今日はkameyaさんの出張教室。まずは棟梁からなんだけれど、りょうさんと2人だったんだけど、先日のお母さんの作品を見たらしく、とても80歳の人の作品には見えないし、本当に上手だと。
まぁ2人にしても、これだけの作品を作るのだから、この技量で見た感想なんだから、どれだけ上手く見えるのかも判るし、逆に自分達の作品もそんな人達から、どう見えるかも想像は付くのね。
そんなこんなで今日の棟梁の花はかなり良くなっている。具体的に言えば、お母さんの花は確かに上手いんだけれど、棟梁の花は自分で描いたもの。その時に、ついつい描いた絵で完了してしまう
意識があったのね。例えば誰かの絵でモザイクを始めた場合、俺を含めた画力の乏しい人達の場合とは違って、画力のある絵は完成度が高い。つまりその絵の通りに切って張ると完成度が持続する
のね。所が画力が乏しい人の絵は、まだ完成度が低いはずなのね。だから、描けた事に満足しないで、切る時も油断せずに絵では無くて、画像を良く見て補足するような気持ちで作るのね。
その意識があると、無いのでは、繊細さが大きく変わって来るのね。そもそもそこが変わらなければ、これだけ切れる人が具体的に上手くなるって一体何?って話なのね。それは確かに画力アップ
も必要だけれど、そんなのすぐに簡単にアップはしないから、逆にここまで描ければ、徐々に改善くらいにしかならない。それよりも大事なのは、だからこそ意識改革なのね。何の何処を作って
いて、どうなっているのか?その時に、小さいものは絵と違って繊細に描き込む事は出来たとしても、切る事が出来ないのね。つまりどの線かを諦めないとならないのね。それがデフォルメ。
それをこれだけ切れると、かなり無理矢理入れようとしたり、大体こんな感じ・・・って具合に、その線の通りに切ろうとするのね。でもその画力は自分のだよ・・・って話。
それが画力のある人の線は、間違いが少ないのね。もっと雰囲気で言えば、楽譜通りの演奏が出来ないのは、自分の稽古不足であり、未熟な証拠なのね。所がそれがかなり弾けるとなった人が、
楽譜を見ずに弾ける・・・こんな感じでしょ?って言うのは、感で弾く事になるし、もっと言えば、その楽譜自前じゃん・・・その都度良いと思われる演奏でも良いはずなのね。大体こんな感じ
って下絵だと思うくらいで、単なる目安と考えて、その都度しっかり確認しつつの制作によって、画力のある人達に少しでも追い付く意識になると思うのね。それを描けた事で満足してしまっては
画力が恐ろしく上手くならない限り、その画力のままで、これだけ切れる棟梁が手を抜く感じになるのね。もっと具体的に数字で言えば、画力のある絵を10点とすると、棟梁が切るって得点は
何点?って考えた時、その下絵通りに切れるって点では、10点に近いポイントだと思うのね。つまり下絵の10点に見劣りしないのね。所が画力を6点だとすると、たった6点の下絵に10点の切る腕
で望むとしたら?・・・切る棟梁が楽になるでしょ?つまりその画力を補う事をしないと・・・。それが自分の下絵のリカバリーを意識する事で、6点を7点に見せようとする意識で、何とか補足する
感覚で、良く見て・・・たったこれだけで効果は出ると思うのね。
逆にりょうさんは、そんな事よりも、写した絵の線をはみ出さずにキープし、Sのラインの正しい切り方の理解の強化。今進む事よりも、何故そうなるのか?そう切ると美しく見える目が必要。
それが理解出来ないと、幅だけ合わせれば、どんな形でもOKって事になれば、大袈裟に言えば、クラッシュって言う、切ったでは無く、割ったって流動的な形を入れて行く事になるのね。
これでは初めてやるような人達と何ら変わらないのね。何しろ今は進む事よりも下絵にどう切るのか?って線を入れて切るなんて言うのも、一つの考え方かもね。そんな後は、アトリエに戻って
お教室だったんだけど、キャンセルになったんで、急きょコーナンで、さいたまのコープみらいさんの夏の子供教室用のメンダコの貯金箱の下地彫り。
先日との合計で74枚彫ったのね。後これが1枚分写してあるから、取り敢えず99枚分は彫れるのね。本来上手く写したら畳半分で25枚取れるんだけれど、1枚失敗で24枚になっちゃったのね。
そんな後は蛸の椅子のパーツ切りをしておしまい。
そんな中、つっちーと話す事になったんだけれど・・・まぁあれこれあってね。ただあれこれあろうが、後2ヶ月・・・何しろこの2ヶ月、やさぐれ強化月間なのね。何しろやさぐれる。
