katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

闘牛士のリピーターさんと中学生教室と金魚の壁画

2023-05-09 01:45:31 | モザイクタイル教室

今日は午後から闘牛士のリピーターさんで、夕方から中学生教室。それまでは金魚の壁画。

パーツ切りなんかやって待ってたのね。では闘牛士の方から。ちょっと色を入れたら、グッとそれらしく見えるようになったのね。まぁここはしばらく心配は無さそうなのね。細かい事はあるものの、今はそれより切る事になれる。そうして繰り返すと、この作品が終わる頃には上手くなっている。

まぁ特に心配する事は無いのね。むしろ色が入って雰囲気が出て来た感じがする。そんな後は、中学生教室。いよいよ張り始めたのね。

1cmタイルの4分の1の丸を宿題にしたんだけれど、中々頑張って切ってあって、今日は更に、お絵描きタイルと1cmタイルを短冊のように半分に切るなんて事をしたんたけれど、ここが中々難しいのは、所見でも丸って形を知らない人はいないのね。つまり切る技術が無いだけ。

だから、回数を重ねれば出来るようになるのね。しかも、考える必要は一切無くてね。問題はここ。考える必要がほぼ無いのね。だって丸くするだけだから、丸いか、丸くないかだけなのだから。結果を見た自分の問題なのね。それを今度は半分に短冊に切るとする。

ここも半分かどうか?って言うのは、自己判断って言う点では一緒なんだけれど、決まりがある以上、いくら自分に甘い点数を付けた所で、それに見合っているか?になるのね。ただそれでも、それに似ているかどうか?の判断なのね。所がお絵かきタイルのようにランダムな形からのスタートで、

しかも、みんながみんな同じ形を切るとは限らず、自由となると、どうするべきか?って考えないとならないのね。それは決まりが無いからなのね。簡単な話で、決まりがある時は、それにいかに似せるか?であり、自由な場合は、真似られないから、考える事になる。

これがレシピ、図面、楽譜があるって言うスタイルと、オリジナルって言う考えないとならないスタイルの違いなのね。つまりタイルを切るって行為は一緒でも、全てがこんなに違うのね。その時に人は大抵思い込むものなのね。例えば丸は難しい・・・とかね。勝手な思い込み。

すると、ディフェンダー的性格だと、身の丈身の程って気持ちになるから、私に出来るだろうか?きっと難しいに違いないとか、後ろ向きになったりする。逆にフォアード的性格だと、やってもいない事はやって見ないと判らないじゃんって、何の根拠も無く、突き進む的になったりするのね。

例えばこんな違いがあるとしたら?同じ事を進めたとして、結果が変わるのは言うまでも無く当たり前なのね。しかしながら、前者がもし難しいと思い込んでいたものが、出来たぁ・・・って事になると、それが自信になれば、もう一度・・・ってチャレンジする気持ちに繋がるが、失敗を重ねると、

またか・・・って言う事になり、遠い記憶を思い起こす場合もある。それは以前、ぶきっちょとか、家族に器用な人が多く、そんなレッテルを貼られたような場合ね。やっぱり駄目かぁ・・・ってね。所がこの気持を払拭出来ると、みんなスタートは一緒になるのね。

例えば、絵は描かない・・・って事にすれば、オリジナルでは無くて、真似をするとね。方法はいくらでもあるのね。逆に難しいのは、絵が上手く、何をやっても器用な人の場合、やりたい・・・って気持ちはみんな一緒であっても、今回も上手く行く前提なのね、大抵。

こんな後者は、今日も上手く行けば、結果に満足すれば、あぁモザイクってこんな感じね・・・と、体験で把握したかのようになったりもする。こんなもんか・・・とね。こんな場合は続かないのね。逆に、こんなもんじゃ無い・・・なんて場合、何しろ満足した結果を得たいなんて場合は、

続く事になる。ただそれはどれもが結果が良い側の場合で、難しいのは下絵を大幅に下回った場合。簡単に言えば、滑らかな髪なんて繊細に描けても、初めてタイルを切るのに、果たしてそんな繊細に切れるか?となったら、まず俺にも不可能なのね。何故なら体験の大きさなんて鍋敷き程度。

けれど、達人はその大きさがあれば、とんでも無い絵が描けるのね。そんな細さは切るのは無理なのね。つまりそれをやるには、それが切れる大きさまで拡大しないとならず・・・恐らく何年も掛かる事になるだろうね。こんな場合、これでも駄目?これも?みたいに、やる気が削がれるのね。

まぁこんな精神論的な事が、目に見えない技術論にも繋がるのね。だってその人の考え方なのだから。しかし厄介なのは、自覚が無いから、そんな事は思っていない・・・って頑張れば、どんどんと露呈する事になるし、認めるには勇気が必要になる。気って見えない事は、見ようとしなければ、

結果次第で、何でこうなったんだろう・・・って言うのと、ラッキーの繰り返しになるのね。本当に上手くなるって言うのは、これが最善と考えて、結果が良かろうが、悪かろうが、その時の最善で進んだのだから、結果が悪かったとしても後悔は少ないのね。その時の最善だったのだから。

ただ、そこで考える事を怠ると、あぁして置けば良かった・・・みたいに、後悔先に立たず的な事になりがちなのね。ただもっと上手くなると、それでも納得が行かず・・・作りての欲望とは果てしないものだったりもするのね。そんなこんなで合間の金魚の壁画。

こんな仕込みや

朝顔なんて作ったのね。


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