言わない。つまりドを叩き、ドの音が響いた時に弾けたであり、目的意識とはそう言うものなのね。

それを色だけ選んで・・・の場合、それを今出来たとする。ではこの作品が出来る前に出来るようになったとしたら、何年経っても左程進歩が無いのね。

つまり上手さとは、目的意識を高める事になるのだけれど、あくまで普通は・・・なのね。ではとんかつさんの場合は?となると、とんかつに決まった

パーツがあるか?となると、ほぼ無いのね。そうなると、こんな形って指示が出せないのと、ぺきぺきであれだけの大作のフェルメールを作った実績があるけど、

1cmタイルの硬さ、小ささは初めてとなると、果てしなさが変わって来る。そこに徹底的に同じパーツ・・・って言うのは厳しいし、何せモチーフがとんかつ。

ころもと言う特徴で言えば、ゴツゴツとかギザギザとなり、ではそれだけを意識して、角が丸くならないように・・・ってだけで進めて来たのね。

ただ1cmタイルを切る事も、進まないのも慣れて来たんで、少しえぐって見て・・・つまり直線では無く曲げるパーツに・・・って事にしたのね。

今まではストライクにならなくても、ボールでも良いから、大体そんなパーツくらいで良いから慣れる事だったんだけど、これからは何となくストライクに。

しかも曲げて・・・角はキープしつつ・・・くびれを作る。まぁ簡単な話で、今までは、好き放題に切っていても良かったのね。それは邪魔がいないから。

だから線を越えても張る事は出来るから、自分に甘くすれば、太っちょでも痩せてても、何でも入るのね。けれど段々と、そのパーツじゃ無いと入らない・・

って、自分のパーツが邪魔をして来るのね。だから狙って切れるようにならないと、切れない・・・って事になるのね。だから必然のコース狙いをちょいと、

厳しめにしただけなのね。ただ果てしないのには慣れているので、特に問題は無いはずなのね。まぁこの繰り返しで、今日の分は進む訳で・・・。

きっとこれが終わった次の作品になると、ここで苦労した事は繁栄されると思うんだけどね・・・何しろここを乗り切って欲しいのね。

そんなこんな後は、日曜日のトトロのママの新作の準備をして、終了となるんだけれど、何しろアトリエに戻っても宿題パーツが無いし、新しい事をやるには

時間はそんなに無いし・・・まぁ貧乏性なせいか、時間があると何かしたくなるのね・・・その時間までは・・・早く帰る気がしちゃうのね。

まぁたまにはこんな日もあるかぁ・・・ってね。


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杏さんに親子3代さん教室とベスパ終了

2024-12-01 22:54:08 | モザイクタイル教室

今日はウチの犬の杏さんからスタート。そうね、ネモフィラが終わるまで特に広げる話も無いし、何も心配無いのね。そんな中、以前作った新浦安のシドさんの作品が見たい・・・

って話で、機会を見つけて見に行きたいとの事。既にユーミンママの壁画も大久保まで見に行って下さって・・・以前のkatsu作品を知って頂いているのね。

そもそもこの腕の方に見て頂けるのは、中々厳しい批評もあるだろうし、その中での評価として、とても良かった・・・と言われれば、自信にも繋がるのね。

って言うか、何しろわざわざ見たい・・・と思われる時点で有難い話なのね。ただ、先生の作品が見たい・・・って言うのは、普通なのかも知れないが、

アトリエに置いて行かれる生徒さんの大作でも、あぁこんな大きいんだ・・とか、結構進んでいるとか、こんなパーツ切っているんだぁ・・・とか、刺激に

している人はいたりするのね。そうね、何しろ一つとして同じ大作なんてものは無いし、やはり生の破壊力は違うからね。そっか・・・そう来たかぁって、

言うのは、図鑑の生き物と、実際とでは迫力が全く違うし、ただ生きてる、ただ大きいでは無くて、じっくり見る人には、ウロコ1つ1つ、花びら、葉っぱの

葉脈が見えちゃうだろうしね。まぁこっちにしては、また1人知っている人が増えたって事になるのは、また信用されるかも・・・って事でもあるのだから。

そんなこんなで午後からは親子3代のご近所さん教室。やはり今日はママから。

張り終わったのね。ただ真っ黒クロスケの目の穴を開けるのに一苦労・・・そんな中、さくらの以前の作品を見せて、こんな弟子もいるんですよって言うと、

えっ・・・って驚いていたけれど、手が思うように動かなかった時には、それしか出来なかった・・・って事なんだけれど、そんな体験をすればするほど、

ほぼ有り得ない、もうやりたくない・・・って気持ちになる位、時間が掛かるのね。ただそれさえ乗り切っちゃえば、いつもの通りの実力を発揮出来る訳で。

そんな訳で張り終わったんだけれど、1年掛かったようなのね。って事は、3時間x12ヶ月だから、36時間掛かった事になるから、これから目地を入れると、

40時間弱って事になる。これをどう思うか?そっか・・・って思うのか?なるほどね・・・って思うのか?そんなに掛かるの?って思い方一つで、

その人の実力さえも伺えたりするのね。例えば料理をご馳走になったとする。美味しい・・・って言う感想なら、誰にでも言えるし、大人も子供でも一緒。

それでは全く、自分ってものが無いのね。だからただご馳走になった。では実はそれは料理人の料理だった・・・とか、貴方のお母さんですよ・・・とか、

行き付けの店の・・・とか、そんな種明かしをされてから判るのと、何か食べている時に、もしかして・・・って判ると、目利き的に味が判る人になる。

それがもし料理を作る人なら、隠し味の材料も見つけるかも知れない・・・と、自分で再現出来るかも知れない。それが音楽の耳コピ的なもの。

感じる・・・って五感が鍛えられると、上手さって言うのは、ただ切っている、ただ張っているのとでは、進歩の差は歴然なのね。そんな中、新作の話も出て

・・・ウチの金魚を半立体で・・・って話に決まったのね。中々大変だとは思うけれど、モチーフとしてはウチの・・・って言うのは、頑張るには張り合いが

あると思うのね。ではお母さん。

黙々と進んでいて、3時間安定していて、もう完全に慣れた・・・って感じなのね。これなら腰の短冊のようなパーツの繰り返しも期待出来るのね。

良く言う、そば、うどん、きしめんの話なのね。ずっとその幅で繰り返せる事が上手くて綺麗なんだけれど、進みたいだけになると、バラバラになる。

それを綺麗だけに集中すると、全く進まなくなる。質を上げるとはそう言う事なんだけれど、そこに至るまでが大変なのね。しかも幅を合わせないと、どんどんと、

絵とズレて行くし、入らなくなって来るのね。ただかなり期待出来る感じにはなって来たのね。そして、最後は小学生の女の子って事になるんだけれど、

大作疲れで、遊びって事でアトリエにあった貝のモザイクを見て、これ作りたい・・・って事で、今日はお遊びのはずだったのね。所がこんなリアルにしたら、

そりゃ終わらなくても当然だし、さっきのお母さんの短冊よりも細かく細い・・・本人は終わりたかったようだけれど、消して楽な事を選ばない・・・

作り手として中々侮れないのね。いつかこの子が本当に大人になるまでやっていたとしたら・・・?そりゃかなりのツワモノになるだろうね・・・。

それがリアルなのが、大人と一緒に3時間耐えられるようになっているのだから・・・そんな事は中々有り得ないのね。しかも宿題のようなハードルがある

訳じゃ無いのに。自分の問題なだけなのに・・・それでこんなに遊ばない。そんな事が出来る子が中学、高校・・・何処まで出来るんだろう?もし大人に

なってもやっていたら?・・・そりゃ弟子にしたいわっ・・・。って事で、その後はベスパ。

俺も終わったのね。


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のぶさん教室とベスパ

2024-11-30 23:50:58 | モザイクタイル教室

今日は午後から料理の先生ののぶさん教室。と言う事で前後がベスパ。

後少しで完成って所まで来た感じなのね。この小ささでこのグレードなら何の問題も無いし、むしろ上出来だと思う・・・って所まで来た感じなのね。

まぁベスパさえ終われば、ほぼ終わった感あり・・・で、後は時間が解決って事になると、反対側の構想へ・・・って話なんだけれど、大まかには決まって

いるのね。そんなこんなのお教室。ただもうひたすらバックのクラッシュって感じで、コツとしては大きなスペースには大きく、小さいスペースに小さくでは

無くて、それでは当たり前過ぎて、水と油のように分かれてしまうのね。そこで大きいスペースには大きく入れるだけでは無くて、いかに小さいのも入れるか?

