今日はゆづと、ゆづの妹さんのお教室。画像は取り忘れじゃなくて、1枚も張って無いから・・・そして更に7時間はいたとなると、何か不思議じゃないかな?・・・ただこれが弟子であったり、くじらのように話のみでもお教室が成立するのなら不思議な事は1つも無い
けれど・・・中学生・・・果たしてそこまで必要かな?って思う事は何度もあるが、もしそれを無くしたら、ゆづ教室は今後先生としてでは無くて、単なる材料の手配屋になる・・・って事になる。
一体それはどんな意味か?と言うと、最初は金魚のモチーフだった。じゃどうしたい?となると、リアルに・・・となると、お互いに金魚の知識がそこそこ一般の人よりもあるので、こんな?こんな?とやり取りが出来たのね。それは例えニュアンスが違っていても、
リアルな金魚って意味では同じ方向を向いていたからなのね。けれどその後バックとなると、一体どうしたい?となった時に、さっきのリアルに・・・って感じの話のように、明確な答えが無い。これが例えば可愛く・・・とか、波紋とか、男っぽくとか・・・
何か手掛かりになるようなワードがあれば、って事はこんな感じ?って提案も出来るが、金魚は出来ました・・・後はどうしたら良いですか?では、一見合っているようだけれど、それは質問では無く、丸投げで何も考えていない事になる。
つまり自分のやりたい事を言った上で相談になるのであって、どうしたら?って言うのでは自分が無いと言う事になる。ではこの意味が判らない人がいたら・・・の説明としては、例えばどうしたら良いんですか?の場合、それじゃ・・・とこんなのは?こんなのは?と
提案を何個もしたとする。それを踏まえてどうする?って質問をすると、ん・・・・って何も出なかったとすると、進みたいのに、ん・・・って事になるから、単に時間だけがどんどん経って行く事になる。そこで何も出なければストレスにも繋がるのね。
そうなると、そこには反応が無かったとなり、次なる提案を追加する事になる。所が沢山増えれば増えるほど、迷いも多くなる訳で・・じゃ言わない方が良いのか?言う方が良いのか?となったりする訳で・・・言えば選択が増え、言わないと静寂が続く・・。
静寂は緊張感も生んだりする訳で・・・それで苦し紛れに選択をすると、その決定から、次の展開への話になるのだから、覚悟が無かったりすると、全く違う方向に連れて行く提案を次々にされる事になる。
ある意味当たり前であって簡単な話なんだけれど、モザイクをやっていなくても判りやすいのは、こんなのはどうかな?例えば、お教室に通っているのだから、習っているって事で料理教室に置き換えたとする。つまりゆづはゆづのオリジナル料理が作りたい。
と通っている事になる。そこでどんな料理が良いんだい?って質問に、金魚と答えて魚種まで選んだ。つまりカレーを選択して、スパイスまで決めた感じになると思うのね。じゃ残りはバックとなるのだけれど、つまり付け合わせ的なものになると思うのね。
その時にさっきのカレーの場合、スパイス・・つまり魚種まで決めて来たのだから、福神漬けはこんなのを考えていますとか、水は軟水よりも硬水が合うと思うんです・・・だから、そう見せる為にはどうすれば良いですか?なら理解出来るのね。
けれど、後はバック・・・興味が無くなったとは言わないけれど、ある意味、金魚の時よりもはっきりしなくなったのね。勿論、興味が無くなったり、後はバックと油断しているのでは無い事も判っているのね。ただ自分がプレッシャーが掛かっている事に、
気が付いていないだけなのね。要するに今までの金魚までの段階が上手く行っていると思う自分がいるから、それを落としたくない気持ちからだとするのなら、落とさないように考えれば良いだけなのね。そう今まで通りに普通にね。金魚を決めたようにね。
それをメインデッシュのテンションと同じ気持ちで出来ないから、こうして迷うだけなのね。じゃ金魚の時のように何故提案出来ないか?ここね。例えば、金魚は好きなものを選んだのね。じゃバックは?気が付いた人は簡単な話で、決まったものが無いから。
そもそも金魚は金魚って分野があって、その魚種からの選択って話だけれど、バックは?何かとなった時に、どんなバック?って色んな分野があったりして、もはや膨大な資料の中から・・・って事になるし、もっと言えばそう言う考え方をして探したか?
