katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

キウイとさくらの相席教室

2023-05-12 01:02:19 | モザイクタイル教室

今日はキウイとさくらの相席教室なんだけれど、ちょっと訳あって、のりちゃんお母さんの所へ顔を出す事になって・・・まぁ元気そうで何よりだったのね。そんな訳でキウイから。結局こうなったのね。目地は次回として・・・昨日の話が理解出来たら、こうなるのは当たり前なのね。

そもそもが、こうなるのなら、葉っぱを使ったりする事は違っているし、プチクローバーはこんなに使うはずだったのね。つまりサンプルとは全く違うものが作りたかったのね。そしてこれがキウイの作りたかったものだったのね。これを最初から作れれば、何の問題も無かったんだけどね。

恐らくキウイらしい作品だろうし、だろうな・・・って思われそうな感じだと思うのね。しかもこのグレードなら、納得しただろうし、自分らしいって言うのは、試行錯誤だったり、紆余曲折だったりする探し方もあれば、何となくとか、フィーリングみたいに全く反対もあるだろうが、俺は前者側

が正しい気がするのね。それは上手くなってしまったからなのね。そもそも一見、上手いと言うと、目に見える実力と思いがちで、ついつい切る、張る、そしてデザイン性だったり、色合いとかみたいに思うのね。でもそれって実は目で確認していたり、指で確認をしたりするのね。

つまりその五感ってものが敏感になるって事でもあるのね。それを例えば、市松なんて柄にしたとする。仮に丸の下地に張ったとする。張る時に親指で、タイルと下地が平らになっているって確認をしていた人と、していない人では、ガタガタになる可能性があるし、きちんと適量のボンドを付けて

いる人と、はみ出す事を避けて少なめの人では、最後に入らなかったり、目地幅が広かった場合、横滑りさせて動かそうとしても、適量ならスルッとずらせるのに、少ないとポロッと取れてしまうのね。そんな基本が出来るって言う前提で、目地幅を均等にする事で、左右対称のバランスが取れる。

こうした事を意識した人としない人では、同じ市松の模様であっても、仕上がりは大きく違うのね。例え色合いは一緒であってもね。そしてそれを見極める目が肥えるのね。上手くなるって言うのはね。例えば、お母さんの買い物。俺程度の目では、何の何処が違うのか?判らないけれど、ベテラン

のお母さんなら、これとこれならこっち・・・って同じ品物でも良し悪しが一瞬で判るでしょ?でももっと凄い目を持てば、新鮮な魚の目利きになるし、野菜、果物、肉・・・それが、俺の場合なら、タイルやガラス、大理石・・・となるし、もっと言えば、建築のタイル屋の目なら、水平や、

垂直なんてもんが、人一倍敏感だったりもする。しかもスケールには1mm単位の数字があって、それをズレないように・・・ってやっているのね。しかも家のような大きいものの1mmのズレを許さない感覚なのだから、鍋敷きなんてズレるなんて有り得ないってね。

それが出来る人は、コースターでもズレないし、まっ良いか・・・が少なくなるから、几帳面になる。上手い人って言うのは、目も優れているのね。そこがルーズだと、いくら素敵な絵を描けても、その線の通りでは無くて、甘くなるからそれにはならないのね。簡単な理屈なのね。

つまりそんな目のキウイが、そんな腕を持って、そこにアイデアを乗せるのだから、結果としてそうなる・・・こんな事を理解して貰うと、今度は一歩先を読めるようになるのね。すると、無理をすれば終わっただろうが、目地の話となり、恐らくキウイなら、クリームやベージュだろうが、それを

小物作品なのだから、ここは冒険をして・・・なんて事で、ブラウンやら黒なってのもあり・・・なんて言うので、黒はやり過ぎなんじゃ無いの?なんて事になったりする。普段のキウイなら使わないだろうからね。まぁファイナルアンサー?って感じの確認な話。

これがさくらとなると、

そもそも調子が悪いと、手が動かなくなる・・・なんて事になるから、柔らかいペキペキでの作品がさくららしいと本人も思っていた矢先に、廃番の方向になっている事で、残念な話なんだけれど、自分らしい・・・ってさっきの話で言うなら、らしいは探しであったりするのね。

