川本ちょっとメモ

★所感は、「手ざわり生活実感的」に目線を低く心がけています。
★自分用メモは、新聞・Webなどのノート書きです。

沖縄戦、軍司令官の自死は「自決」 住民の自死は「集団自殺」でも、沖縄戦に限って「集団自決」と言います

2023-06-27 19:48:17 | Weblog

2023-06-23
きょうは「沖縄慰霊の日」 住民集団自殺の例を紹介します その1 慶留間島
2023-06-24
沖縄戦 住民集団自殺の例を紹介します その2 座間味島
2023-06-25
沖縄戦 住民集団自殺の例を紹介します その3終 渡嘉敷島、伊江島



 私は「自決」ということばを好みません。差し支えないと思う場合には「自殺」ということばに言い換えています。



 1945年6月13日、沖縄守備第32軍海軍沖縄根拠地隊司令官大田実海軍少将(死後中将に昇進)が豊見城の司令部壕内に於いて拳銃で自決しました。


 大田司令官はその最期に際して、後世読む人の感涙を誘う有名な「沖縄県民カク戦ヘリ、県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」という電文を打電しています。しかし残念なことに大田司令官の「特別ノ御高配」遺言はまだ実現していません。

 

 1945年6月19日、沖縄守備第32軍司令官牛島満中将は最後の軍命令を発しました。

「今や刀折れ矢尽き軍の運命旦夕(たんせき)に迫る。…(略)…爾今(じこん)各部隊は各局地における生存者中の上級者之を指揮し最後迄敢闘し悠久の大義に生くべし」


1945年6月23日未明、第32軍の軍司令官牛島満中将と参謀長長勇少将は割腹して自決しました。

 こうして軍司令官は死にましたが、「生存者中の上級者之を指揮し最後迄敢闘し」という第32軍命令が死ぬことはなく、6月23日以後も8月15日以後も抵抗をつづけた将兵がいました。

 第24師団本部は6月30日全滅、第24師団第32連隊本部は8月25日投降、独立混成第44旅団国頭支隊の残存将兵は10月1日投降、という記録が残っています。

 
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沖縄戦 住民集団自殺の例を紹介します その3終 渡嘉敷島、伊江島

2023-06-25 17:38:59 | Weblog

2023-06-23
きょうは「沖縄慰霊の日」 住民集団自殺の例を紹介します その1 慶留間島
2023-06-24
沖縄戦 住民集団自殺の例を紹介します その2 座間味島



 私は「自決」ということばを好みません。差し支えないと思う場合には「自殺」ということばに言い換えています。




  改訂版 沖縄戦 民衆の眼でとらえる戦争 P156から


 座間味島の向かいにある渡嘉敷(とかしき)島では、自決者三二九名。

   隊長命令で西山に集結した渡嘉敷、阿波連(あはれん)部落の住民が日米両軍
 の狭間に追いこまれて、恩納(おんな)河原で一斉に自決した。家族ごとに手榴
 弾がくばられていたが、不発弾が多く、死にそびれた者たちはコンボウや鍬な
 どで頭を割って凄惨な最期を遂げた。


 伊江島。

  前線から逃げてきた防衛隊員が住民壕に合流し、これを追撃してきた敵戦車
 が洞窟入口から攻撃をかけてきた時、彼らが携帯していた急造爆雷で住民もろ
 とも自爆した。数か所の壕で集団自決が発生したことは確かだが、犠牲者数は
 はっきりしていない。

  アハシャ壕では約一二〇名の避難民が隠れていたが、生き残ったのは二〇
 名が確認されているだけである。


 
 
 


 ※当時の「陸軍防衛招集規則」では、満17歳から満45歳までの男子で兵役にもれ
  た者が防衛隊に招集されることになっていました。




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沖縄戦 住民集団自殺の例を紹介します その2 座間味島

2023-06-24 16:03:07 | Weblog

2023-06-23



 私は「自決」ということばを好みません。差し支えないと思う場合には「自殺」ということばに言い換えています。





   改訂版 沖縄戦 民衆の眼でとらえる戦争 P154から


  慶良間諸島の中の座間味(ざまみ)島では敵前上陸直前に役場の職員が各住民
 壕をまわって、住民は男女を問わず軍の戦闘に協力し、老人子どもは忠魂碑前
 に集合、全員自決せよ」という通達を伝えてあったが、忠魂碑前は砲撃がはげ
 しくて集合がかなわず、めいめいの家族壕で手榴弾、カミソリ、鎌などで自殺
 を遂げた者がおおかった。



  ヤマト馬という横穴壕では、住民約二〇名が一本のロープで絞め殺された。
 絞めたのは体力のある男性で、ロープの端を杭木に結びつけ、一人一人の首に
 ロープを巻きつけて一方の端を強く引っ張って絶命させた。もちろん、自分も
 死ぬ覚悟であったが、二〇名を始末して最後にのこった自分はどうしても死ぬ
 ことができず、放心状態で壕から逃げていった。