それには1つの考え方として、俺のスタイルの1つはモノには必ず理由がある・・・って考え方。つまり絶対エースの金魚をどう見せるか?それをまるで生きているように・・・そう何々のように・・・比喩。それが泳ぐと言うのなら、波紋とか、エアーとか。
風景、背景なんて事になれば、浮草みたいなものだったり、上見ならどんぶりのような容器の模様とか、色々イメージ出来たりする。更に言えば、金魚には更紗と言う、赤と白だったり、キャリコと言う、浅葱色って独特の青や黒などがまだらに入っている、
そんな色合いなんてものがあったりして、そこから膨らむ事は無いか?とか、そう言う何らかの金魚をより金魚に見える念を押すようなやり口があったりすると思うのね。こうして1つ口にすれば、逆も真なり。つまりそんなの関係ねぇってスタイルがある。
一切関係無いから、綺麗ならOK。みたいなものもアリとなる。つまり綺麗な模様の繰り返しなんて事になったりする訳で。がしかし、ここで画像が無いんだけれど、ゆづはその金魚の命とも言える色を無くしたのね。そうなのね、特徴を無くしセピア色にした
のね。これで有利な展開を捨てたのね。当然、バックにも使えない事になる。そうね、常に失敗に陥るキーワードの色選びって事は起こらないけれど、そうなるとどうすれば良いか?となると、色は捨てた感じになるから形が全てって感じになるのね。
つまり形を大事にして、その上にわずかなセピア色の何色か?を使い分けをする・・・そんな考え方になったりすると思うのね。ってな事を踏まえて、ゆづと俺のやり取りはどうなるか?って事になると、簡単な話で、進みたいから何かを選ぶ。
選んだら自宅でも出来るように・・・と繰り返せる為のサンプルの場所で練習&模範になる事をアトリエで作る。それによって、自宅ではそれを見本に進めば反復なんで迷わないで済む・・・こんな事になるのだけれど、これは選択した事が正しかった場合。
けれどもし、苦し紛れだったり、ノリや感のその場の流れだったりすると、自宅での時間が長ければ長い程、気紛れだったり、良く考えたら・・・と変更したくなる。けれど、変更すればそれが良いか悪いか聞きたくなる・・・。けれど、聞くには来ないと。
つまり進めない・・・けれど、そっちの方が良いと思えば、そっちでやりたい・・・そんな気持ちでやって来る。所が先日決めた事を覆すのだから、また1からになる。先日はその1の展開から2や3、いやもっと話は展開していたと思うのね。しかしまた1から。
またその1に合う2以降探し・・・そもそもゆづの決めて来たのは、1の変更だけなのだから。ではこれを理解するには、話を大きくすべきなのね。では将棋の藤井君。同じ中学生だけれど、その1手を感に頼って打つかな?いや絶対に無いな・・・きっと。
つまりその1手は考え抜いた1手なんだけれど、けれどその1手は時間制限の中で考えた1手。いつまでも好き勝手にやっているのでは無い。これが労作展で無く、趣味ならそれで結構なんだけれど、時間制限のある制作なのね。夏だけのね。
金魚の時は金魚を見て似せるで済んだ。けれど、バックは考えないとならない。考えるって言うのは、答えが出るまで何も出来ない。ただ時間だけが過ぎて行く・・・順調で結果が伴っていた金魚だったとするのなら?思うようにならないバックのストレスは
大きいはず。焦った1手は全てを覆す1手になるし、最高の1手をアトリエに来てからアドリブで考えたような事では納得しないゆづの性格上、今後のやり取りは非常に時間が掛かるし、思うように進まないストレスを感じたりもすると思うのね。
更になのね・・・当然、ここで決まった事は、その分の材料を持って行く事になる。がしかし、変更してしまうと、当然足りなくなったり、持って無かったりもする。また進まない・・・更に、進みたいのに進めない。ここなのね、人として問われるのは。
自分で決めて、自分で変更をし、足りなくなっただけで、手持ちのタイルはあるはずなのに、1.2.3・・・と順番に進みたい、切りが良く進みたい・・・と思うが故、何も進めないなんて事になる。これが弟子ならばかちぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃん。