ジャンプの高梨さんが、ルール改正で優勝から遠のいたり、柔道もあれこれ変わったり、野球にしても、今まで通りでは無くなったりする。ただそこに対応して生き残る事が凄いんであって、いかにその環境に馴染めるか?なのね。きっとらしい事は、探せばあるだろうし、さくらが一体何をしたいか

・・・になるんだけれどね。まぁこの文章で、さくらには伝わるだろうけれど、伝わった所で頑固だし・・・柔軟な姿勢って一番無いからなぁ・・・一見そう見えるんだけど。まぁ今のさくらはやっている、だけでも充分だとは思うけど。そんな中、プチッと金魚の壁画。


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キウイ教室とプチ金魚の壁画

2023-05-11 08:41:27 | モザイクタイル教室

今日は久しぶりのキウイ教室。ただ右手を痛めている事もあって、ニッパーが使えないのね。だから体験用の鍋敷きをやったんだけれど、いつものようには上手く行かないのね。そこへ持って、サンプル通りにやるはずも無く・・・当然そうなると、真似をするのでは無いから考えないとならない。

しかも、それがキウイとなると上手いのは判っているのだけれど、何がどう上手いか?って言うと、タイルを切るとか張るって技術がすば抜けている。ここが一番大事な所で、それは俺にも言える話でね、手前味噌になるけれど、仮でも良いから、そうだと話を進めると、良い事と悪い事は背中合わせ。

つまりその切るって言う部分を封印されるって事は、デザイン性みたいな事や色合いで変化させる事になるのね。ただチラッと見えている鍋敷きは、五角形のレトロなタイルを使用しているもので、デコボコな輪郭が出来てしまうのね。更にこのデコボコに中央部に葉っぱのタイルを張ると、

更にデコボコな感じになるのね。そうなると、切る事が上手ければ、このデコボコを埋めるような切り方をしたくなるのね。しかもすんなり切れるし・・・ただ切れない・・・。そうなると、あれこれもどかしいのね。こう出来るし、こうも出来るはずなのに・・・切れないってね。

まぁそれが非常に大変なのね・・・そしてそれが体験用サンプルを考える、先生katsuの悩みなのね。常にサンプル通りにやろうとすると思われる前提で考えると、切る事が上手い人が簡単に切れる事が、初めての人ではそうは行かない前提で考えると、それを封印して考えるのね。

だからなるべく切らないように、デイ・サービスでのお絵描きタイルを張るだけのサンプルになるのね。もはやそこには、作家katsuはいないのね。だから誰にでも簡単に真似出来るのね。これが作家katsuだと、逆に個性オンリーみたいになるのね。だからいかに、他の人はやらないだろう・・・的になる。

考え方が全く違うのね。こうした違いを毎月経験しているから、俺の場合はスイッチを切り替える練習をしているって感じだとすると、今のキウイはその感覚の経験は無く、戸惑いはあると思うのね。更に言えば、手を痛めているから切れない・・・こんな文章くらいの事だと思っているのね。

きっとね。でも俺には、相当上手い人が切れない・・・って感じになるのね。はぁ?何が違うの。って思う人は、こう感じると理解出来るのね。例えば前者は、切れないだけ・・・つまり子供であっても良いし、お母さんでも良いし、ただ怪我をしているって感じね。

でも後者は、達者な人って感じだから、子供だろうが、大人だろうが、腕利きの人が怪我をしている・・・この違いはエース級が怪我に値する。つまり先生である俺は、実力者と考えているのと、本人の自覚との差はとても大きいのね。それが使えないって言うのはね。そこが凡人になるって事。

つまりいつものキウイを保つって言うのは、いつも以上に考える事に特化して、いかにデザインを考えるか?それとも何にも考えずに、色違いにしてのん気でやるか?が安心なんだけれど、ここが一番難しい事を選んでしまうのね。それがちょっと変える・・・ここね。

勿論、いつものキウイなら、いとも簡単に変えるだろうが、いつものキウイじゃないのね。切れないのね。気が付いた人もいるだろうが、つまりいつものサンプル作りの俺なのね。しかも俺も散々考えて、サンプルを作ったのね。しかも5粒しか切らないってね。しかしながらキウイはそれすら出来ない。

それではいつもの俺よりも大変なのね・・・だから、何なら多少のパーツは俺が切るよって事になったのね。そもそも切らない方向で俺も相当考えた上のデザインだったのだから、少し変えるって言うのは、一体どの程度になるんたろうか?って思うと、キウイの少し・・・なのね。