で、逆に小さなスペースにいかに大きなパーツを入れるか・・・を意識する事なのね。この意識で切ると、油に水、水に油って混ざらないものを混ぜる意識に

なるから、混ざったようになるのね。更にテクニックとしては、台の四角の部分や、の、の楕円みたいな部分をこれだけ切れると、1枚で切りたくなる。

でもそうじゃ無くて、わざと切らずにまたがせる事で、自然に見えるのね。ただそれを所の四角の小さな部分だけは、1枚で切ると、聞かれた時に、一番小さいパーツだけ1枚もので

切った・・・となると、ちゃんと理由ありで偶然じゃ無くて必然のバックのクラッシュであり、単なるランダムで終わらせたのでは無くなるのね。そして、

更に目地幅を均等にすると、ランダムが乱雑には見えなくなるから、より質が上がって見えるものなのね。まぁ何しろこれが初めての作品と考えたら、

相当なグレードで粛々と進んでいるって感じなのね。それも上手くしたら次回張り終わる・・・なんて事も考えられると、新作の話も出来て・・・。

ある意味、俺の下地待ち・・・みたいになったのね。次回作も可愛い作品で、お楽しみに・・・って話。ただ本来なら、後1回今年はあるんだけれど、先生

だから年末忙しいらしく・・・年明けになっちゃうのね。そんな訳で、良いお年を・・・となったのね。


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キウイ教室とベスパ

2024-11-30 01:43:21 | モザイクタイル教室

今日は午前の方が体調が悪くキャンセルになって・・・・午後からのキウイ教室のみになったのね。そんな訳で、割とベスパが進んで・・・

段々と雰囲気が出で来たのね。これなら持ち主じゃ無くても判ると思うんだけど・・・。そんなこんなでキウイは、スノーマンを無事に完成させて、

絵馬も触っていたけど、見ていてそのグレードで、話しながら進む事が出来るなんて事になると、そりゃ楽しいだろうな・・・って、真の楽しいって域だと思うのね。

そもそも未熟な時は、必死に作っているから、俺の話ですら聞いていられないのね。それでも何とか完成すると、出来たぁって事が楽しいに繋がるのね。

それが作りながら、話を聞く事だけは出来るようになるのね。相槌くらいは出来て・・・そうなると、手は止めずに聞けるから、進みながら情報を得る。

たわいも無い話に笑え、大事なお小言には耳を澄ませ、切りながら是正も出来るし、当然進む。この位になると、最初の作品の感想を言えるくらいになり、

何個か飾っている話も出来たりして・・・こんな時が楽しいって言いつつ、自宅でも進める時期なのね。それを過ぎると、自分から話せるようになり、ながらが上手になって、

段々と自分発信の話が出来たりするから、いよいよ大作なんて事になる。当然本格的になるから、楽しいだけじゃ無くなる。しかもチャレンジするんだから、

自分の一番を作るのだから、そりゃ楽しいってよりも大変の分量が多くなる。勿論それでも楽しくない訳じゃ無いんだけれど、進まないし・・・。

ただそんな事よりも難しいのは、例えば似ている・・・を重視するのなら、繊細に切り、それに似せる為に写真を良く見て、針の幅のような光や影すら見逃さない・・・

例えば、目は黒・・・なんて思い込まずに、大きく作るなら、その目に映り込んでいる景色すらも作れないかな・・・と。ただそれだって、今の腕よりも

目が肥えていると、自分の腕以上を望んでしまったり、理想だけが先走り、原寸大以下の大きさで作っているのに、ここに影が・・・なんて繊細では無く、

繊細過ぎる事を言うと、ただただ進まないだけじゃ無くて、卑下したり、やる気も失って来たりもするのね。しかもマンツーマンだと、出来る人つまり先生と

出来ない人つまり生徒の関係になってしまうのね。これが個人レッスンの弱み。逆に数人いて、しかも上手い人と相席なんて事になると、私もそうだった。

ってこんな上手い人もそうだったのかぁ・・・って安心感だったり、じゃ私も出来るかな・・・と希望になったりもする。じゃ相席の方が良さそうだけれど、

当然、その時間分の人数で割った時間が指導出来る時間になる。例えば3人で3時間なら、一人あたりの指導は1時間ってね。でもこれも数字のマジック。

そんな訳が無いのね。相席の場合、もしそこに体験なんて初めての人がいたら、かなり付きっきりみたいになるから、大半はそこに時間を使う事になる。

でも大抵相席は、上級者と一緒って事になるから、目を離せる場合が多い。つまり上級者も先生のように見守りくらいな事もしてくれたりするから。

ただ一見、それじゃお金払って上級者は教えて貰えず時間も取られて、割に合わないじゃん・・・って思う人もいるだろうが、実はそんな事も無くて、人に

教えるって事は、そこに責任も加わり、ただ自分の作品を進めるだけ・・・の感覚では無く、面倒を見つつ、自分のも進める・・ながらの究極が出来る練習になるのね。

しかも、教わる側だけだったものが、教える側を経験した時に、教える大変さを知ると、今度は伝えないと伝わらない・・・って俺との教室に反映されるのね。

いかに本気で伝えようとしていなかったか?・・・ってね。今そんな事になっているのが棟梁だろうね。人から上手いって言われるようになると、当然人に

聞かれる事もある。それに向き合えば時間を取られる。そしたら今進む事が出来ない・・・最初はここに戸惑う。ただその時に、いつかの自分に会うのね。

あの時の自分だ・・・ってね。この感覚こそが初心に帰るの原点。みんな初心に帰るの言葉や意味だけを知っているだけで、それって何?どんな事?って、

聞いても答えられないのは、伝える気が無いからなのね。考えないんだもの。所詮他人事で、向き合う気も無いし、自分の今だけ考えるのね。

つまり今反映する事だけ・・・所が中級、上級って何?って言うと、上手くなりたい・・・ってこの言葉だけで上手くなる?それは勉強頑張ります・・・と

変わらないのね。何が足らなくて、どう努力をして、どう結果を出すか?にならないと、小学生のままになっちゃうのね。そうでは無くて、具体的にどうするか?

反復すると慣れる。継続すれば尚更。でも同じようなものを同じ気持ちで、頑張るだけ・・・そんな事では、成長速度は落ちるし、今の分だけ。

それを今を捨てても、中長期的に種を撒き、水をやり栄養バランス、そして日光・・・こんな事を植物だけじゃ無く、人もそうして育てないと・・・。

それなのに、今のみ・・・もしこの数時間を捨てる事が出来るのなら・・・でもお金払ってただ捨てるんじゃ無くて、この数時間、この数十分捨てて、

自分の時間の進みよりも、こっちの話や、隣の人の質問や相談に答えられる自分がいたとしたら?その時間をただ使うのでは無くて、教える経験、あの時の自分と

会う機会と考えられるようになると、腕では無く感性や感受性が鍛えられるのね。だって自分のだけ進める人は自分の考えのみで突っ走るのだから。

でもそれが人と向き合えると、あぁこんな考え方があるんだ・・・とか、あぁ私もこんなだった・・・って事が経験出来ると、経験しただけでは単なる経験だけど、

それを感じて、変換したり、相反する気持ちになったり、その気持ちの変化こそが、大作に生かされるのね。ロングランの作品では、人の生死も経験する。

いたはずの人がいなくなったり、生まれて来たり・・・コースターや鍋敷きならそんな事にはならないのね。だって今日完成するから。そんな大作を

乗り切ると、それが自信になるのね。見た人が凄いね・・・って言い出すから。可愛いぃぃとか、良いじゃん・・・とか、安易にも思える表現はされないから。

本当に上手いと、えっ・・・とか、おーとか、感嘆符だけになる。それで完全に楽しいだけから抜け出る。これが成長って事になる。ここまで来たような人がキウイで、

プロ顔負けなんて言うセリフに該当するだろうね。誰が見てもぶったまげる作品を持っていて、人にも教えられるし、俺の手伝いも出来る。ただプロじゃ無い

だけで、とんでも無い実力者だと思うのね。そんな人が体験教室の下地で遊んでいるんだから、そりゃ結果も良いし、楽しいし、楽だし・・・。

ただ量産って言う大変さはあっても、中々なのは微妙に変えて、何が良かったのか?検証までするって言うんだから、贅沢な話なんだけれどね。何でも経験値で

・・・人とは違う経験値を得るだろうし、俺もそこに向き合うと、その批評も出来るのだから、お互いに経験を増やす事が出来たりするし、共感すれば、

共有も出来るのね。つまりいつか仕事になった時、あれで・・・って言うだけで、あぁあれね・・・って引き出しになるのね。千と千尋の、釜爺ぃぃみたいに。

引き出しがいっぱい・・・ってね。こんな時はこれ、こんな時はこれ・・・ってね。でもまた新しい人が来て・・・また引き出しが増える。そうね、

ワクチンとウイルスの追いかけっこみたいなのが、出がらし先生にならないコツで、永遠に同じ教え方のみなら、大学教授みたいな感じに厳粛にすれば良いが、

それじゃ子供は飽きちゃうのね。やっぱさかなクンじゃ無いと・・・でも、俺はそんな面白い人じゃ無いし、ここだけ見ている人には気難しそうって思われるし・・・

文字だけだと、声の質感とか、ボケかましてるんだけど・・・のニュアンスって届かないしね。ただ常に思うのは、これが何かの足しになったりするかな?