となるが、流石に中学生・・・こんな場合、どんな言葉が適切なのかな?単なるエゴだの、我を通しているわがままなだけなのに。
ここまで上手くなったのなら?必要なのは、テクニックやセンスなんてくだらないものでは無く、作り手の心持ち1つなのね。
病は気から・・・なんて言葉があるように、気持ちの気ってのは、見えないものなのだから。いくら腕が良くても、心1つで気分がグラグラするのでは、テクニックもセンスも活躍する事は出来ないのね。まっ、簡単な話。
要するに、人がやる事は必ず失敗はある。本当の真価を問われるのは、その時にいかに立て直すか?切れずに持ちこたえるか?そしていかに挽回の起死回生の1手を打てるか?なのね。今頃、ゴルフの松山さんは凌いだ後の最終日を迎えているはず・・・。
正直、中学生の宿題にこんな事が必要か?と何度も思ったが、もしこれを言わないと決めるのなら、ゆづの材料が無くなったら、言われた通りに運んであげるだけの人になる事になる・・・それなら先生は辞めて商売人になれば良いのね。
技術を売るから指導料を頂く訳で、材料の手配なら商売をすれば良いのね。当然、それと並行にゆづは俺を先生と呼ばなきゃ良いだけ・・・その確認もしつつ、俺は先生をする方向になったのね。とても長い時間、張ったり切ったりしない、考えるだけの時間
・・・きっと疲れたと思うのね。そんな中、次回完成したらアップするけれど、妹はゆづとのやり取りを聞いていて、ゆづが疲れた・・・って言うと、何にも張って無いじゃん・・って言うので、確かに何もしていないようだけれど、俺との話は、1時間でも
本気で向き合えばヘトヘトになると思うよ・・・だって俺の話の大半は自分の意見を聞かせてよ・・・のみなのだから。自分を語れない人には苦痛のみになるし、根拠の無い感だけの意見は意見とは認めないし・・・
そもそもその感で進む事を、より良くするには?って事を教えて?って余りにも理不尽じゃないのかな?・・・ってな話をすると、妹が確かに先生の話疲れるぅぅって。一発撃沈って話。
けれど・・・中学生・・・果たしてそこまで必要かな?って思う事は何度もあるが、もしそれを無くしたら、ゆづ教室は今後先生としてでは無くて、単なる材料の手配屋になる・・・って事になる。
一体それはどんな意味か?と言うと、最初は金魚のモチーフだった。じゃどうしたい?となると、リアルに・・・となると、お互いに金魚の知識がそこそこ一般の人よりもあるので、こんな?こんな?とやり取りが出来たのね。それは例えニュアンスが違っていても、
リアルな金魚って意味では同じ方向を向いていたからなのね。けれどその後バックとなると、一体どうしたい?となった時に、さっきのリアルに・・・って感じの話のように、明確な答えが無い。これが例えば可愛く・・・とか、波紋とか、男っぽくとか・・・
何か手掛かりになるようなワードがあれば、って事はこんな感じ?って提案も出来るが、金魚は出来ました・・・後はどうしたら良いですか?では、一見合っているようだけれど、それは質問では無く、丸投げで何も考えていない事になる。
つまり自分のやりたい事を言った上で相談になるのであって、どうしたら?って言うのでは自分が無いと言う事になる。ではこの意味が判らない人がいたら・・・の説明としては、例えばどうしたら良いんですか?の場合、それじゃ・・・とこんなのは?こんなのは?と
提案を何個もしたとする。それを踏まえてどうする?って質問をすると、ん・・・・って何も出なかったとすると、進みたいのに、ん・・・って事になるから、単に時間だけがどんどん経って行く事になる。そこで何も出なければストレスにも繋がるのね。
そうなると、そこには反応が無かったとなり、次なる提案を追加する事になる。所が沢山増えれば増えるほど、迷いも多くなる訳で・・じゃ言わない方が良いのか?言う方が良いのか?となったりする訳で・・・言えば選択が増え、言わないと静寂が続く・・。
静寂は緊張感も生んだりする訳で・・・それで苦し紛れに選択をすると、その決定から、次の展開への話になるのだから、覚悟が無かったりすると、全く違う方向に連れて行く提案を次々にされる事になる。
