今日は午後からさくら教室。それまでは新作のバラの続き。何しろ小さい作品なんで、良く例に使う話だけれど、米粒に文字が書けました・・・では出来ただけになる。でも美術や芸術と呼ぶもののくくりなら、美しく無いとならないでしょ?
つまり出来ただけでは完成度が低くなるし、そのくくりに入れない。果たしてこの小ささでそのくくりのグレードを保てるか?になる。下絵は描けたものの、若干不安が残っていたんだけれど・・・。結果としては・・・
まぁ何とか逃げ切ったかな?・・・って感じで1つ目のメドが立ったって感じではあるのね。このグレードのまま後4つ。ってそんな感じになれば良いんだけれど。さてそれでは、さくら教室。って言っても、まだ下絵を写している段階。
ただそんな中、ようやくトレーシングペーパーに写せたようで、それなら・・・と、下地の木を切って、今度は木に写す。ここが大事な所で、例えば知らないながらも想像すれば、昨日の美女と野獣の話のように、何か変だな?って違和感を
持てるものなのね。ではその違和感の話って言うのは、例えば体験だとしたら?3時間の中で、何がしたい?って話になる。それをそんなのモザイク教室に来たんだから、モザイクがしたいに決まっているじゃん。と言ったとする。
じゃモザイクって何?って事になると、言葉の意味は細かいって事なのね。じゃ細かきゃモザイクになるのね。それを踏まえて、どんなイメージで来たか?って質問をした時に、四角いタイルがいっぱい・・・とか、ガウディみたいな・・・とか
各々、ここに来ようとした時に見たものがあったりするのね。勿論、自宅ありきで、ここにこんなのがあったら良いな・・的に、ただタイルなものを・・・って方もいたりするのね。では1つずつ検証。まず四角いタイルがいっぱいの人。
これはドットって言うスタイルで、余り切る事の無いスタイルで、この場合、切らない事で絵や模様を作ろうとすると、大抵1㎡って言う、1mX1mの大きさが基準になるのね。ネットで調べて見ると判ると思うのね。
お付き合いのあるティーアートさんや、山周さん、エクシーズさんで検索されても良いけれど、全てそんな基準でスタートになる。でも一般家庭に1mって大きいでしょ?つまり建築扱いの話になると思うのね。だからカット無しって言うのは
作品が最低1mになると思って頂いても良いのね。ではガウディみたいな・・・の表現の人。この場合、クラッシュって言う、ランダムで砕いたような形のタイルで仕上げたような感じ。この場合はぺきぺきでやれば、かなり再現可能になる。
しかもコースターの大きさでも雰囲気は出るし、非常に初心者向きでもある。って言うと、切らないと出来ないみたいに思われるが、切らなくても出来るけれど、問題はその人の心に思っているグレードなのね。
何しろ切らなきゃ1㎡あたり数万ってものから、切ると20万は軽く越える・・・ってピンからキリまであるのね。まっ松竹梅の蕎麦みたいにね。ただ、ふり幅の桁が違うけれどね。そんな事を踏まえると、1㎡以下って言うのは、そう言う業者で
あっても、扱えない話なのね。それはグレードが保てないからなのね。例えば鳥のくちばし。くの字になっているのだから、四角いタイルでは繊細に表現は無理でしょ?どうしたって三角が欲しくなる。こんな単純な理由。
つまり大抵のお客さんは壁画が欲しい訳じゃないから、切らないと出来ないサイズになるのね。つまり大抵のお客さんはタイルを切らないとならないスタートになっているって話なのね。だから俺が切って・・・って言ってるみたいだけど、
実は来る前から大抵の方はタイルを切る意識は無く、小さいものを作りに来ているって事になるのね。だから戸惑ったりするのね・・・まさかタイルを初日から切るとは思わなかった・・って感じにね。勿論、切る気満々の方もいるけれど。