つまり達者な人の少しになるのね。更に複雑なのは、切って貰うのは悪いな・・・って気持ちが働くと遠慮もあるだろうが、その遠慮にしても、最初のデザイン次第なのね。そこの考え方が大きく違ったりするのね。俺は切る枚数のMAXを最初に考えるのね。例えば5、6枚程度みたいにね。

何故ならサンプルは1枚でも、デイ・サービスは切らないように・・・なら、全部俺が仕込まないとならないから、10個それをやる事になるのね。だからやり過ぎないサンプルにしないとならないのね。つまり怪我したキウイの感覚で、サンプルを考える・・・って感じにね。

それをもっと下げないと、難しい・・・となると、パーツを切るだけで無く、事前に張って置かないと・・・になったりもする。こんな事を考えて作るって言うのは、やる人の事を考慮してなのね。つまりキウイもデザインをいつものキウイが出来る事で考えてしまうと、今は出来ないになる。

なんとももどかしいだろうね。だから、キウイの腕の代わりをするよ・・・にしても、遠慮のキウイがいる。でもデザインのキウイが仮に遠慮のキウイが入っていたとしても、さっきの考え方で、遠慮して考えなきゃ・・・って言うのと、達者な人なんだから、相当遠慮して考えなきゃ・・・では、

全く違うものになるのね。付いて来られるかな・・・人の考える事って言うのは、単純なものでは無いのね。これが体験なら、とても単純で、出来たぁ・・・で楽しい人もいるし、思い通りに出来なかった・・・と思う人もいるし、一度で充分な人もいて、おかわりみたいに、またなんて事になる。

でもね、こうした言葉で普通は片付けるものだけれど、もし警察ならプロファイリング的になるのなら、もし受験で傾向と対策って事で過去問を解くのなら、みたいな感覚なら、どうして色々と変化するか?同じ人が教えていて、同じサンプルなのに・・・はこうした背景があるからなのね。

その人が一体、どんなグレードで完成させるか?出来上がりの満足度なのか、新鮮さなのか、今日の時間を埋めるだけなのか、趣味探しなのか、それとも生き甲斐探しなのか・・・勉強と同じなのね。目的意識の高さの違いで指導も変わって来るし・・・。みんな同じな訳では無いのね。

それが一番判りやすいのが、労作展なのね。みんな良いのが持って行きたいんだからね。だからその人が使う時間の中で、最高に見えるアイデアや方針を相談するから、みんな完成して、ある程度の完成度もキープ出来ているのね。勿論、必ず受賞出来る訳では無いけれどね。

それがいつものキウイなら、大作は勿論、小物であっても、やっぱりキウイだな・・・って作品になるが、今回は異例の封印となる。ここまでの説明をすると、勘違いをしてしまうのだけれど、別に俺は最高のキウイを常に・・・って言っているんじゃ無いのね。

違うのね。ちょっと変えた時点で、相当考えなきゃいけないんだよ・・・のお知らせなのね。だってそこに行き着くまで、先生の俺が相当考えてそれになったのは、なるべく切らないように・・・と考えた上の事で、つまり今のキウイが考えるような事はやり尽くした上なんだよ・・・って事。

もっと言えば、あのサンプルを考えてた俺が、その時浮かばなかったアイデア・・・それ以上のアイデアを考えないとならないんだよ・・・って、言うお知らせなんだけれどね。しかも譲歩して、それでもちょっと足りない・・・って言うのなら、俺でも5粒切ったから・・・って。

この鍋敷きの難しさが判るかなぁ。って言うか、本人の自覚なんだけれどね・・・どの程度のが作れると、自分が満足出来るか?ってね。レベル高くって意識なら、いっぱい切って上げれば良いし、この関係は、設計士と施工の関係なのね。設計士は作れない。図面引きだからね。

しかも、自分で描いた事が、どんなに大変か?なんて一切関係ない人なのね。だから容赦無し。ある意味、心無い人って言い方でも良いのね。何故なら、どんなに大変だろうが、最初から金額は決まっているのだから、好き放題描けるのね。それは施工しないからなのね。

逆に施工側は、自分で一切デザインなんて出来ないのに、文句を言うのね。場合に寄っては、こんなの・・・ってケチを付けたりしてね。まぁそれも建築で沢山見て来たから言えるんだけどね。こんな事を一人でやるのね・・・オリジナルを作るって言うのはね。

