katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

結局かぐやと相談した結果・・・・

2016-04-03 06:59:20 | モザイク作家
ひとまず金具付けを終えて、下地作りはメドが立ちそれでは・・・・となったのだけれど、結果的には販売目的の作品作りは中止にした。
理由はこんな事から・・・・まず本来販売を目的ともしているアクアリウムバスでは、お客さんも購入目的があり、折り合いも付きやすい。

しかもかなり爬虫類色が濃く、そう言う意味ではモチーフも絞られていて作りやすくもあった。更にもしそこで売れ残ったとしても、その後すぐに栃木のイベントがあり続け様に2箇所見せられる事もあった・・・・こんな事が理由の1つ。売るって考え方からすればね。

他の理由としては、上手くなって来た人達が更にもう1歩となるには、何でも課題の克服みたいな事が必要になる。要するに簡単に言えば、高校までは授業の時間割があって、大学からは自由になるように、普通は決められたもので練習をして、後は各自ご自由に・・・になるものなんだけれど、

俺のとこは最初から自由なスタートする。これに慣れると自分で何でも決められるのだから、大学のようになる。ただ学校の場合は、目標として大学に入るとか、就職するとかがあるから、半ば強制のようなものがあるから、自然と努力や結果が判りやすい。

じゃそんな事を踏まえて、趣味ってひと言でみんなは一体何処まで出来れば良いんだろうか?そんな時に弟子なら仕事がして見たい・・・って事だから・・・って意味が判りやすい。じゃ生徒さんは?・・・となった時、上手くはなりたい・・・って人はいると思うのね。

その時に上手くなるって何だろう?どうする事なんだろう?となった時、趣味だから・・・・始めたばかりなら何も考えずに出来たら嬉しいし、出来たら楽しかったと思うのね。けれど3年、5年になって・・1年目の作品と区別が付かなかったらそれでも趣味だから・・・楽しいって言えるのだろうか?

言える人は特に問題は無いんだけれど、嫌だな・・・それは・・・って人だったり、単に楽しかったからって人だったりすると自宅でもやったりする。そうすると学校で習った事を復習だったり、予習だったりするみたいな事になるよね?・・・・当然上手くなるペースは速まる。

それは一体何が上手くなったか?それが切る事や張る事なのね・・・最初はね、道具や素材に慣れる事だから。ただそれが慣れて来た時、それでも上手くなりたい・・って気持ちがあると、一体何をどうするか?になると、下絵・・・音楽に楽譜、建築に図面があるように、下絵を描くって課題になる。

こんな事は何度も言って来たが、そこまで来ているとかなりオリジナル色が濃くなる。じゃその後に何がある?・・・ここからももっと上手く・・・って思う人がいたとしたら?・・・それが展示で人に見て貰うだとか、販売して人に購入して貰うとか、人の評価を受ける・・・こんな事になるのね。

でも趣味なのだから、人に評価を受ける必要性は無く、自己満足で良いはずなのだから。けれど、続けるのだから・・・と更に上手くなりたいとなった時、それなら・・・って事なら判りやすいので、展示販売となる。まるでプロみたいに売る・・・ただ毎日じゃないからたまにね・・・。

それを製作の刺激とするか?うっとうしいとするか?はその人のスタンスなんで特にそこも問題無いんだけれど、こんな判りやすい話では無く、何と無く・・・って場合があるのね・・・人って気紛れだから・・・。何と無く気が付くとそうなった・・・・ってね。

例えば俺。別に最初からこんな事をしよう・・・って目的意識があった訳じゃなくて、段々とこうしよう・・・となったのね。中々、目的意識って言われても、どうする?って大人でも決め兼ねる事だらけで、2つに1つならこっちが良いって決めやすいが、大抵はそんなにはっきりはしないもの。

簡単に言えばランドセル。昔なら決めるのは素材のみ。牛かクラリーノか?大抵は金額で決定。けれど今は、とんでもない数の色、形、アクセサリー的な加工・・・・ありとあらゆる選び方があって、しかも値段も幅があるから、単純に金額だけの問題じゃない・・・。

こう言うものが本来の悩み・・・になる。当然、こうなるとランドセル1つでこんなだから、何もかもに選択があって、その中から選ぶ事を練習しているようなものだから、選択するって力が必要になる。これを不自由と自由とする・・・って話は簡単なんだけれど、そんな単純な事じゃなくて、

つまり何と無く決めるも良しだし、色々検討するのも良いんだけれど、ランドセルなら6年間使う事になるのね。けど6年後の好みなんて例え自分であっても判るかな?・・・・その時に入学式って期限があるから決めなきゃならないんだけれど、趣味って場合どうなる?・・・・しかも自由・・・。

ほぼ下地はご希望に沿って作るのだから、かなりの自由ではあるはずで・・・そんな中、自由で上手くなって来た人達が趣味のくくりでどうする?ってなった時の提案として、仕事にしたい訳じゃないけれど・・・・けど特に目標とか目的とかある訳じゃないし・・・でも・・・。