明日の俺にも、見ている人達にも・・・って。まぁ良薬口に苦し的な事が多いけれど・・・。ただ体裁なら、世の中にいっぱい落っこちているから、ここで

わざわざ言う事も無いのね。だって毎日何千文字って、そこそこ大変なのに、体裁みたいな頑張ります・・・なんてねぇ。必死ですとか、どーでも良いのね。

本気な人に届けば。なぁんてね。

 


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さくら教室とピエロの玄関の側面とベスパ

2024-11-29 01:23:13 | モザイクタイル教室

今日は午後からさくら教室なんで、午前中は実家でピエロの玄関の側面下部の続きから。

そんな中、大家さんから電話があって、かっちゃん・・・釣れたって。大家さんは友達と2人でサーフからルアーでヒラメを狙ってあっちこっち行ってるのね。

ただ今年は渋くて、あんまり良い話を聞かなかったんだけど・・・。何時頃来る?って・・・今行くぅ。って事で、お昼時に到着すると・・・

友達が釣ったらしいんだけど、これで49cmらしいのね。かっちゃんが見たいって言うから持って来たんだよって。お陰で生きてるヒラメって久し振りに見たのね。

ちなみに裏返すと・・・

真っ白だから天然らしいのね。これがブチぽかったら、養殖モノらしいのね。そんな豆知識も聞けたりして、大家さんが捌かないで、俺を待ってくれたらしく・・・

いやぁ、生きてる魚、テンショん上がるわっ。ってそんなこんなでさくら教室。そうね、バックの悩みなんだけれど・・・今の自分ではひし形を均等に

切るなんて出来ないから・・・ってあれこれタイルを置いていたりするから、さくらは一体どうしたいの?って聞くと、これは数年前のもので・・・その時とは

もう状況が変わっていて・・・って。続けて、今は体調も良く無くて・・・だから出来る事は・・・って模索しているって感じの事を言うから、あのねそもそも

相談ってどんな事だと思う?・・・ってもはや子供に質問するのと一緒な話で、何でもそうやって勝手に独りで決めていては、先生要らずでしょ?

つまりまずは、出来る出来ないの判断は俺がするから、まずさくらはどうしたいか?なのね。その時に、このどうしたい?って質問の真の意味を考える。

例えば、このお雛様をどんな感じに見せる?って質問であって、例えば貝合せのような下地に作っている訳だから、遠い古のお姫様が持っているような・・・

とか、小さい子にプレゼントする・・・とか、初孫の・・・とか、そんなイメージ・・・と言った事が欲しいのね。そう言う事なら・・・例えば、遠い古の

・・・なんて場合、古いんだからポップに見えるような色合いは避けようよ、とか、千代紙にあるような模様とか、そんな所にヒントは無いか?とか、

小さな子にプレゼント・・・なら、ちなみにどっちの親族?とか、何歳?とか、そこに寄せた考え方ってあるよね・・・とか、初孫ってどなたの誰?って事で、

身内なら少々攻めた考え方でも良いが、他人さんなら、無難にシンプルにって言うのはどうだろうか?と言ったやり取りで検討する・・・これを3人でやれば

文殊の知恵的な話を俺が2人分やっているような話。そこで何かきっかけとか、自分の考えに無かったものを膨らませるような、そんな事になると相談

相手となるが、これは出来ないから・・・と決め付け、これなら出来ると思い込む・・・そもそもその眼力正しい?って話で、そもそもその思い込みそろそろ

辞めない?って言うのが、さくらはこの世で母と同じくらい頑固と比喩するゆえんなのね。根本的にその自覚が無いから、ある意味意固地にも思えるのね。

いや、もしかすると自覚を持って、俺にはそうしている・・・って事でもあるのかも知れないけれどね。まぁどっちでも良いんだけれどね。そもそも大した

話じゃ無いから。例えば今の話を簡単に受け入れる場合、先生の器をあてにされたのだから、きっと良い先生になるんだろうね。逆に受け入れない姿勢なら

気に入らなかった事になる。じゃもしかするとその説明では足らなかったのかも知れない。じゃ元に戻せば良い。こっちが受け入れられないなら、そっちの

ままにすりゃ良い。つまりこの場合、最初から描いてあったひし形のままやれば良いじゃん・・・それがその時の思いだったんだろ?それを曲げようとして

いるのは何故?今の自分じゃ出来ないからって決め付けているからじゃん。それならどうしたらこのまま出来るってアイデアがありゃ良いだけだよね?

そんなもん簡単過ぎて笑える。そもそも根本的な考え方なのね。そこが治らなきゃ一生無理だわ。いくら体が健康になったとして、絶対無理なのね。

それが心技体。さくらの考え方、つまり今健康面、心の面のいずれかが弱っている。これに寄って私は、人より技術自体が劣っているのに、出来るはず無い

・・・と思い込む。これでは出来る方向に1つも無い事になる。これが体調が良い割と・・・って時、さくらなりのささやかな自信が出来る。割と手が

思うように動く・・・これならと。そこに割と穏やかにやり過ごす余裕、つまり身の回りの悩み事が体調でカバー出来るような時、こんな時がさくらの気力

が良い時。こんなささやかな自信で、これなら私にももしかしたら出来るかも・・・つまり常にさくらはさくらの中で完結する人なのね。自信は常に

自分が決めるってね。はぁ?なんて図々しいんだろうか・・・ばかちぃぃぃん。自信なんて自分で決めるから、勝手にもろくなったり、勝手に調子に乗ったり

するのね。そもそも自信なんてもんを自分で決めようとするのなら、基本フォワード的な考え方、つまりゴールを決めたら俺の手柄、失敗しても次に入れりゃ

問題無い、うっせーなっ、知るかバーカ。こんなワードを平気で出来るハートがある奴にしか無理なのね。だから人に左右されないでいられるのね。

だからさくらには無理。しかも、いちいち気にして、いちいち人が気になる。こんなディフェンダーのような守りの人がやる事じゃ無いのね。まぁ具体的に

言えば、こんな気持ちの人が営業に行く。そんなのいらねーよ、あんた誰?こんな殺伐とした雰囲気で、断られる何回目に心が折れる?じゃ生産の中に組み込まれたら?

同じ時給でまたあの人、ライン止めたよ・・・って何回目に心が折れる?じゃ事務。今度は手先の器用では無いし、対人関係も営業と違って初見ばかりでは無い。

つまりこの中では事務が一番適していると思われる。がしかし、良い事と悪い事は常に背中合わせ。今度はそこに好かれる人もいるが、それを妬む人もいる。

常に同じ群れの中にいるのだから。何度も何度も毎日の行動を共にすると、その人の良さを知ってしまう人が出て来る。ある意味、それがさくらにしか

出来ない事で好かれているとしたら・・・他の誰にも真似は出来ない。これこそが個性であり、人となりを見られた事になる。当然どんな所でどんな場所に

いようが、必ずそんな場面は出て来る。しかしながら、常にさくらがささやかな自信を自分で持たないと実力が発揮出来ない・・・これでは確率が下がる。

だって一般的な健康を持っている人と、病気な人が共存するのに、病気のせいにしたくない・・・と一般人を装うとして無理するから、メッキは簡単に剥げる。

しかしながら、今度はメッキを剥がしたままでいると、無防備となり簡単なウイルスでも立ち向かう事が出来ない。奴には丁度良いって良い塩梅が無い。

打つか打たないか、やるかやらないか、食べるか食べないか、そして出来るか出来ないか?そして出来ない・・・全て自分で決めるってね。あははは。

こんな精神的な事が前提で、やっている事を解説すると、まずお雛様がオリジナルで可愛く見える。つまりトトロがいる、まるちゃんがいると想定する。

そのバックをトトロの可愛いキャラで、背景をまるで写真のようだ・・・って作ると、ジブリのような仕上がりになるから、可愛いのに凄くなる。

それを同じ可愛くまるちゃんがいて、そのままのタッチでバックを描けば、ちょっとコミカルに見えたりする。つまりその当時のさくらはトトロ寄りで、

作ろうとしていた事になる。となると、今度は常に言っている上手さの基本は、同じ事を同じように・・・つまり蕎麦、うどん、きしめん。

蕎麦は蕎麦の幅でずっと・・・それを混ぜこぜでは統一感が無くなる。そうならない為には、まずは図面、レシピ、楽譜をキチンとする。なのにさくらの

バックは手書き・・・しかも定規も使わずに。それでは俺でも安定した大きさをキープ出来ない。だからまずそこを是正。後はちょっとしたアドバイスで、

いくらでも出来るようになる。しかしながらアイデアなんてもんは、教えてしまえば反復すれば誰にでも出来るようになる。例えばお寿司屋さんだとする。

昔ながらの職人なら、女は駄目とか、機械で握ったなんて・・・とか、きっと頑固一徹な考え方ってあると思うのね。けど、お客さんはそんなの関係無いのね。

俺の中で作家のkatsuはそんな気持ちはあるだろうね。でも先生katsuには全く無いのね。そんなの関係無いじゃんってね。その時に俺は俺発信的なのは無いのね。

つまりどうしたいか?で進むから、まず最初の一歩は自分から・・・なのね。勿論それが苦手な人がいるから、その一歩を考えるにはどうしたら良いか?と

教える事になるんだけれどね。その時に甘いのは嫌的になるさくらは、作家katsuでやろうとするのね。それは調子の良い時ならまだしも、体調不十分では

特訓と言うより特攻的な帰りのガソリン無し的になる。もう少し良い塩梅にならないもんかねぇ・・・。まずはキチンとした今日の自分を知った上で、今日の私は何が出来る?