切らないキウイ・・・このいつもと違う体験は、非常に勉強になるはずなのね。剛速球を封印した、変化球を編み出す為の時間でも考えてね。ウイルスでワクチンを作るように・・・もし手に入れたら、切れるように戻れば、切れるキウイと、切らないキウイの2つになる訳で・・・。

ただそこは結構難しいのね。どっちも良いよね・・・って思わせるにはね。俺もデイ・サービスのサンプルに何年も練習させて貰って、ここまで来たんだからね。そんな後は、プチっと金魚の壁画。

 


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父の病院とついでに眼科と金魚の壁画

2023-05-10 00:37:23 | モザイク作家

今日は朝から父の病院、ついでに自分の眼科・・・ただ割とスイスイと良い感じだったんで、お昼過ぎにはアトリエに戻れたのね。そんな訳で、金魚の壁画って事で、朝顔の続きをやっていると、大家さんが来て・・・おっ、朝顔だねって。名乗らなくても判って貰えたのだから、まずまずなのね。

そんな中、また中学生の予約が入って・・・5人目になったのね。まぁ有難い話なのね。


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闘牛士のリピーターさんと中学生教室と金魚の壁画

2023-05-09 01:45:31 | モザイクタイル教室

今日は午後から闘牛士のリピーターさんで、夕方から中学生教室。それまでは金魚の壁画。

パーツ切りなんかやって待ってたのね。では闘牛士の方から。ちょっと色を入れたら、グッとそれらしく見えるようになったのね。まぁここはしばらく心配は無さそうなのね。細かい事はあるものの、今はそれより切る事になれる。そうして繰り返すと、この作品が終わる頃には上手くなっている。

まぁ特に心配する事は無いのね。むしろ色が入って雰囲気が出て来た感じがする。そんな後は、中学生教室。いよいよ張り始めたのね。

1cmタイルの4分の1の丸を宿題にしたんだけれど、中々頑張って切ってあって、今日は更に、お絵描きタイルと1cmタイルを短冊のように半分に切るなんて事をしたんたけれど、ここが中々難しいのは、所見でも丸って形を知らない人はいないのね。つまり切る技術が無いだけ。

だから、回数を重ねれば出来るようになるのね。しかも、考える必要は一切無くてね。問題はここ。考える必要がほぼ無いのね。だって丸くするだけだから、丸いか、丸くないかだけなのだから。結果を見た自分の問題なのね。それを今度は半分に短冊に切るとする。

ここも半分かどうか?って言うのは、自己判断って言う点では一緒なんだけれど、決まりがある以上、いくら自分に甘い点数を付けた所で、それに見合っているか?になるのね。ただそれでも、それに似ているかどうか?の判断なのね。所がお絵かきタイルのようにランダムな形からのスタートで、

しかも、みんながみんな同じ形を切るとは限らず、自由となると、どうするべきか?って考えないとならないのね。それは決まりが無いからなのね。簡単な話で、決まりがある時は、それにいかに似せるか?であり、自由な場合は、真似られないから、考える事になる。

これがレシピ、図面、楽譜があるって言うスタイルと、オリジナルって言う考えないとならないスタイルの違いなのね。つまりタイルを切るって行為は一緒でも、全てがこんなに違うのね。その時に人は大抵思い込むものなのね。例えば丸は難しい・・・とかね。勝手な思い込み。

すると、ディフェンダー的性格だと、身の丈身の程って気持ちになるから、私に出来るだろうか?きっと難しいに違いないとか、後ろ向きになったりする。逆にフォアード的性格だと、やってもいない事はやって見ないと判らないじゃんって、何の根拠も無く、突き進む的になったりするのね。

例えばこんな違いがあるとしたら?同じ事を進めたとして、結果が変わるのは言うまでも無く当たり前なのね。しかしながら、前者がもし難しいと思い込んでいたものが、出来たぁ・・・って事になると、それが自信になれば、もう一度・・・ってチャレンジする気持ちに繋がるが、失敗を重ねると、

またか・・・って言う事になり、遠い記憶を思い起こす場合もある。それは以前、ぶきっちょとか、家族に器用な人が多く、そんなレッテルを貼られたような場合ね。やっぱり駄目かぁ・・・ってね。所がこの気持を払拭出来ると、みんなスタートは一緒になるのね。