こんな説明をしてからの、これは体験の話で、こんな感じの中で3時間で仕上げる体験をする。この話に何分掛かっているのかな?・・・だから事前に何が作りたいですか?の問診をしとくのね。ある程度判っていれば、用意もしやすいから。
それで話を戻して、じゃ下絵を描いてとか、写して・・・とかになるでしょ?それ何分掛かる?仮に1時間も掛かっていたら?制作時間が少なくなるでしょ?じゃ仮にサクサクって上手い絵を描けたとするでしょ?その人は絵が上手い人なのね。
こう言うと、絵が上手い方が制作時間が長くなるから良いと思うじゃない?違うんだなぁ・・・絵の上手い人は上手過ぎて切れない場合があるのね・・・上手いが故に。逆に下手な人は下手な絵なんでしょ?つまりその下絵よりも上手く切れれば
高得点になる。常に良い事と悪い事は背中合わせなのね。この話も体験の話。結果としては終わらないと・・・なのね。何せ体験だから。つまり出来た・・・この表現。最初に戻って、出来ただけでも凄いけれど・・・米粒に文字の話。
でもね、美が大事って事になると、そうは行かないって話。じゃどうしろと?それがバランス。そもそもモザイクがやりたい・・・って思っていらっしゃるのだから、タイルを切る張る時間が、下絵の時間を上回らないとやった気がしない。
けれど、下絵をサクサクっと上手く描いて、いくら時間が多くても、思うように切れなきゃ結果は一緒でやった気に慣れない。出来栄えに満足出来ないからね。つまり掛かった分の時間の割合だと思うのね・・・。
方や苦労して絵を描いても、上手く描けなかった・・・やっとモザイクが出来る・・・頑張ったら下絵より良くなった。だから満足。でも方や下絵は数分、絵はいつも褒められる、後は張るだけ・・・でも思うように切れない・・・。
時間が掛かった割には上手く出来なかった・・・だから向いていない。不満足。こんな話。これをたった3時間で決めてしまうものが体験なのね。そこで継続は力なりとなると、続けると反復する事で誰でも上手くなれるのね。
ただその一見簡単そうな事が、難しいから言葉として、継続は力なり・・・って残している訳で。だから、男女平等なんて言っているようじゃ、全くそうじゃ無いって事なんだけれどね。話は戻って、そうなるとさくらは弟子なんで継続中。
しかも大作は何度かやっている。じゃいつも通り・・・ってやればいつも通りなんだけれど、じゃこの下絵に何時間掛かってる?そして今までの大作の下絵、何時間掛けた?これが全てなのね。今までは左程下絵に時間は掛からずにスタート。
でも今回はそこそこ時間が掛かっている。大作は何度かやって来たけれど、下絵と向き合う時間が長いのは初めてじゃないのかな?つまり何をどうするか?みたいな事をより繊細に時間を掛け考えた後に下絵・・・まさに構想の時間。
それをモザイクとして再現する・・・下絵の時間とモザイクの時間・・・これがバランス。でもそんなの最初から出来るのは、最初から100時間以上掛けようとする労作展の子供達位しか出来ないのね。みんな時間が無い中の制作だから。
でもさくらは弟子。慌てることも無く、いつか終わる・・・って言う気でやれば、ちゃんと数百時間の後には結果が付いて来るものなのね。労作展の子達のように。ただ果てしないけれどね。だから継続は力なりなのね・・・。
ただ今度はプロとして・・・の俺の場合、結果が全て。どんなに素晴らしいプロセスがあろうが、時間を掛けようが、別に関係無いのね。しかも掛けた時間は、タイムイズマネ―になるか?と言うと、そんな事は全く無く、世界一のブラック。
果てしなさ満載なのね。でも物は残る・・・はかない芸術のように、食べて無くなる、聞いて記憶、見て散って行くみたいに残らないものとは違って、一生良いって言われるか?恥をさらすか?・・・って事になる。小物と言えどKATSU。
楽には作らせて貰えないのね。