これが自問自答。これに寄って今日出来る事と、ちょっと難しい事を判断すれば、大きな失敗を防げる。常に俺の表現に逃げ切る・・・って言葉があるが、

不安要素があるが、何とか・・・無事では無くても、機体に大きな損傷を受けずに帰還・・・ある程度、敵機に損傷も加えて・・・みたいな感覚。

これは常に帰還ありきでの1日であり、戦わない日、戦う日のムラで無く、毎日コンスタントに継続するって言うのは、機体つまり体も、心も損傷を少なく

繰り返す事で、大きな成果は挙げられなくても、コツコツ繰り返し一定の成果を上げて行く・・・休まないこれが事務的内勤。いくら休んでも一発逆転の営業

とは生き様が違うのね。常に生きるとはこの繰り返し。ただね、ポンコツ扱いとか、若手の切り替えなんて事で居場所が無くなった選手が、違う場所で再生

する事は多々ある。それはその能力がそこの場所に無かった・・・萎縮せずに、自分らしくいられる・・・そこでは持っている能力が発揮される・・・

そう言う点では、この可愛く見える作品が、そのまま可愛く見えるままの人もいれば、こんな難しい事してるの・・・って思う目利きの人もいるだろうね。

しかも病弱なのに・・・って上乗せして来るのにね。ただ病弱でも俺の弟子。そんなにへっぽこでは無いのね。本人に自覚は無いけれどね・・・あははは。

そんな中、俺も一緒にベスパをやらせて貰って・・・

らしくなって来たのね。


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高洲のサークルとぷっちとピエロの玄関

2024-11-21 07:14:42 | モザイクタイル教室

今日は高洲公民館でサークルの日。いつもと違って年末なんでみんな季節モノ。って事でお母さんから。何も心配無く、楽しむとはこう言う事の見本。

例えばこれは体験のような初めての人に向けての下地だったのね。つまり誰でも出来る・・・その下地を上級者の人が作ると・・・となった時に、初めての

人も楽しめるけど、上級者なら当たり前に楽しめると思いがちなのね。そうね、例えば、今の俺が野球も出来るし、書道も出来るし、何なら水泳も、

ベースだって弾ける・・・ただこれら全て出来るだけ。上手いとは言ってないのね。つまりプロの人達はお金を払っても見たいと思われる人達なのね。

つまり出来る、上手い、凄い、そしてお金を払ってでも・・・みたいに進級するものと思われるのね。人の評価的にはね。よちよち歩ければ歩けたのが、

数歩でも幼いとOKだし、ご年配でも出来たぁ〜って評価になる。それが上手ね・・・とか上手いじゃんに変わると、少し評価も上がって、そこそこになった

ように見える。それが凄いとなると、プロ顔負けとか、売れるんじゃない?とか、褒められるからウットリする・・・みたいな表現になり、いよいよ最後は

お金が貰えるようになる。それがプロで、そこにもレギュラーと二軍みたいな差はあり、更にメジャーとなれば、格が上になり、それを継続すると大御所に

なり、死ねば人が騒ぐ・・・まぁこんな感じね。そう言う評価で見た場合、お母さんはご年配の人、って事になれば、出来るだけで十分なのに、サークルの

人達の中にいても、全然見劣りしない・・・しかもグレードも全くね。つまり鉄人なのね。こんな人はモザイク人口って大きく広げてもそうはいないのね。

その人が遊んでる・・・そんな作品。そんな腕を持って楽しむ制作。そりゃ結果も良いし、悩まないし、このメンバーと一緒に作るのは楽しい。

これが例えば1人だけ年配で、何か作品も見劣りして、上手く行かなくて・・・って言うと、引け目を感じたり、何か話す内容もついて行けない・・・って、

感じなら楽しく無いでしょ?つまりモザイク教室に来たら、モザイクが上手くなれば、それだけで人が寄って来る。だって興味が湧くし見たくなるから。

そしたら勝手に弾む。でもいくら楽しく話していても、結果として全然進んでいなかったら、上手くならないし、それならお茶飲み友達を作ると良いのね。

腕を気にせず話せるから・・・。こうやって踏まえれば、いかに凄いか判るのね。だって本当はこんな遊びの作品じゃ無くて、あの作品を作る人なんだから。

じゃその娘ののりちゃん。

ぺきぺきだから、お母さんとはタイルが違うのね。ただそもそもみんな同じ理由なんだけれど、干支としてヘビが嫌い・・・だって気持ち悪いんだもん。って

・・・こうなると、いかに自分がヘビに見えないようにするか?になるのね。それが一番難しい所だったのね・・・下地を作る側としてね。普通はそのモチーフに見えるように・・・って、

作るもんでしょ?それなのに、見えると嫌なのね。だからいかにそう見せられるか?的な下地って・・・・だから体がちょっと分断して繋げるニョロニョロを

防いだような下地にしたんだけれど・・・そして始めるに当たって、ヘビの絵馬って調べると、白蛇は縁起物なんだろうね・・・絵馬のヘビは白が王道。

つまり普通って言うのならベースは白。そこで個性を出す為には、バニラのソフトクリームにトッピングでチョコを振りまくとか、ミント味のような、

淡い色合いを混ぜるとか・・・ただ必ずヘビにしないとならないから、目は入れる。その時に黒目が大きいと可愛いが、黒目が強調されると、ヘビ色が濃く

なるから、いかに目を目立たせないか?となると、目に負けない色をトッピングするとか、目を小さくして、淡い模様で薄味に仕上げるとか・・・って、そんな

アドバイス。それとプチのクローバーを持って来たのね。楽するって方向もあるからね。そしたらのりちゃんが最初、頭にも赤のプチクロ使おうとしたんで、

それは楽し過ぎぃぃ・・・そこは上級者としてプチッと見せないとって言ったらこうなったのね。流石なのね。見せ所を作る事・・・って一言でこれだからね。

ではキョンキョン。

掃除がバタバタと始まっちゃったんで、まだ終わっていないし、ひとまず撮っただけだから・・・だけど、お腹を作ってヘビを若干リアルにしたんだろうね。

同じプチクロを使っても、雰囲気を変えて来たのね。キョンキョンも中々上手くなって来たのね。しかものりちゃんと全く同じにしない所も個性を出しているし・・・

こう言う些細な事も大事で、隣を見て影響を受けても、それを真似する技術が無いと、見劣りするのは間違いないし、逆に腕があって真似をすると、上回る

事もあるが、それは切る張る技術であって、色合いやその位置や繊細なバランスと言った事が合致した上の話で、大体こんな感じかぁとか、付いてりゃ良いじゃん・・・

で真似出来るもんでも無いのね。見て影響されない・・・って言うのも難しいものなのね。ただキョンキョンから見たら、ここはみんな上手い人達だから、

誰に聞いても色んな事を色んな考え方で聞けるから、ある意味教えている側の俺でも勉強になったりするのね。それをどう聞くか?なのね。

取り入れられる事と、取り入れられない事があるからね。その時にパンチが足らないなぁ〜って思うのなら、薄味の人では無くて、濃い目な人の意見が聞きたいし、

パンチが強ければ、薄味の人の意見が聞きたくなる。でもノープランな人がみんなの意見を聞けば、個性的な場所なら十人十色になるし、何々派のような、

流派なら、それを真似すれば良いのね。まぁ今回のような一見簡単そうな下地って難しいものなのね・・・上級者にはね。例えばスノーマンは雪だるま。

普通は白いのね。ほら普通って言うのなら・・・これをじゃヘビは色んな色選べるじゃん・・・って人は単純で、作っているのはヘビじゃ無くて絵馬なのね。

常識とか普通って言うのは、そう言う事なのね。別に関係ないねって言うのは簡単だし、でもじゃそう作った時の差は何?って言うと、格式みたいな話ね。

ヘビを作るって人は、ピンクだろうが、青だろうが、好きにすりゃ良いのね。でも絵馬を作るって言うのは、年の始めに飾るもの・・・と考えたら、どーでも

良いって好きにするよりも、格式的な要素を入れないと、下品に成りがち。じゃ例えば成人式だとして、普通は女性は着物で男性はスーツとか、袴とか。

そもそも絶対数が多いのが普通だから。流石にGパンって人はいないと思うのね・・・来るからには。では晴れ着として何でも良いじゃんって言うのなら、

パリコレ的にさっそうとオートクチュールって言っても良いはずだよね・・・これがTPOって話でしょ?それをレッドカーペットを歩くのにスーツなら何でも?