例えば、絵は描かない・・・って事にすれば、オリジナルでは無くて、真似をするとね。方法はいくらでもあるのね。逆に難しいのは、絵が上手く、何をやっても器用な人の場合、やりたい・・・って気持ちはみんな一緒であっても、今回も上手く行く前提なのね、大抵。

こんな後者は、今日も上手く行けば、結果に満足すれば、あぁモザイクってこんな感じね・・・と、体験で把握したかのようになったりもする。こんなもんか・・・とね。こんな場合は続かないのね。逆に、こんなもんじゃ無い・・・なんて場合、何しろ満足した結果を得たいなんて場合は、

続く事になる。ただそれはどれもが結果が良い側の場合で、難しいのは下絵を大幅に下回った場合。簡単に言えば、滑らかな髪なんて繊細に描けても、初めてタイルを切るのに、果たしてそんな繊細に切れるか?となったら、まず俺にも不可能なのね。何故なら体験の大きさなんて鍋敷き程度。

けれど、達人はその大きさがあれば、とんでも無い絵が描けるのね。そんな細さは切るのは無理なのね。つまりそれをやるには、それが切れる大きさまで拡大しないとならず・・・恐らく何年も掛かる事になるだろうね。こんな場合、これでも駄目?これも?みたいに、やる気が削がれるのね。

まぁこんな精神論的な事が、目に見えない技術論にも繋がるのね。だってその人の考え方なのだから。しかし厄介なのは、自覚が無いから、そんな事は思っていない・・・って頑張れば、どんどんと露呈する事になるし、認めるには勇気が必要になる。気って見えない事は、見ようとしなければ、

結果次第で、何でこうなったんだろう・・・って言うのと、ラッキーの繰り返しになるのね。本当に上手くなるって言うのは、これが最善と考えて、結果が良かろうが、悪かろうが、その時の最善で進んだのだから、結果が悪かったとしても後悔は少ないのね。その時の最善だったのだから。

ただ、そこで考える事を怠ると、あぁして置けば良かった・・・みたいに、後悔先に立たず的な事になりがちなのね。ただもっと上手くなると、それでも納得が行かず・・・作りての欲望とは果てしないものだったりもするのね。そんなこんなで合間の金魚の壁画。

こんな仕込みや

朝顔なんて作ったのね。


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金魚の壁画

2023-05-08 01:32:19 | モザイク作家

今日はお教室も無く、金魚の壁画1本。タイムフリーで達郎三昧聴きながらね。初期の頃のアルバムが再販される事もあって・・・こう言うの大事でね、そもそも聞く所に寄ると、デビューから4枚目まで売れずに、取り直しを頼んでも、それは売れないと・・・と言われたりして散々だったらしい。

しかもこれで自分名義のアルバムは最後かも・・・と思っていた矢先に、大阪のディスコで、そのアルバムのbomberって曲が流行って来て、それをきっかけにRIDE ON TIMEのシングルヒットに繋がって、世に名前が出て行くのね。まぁ売れた人のエピソードなんだから、普通な話なんだけれどね・・

そうじゃ無いのね。40年も前に売れなかったアルバムが、今予約だけで、あの頃の売り上げを超えている・・・しかもCDでは無くて、レコードやカセットでね。ここね。先日の宮崎さんのカリオストロの城もそう。当時は興行失敗と言われた作品が、今は名作で何度も放送されているのね。

つまりどちらも後からの認知になるのね。その時では無くてね。ここは非常に大事なのね。つまり過去を振り返って貰った時に、名作だと言われるように作って置かないと、その場しのぎで作っていては、名作にはならないのね。だったら俺も同じで、この金魚の壁画も名作になるようにして置かないと・・・ってね。

まぁ毎回そう思ってはいるんだけれどね・・・ただ実力は日々の努力で必然なんだけれど、出会いは偶然なのね。マイケル・ジャクソンがクインシー・ジョーンズに出会ったように、俺のクインシー・ジョーンズは一体誰なんだろうか?・・・って、いつも思うのね。馬鹿でしょ?