徹底的にやさぐれる事なのね。やさぐれは貧乏じゃ無きゃ出来ないのね。何しろ徹底的に嫉妬し、妬んで、羨ましいと思い、卑下をし、自分の今の立ち位置を確認する事。その上で、なにくそって
気持ちになる。これこそがハングリー精神の本来の基本。ただ腕には一切関係なく、そこは認められた上で、人がどう接して来るか?って意識で、自分の今、どんな扱いになっているか?を確認し、
そこからの脱出の為に何が必要か?を考え、何が出来るか?何をどう仕掛けるか?戦略とはそう言う事で、ただ漠然と頑張る・・・なんて60歳が言う事では無いのね。あくまで仕事なんだから。
そう言う点では、このやさぐれ祭りを徹底的にやる事で、誰がどう接して来るか?の見極めになるのね。勿論業者の話で、生徒さんでは無くて、先生katsuの話では無くて、作家katsuの話ね。
面倒臭い奴だなぁ〜とか、ウザいとか、卑屈とか、後向きとか、こう言った判断をする人もいれば、全く逆で、ごもっとも・・・と感じる人もいるのね。その時に、俺の立ち位置が変わった途端
手のひら返し・・・こんな事例を見るには、この2ヶ月のやさぐれ祭りは、やればやる程、効果的になるのね。ここで去る人はそこまでの人であって、外様の大名な人なんだろうね・・・。
所がやさぐれていても助けよう・・・なんて、何の役にも立たないって、人は見た目で判断をしない・・・って人は、そんな奴でも支えよう・・・なんて奇特な人なのね。つまり親藩や譜代の
大名って判断になる。お天道さまは見ているし、人を見掛けで判断をする目を信じる訳には行かないのね・・・株もそう。上がってから買おうとしても高くなる。低い時に目利きで買うもの。
つまりkatsu株みたいなもんを、この2ヶ月不良債権により見せる事で、一生付き合える人かどうか?判断したいのね・・・そもそもそんな簡単に腕なんて変わりゃしないのね。
つまり今の腕があれば充分。別にそう言ったって日々の鍛錬を怠る事をする訳が無いのね。でも大抵の人は、自分の興味があるか無いか?である前提で、自分の会社の利益を生むかどうか?になる。
だから蛸の椅子で売れるんでは無いのね。それはもっと上に行った時にであって、まずはピエロの壁画が引き金になるのね・・・それはお金の匂いがするからなのね・・・きっとね。
いずれにせよ、ここまで判ればトッピングとして、やさぐれ最高なのね。これで人は見掛けで判断するのであれば、そんな奴の作品として扱われるはずなのね。ただそんな奴の腕は?・・・
まぁ2人にしても、これだけの作品を作るのだから、この技量で見た感想なんだから、どれだけ上手く見えるのかも判るし、逆に自分達の作品もそんな人達から、どう見えるかも想像は付くのね。
そんなこんなで今日の棟梁の花はかなり良くなっている。具体的に言えば、お母さんの花は確かに上手いんだけれど、棟梁の花は自分で描いたもの。その時に、ついつい描いた絵で完了してしまう
意識があったのね。例えば誰かの絵でモザイクを始めた場合、俺を含めた画力の乏しい人達の場合とは違って、画力のある絵は完成度が高い。つまりその絵の通りに切って張ると完成度が持続する
のね。所が画力が乏しい人の絵は、まだ完成度が低いはずなのね。だから、描けた事に満足しないで、切る時も油断せずに絵では無くて、画像を良く見て補足するような気持ちで作るのね。
その意識があると、無いのでは、繊細さが大きく変わって来るのね。そもそもそこが変わらなければ、これだけ切れる人が具体的に上手くなるって一体何?って話なのね。それは確かに画力アップ
も必要だけれど、そんなのすぐに簡単にアップはしないから、逆にここまで描ければ、徐々に改善くらいにしかならない。それよりも大事なのは、だからこそ意識改革なのね。何の何処を作って
いて、どうなっているのか?その時に、小さいものは絵と違って繊細に描き込む事は出来たとしても、切る事が出来ないのね。つまりどの線かを諦めないとならないのね。それがデフォルメ。
それをこれだけ切れると、かなり無理矢理入れようとしたり、大体こんな感じ・・・って具合に、その線の通りに切ろうとするのね。でもその画力は自分のだよ・・・って話。
それが画力のある人の線は、間違いが少ないのね。もっと雰囲気で言えば、楽譜通りの演奏が出来ないのは、自分の稽古不足であり、未熟な証拠なのね。所がそれがかなり弾けるとなった人が、
楽譜を見ずに弾ける・・・こんな感じでしょ?って言うのは、感で弾く事になるし、もっと言えば、その楽譜自前じゃん・・・その都度良いと思われる演奏でも良いはずなのね。大体こんな感じ