まぁ恐らくコナカの人はいないだろうね。つまり絵馬を作る考え方と、ヘビを作る考え方では、仕上がる前から所作的な考え方が全く違うのね。

だから学校に作る・・・なんてもんは、格式や伝統を踏まえないと、ただの子供のお遊びになるし、労作展でもただの中学生の宿題じゃ無くて、慶応の・・・

になる。それが小学生でもピカソとなると、芸術のコピーだから、大体似てる・・・では見る側の甘さに頼る事になるし、それを超えれば小学生なのに・・

って評価になる。作る前のこんな気持ち1つで変わって来るし、逆に時間もお金も制約があるなら、じゃ風味で・・・って言えば、カニじゃ無くてカニカマで良いじゃん。

それを正月くらい・・・って言うのなら、格式になるし、カレーで良いじゃんって言うのなら、気取らなくてもGパンで出席すりゃ良いだけ。それも個性。

ただ個性を出すって言うのは、人と違ってしまうから、普通の中ではとても目立つし、みにくいアヒルの子になりやすいものなのね。そしてキウイ。

量産し始めた・・・質が良いから、俺にはこれがトヨタの車やケーキ屋さんにも見える・・・こんな時に、注意する事は、量産の色違いは、目や鼻の位置。

表情を変えずに色だけ変える。ハンを押したようにね。そうするとプレゼントをされる側としては、純粋に色だけで選べるのね。1つなら自分の自由で良いし、

相手の好みで作るも良し。でも量産って言うのは、どれも同じに見せるのが、上手く見せるコツだったりもするのね。同じ事を繰り返せるって言う事は、

自分の1つ目を手本にすると言う事は、1つ目にかなりの満足度が無いと、真似をしたくなくなるだろうし、どんどんと変えると、上手い人の是正になるから、

良くなる可能性は高いのね。ただ是正だけじゃ無くて、その変化をチャレンジとするのなら、変えた事が攻めるアイデアなら、変えなかった方が良かった。

なんて事もあったりするのね。だから量産は最初に良いグレードを時間が掛かっても作って置いて、後はそれを真似するだけ・・・の方が悩まず進めるのね。

そんな後は、昨日の父の薬を取りに行って、プチってピエロの玄関。

後少しで上部の文字が終わるのね・・・


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寅さん教室とピエロの玄関の側面開始

2024-11-17 01:38:59 | モザイクタイル教室

今日は午後から寅さん教室なんで、それまではキョンキョンの絵馬の下地を彫ってからの、実家でピエロの玄関の側面開始。

そうね、こうして見ると問題があるねぇ・・・気にはなって終わったくらいだから・・・。ただ直すか直さないか?は保留かな・・・。まぁいずれにせよ、

始まった・・・って事で。そんなこんなの寅さん教室。そうね、ブログにいつも言っているような事だから、全て読んでいれば何の問題も無いんだけれど。

例えば、病は気から。どんなに技術を会得しようと、心持ち1つでそんな技術なんて二束三文になる。だって簡単に心なんて折れるから・・・。

そもそも人なんてもろいものなのね。だってたった1年、365日の内に何日が絶好調で、何日が普通で、何日がへっぽこになる?これを死ぬまで繰り返すのね。

もっと言い換えれば、どんなにお金を持っていようが、へっぽこな日は、立て直す事が出来なければ、やる気なんて起きないもので。言い方を変えれば、

いかにそのへっぽこな日を少なく出来るか?になる。そもそも気分が良いなんて、ほっといても楽しい訳で・・・。勿論、体調が悪い・・・これは医者じゃ

無きゃ無理だけれど、気分なんて気の問題は、自分で解決出来るもんなのね。ただ一般的にはお金で解決出来る事は多いらしいのね。そうなると、今の俺では

無理だから、お金以外で立て直さないとならないのね。つまり先生としては、お金で解決出来ない人のアドバイスは出来ても、ある側の人の立て直しは難しい。

とは言え、それでも出来ないか?って言うと方法はあるのね。ただ説得力に欠けちゃうのね。それは成功者じゃ無いから。これが目に見えて成功だってなると、

信憑性が高くなるから、必然的に聞く耳が出来るのね。つまり今の俺の立ち位置で言えば、調子を崩している立て直しの場合なら、マイナスを0に戻す方法は

教える事が出来ると思うのね。例えば普通、一ヶ月に1回の場合なら、前回と今回を比較した場合、同じようであれば、悪いなりに同じなら、左程悪さは

変わっていない。だから悪いけど普通と考えられる。それがもし前回よりも良く見えたとする。その場合、この1ヶ月間の中に気分の良い事があった可能性がある。

その気分の良い事が、もし昨日の事なら、そりゃ生々しく楽しさを抱えて来た可能性が高いし、まずまず程度なら、ビックリする程の事では無いものの、

良い事があった・・・って感じになる。例えば旅行に行ったのと、映画を見たでは、楽しさの大きさが違うし、とは言え、その旅行が散々ならテンションは

下がるし、逆に映画が楽しくても、旅行が楽しかったら、それに勝てる楽しさにはならない。それを判断するのが車内の送迎で、俺は運転しているから、

想像するに声しか無いのね。この会話の声がトーンが高いと、楽しそうだし、低ければ何かあったのかな?と想像出来る。それを常連なら直接何かありましたか?

となるし、日が浅ければ、比較しようが無いから、普通に会話する事で様子を伺う事になるかも知れないし・・・その時に常連なら、その人の性格も加味し

その人がディフェンダーなのか?フォワードなのか?でリアクションだって変わって来るから、まずは声を聞き逃さない事になる。そしてアトリエで今度は視覚

で確認となり、聴覚、視覚と2度その人を確認する事が出来る。更に物作りはその人自身なんて言うのだから、作る所作や切ったパーツなどを見れば、

行動が比較出来るのね。前回張ったよりも粗いのか?同じなのか?繊細なのか?それもキチンと見ないと、同じ難しさと向き合っているのか?そうで無いのか?

で比較しないと、ただ難しい事をしていた・・・では比較にならない。そもそも接客をする仕事なら、この程度は普通で人と向き合う仕事な訳で・・・。

それをタイル屋なら、接客って程向き合う事は無く、向き合うのは仕事をくれた大工さんや不動産屋さんだから、親しくなれば職人程度の丁寧語、尊敬語、

謙譲語程度で何とかなり、それよりもそこそこの腕と、そこそこな金額で、三河屋さんみたいなスピーディさが要求されるし、上手い腕なら、凄い腕なら子供でも判る、高くて当たり前って感じで済む。

これは接客で比較しているだけで、仕事って言うのは、会社に務めるのと、自営に分かれる。会社は務められれば、与えられた事をこなして行く。つまりその

部署で何をするか決まる。営業なら人と向き合うばかりで、それを自分の性格、つまりフォワードのエゴ的押し付けでグイグイ行くのか?それとも、引く

ディフェンダーなら、何かあったらよろしくお願いします・・・とアピールだけをして待つのか?とスタイルは変わる。いちいち断られて沈んでいたら、

体はいくつあっても足りないし、心がいちいちポッキリしていては、向いて無いだろうね。それではディフェンダー的仕事なら、毎日仕事を取りに行く訳では

無い事務なら、毎日知らない人と向き合う事は無いし、与えられた事務をコツコツ終わらせる仕事になるが、同じ部署の同じ人と向き合うのだから、能力のある無しで

比較され、毎日大奥のような場所でどう生きるか?みたいになる。ではそれ以外となると生産となると、工場で働く・・・体を動かす事になると、毎日同じ事の

繰り返しなんで、こけし職人じゃ無いが、毎日反復になる。ただ人と話すのは休憩くらいだから、向き合う事は少ないから、大きな失敗をしない限り、

向き合う時間は少なくて済むが、事務と同じように同じ人の群れの中で仕事をする事になる。しかも今度は数字のミスでは無く、もっと大きな目に見える

ミスがとがめられる可能性がある。何しろ流れ作業なら、人と連動してしまうから、ミスは全体に広がる。これが会社の考えられるリスクなら、今度はそれとは全く逆になる自営サイドの仕事。まぁ俺のような父と同じ職業なら

そのまま引き継ぐのが2代目になるが、俺はそのまま継いでいないから、タイル屋は引き継いだけれど、お客さんは自力だったが、普通なら訓練所のような

場所や、セミナーみたいな所で勉強するんだろうね。ただここに落とし穴があって、何度も言うが最初に覚悟がある場合、我慢では無く辛抱になる。

つまり我慢は限界があるってくらい、時間が短いのね。例えば我慢って言うのは、受かるまで我慢・・・みたいに使うとすると、何か現役合格出来る前提

みたいな感覚な気がしないかな?それは最初から考えが浅いからだと思うのね。でも辛抱って言うのは、それを成し遂げるまでなのね。つまり人を救いたいから医者になる・・・・

こんな考えを持っていたとすると、我慢は免許を取るまでな感じだとすると、辛抱は務めても開業しても、患者と向き合う事が続く限り・・・って感じな気がしないかな?