ただね、先人ってのは、そんなの無理とか、非常識とか、何でも予定調和を崩す人だったりするものでね・・・それを覆す人が世に出る人になるのね。まぁ誰でも知っている大谷さんは、二刀流なんて・・・って解説の人達にコテンパンだったのね。どちらか1つなら一流になれるって。

その時、身の丈身の程って、みんなの言う通りにしていたら、こんな成功は無かったのね。まっ、そう言う点では、そっち側に歩いているのね。一応、後出しじゃんけんにならないように・・・軽く触れとこうかな、特に広げる話も無いからさ。


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小学生と中学生教室と金魚の壁画

2023-05-06 23:28:55 | モザイクタイル教室

今日は先日いらした体験の小学生と中学生の2組のお教室。そんな訳で支度をして待っていたんだけれど、来ないなぁ・・・と、もしや・・・確認すると、午後からじゃん。ってな勘違いで、金魚の壁画。

まぁ地味に進んでいるのね。そんな中、大家さんが来て、ちょっと話す機会があって・・・興味がある人だから、こうして見に来るんで、線香花火を辞めた事や、春夏秋冬的な話をしたのね。勿論、真面目な話なんだけれど、割と茶化される事も多いのね。笑いを取ろうとね。

そんな時に、藤を見て、水草良いじゃんって言うのね・・・藤だよってやり取りがあって、水草かぁ・・・って事は、ホテイアオイ・・・それだと9月だと思うけれど、悪くは無いのね。ちょっとキープかな・・・。検討の余地あり。こんなたわいも無い話が結構大事なのね。

そんなこんなで、まずは先日の体験が、いきなりリピーターさんになった小学生から。何しろ体験の時に、どんなの作りたい?って質問にピカソの絵を出して来るんだから、こりゃ本気だわって事で、お母さんと相談になって、数回掛かっても良い事になった2回目。

もうニッパーにも慣れて来てね、タイルは切るものだ・・・って理解してくれているし、怖がったりも無いのね。しかも3年生・・・続けてくれれば楽しみなのね。何しろこれが1作目の3年生なんて、そうはいないしね。これが絵画だって言うのなら、いくらでもいそうだけれど、モザイクだからね。

グッと来るのね。しかもぺきぺきでは無いのね。お絵描きタイルは硬いのね。それでも何とか喰らい付いているし・・・大事大事になのね。

そんな後は、中学生教室。結構進んでいるんだけれど、何しろ単調に色は変えられないから、ひたすら同じ事の繰り返しでは、退屈になるだろうから・・・と新展開にすると、これが非常に良い感じに見えたのね。この先の展開も判るくらいね。本人もかなり・・・。

気持ちが乗れば、やる気にも繋がるだろうしね。そんな中、昨日の港区の話をすると、めちゃくちゃ詳しくて・・・しかも行った事もあるようで。かぐやも資料を送ってくれたんで見て見ると、これ大学?って位、格式高いわ、大きいわ、ちょっとビックリだったのね。

来週打ち合わせに伺うんで、実際に見られる訳で・・・そっちも楽しみなのね。


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ウチの犬のリピーターさん教室とデイ・サービスのあじさい下地

2023-05-06 01:43:50 | モザイクタイル教室

今日はウチの犬のリピーターさん教室。まずは目地入れしてとうとう完成したのね。これでこの方の代表作が出来たのね。これはとても大事な事で、この先、いつか相席なんて事があったり、生徒さん同士が会う事があったりした時に、あっウチの犬さん・・・って判るのね。

これが鍋敷きやコースターでは、いっぱいいるから、えっと・・・ってな反応になったりする。それがこのグレードの作品となると、記憶に残る作品になるから、相手の印象に残りやすい。つまりこの作品は、この方の名刺代わりって作品なのね。お疲れ様でした。そんな後は、鍋敷き。

プチクローバーを使って作っているんだけれど、硬いタイルを切る・・・ってチャレンジ鍋敷き。1列置きに切るって感じで、やや特訓気味だけど、結構頑張って切っているのね。これも結構良い作品になりそうなのね。そんな後は、正式に港区立郷土歴史館って所から依頼があったのね。

ただ要望があって、その調べ事をやったり、デイ・サービスのあじさい下地の切り抜きとペンキ塗りなんかを合間にやって・・・ひとまず下地は終了。


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中学生教室とデイ・サービスのあじさい下地

2023-05-05 01:30:42 | モザイクタイル教室

今日は中学生教室から。ちなみに4人来ているのね。既に打ち合わせが終わっていて、下絵を描いて来たのね。ただちょっとしたお小言から。例えば、羽ばたく・・・って言葉をイメージして作ろうとする。ではその羽根ってどのくらいかな?・・・その時に、擬音を使って表現したとする。

