
今日は中学生教室からスタート。まぁあるあるな話なんだけど、タイルを張り終わると、気持ちとして終わったって気分でやって来るものなのね。そんな気分で目地入れを迎えるって言うのは、思いっきり油断して来ましたぁ・・なのね。
これは序の口で、楽勝だと思っています・・・今日1日で終わるんでしょ?今までよりも楽でしょ?・・・と決め打ちして来たとすると、一体どんな事が起きるか?・・・なのね。これは全て気分って言う気の問題なのね。
まず3時間の教室なのだから、どんな形であれ最低限3時間は掛かるのね。つまり最低限目地入れをします・・・って事になる。そう最低限ね・・・って事は、最高は一体何時間掛かるんだろうか?って疑っても良いんじゃ無いのかな?
そもそも勉強に運動に音楽に、何でも甲乙丙丁がある。とても残酷だが、物事には付き物なのね。ただ彼らのここまでの作品の内容は仕上がってしまえば、当然ながら教えた半分は俺の責任だから、十分な出来栄えになる方向ではある。
しかし、ボンドの付け方が荒っぽかったり、進む事を重視して手を汚したまま進めたり、細かいパーツだったりすれば、当然、汚し方が通常では無くなるのね。こんな事を踏まえて、一応お伝えはするのね・・・そうね、倍の時間が掛かった子も
いる・・・と。何しろここで教えて自宅でやって来るってスタイルは、自宅の時間が多くなる。その時切るって技術はみんな一緒であっても、張るって行為は、丁寧に・・・って言う気持ちだけなのね。そこが大きく変わる事が多々ある。
その時に感情移入出来れば、えっ?・・・そんな事あるの?と思えるが、そんな奴いるの?とか、俺は違うだろ?そこまでひどく無いだろう・・・とか、思っていたとすると、それがダメージの大小様々になるのね。
そう言う事を踏まえて、結構へこんでたのね。えーこんなに掛かるの?こんな事なら自宅でやって来れば良かったぁって。おいおい、取らないスタイルで今目地入れしに来ているのに、取っていたらもっと時間掛かっているだろう・・・とか、
もっと言ったら、まだそんな時間あったの?って話になるのね。そしたら苦笑いしてやってたけれど・・・。いずれにしても、気持ちが立て直って、しばらく帰れないな・・・ってなれば、終わるまでの辛抱になるのね。
人って簡単で、終わるまでの我慢になると、イライラとかし始める。予定通りにならないから。所が終わるまでの辛抱なら、ちょいと話は違って来るものなのね。我慢って言うのは、我の怠慢みたいな話だから、そこが変わらないと変わらない。
しかも根本なんてもんは、そう簡単には変えられないし・・・ただそれを辛抱に変えられるのなら、辛い事を抱える時間って言うのは、そこまでの間なのね。つまり目地入れが終わるまで・・・って時間制限がある中での話なのね。
まぁ簡単にまとめると、我慢は我慢すりゃ良いんだろ・・・みたいに結局何も変わらないまま時間が過ぎて、それを辛抱に変えられると、時間制限をせずに、終わるまでの時間って言う話になる。つまり覚悟の違いなのね。
そもそもが、簡単には真似の出来ない作品が張り終わっただけなのね。しかしまだ完成はしていないのね。なら姿勢としては、簡単には張り終わらなかったんだから、その目地は簡単には終わらないな・・・で良いんじゃない?
その2つが揃って初めて、そう簡単には真似の出来ない作品になるからこそ、受賞価値に値する作品になってもおかしくは無いと思うのね。しかし決めるのは先生だけど、凄い作品には見えるようにはなる。当たり前の話なのね。
こっちはそうなるように教えているし、それに応えるように時間を掛けてやってくれている・・・そうね、みんなに言っているんだけど、労作展が終わったら、是非町で行われる展覧会に出展して見て・・・と。それだけの価値はあると。
いずれにしても、気持ちさえ立て直せれば、やってればいつかは終わるし、張って来た時間を考えれば、たかだか4・5時間程度。何しろボンドを落とす時間が半端無いのね・・・。そして3人目も終わったのね。中々の作品になったのね。
昔、小学生の頃に来た時は、同じような終わり方になったけれど、あの時もあの頃の作品と考えれば、良くやったね・・・頑張ったね・・・の作品になったけれど、今回も中学生になって同じように、良くやったね・・・頑張ったね・・・それは同じとしても、だけど、大きく違うのは凄いね・・が付く作品になったのね。
そんな後は、コーナンへ。ハロウィン下地彫り。
これで40枚彫り終わったのね。ラストチョイ前になっちゃったのね。まぁ何とか終わって助かったのね。予定では明日終わる予定をしていたんで、1日前倒しの余裕が出来たのね。