つまり志の差が出る気がするのね。そもそも同じなら言葉を変える必要は無いのね。話は戻して、ではそうやって習った事は何?って言うと、訓練所では、

技術を習っただけだから、仕事を取る営業を何も習っていないのね。つまり免状を貰ったのは技術の習得である。ってだけ・・・ここが一番大事なんだけどね。

ただそこでもしかすると、勤め先のあっせん的何かがあれば、アフター完備みたいな感じがするのね。所がセミナー的なもんは、まず先生がキラキラしている。

大抵はね。肩書きもどこどこ大学卒とかだったりすれば、エリートとなる。勿論、逆も真なりだから、海外を点々と・・・とか、特に何もやっていないって

スタートの人もいるが、ただそこも落とし穴で、奨学金のように大きな借金スタートじゃ無いのね。その人の家庭がそれを支えていたり、恵まれた環境が

あったりするのね。ただそのエリートの話がとても憧れちゃったりするし、みんなも頑張って・・・なんて言うと、憧れて入会なんて事があったりする。

ただね、憧れたら勝てません・・・って大谷くんが言ってたのね。残念ながら。仕事って生きる為にするもんで、憧れのまま生きられるなんてほんの一握り。

その時にその先生のアイテム、つまりそこに至る環境や状況を負けずに持っているのなら、可能性は生まれるけれど、教わったのは訓練所と一緒な技術だけなら、

仕事の取り方は何一つ教わっていないはずなのね。つまり指示された事通りに身に着けた事は技術であり、営業ノウハウは0でスタートになるのだから、

多くは失敗の可能性が高い。ただ成功している良い部分だけを見るから華やかだし、受けている時は非常に楽しくなる。そりゃ憧れてその何分の1になれるって前提スタートなんだから。

そう言う点では、俺はもっと現実なんだろうね。つまり結婚式で演奏したい・・・みたいな教室だから、その一曲を何処で何人の前で、どんなシュチエーションで弾きたい?

ってオーダーに答えるには、どう言う段階を踏んでたどり着くか?って感じだから、労作展のような具体的な場合、ピンポイントでみんな結果を出している。

だからやっている時は、俺は憧れられている訳では無く、楽しい訳でも無く、でも楽しくない訳でも無く、何だか微妙・・・って感じなんじゃ無いのかな?

要するにオリジナル制作って言うのは、オリジナルつまりその人の生き方でもあるのね。だって人と同じ訳が無いじゃん・・・って話。いかにオリジナル人生を歩くか?

それにはどんな道のりが考えられるか?このまま進むとどんな試練があるか?とか、事前に想像力、洞察力、観察力で危険回避って話だから、楽しい事よりも

危険回避だから、まぁ保険に入る感じになるのね。つまり使うと大事件になるし、使わなきゃ損した感じ・・・ただ備えあれば憂いなしとも言うし・・・。

だから、元気なら俺は必要無いかも知れないし、不元気なら0に戻す方法を考える事は出来ても、エリート先生じゃ無いから、楽しくみたいな3を7に引き上げ

的な事は無理なのね。それは確実に今の立ち位置以上にならないと・・・。まぁそう言う点では、今日は立て直しには良い時間だったかもね・・・。

厄介なのはこうした事を踏まえて、今日の自分って振り返ると、今日の自分の出来る事・・・って判断が出来たりもする。それが自覚ってもんなんだけれど、

普通はそんな事をいちいち考えない。もっと言えば、例えば今辛い・・・って場合、即効性のある楽しさが欲しかったりする。でもほっといたから辛さが7

だったりすると、お金を掛けた即効性、例えば若ければデートでランドやシーなんて事になれば、まっ良いかっって楽しむ事に全力になれる。それが家族と

なると、お金は何倍もに膨れ上がるし、子供が小さければ、うっぷんばらしにスリルあるものに乗りたくても、ショーを見せたりする時間が増える。

ある意味、お金を使って添乗員する感覚かも知れないし、看護や介護や保育に長けていれば、日常も勤務みたいになるし、他人では無く身内なんてより出来るのか?

それとも手を抜くのか?それも個人差があるだろうし、そうすると、さっきの辛さ7はいくつ軽減した?って話なのね。それが何か半年先に楽しみがある・・・

だからそこまで・・・って感じだと、宝くじチックにその日までずっと楽しめたりする。これは中長期的だから、即効性は少ないけれど、足湯的に、ゆっくり楽しむ事になる。

これを薬に例えれば、即効性は風邪薬だから、ウイルス駆除になるし、当然その副作用として眠くなったりする。それが漢方となると、中長期的になり、

察知出来れば早めの漢方って事で、弱っている自分の仲間の後方支援みたいに追加して戦うサポートになる。何でもこうして1つ知れば、って事はそう言う事?