例えば、パタパタとか、バタバタとか、フワフワとか、バッサバッサっとか・・・あるとするでしょ?じゃバッサバッサだとする。どんな鳥のイメージかな?恐らく猛禽類な感じに、大きめで肉食な感じがするのね。じゃフワフワだと?そうなると、蝶みたいな風に流されるような感じだったりして、

バタバタとなると、ちょっと大きめだけど、猛禽類ほどでは無さそうだから、カラスとか、人に寄っては鳩なんてのもあるかもね。場合に寄っては、ダチョウみたいに飛べなくても、バタバタって感じもする。それがパタパタって言うと、鳩にも思えるし、小鳥って感じもする。

ほらこうした擬音一つでも、何となく人にはイメージがあって、それが羽の大きさや、体の大きさまで想像出来ちゃうもんなのね。これは俳句の季語みたいな話なんだけれど、季語は決まり事だから、ルールなんだけれど、さっきの話が厄介なのは、それが決まり事では無いのね。

つまりニュアンスだから、そうかな?そうは思わない・・・って言われれば、通用しないのね。ただもっと厄介なのは、正解は無い癖に不正解はあるのね。例えば、小鳥を作るのにバッサバッサは選ばないでしょ?ただ、そんなの当たり前じゃん・・・って言うのは、当たり前に思えるけれど、創作って

そんな判りやすいものでは無いのね。そもそもが、オリジナルを作る時にフィーリングとか感覚で作る人達がいるのね。例えばモザイクなら鍋敷きやコースターね。これは敷地が狭いから、余り考える必要が無いのね。でも逆も真なり。緻密なんてものは、小さかろうが出来ないなんて事は無いのね。

ネールだったり、ビーズだったり、細かく繊細なんて事は多々ある。ただ、割と気軽に出来る人がいるとすると、90cmなんて事になると、例えば、俺の金魚だとすると、中央にズドンと作ったとしても、バックとしての余白が多く残ってしまうのね。さぁどうする?って事になるのね。

つまりそれを後はバック・・・ってメインの肉を食べたら、後は残す的な考えなら、付け合せまで考えない・・・それなら、おざなりにするのだから、メインさえ終われば、疲れ果てて残りはクラッシュ。全力のすべてをメインにつぎ込んだ・・・初心者の大作って言うのなら、それで十分。

ただ例えば、それが受賞者だったとする。そうなると、話は違って来るのね。それがイメージって言う、見る人側になって来るのね。1年目に後はバックって言う形で受賞したとする。で今回もモチーフを変えて同じにしたとしても、昨日まで小学生だったのだから・・・と見てくれる1年生の場合と、

受賞して2年目では、同じスタイルでは通用しない・・・って思われる事が普通と考えていた方が良いのね。それが例えば漫画なら、何作か続くと、キャラの顔一緒じゃん・・・とか、歌の場合なら、何か似た曲だな・・・みたいに思われる事は多々ある。そうね、野球なら村上さんね。

三冠王なんて言う素晴らしい記録だから、全日本の4番だったが、人はそれに期待する。そう三冠王分、いやそれ以上にね。だから打てないとがっかり感満載なのに、逆にこの人で大丈夫かよ・・・ってな場合、期待が薄い分、オーなんて事は多々ある。人の目や思い込みって言う部分ね。

つまり演者とかアーチスト、プレイヤーみたいな見られる側に立つって言うのは、へっぽこなら相手にはされないし、期待されるって言うのは、実績があるって事なのね。良く負けて得る事があるなんて言うが、それなら逆も真なりなら、勝たないと判らない事も多々あるのね。

つまり受賞するって言うのは、人にそう見られるって思って置いた方が良いのね。これがメンタルな話だとして、じゃそうしないといけないのか?って相談なら、1年目は必死でしたなら、2年目も同じだとしたら、何も進歩は無いのね。ただ切るって行為が上手くなった分、上手くは見えるかもね。

ただ同じスタイルは見るものを飽きさせる。だから変化をさせる。例えば、後はバック・・・なんて気持ちでやる位なら、いっそバックなんか捨ててしまえ・・・そのバックの無い分、本体のモチーフに集中出来るのね。カブトムシ、ヤモリ、金魚1匹の形に下地を切って・・・とね。

そうすると、同じ曲調にはならずに済む。変化って言う考え方。全力で最高のスピードの直球に対して、全力で投げるのに力を分散させて、抜くと、ストレートで待っている打者に、ストレートよりも遅い玉が来るから、空振りが取れるのね。音楽ならタンタンタンタンって単調なリズムを