こんな場合の提案が自由だった人へ・・・不自由はいかが?なのね。何せ普通なら先生の提案通りに進むものだったりするのに、ここはある意味自由。
そこに慣れてしまったのなら・・・・そこに刺激も無いのなら・・・・逆も真なりで、不自由体験はどうだろうか?って話ね。

そんな理由からも、展示販売をグループ展のように扱う方法を考えたのね。何せ中々そう言う機会が無いし、小物なら街のお教室でも学校でも、同じものをみんなで展示なんて事は良くある話で、特にビックリする話じゃないんだけれど・・・・俺のとこだとその普通が異常に感じたりするのね。

何せ自由過ぎるから・・・あははは。だから良くも悪くも足並みが揃わないから、小物なら参加しても良いかな・・・って人が集まるのなら、割と気楽に参加出来るかな・・・と考えて見たのだけれど・・・・売れるとは限らないし、残ったらどうするか?も考えないとならないし・・・。

ならば売れそうな場所が良いし、そんな理由も踏まえて今回良いかな・・・と思ったのだけれど、大人の事情でアクアリウムバスでの販売が難しくなったので、栃木1箇所出の販売になってしまう。それでも仕方無いか・・・とやる気はあったのだけれど、栃木のホームページに正式な発表があり、

ただそれを良く見ると、あくまでびれっじさんの中での事で、単独では無い。しかもこの話の出所がアクアリウムバスに関係している事からも、大人の事情を踏まえると、お教室に専念する事が正しいだろう・・・となる。更にかぐやに俺はやる方とやらない方のどっちが大変?って聞くと、

どっちもだと思います。って。そうだな、やればやったで下地作成は大変だろうし、やらなきゃやらないでストレスにもなる。それで?そんな曖昧な説明じゃなくて意見だよ・・意見。すると、やらない方が大変って言うのね。だろうな・・・じゃ辞めるか。って話になる。

要するにかぐやの言いたいのは、今までは何でもかんでもやると決めるとぎりぎりまでやった。それをキウイの表現ではやりたい放題とも言われている。あははは。もっと適正は無いのか?・・・って話だったのだけれど、やり尽くさないと結果が悪かった時に後悔があるから・・・とやっていた。

けれど今回の場合、本当にやりたい事か?と問われた時に、みんなも巻き込む事になると、別にどうしてもやらなきゃならない事では無く、それならそう言う機会を待つ事の方が訓練になるだろう・・・となった。やる方が気楽なら、やらない事を取ってストレスの勉強とする・・・ってね。

以前からかぐやには遠方で参加しづらい事を、来る事よりも来ない事の勉強と考える事を教えた。つまりそれは来たい人だから。その勉強がいつしか身になると、その時が来た時に来られない人の気持ちが本当に判る人になる。そもそも来られないのは売れていないからであって、その日が来れば、

嫌でも来る事になる。逆な人は来る事が勉強になるだろうし、いずれにせよ、さっきの不自由と自由の話と一緒。全ての事が正解と不正解の2つでは無く、仮に今正解の結果になったとしても、そっちにも正解と不正解はあるし、仮に今不正解の結果だったにせよ、そっちにも正解と不正解はある。

つくづく思うのはかぐやの娘。一時は勉強して勉強の学校へ行こうとしていたのに、英語の単語を覚えなきゃならない時期に絵画教室に行き、結局美術の学校へ行く事になった。けれど、それは勉強もしていたからの結果と、本当に好きなものを見つけた結果で、本当に頭が下がる。

目指した娘も行かせたかぐやもね。普通は止めるだろうね。けれど、結果が手に入ったからめでたしめでたしであって、それも今は・・・なだけで、就職になったら、またそこにハードルはあるだろうし、しかしながら最初から目指していた訳では無かった。けれど、そう言う気持ちになるまでの間

、そこまでもきちんとやってて、けれど挫折があった時にきちんと自分を見つけた結果だった。きっとまたその時もそうやって見つけると思うのだけど・・・大人の趣味って何処が落とし所が難しくてね・・・・増して上手くなった人達は特にね。

いずれにせよ、得意な事、好きな事は黙っててもやるだろう・・・問題はやりたくないな・・・嫌いだなって事。こっちは強制でも無い限り中々手は出しづらい・・・・でも、塩がより甘くするように、逆も真なりって話もあるって事。まっ、今回やったとしたら甘塩。

けれど、やらないのだから、何も無いか?と言うと、もしやろうかな?って人がいたとしたら?その人にはやらなかったストレスと、やらなくて良かったぁって安堵感があったはずなのね・・・・その葛藤があるか?無いか?は何も考えなかった時よりも勉強になる。

そしてもし次回にその気持ちを持っていたのなら・・・それがその作品にぶつける事が出来たのなら、それが岡本太郎さんの芸術は爆発だ・・・のセリフのように、自分の思いのたけを作品に・・・ってな比喩になるのかな?と思ったりもする。

いずれにせよ、そんな事も踏まえて余力を持って辞める事にした・・・しかし、とは言えこうしてまたお客さんのいない作品を新作を進めないでやるのだから、ストレスは抱えながらではあるが、意地も張っている分、そこそこな作品ではある。ただねぇ・・・楽しくは無い。あはははは。


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