って想像が出来る。目に見えない力とはそう言う事なのね。ただ今の全てを全く関係ないね・・・って全面否定も合って無い訳じゃ無いのね。つまり逆も真なり。

つまり危険回避的考え方はディフェンダーの考え方なら、楽しく無ければテレビじゃ無い・・・って考え方もある。つまり楽しいをこよなく愛すって考え方もある。

ただね、それを教える先生や作家さん、セミナーの人・・・さて憧れだけでなれるかな?大谷さんに憧れて、子供が真似してその100分の1でも習得って・・

多分無理だろうね。ただ常に例外はあるから、裾野が広ければ、確率は上がる。ただ確率が上がるのは常に数字な事で、なれる人は常に決まっている。

最初の0から1にするって言うのは、何も無かったから大変だし、先人がいるからその物差しで図られるから、常に否定されるもの。それに屈するのなら、

早めに諦めた方が危険は少ないけれど、諦めると明日は無い。さてどうするか?ってのが子供なら時間があるが、大人の時間は限られているのね。

それをあれもこれもと時間を使っていては、浅く広くなる。情報なら物知りになるが、スペシャリストは自分の時間の全てを使うのね。だから大谷さんが

生まれる事になる訳で。当然普通はバッターかピッチャーか?いずれだから、専念した時間で結果が伴えば、今日は酒でも呑むかとか、ゴルフに行くか?とか、

になるが、大谷さんは二刀流だから、どっちもおろそかにはしない。つまり寝る時間以外は全ての時間に注ぎ込んだ。そりゃ確率を上げる訳なのね。

だって大谷さん以下の成績で、大谷さんより練習時間が短く、野球以外の時間が多いなんて・・・。それでは追い付くどころか離される。普通なのね。

だってうさぎとカメの話でみんな知っているのね。休まない奴が結果が出るってね。ただそれは昭和で終身雇用の頃の話。でもみんなが働き方改革って言う中

・・・そう考えたら、大谷さんってブラックだと思うけどね・・・。だから俺も追い付きたいならウルトラブラックくらいにならないとね・・・って思うのね。

まぁ人と違うってそう言う事になるんだろうね・・・。


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キウイ教室

2024-11-14 01:46:54 | モザイクタイル教室

今日はキウイ教室なんだけれど・・・まぁまずはスノーマンの目地から。本来は目地材で・・・って事になるんだけれど、お絵描きタイルは塗装なんで、

万が一、目地入れしている時に、ゴシゴシって感じになった時に、コンパウンドで擦ったみたいになると、艶が飛ぶなんて事になるのが嫌なんで、紙粘土を

入れてるんだけれど、キウイは見た事はあっても、やった事が無いって言うので、コツだけ言ってやっては見るものの、おいおいそうだったっけ?ってくらい

多めの紙粘土が乗っかってる・・・って感じで、目地と同じで、詰めるんだよ・・ってな話で、まさかのそう来たかぁ・・・って、それでも仕上がれば、

特に何も問題無く終わって、ある意味本題はこっちで・・・。下絵の図案を数点から選ぶんだけれど、その問題はこれ。

絵馬なんだけれど、来年はヘビ・・・十二支を作って行く場合、うさぎだねずみだって時は可愛い感じでテンションが上がる。でも龍だのヘビが大好きって

女子は少ない。勿論今どきの女子なら、爬虫類好きは多いかも知れないが、普通にキモい・・・って思ったら、いざやろうって思っても、好きで無いモチーフ

を見続けて、どれが良いか?・・・なんて事になれば、何かなぁ〜って事になる。そうなると、若干嫌々の中で、選ばうとすると、聞かなくてもこう選ぶ。

まず数点の中に、一番ヘビに見えないものを選ぼうとすると思うのね。しかも、相談と言っても、きっと俺が一番ヘビに見えるものを選ぶと思う事を

判っていたりする。つまり持って来ている時点で判っているんだけれど、一応聞いて見た・・・って感じなのね。例えば見なくても、ヘビ嫌いがヘビに見えない

デザインって、もうヘビから大きく変えてあると思うのね。じゃヘビって一体特徴は何?って言うと、にょろにょろとか、グネグネとか、こんな表現になる。

つまり長いんだろうね。だからなるべく短いものを選ぶと思うのね。そうなると、一番ヘビに見えないものをヘビに見えるように作るって事になる。

何か難しそうでしょ?それなら逆に、一番ヘビに見えるものを選んで、一番ヘビに見えないように作る方が楽なんじゃ無いのかな?簡単なら花の模様を入れるとか。

それとね、どれを見ても縁起が良いんだろうね、白蛇なのね。じゃそれも受け入れる事にすれば、模様はいっぱい色んな色が使える。そう考えれば良い。

それは常に言っている、良い事と悪い事は背中合わせなんだから、考え方としては、最初に自分に都合の良い事を選ぶと、そこがマックスになるのだから、

思い通りに成り続けるなんて無理に決まってんじゃん。でもそれを最初にヘビを受け入れ、白を受け入れちゃえば、それ以上、嫌な事は無くなるのね。

だって最初に悪い事は気持ちとして終わっちゃっているから。でもそれを良い事・・・つまり自分に取って良い事を使ってしまえば、もっともっとって欲張る

事になり、思い通りにならない・・・ってつまづくと、立て直せないって言うのが、良くある失敗なのね。でも前半に受け入れると、もうそれ以上受け入れる

事は無くなるから、今まで耐えた分、開放感が違うのね。まぁお笑いの緊張と緩和的な話で、緩和される気持ちが好きに出来る・・・って自由な事になる。

つまり最初の受け入れた時点で、ヘビに見える、縁起の白、もうそれだけで縁起の良い絵馬になっちゃっているのね。だからもうトッピングをどうするか?

だけで、悩みは少なくて済む。それを最初に受け入れなかった場合、ヘビの特徴を全部捨てたんだから、そこにまた好きな模様でやれば、ヘビに見えない

ものをヘビに見えるようにしないとならない・・・って事になれば、後半リアル感みたいな事を考えないと、全くヘビに見えないものになる。考え方1つで

悩み事を増やす事になるのね。好きでも無いモチーフでね。それともう1つは、敷地が決まっている事なのね。そもそも絵馬ってこの大きさでこの形。

おにぎりみたいなのは良いけど、にょろにょろと長いモチーフってどうなの?つまり、ヘビや龍には向いていない。だから大抵はとぐろを巻くのね。

ほらにょろにょろでも嫌なのに、とぐろを巻くなんて気持ち悪いぃぃってなりそうでしょ?それが忠犬ハチ公とか、うさぎとか、おにぎりのシルエット。

じゃ作りづらいものって?きりんとかネギ、カラーみたいに長さが特徴なのに、高さが無いモチーフ・・・だから中央におにぎりってシルエットになりがち。

ただ何とかヘビ味を少なくしたい・・・でも小さく作るって難しい。それは作ったでは無く、出来た・・・に近い感覚。美しさから離れるから。

弾いたと、弾けた、釣ったと釣れた・・・似ているようで違うのね。つまり小さいスペースにし過ぎると、例えキウイでも、こじんまりしたものになる。

それをこのスペースがあれば、色んなパーツを切れたじゃ無く、切ったって言う感覚、つまり必然のパーツで仕上げられるのね。上手く見えるに決まっている。

こうした選択を間違えれば、当然ミスをしてしまうんだから、後半しわ寄せが来るのね。好きでも無いモチーフでね。つまり感覚で言えば、はいはい判りました・・・

ヘビに見えるのにしましたよ、はいはい白が縁起が良いんですね・・・判りましたぁ〜ってからの、でもさぁ、もうそろそろ好きにしても良いんじゃ無い?

って言うのが作る工程。ってやり取りがあって、出来れば今欲しい・・・そう来たかぁ・・・って事で、キウイは鍋敷きの続きをやっている場所で、彫る。

でも以前では考えられなかった彫る事が、掃除機を回しながらやると、マスクもしないでも平気なのね。以前は現場用の掃除機を回した事もあるが、

そうするとトリマーの音より大きいから、中々厳しかったのね。所が家庭用は、より静かを求めているし、そこそこの集塵力。キウイも彫った事があるから、

この凄さは伝わって・・・そんなこんなのやっとこさ下地完成。その頃には夕方になって終了。そんな後は、恒例の母の面会と、帰ってから目地入れ。

実験もあって、こっちは紙粘土では無くて、目地を入れて見たのね。この薄さで木が反るか?どうかの確認の為にね。まずまずな仕上がりになったのね。

 


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健さん教室と蕨のサンプル案

2024-11-11 07:10:15 | モザイクタイル教室

今日は午後から2マス、健さん教室。その前に定期的に顔を出している泉銀さんに行ったのね。ここは浦安の魚屋さんで、作品を置いて頂いているのね。

そんな事もあって、数ヶ月に1回になってはいるが、様子伺いのように・・・。すると忙しい最中でも、あっkatsuさーんと、声を掛けてくれて、周りの人に、

この方が・・・って宣伝してくれるのね。毎回・・・今日もいつも通りにそうしてくれてたのね。飛び込みで作品を置かせてくれないか?・・・って行っただけ

・・・そんな付き合いで始まったのだけれど、断られたお店も多い中で、こうしてあの時と同じに接してくれるのは、とても有難い事でね。そんな1日の始まり。

そこで買った魚を父に届けてから、健さん教室。そうね、全くどうでも良い話でもあるし、意外と大事な話だったりもする、いつもの他愛のない話から。

例えばそんな話って、向き合う気が無ければ、何だそりゃって聞き流すだろうし、ブログを読んでいるなら、この話は興味があろうが無かろうが、自分の

意見を好き嫌いの好みでは無く、感じた理由を伝える練習とでも考える事って気持ちで答えてくれるのね。最近では杏さんの時にかつての旅行なんてお題だった。

今日は、トランプさんや日本も選挙が終わったし、政策も変わって何かしらが動くなんて事になる・・・なんて言ってもね、投票数から言ったら、どーでも

良いわって言ってるようなもんだから、まぁ俺みたいなじーさんの戯言くらいで始めるのね。じゃ俺も仮に・・・って政策を打ち出すとしてね。

世の中、人手が足りないとか言ってたりして、働き方改革とか、俺の若い頃とは大きく変わっている。世襲が・・・とか、あれこれと。そこで打ち出すのは、

なら、昭和の悪しき伝統って言われている、根回し、談合、癒着に世襲、徹底的にみんなでやろう大作戦って銘打って、大キャンペーン。

内容は?って言うと、世の中政権が変わると、突如何かいつもと違う事が起きたりするものだから、突如と始めるとすると、こんな企業に国がバックアップ。

例えばまた今、新しい人が入社する。そして自分に合わないと辞めたりもする。それって自分がやりたい事って考え方で決める方法論だと思うのね。

でも古き時代には、蛙の子は蛙って考え方があり、究極なら世襲、歌舞伎役者、会社の社長、お医者さん、農業、漁業、そして俺・・・いくらでもいる。

だからそっち側を重視する会社を作る。超強力型福利厚生なんだけれど、例えば、もしその会社に入ったとする。そしたら親子3代同じ会社に入る事前提。

大谷さんのドジャースは優勝した時に、家族総出で喜びを共有していた。つまり会社の宝が入社したのなら、宝なんだからその血を絶やす事無く、その血を

引き継いで貰わないとならない。ただリスクを負うから、会社もリスクを負わないと・・・だから、転勤無し。勤務地は1回だけ自分で変更あり。

そりゃいつか結婚するだろうし、相手の都合もあるだろうから。それでむやみな転勤は無くなる。そして生活には住居。会社の敷地内に社宅があれば、通勤は

一切無くなり、定期券を購入しなくて良いのだから、その分のお金を回せるし、費用も労力も削減出来る。何なら食堂も用意したら良い。共働きも考え、

負担の軽減になるだろうし、何なら保育所も用意すれば、仮に離婚があったとしても、どちらでも働く事に支障は無い。給与としても親子3代も確保出来るし

それ相応の金額を提示しないと、野球ならFA、企業ならヘッドハンティングがあるだろうし・・・ただ親子3代の終身雇用、どちらもハイリスク・ハイリターンで無いと、普通な事と一緒。何なら家を買うと言うのなら、半分会社が負担。