繰り返すと、繰り返せば繰り返す程、人を思い込ませる事が出来る。誘導とか洗脳とか、思い込みとかね。そこで2番では、タンタンタンタタってスタッカートを入れると、違和感が気持ち良く感じたり、タンタンタンと来て、タンと思ったら、休み・・・えっ?の違和感。ブレイクが良く効くのね。

予定調和を安心とするか?違和感で変化させるか?グー、グーって続けるのか?パーにするのか?って、考えるって言うのは、こんな事なのね。こんな説明をして、後は自分で考える・・・色んな説明はしたからね。こうした方が良いとかあぁした方が良いって相談は、自分がこうしたいってあって、

そう見せるにはこうかな・・・みたいな相談はあるが、丸投げのどうしたら良いでしょうか?・・・は1年目なら良いけど、2年目は既に考え方は教えてあるし、下絵も悪く無かった。ただニュアンスな話。そんな後は、コーナンでデイ・サービスのあじさい下地彫り。

思ったより時間が掛かったのね・・・。


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体験教室と花の祭典と金魚の壁画

2023-05-04 02:38:55 | モザイクタイル教室

今日は体験教室からスタート。最近何か体験がチラホラとあるのね・・・ゴールデンウイークとか関係あるのかな?まぁ体験の鍋敷きは何度もやっているので、何も問題は無く実績もあるし・・・結果もこの通りなのね。そんな中、モザイクって良いですよねぇ・・・って言うのね。

どうやら海外で見て・・・って。そりゃね、本物見ればね。例えば、大谷さん見て野球が好きにならなきゃ、もはや興味が持てないのだし、刺激としては抜群なのね。そんな方が、アトリエの作品を見て写真撮って良いですか?って言ってくれるのだから、良く見えてくれたんだろうね。

そんな方は、ご興味を持っているから、きっとそれを誰かに見せようとして下さる訳で・・・しかも、今日の鍋敷きの体験の理由が、母の日のプレゼントに・・・って。ちなみにそのお母さんが、今日も俺と同じ位の方らしいのね・・・最近そのパターンが多くなっているのね。

まぁいずれにせよ、これなら誰に見せても体験なら十分に完成度が良いし何よりなのね。そんなお教室の後は、昨日、父と病院の帰り道に、花の祭典ってイベントが明日から・・・って言うのを見て、明日連れてくよ・・・って言う事にしたんで、近所だし連れ出したのね。

しかし老人二人を連れて行くって言うのは、そう簡単じゃ無いんだけれど、いくらか慣れては来たと言っても・・・ね。そんな中、母が昔何度か来た事ある・・・って言い出してね、自転車乗って近所の人と一緒に・・・とか、孫を連れて父と、遊具に並んだとか、話だしたのね。

何か懐かしいって。ちょっと曇天な時間帯だったんで、暑いかな・・・と思ったけれど、何とか持ったみたいだし、芝の上も歩けたし・・・気分転換になったようなのね。父は1500歩超えたって言ってたが、普段の散歩よりも楽しかったみたいで何より。そんなこんなでアトリエに戻って金魚の壁画

まぁ地味過ぎるなぁって感じの進行具合。ただ、この次に線香花火なんて事を考えては見たものの、そうするとバックを黒くしたくなる・・・って思うと、そこだけ黒いって言うのもなぁ・・・って言う事で却下にしたのね。あんまり考えなしで、フィーリングって感じだったのかなぁ・・・。

ただ秋の部分に稲穂は入れたいと思っているんだけど、冬に椿、春にさくら、中間に藤・・・こうなると夏は朝顔とかになって、秋の前くらいにトンボとか・・・花火欲しかったんだけどなぁ・・・場所も限られているし・・・まぁやりながらだなっ・・・前には進めないとって事もあるしね。

 


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父の定期検診と金魚の壁画

2023-05-02 23:02:26 | モザイク作家

今日は朝イチから父の定期検診。まぁ思ったよりも早く終わったんで、若干拍子抜け・・・お昼になっちゃうんだろうな・・・と覚悟してたから、まさかの10時頃ってのはね・・・まっ、そんなこんなで、ちょっと遅めの出勤程度で済んだのね。

まぁ今日も地味に進んでいるのね・・・本当に地味に。


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