ある意味当たり前であって簡単な話なんだけれど、モザイクをやっていなくても判りやすいのは、こんなのはどうかな?例えば、お教室に通っているのだから、習っているって事で料理教室に置き換えたとする。つまりゆづはゆづのオリジナル料理が作りたい。
と通っている事になる。そこでどんな料理が良いんだい?って質問に、金魚と答えて魚種まで選んだ。つまりカレーを選択して、スパイスまで決めた感じになると思うのね。じゃ残りはバックとなるのだけれど、つまり付け合わせ的なものになると思うのね。
その時にさっきのカレーの場合、スパイス・・つまり魚種まで決めて来たのだから、福神漬けはこんなのを考えていますとか、水は軟水よりも硬水が合うと思うんです・・・だから、そう見せる為にはどうすれば良いですか?なら理解出来るのね。
けれど、後はバック・・・興味が無くなったとは言わないけれど、ある意味、金魚の時よりもはっきりしなくなったのね。勿論、興味が無くなったり、後はバックと油断しているのでは無い事も判っているのね。ただ自分がプレッシャーが掛かっている事に、
気が付いていないだけなのね。要するに今までの金魚までの段階が上手く行っていると思う自分がいるから、それを落としたくない気持ちからだとするのなら、落とさないように考えれば良いだけなのね。そう今まで通りに普通にね。金魚を決めたようにね。
それをメインデッシュのテンションと同じ気持ちで出来ないから、こうして迷うだけなのね。じゃ金魚の時のように何故提案出来ないか?ここね。例えば、金魚は好きなものを選んだのね。じゃバックは?気が付いた人は簡単な話で、決まったものが無いから。
そもそも金魚は金魚って分野があって、その魚種からの選択って話だけれど、バックは?何かとなった時に、どんなバック?って色んな分野があったりして、もはや膨大な資料の中から・・・って事になるし、もっと言えばそう言う考え方をして探したか?
それには1つの考え方として、俺のスタイルの1つはモノには必ず理由がある・・・って考え方。つまり絶対エースの金魚をどう見せるか?それをまるで生きているように・・・そう何々のように・・・比喩。それが泳ぐと言うのなら、波紋とか、エアーとか。
風景、背景なんて事になれば、浮草みたいなものだったり、上見ならどんぶりのような容器の模様とか、色々イメージ出来たりする。更に言えば、金魚には更紗と言う、赤と白だったり、キャリコと言う、浅葱色って独特の青や黒などがまだらに入っている、
そんな色合いなんてものがあったりして、そこから膨らむ事は無いか?とか、そう言う何らかの金魚をより金魚に見える念を押すようなやり口があったりすると思うのね。こうして1つ口にすれば、逆も真なり。つまりそんなの関係ねぇってスタイルがある。
一切関係無いから、綺麗ならOK。みたいなものもアリとなる。つまり綺麗な模様の繰り返しなんて事になったりする訳で。がしかし、ここで画像が無いんだけれど、ゆづはその金魚の命とも言える色を無くしたのね。そうなのね、特徴を無くしセピア色にした
のね。これで有利な展開を捨てたのね。当然、バックにも使えない事になる。そうね、常に失敗に陥るキーワードの色選びって事は起こらないけれど、そうなるとどうすれば良いか?となると、色は捨てた感じになるから形が全てって感じになるのね。
つまり形を大事にして、その上にわずかなセピア色の何色か?を使い分けをする・・・そんな考え方になったりすると思うのね。ってな事を踏まえて、ゆづと俺のやり取りはどうなるか?って事になると、簡単な話で、進みたいから何かを選ぶ。
選んだら自宅でも出来るように・・・と繰り返せる為のサンプルの場所で練習&模範になる事をアトリエで作る。それによって、自宅ではそれを見本に進めば反復なんで迷わないで済む・・・こんな事になるのだけれど、これは選択した事が正しかった場合。
けれどもし、苦し紛れだったり、ノリや感のその場の流れだったりすると、自宅での時間が長ければ長い程、気紛れだったり、良く考えたら・・・と変更したくなる。けれど、変更すればそれが良いか悪いか聞きたくなる・・・。けれど、聞くには来ないと。
