今日は午前中は父の定期健診で病院、午後から2組中学生教室。と言う事で、まずは1人目。ここは2年目の子で、受賞者。となると、やはり凝った事を考えてしまうもので・・・ただ本人は作りたい一心ってだけで、余り自覚は無かったりする。
例えば、野球がしたい・・・と思って、クラブに入ったとする。簡単な話で、物事って言うのは、ありとあらゆる事が結果1つで変わって行くもので、例えばいきなりレギュラーだとする。でも結果が出なければ変えられるし、結果が出ると、3年間
レギュラーだったりもする。他には1年では補欠だったが、2年からレギュラーになる事もあるかも知れない。しかし結果が出なければ、補欠に逆戻りなんて事もある。そしてもしすかすると、3年間補欠になってしまう事もあったりする・・・。
こんな事は単純な話で、もっと複雑なのは、心の部分。1年からレギュラーなんてなれば、当然先輩からの圧が掛かったり、打てなかったり、守れなかったりした結果1つで、あんな程度なのに・・・みたいな事になる。心が弱いとそこで終わる。
では1年間の補欠の努力を経て、2年目に勝ち取るとする。もう戻りたくない・・・と思えば、必死感が伝わる。しかも、同じように何人かレギュラーになった仲間もいるだろうから、1年でレギュラーになった特別感は薄い。
勿論、結果次第で逆戻りなんて事もあるし、一緒にレギュラーなんて事もあれば、どちらかが落ちるなんて事もある。そして3年間レギュラーでいられる者もいれば、3年間補欠な者もいる。この両者の3年って言うのが凄い事で、
片や色んなプレッシャーを乗り越え技術を認められた栄光の3年間になる。しかし補欠の3年間は努力の結晶なのね。諦めれば楽だったのに、野球がしたい・・・と入ったのに、野球らしき華々しい試合には出られず、黙々と過ごしたはず。
この3年間で得たものは、諦めない・・・それ1つ。けれど、そこでは華は咲かなかったが、この諦めないって事が、他の場所で評価される事はあったりする。何せどちらも3年続いたのだから。途中下車はしなかったのだから。
こんな事が前提だとして、労作展の話に戻ると、はぁ?たかが学校の宿題じゃん。って人は、ここには来ないのね。そもそもたかが、って言うのなら、たかが幼稚園じゃんって言えば、英語やピアノ、英才教育なんて馬鹿じゃん・・・になる。
つまりへっぽこは嫌だな・・・って人が最低条件。そうなると、1年目って言うのはこちらも本人も楽なのね。何せ、初めてのおつかいみたいなもんだから。だって世の中って幼い子が独りで買い物しただけでも泣けるのね。
つまり去年まで小学生だった・・・と思えば、こんなに頑張った・・・ってだけでも十分な評価を受けるのね。しかし、しかしなのね・・・それが労作展って言うのは、恐ろしいつわもの揃いなのね。どの分野でも・・・。
恐らく100時間は最低掛けたであろう・・・みたいな作品ばかりなのね。これを前提に、自分の子が何をしてても本人も平気なら、特に問題は無く、3日で終わらせようが、一つもやらずに親の趣味の作品を持って来ようが大物なら大丈夫。
しかし、そんな事が出来ない、いやそれはどうかな?となると、どうしても習いたくなる。それが俺を含めた先生って事になるのね。ただスポーツ、音楽、勉強、どれを取っても塾なんてものは当たり前で、普通なんだけれど、否定する側から
すれば、林先生も否定するか?となると、まっ、俺ごときが・・・って言うのが本音だろうね。ただこうして来てくれる人がいる・・・そうなると、少ない数だけど、それでも必要って事になるから、こちらも期待に添いたいと思うのね。
ただ一体本人がどの程度必要か?で、こちらもそれに応じる事になる。つまりレギュラーならレギュラーに、補欠なら補欠に・・・出ないと、指導は厳し過ぎる事になったり、軽くなり過ぎたりする・・・ピッタリそれって言うのは難しい。
だから掛ける時間を聞きたくなるのね。持ち時間から出来る事と出来ない事を見極めたり、大きく気持ちが崩れないようにしたり、何しろ先の展開を読む・・・こんな事が仕事だったりするのね。塾の先生だって志望校位絞るでしょ?
当たり前の話で、それをただ言われた通りにやらせて、ただむやみに、ただデカい大作にさせない事も大事だったりする。逆に小さくすれば出来るような安易な気持ちも正さないと、実は小さくすると、似ていなくなる所か、全く出来ないなんて
事が多々あるのね。つまりそのモチーフでその子が出来ると思う大きさはこれくらい・・・みたいな感じにね。ただそれには掛かる時間は・・・って。それをクラブ活動、宿題、学校行事、体調・・・それらから捻出出来る時間の割り出し。
こんな事も当然役目だったりするし、もっと言えば、塾なら制作日誌についての話も必要になる。いくら作品が上手く見えても、見えれば見えるほど、制作日誌が稚拙に見えるだけ。作詞出来るからって作曲が出来る訳じゃ無いのね。
普通はね。勿論、シンガーソングライターばりに実力者なら別だけど。こんな事を1年目に話したとしたら、2年目は本人も知っているのね。じゃ、それを踏まえてどうする?なのね。恐らくタイルをカットするとか、張るなんて技術は、もう
教える事は無いから、必要なのは編曲みたいな行為なのね。普通作曲って言うのは、メロディやコードをピアノやギターで弾きながら歌う・・・こんな感じね。でも歌詞が無ければ、ラララって事になる。じゃそれを何処で発表する?
ドームなのか、公民館なのか?はたまたフェスのような野外なのか?それでアレンジも大きく変わって来る。そんな事を彼らが何をどう見せたいか?みたいな相談で、こんな感じ?こんな感じ?のやり取りの中で見つけて行く・・・結構時間の掛かる作業なのね。
まぁしかし、普通どんな事もこの程度のやり取りはあると思うんだけどね。ただそれが中学生だったり、労作展って事で必要かどうか?って話なんだけれどね・・・必要とするなら教えるし、必要で無ければモザイク教室だけをすれば良い。
ある意味、テクニックやセンスなら教えやすいしね。一生掛かっても教えられないのは、根気だと思うけどね。それとて、みんながマラソンしなくても、100m走を何本も走れば良いだけだし、それが創意工夫なのね。それが先生の腕。
いずれにせよ、色々知っているだけに2年生はきついだろうね・・・。まっでもお盆まで約束通り位に進めば、何とか質を落とさずにゴールって感じだと思うんだけどね。そんな中、コープみらいさんから連絡が入り、大宮は定員割れで中止に
なった。残念だけれど、仕方無いのね。ほらさっきの話・・・未来永劫続く訳じゃ無いのね。それでもまたがあるか?無いか?は先方からの依頼であって、またの機会の準備しか出来ないのね・・・。そんな後は、けんてぃ教室。
ひたすら模様の繰り返し。宿題もまずまずだし、けど何と無く大きく日程が空く場所があって・・・そこに1回入れて置こうか?って事で、お母さんに連絡・・・何せお金の掛かる事を中学生とは決められないからね。
ここはモチーフ勝ちって感じで、一番最後に来たけれど、何も無ければ普通に終わるはず。割と困らずに終われると思うのね。まぁしかし、労作展の子が二人続くと、緊張感が半端無い感じがするけれど、本気なのが楽しい気もするのね。
何せ見ていて、こっちも刺激になるのね・・・だって凄いから。