って下絵だと思うくらいで、単なる目安と考えて、その都度しっかり確認しつつの制作によって、画力のある人達に少しでも追い付く意識になると思うのね。それを描けた事で満足してしまっては
画力が恐ろしく上手くならない限り、その画力のままで、これだけ切れる棟梁が手を抜く感じになるのね。もっと具体的に数字で言えば、画力のある絵を10点とすると、棟梁が切るって得点は
何点?って考えた時、その下絵通りに切れるって点では、10点に近いポイントだと思うのね。つまり下絵の10点に見劣りしないのね。所が画力を6点だとすると、たった6点の下絵に10点の切る腕
で望むとしたら?・・・切る棟梁が楽になるでしょ?つまりその画力を補う事をしないと・・・。それが自分の下絵のリカバリーを意識する事で、6点を7点に見せようとする意識で、何とか補足する
感覚で、良く見て・・・たったこれだけで効果は出ると思うのね。
逆にりょうさんは、そんな事よりも、写した絵の線をはみ出さずにキープし、Sのラインの正しい切り方の理解の強化。今進む事よりも、何故そうなるのか?そう切ると美しく見える目が必要。
それが理解出来ないと、幅だけ合わせれば、どんな形でもOKって事になれば、大袈裟に言えば、クラッシュって言う、切ったでは無く、割ったって流動的な形を入れて行く事になるのね。
これでは初めてやるような人達と何ら変わらないのね。何しろ今は進む事よりも下絵にどう切るのか?って線を入れて切るなんて言うのも、一つの考え方かもね。そんな後は、アトリエに戻って
お教室だったんだけど、キャンセルになったんで、急きょコーナンで、さいたまのコープみらいさんの夏の子供教室用のメンダコの貯金箱の下地彫り。
先日との合計で74枚彫ったのね。後これが1枚分写してあるから、取り敢えず99枚分は彫れるのね。本来上手く写したら畳半分で25枚取れるんだけれど、1枚失敗で24枚になっちゃったのね。
そんな後は蛸の椅子のパーツ切りをしておしまい。
そんな中、つっちーと話す事になったんだけれど・・・まぁあれこれあってね。ただあれこれあろうが、後2ヶ月・・・何しろこの2ヶ月、やさぐれ強化月間なのね。何しろやさぐれる。
徹底的にやさぐれる事なのね。やさぐれは貧乏じゃ無きゃ出来ないのね。何しろ徹底的に嫉妬し、妬んで、羨ましいと思い、卑下をし、自分の今の立ち位置を確認する事。その上で、なにくそって
気持ちになる。これこそがハングリー精神の本来の基本。ただ腕には一切関係なく、そこは認められた上で、人がどう接して来るか?って意識で、自分の今、どんな扱いになっているか?を確認し、
そこからの脱出の為に何が必要か?を考え、何が出来るか?何をどう仕掛けるか?戦略とはそう言う事で、ただ漠然と頑張る・・・なんて60歳が言う事では無いのね。あくまで仕事なんだから。
そう言う点では、このやさぐれ祭りを徹底的にやる事で、誰がどう接して来るか?の見極めになるのね。勿論業者の話で、生徒さんでは無くて、先生katsuの話では無くて、作家katsuの話ね。
面倒臭い奴だなぁ〜とか、ウザいとか、卑屈とか、後向きとか、こう言った判断をする人もいれば、全く逆で、ごもっとも・・・と感じる人もいるのね。その時に、俺の立ち位置が変わった途端
手のひら返し・・・こんな事例を見るには、この2ヶ月のやさぐれ祭りは、やればやる程、効果的になるのね。ここで去る人はそこまでの人であって、外様の大名な人なんだろうね・・・。
所がやさぐれていても助けよう・・・なんて、何の役にも立たないって、人は見た目で判断をしない・・・って人は、そんな奴でも支えよう・・・なんて奇特な人なのね。つまり親藩や譜代の
大名って判断になる。お天道さまは見ているし、人を見掛けで判断をする目を信じる訳には行かないのね・・・株もそう。上がってから買おうとしても高くなる。低い時に目利きで買うもの。
つまりkatsu株みたいなもんを、この2ヶ月不良債権により見せる事で、一生付き合える人かどうか?判断したいのね・・・そもそもそんな簡単に腕なんて変わりゃしないのね。
つまり今の腕があれば充分。別にそう言ったって日々の鍛錬を怠る事をする訳が無いのね。でも大抵の人は、自分の興味があるか無いか?である前提で、自分の会社の利益を生むかどうか?になる。
だから蛸の椅子で売れるんでは無いのね。それはもっと上に行った時にであって、まずはピエロの壁画が引き金になるのね・・・それはお金の匂いがするからなのね・・・きっとね。
いずれにせよ、ここまで判ればトッピングとして、やさぐれ最高なのね。これで人は見掛けで判断するのであれば、そんな奴の作品として扱われるはずなのね。ただそんな奴の腕は?・・・