つまり進めない・・・けれど、そっちの方が良いと思えば、そっちでやりたい・・・そんな気持ちでやって来る。所が先日決めた事を覆すのだから、また1からになる。先日はその1の展開から2や3、いやもっと話は展開していたと思うのね。しかしまた1から。
またその1に合う2以降探し・・・そもそもゆづの決めて来たのは、1の変更だけなのだから。ではこれを理解するには、話を大きくすべきなのね。では将棋の藤井君。同じ中学生だけれど、その1手を感に頼って打つかな?いや絶対に無いな・・・きっと。
つまりその1手は考え抜いた1手なんだけれど、けれどその1手は時間制限の中で考えた1手。いつまでも好き勝手にやっているのでは無い。これが労作展で無く、趣味ならそれで結構なんだけれど、時間制限のある制作なのね。夏だけのね。
金魚の時は金魚を見て似せるで済んだ。けれど、バックは考えないとならない。考えるって言うのは、答えが出るまで何も出来ない。ただ時間だけが過ぎて行く・・・順調で結果が伴っていた金魚だったとするのなら?思うようにならないバックのストレスは
大きいはず。焦った1手は全てを覆す1手になるし、最高の1手をアトリエに来てからアドリブで考えたような事では納得しないゆづの性格上、今後のやり取りは非常に時間が掛かるし、思うように進まないストレスを感じたりもすると思うのね。
更になのね・・・当然、ここで決まった事は、その分の材料を持って行く事になる。がしかし、変更してしまうと、当然足りなくなったり、持って無かったりもする。また進まない・・・更に、進みたいのに進めない。ここなのね、人として問われるのは。
自分で決めて、自分で変更をし、足りなくなっただけで、手持ちのタイルはあるはずなのに、1.2.3・・・と順番に進みたい、切りが良く進みたい・・・と思うが故、何も進めないなんて事になる。これが弟子ならばかちぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃん。
となるが、流石に中学生・・・こんな場合、どんな言葉が適切なのかな?単なるエゴだの、我を通しているわがままなだけなのに。
ここまで上手くなったのなら?必要なのは、テクニックやセンスなんてくだらないものでは無く、作り手の心持ち1つなのね。
病は気から・・・なんて言葉があるように、気持ちの気ってのは、見えないものなのだから。いくら腕が良くても、心1つで気分がグラグラするのでは、テクニックもセンスも活躍する事は出来ないのね。まっ、簡単な話。
要するに、人がやる事は必ず失敗はある。本当の真価を問われるのは、その時にいかに立て直すか?切れずに持ちこたえるか?そしていかに挽回の起死回生の1手を打てるか?なのね。今頃、ゴルフの松山さんは凌いだ後の最終日を迎えているはず・・・。
正直、中学生の宿題にこんな事が必要か?と何度も思ったが、もしこれを言わないと決めるのなら、ゆづの材料が無くなったら、言われた通りに運んであげるだけの人になる事になる・・・それなら先生は辞めて商売人になれば良いのね。
技術を売るから指導料を頂く訳で、材料の手配なら商売をすれば良いのね。当然、それと並行にゆづは俺を先生と呼ばなきゃ良いだけ・・・その確認もしつつ、俺は先生をする方向になったのね。とても長い時間、張ったり切ったりしない、考えるだけの時間
・・・きっと疲れたと思うのね。そんな中、次回完成したらアップするけれど、妹はゆづとのやり取りを聞いていて、ゆづが疲れた・・・って言うと、何にも張って無いじゃん・・って言うので、確かに何もしていないようだけれど、俺との話は、1時間でも
本気で向き合えばヘトヘトになると思うよ・・・だって俺の話の大半は自分の意見を聞かせてよ・・・のみなのだから。自分を語れない人には苦痛のみになるし、根拠の無い感だけの意見は意見とは認めないし・・・
そもそもその感で進む事を、より良くするには?って事を教えて?って余りにも理不尽じゃないのかな?・・・ってな話をすると、妹が確かに先生の話疲れるぅぅって。一発撃沈って話。