そして何なら欲しい金額が給与となり、その見返りの仕事はこれ・・・って最初に開示してスタートすれば良い。こうなると、ほぼ大谷さんと一緒になる。

そしてその人のジュニアは、会社全体の宝となるから、もう誰もが知っている子になり、普通の小学生なら、先生と話すものだが、小学生で親の上司と話す事になる。

場合に寄っては、既に体験をしている場合もあるから、建築なら中学で測量や図面を引けたり、美容師ならある一定のカットなら出来たり、料理人なら、

既に修行的なものは学生の段階で終わっているから、職に付いた時には、経験日数だけになる。まぁ3歳から英語を習うって言うのを、実践のキッザニア。

全ての人がスタートからエリートになる。しかも優秀であれば、企業からその学校は枠を貰えれば、血が無くても入社が出来る。しかしこれは1代だから、

一般枠であり、世襲とは扱いは別になる。世の中には、いちげんさんって言葉とお得意さんって格差はあって、差はあって当然だと思うのね。確実に時代に

反するんだけどね。でも全員世襲だから。普通は世襲が少ないから反発が多くなるだけで、逆に会社全体が世襲なら世襲じゃない人が少ない事になる。

まぁ私立の学校なら、中学からだと内部、高校からだと外部みたいに、半々みたいなのがあるが、違うのね全員なのね。でも最初は一般でもその子の子供は

世襲になるのだから、結局次の代には同じになる。しかも学校サイドとも癒着枠が出来るし、また優秀な人材を確保出来るし、学校もその会社が有名になると、

ハクも付くだろうし・・・そんな会社に国の支援が付く。そもそもがゆとりなんて制度を作って、やっぱ辞めたって出来るお金があるのなら、ゆとりでは無く

徹底的なエリート集団育成って考え方に、お金が動いても何ら不思議じゃ無い。漠然と良い学校へ入って・・・では無く、子供の段階で何をするって決め打ち

なんだから、全員が大谷さんを目指す事になる。これが俺の掲げたプロジェクトXって言ったら、健さんが・・・何か嫌だなぁって。えー何で。だって、

世の中に無い超攻撃型福利厚生なんだけれど・・・って言うと、何か嫌だって。ほらルールは好み禁止だから、何が嫌なのか・・・って。完全に苦笑い。

そうなのね、かぐやにも先日かぐやのせがれにも話したんだけど、何か自分だけじゃ無くZ世代に受けない・・・って言われたのね。それも話すと、ですよね

・・・って。そこで気が付くんだけど、俺自体がそうだから何の違和感も無いのかぁ・・・って話。そもそもタイル屋のせがれでこんな事をしている。

もしこれが美容師なら、きっと後を継いだろうし、農家でも何かなぁと思いつつ、きっとやったと思うのね。完全なる土着民族だからなんだろうな。

その土地とその地域で生きる事に慣れちゃっていて、ただもし父がジプシーなら、移転、移転となっているのなら、それが普通と受け入れちゃうんだろうね。

だから良くも悪くも自分が無い。良く言うのだけれど、俺はスライムだから、握った人の掴み方で全てが決まるのね。悪意があればちぎれて分かれる。

ただそれで満足した奴がいても、消して死ぬ訳じゃ無く、分散したものがまた同じ形に戻る。それを容器に入れれば容器の形だし、両手で掴めば両手の形。

温度まで変わる・・・従順と言えば従順だが、こちらからの提案は無い。つまり最初はどうしますか?になる。その人に自分があるのなら、そうするには・・

と動けるが、どうしましょ?って言われても、スライムだし・・・ただひたすら落ちれば低い所に転がるだけ。上に上がる事は無いのね。こんな生き物だと

したら、順応性が高いのかもね。そこの場所の居場所を作ろうとするだろうから・・・つまり結論としては、こんな冗談な話でも、半分本音だったりする。

別に悪く無いと思うんだけどなぁって。確かにその人の人生はその人自身のものなんだけれど、良く言う人生がもう一度やり直せれば・・・的な発想で考えると、

経験値を元にやり直すつもりらしいが、何とも強欲な話だなぁって思うのね。そんなの当たる馬券知ってて買うようなもん。それを世襲って言うのは、血の繫がりありって事が、

実はその両親の経験値を植え付けられて、失敗の可能性を消す人生的な発想だと思うのね。そもそも自分で選んだのなら、どんな人生も受け入れれば良いだけで、

ゲームじゃ無いんだから、リセットなんか無いのね。つまり月並みだけど、このピンチを乗り切ると達成感と空虚感が一緒に来て、また次、また次、今度は

・・・ってやっている内に、思い出って歴史を作って、最後の日に何を見るのか?ただそれだけの日数の繰り返しが人生なんてもんだとして、長く生きてりゃ

楽しい事もあるだろうが、大半は大変な事ばかり。人といれば楽しいし、孤独にはならないが、縛られる制限がある。逆に独りなら、何の縛りも無いから、

好きに生きられるはずなのに孤独になる。お金もあって健康で、何もかも恵まれて本当に幸せか?って言えば、その人には他の苦労があったりするだろうし、

逆に貧乏だと生活に追われる・・・自由って言うのは、ただ好きに選択した結果の話で、その環境でどう生きたか?だけだと思うのね。勿論俺は・・・ね。

ここは俺のブログだから、あくまでも俺はね。強制もしないし、これが正義とも思わない。あくまで俺はって話。そう生きると、あぁ俺の成功を望んで、

待ってくれる人達がいて、家族ならまだしも他人さんが・・・ってね。それを何十年も・・・となると、待ちくたびれるだろうなって思えば、休む暇など無いし

、むしろお待たせしてすいません・・・って頭を下げるべきとも考える。応援して貰って生きるって言う側に、休まるなんてあるはずも無く、売れたら売れたで

その責任を背負わないとならなくなるだろうし・・・だからスライムが良い訳で。野球がやりたい・・・サッカーがしたい・・・って究極な人は職業にする。

勿論目指してわずかな人達がね。ただ何でも目指さないと、本気の人には負ける。それがもし職業なら、負ければ家族なんて無理・・・ただそれだけ。

きっとこの話の本意が健さんには伝わったと思うのね・・・そんな中、昨日の蕨のサンプル下絵に変化が・・・。良く思うのは、何かが降りて来て・・・

なんてミュージシャンが言うけれど、そんなのただ意識が強くなっただけなのね。例えば陸前高田に出張に行った。きっと出張に行かなければ、縁が無いまま終わっただろうね。

そもそも旅行に行く事は無いから。つまりそこの土地を調べて、そこの土地の感情移入をした。そして作品を残した。これに寄って思い入れが出来た。

そんな事を無意識として頭に残したまま、ニュースでロッテの佐々木投手が・・・って入ると、陸前高田出身の・・・って思い出す。つまりその回数が

多くなれば、ニュースがいつも良い事を取り上げられるよりも、不幸が発信されるから、悲しみが多くなるって話で、感受性豊かって言うのは、こんな事が

多くなる。何の経験もしていないのに・・・精神的に弱いとこの繰り返しに、日々の自分のストレスが加わるのだから、そりゃ厳しいものなのね。

話を戻して、要するにハムスターでは無く、魚に変えて、泉銀さんに行って、魚を見た。普通、泉銀さんの魚は丸のまま売っているのに、切り身が多かった。

切り身・・・刺し身・・・寿司・・・寿司。魚じゃ無くて寿司かっ・・・。

寿司モザイクって中々じゃないの?・・・寿司ネタを作ろうってね。すると、健さんもかぐやも面白いって。じゃそうするかねって事になったのね。

こんな時、神様がヒントくれたのかな?・・・って苦笑い。


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キウイとくじらの相席教室

2024-11-06 22:39:17 | モザイクタイル教室

今日はキウイとくじらの相席教室。まずはくじらから・・・とうとう完成したのね。

前回張り終わっていたから、目地からスタートして、ペンキを塗って完成。もうこの鯉は死んじゃったらしいんだけれど、とても良い感じに仕上がったのね。

その後、新作の話も出て・・・今の所、表札が一番候補。

キウイはコープみらい東京のスノーマン。何かサラッと作ったんだけど、実際の時は、初めてタイルを切る人は、中々こうして簡単には出来ないだろうね。

ただ何かコツを掴んでくれると、余裕を持って完成すると思うのね。キウイは鼻をニンジンの形にしたけれど、実際は丸なんで、ボタンや目、鼻は決まりだけど、

大きさが不規則でも、どれもが使えたりするのね。まぁ場合に寄っては目地の代わりに紙粘土を使う予定なんだけれど、もしかすると自分で・・・なんて

言うのも考えてはいるのね。まぁでもやっぱり、くじらの完成。悪戦苦闘みたいになったが、何だかんだこうして終わると、中々の作品になったのね。

そんな教室の後は、かぐやの送迎。さてどうやってこの数日、有意義に過ごせるかな?って感じ。


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