  また、裏の高月山の中腹にある組合壕には村長、助役以下の村の幹部が避難
 していたが、敵上陸直後に一斉に自決が行なわれた。この壕からは一人の生還
 者もないので真相は明らかでないが、遺骨の状況からみて防衛隊長がもってい
 た小銃でとどめをさしたものと推測されている。

  現場には「村長、助役以下五九名集団自決之地」の碑が建っている。


   座間味島の自決者一七七名。



 ※当時の「陸軍防衛招集規則」では、満17歳から満45歳までの男子で兵役にもれ
  た者が防衛隊に招集されることになっていました。



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きょうは「沖縄慰霊の日」 住民集団自殺の例を紹介します その1 慶留間島

2023-06-23 19:35:29 | Weblog



 私は「自決」ということばを好みません。差し支えないと思う場合には「自殺」ということばに言い換えています。




  改訂版 沖縄戦 民衆の眼でとらえる戦争 P153から


  慶良間諸島の中の慶留間(げるま)島では米軍上陸(1945年3月26日朝)と
 同時に一斉に自決がおこなわれた。


  同島に配属された海上挺身隊の舟艇壕は部落とは反対側の北海岸にあるので
 住民と部隊との接触はない。


  男たちはほとんど防衛隊にとられて島外に出ており、女と子どもと老人だけ
 の島になっていた。それでも敵が上陸してきたら竹槍で戦うように教えこまれ
 ていた。そして、最期の覚悟について防衛隊の男たちは家族の者たちに言いふ
 くめていたのである。


  いざ、敵が上陸してきたとき、上陸用舟艇の陣容の前に竹槍ではどうするこ
 ともできなかった。人びとは雪崩をうって山の中に逃げこんだ。山といっても
 標高一五七メートルの森である。どこといって逃げ場はない。


  山の中ではすでに家族ごとに殺し合いがはじまっていた。手榴弾は配られて
 いないので、子どもは親が手にかけて絞め殺し、ネコイラズ
(殺鼠剤)を奪い
 合って口にふくみ、木の枝に縄をかけて首をくくり、あるいは砲爆撃で燃えつ
 づけている炎の中にとびこんで自殺した。


  一時間とたたないうちに慶留間(げるま)の総人口約一〇〇 名のうち五三名
 が命をたった。




 ※当時の「陸軍防衛招集規則」では、満17歳から満45歳までの男子で兵役にもれ
  た者が防衛隊に招集されることになっていました。



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なんでこれが全国ニュース? 6月14日、森喜朗元首相「小渕氏を華やかな舞台に」

2023-06-18 22:37:16 | Weblog




 ニュースを検索していると、いくつもの関連ニュースが表示されます。目的があって検索するのですが、関連表示がずらりと並ぶ中から目的から外れた事柄へ道草することがしばしばあります。基礎体力が弱くなり、相応して集中力が貧しくなっています。

 でもこの道草で、今まで知らなかったことに出会うきっかけになることがしばしばあります。新しいきっかけで、知らなかったことを知りたいという意欲が元気になりますから、道草も悪いものではありません。



  「小渕優子氏を華やかな舞台に」 森喜朗元首相、期待示す

               福島民報 2023/06/14 21:25

  森喜朗元首相は6月14日、東京都内のホテルで開かれた自民党の小渕優子組織運動
 本部長のパーティーであいさつし、政権の重要ポスト就任に期待を示した。「小渕氏
 を華やかな舞台にもう一度登場させたい」と述べた。

  11日死去した青木幹雄元官房長官にも触れ「小渕氏が飛躍した場所に座ってから、
 逝きたかっただろう。心残りだったと思う」としのんだ。小渕氏は政治資金規正法違
 反事件を巡り2014年に経済産業相を辞任した経緯がある。

  <政治とカネ> 安倍内閣の小渕優子元経済産業大臣 大臣辞職したが議員辞職はなし

  小渕氏は、青木氏との思い出を振り返り「ご指導に恥じない仕事を一生懸命してい
 きたい」と語った。

  森氏は2000年当時、小渕氏の父、恵三首相が脳梗塞で倒れた後、後継の首相に就い
  た。



 原発事故があってから、たまに福島民報を見ることがあります。そんなときに上の記事を読みました。



 森喜朗元首相が小渕優子議員のことを持ち上げたのは、小渕氏の後援者向けパーティーの席上のことでした。招待された森元首相が小渕氏を持ち上げたのは、こういう場合の来賓の常套文句です。

 資金稼ぎを兼ねた国会議員の後援者向けパーティーは頻繁にあって、珍しいことでもありません。



 ですから、こんなニュースは群馬の地方ネタていどなのに、何で東北の福島民報に載っているのか疑問に思いました。このニュースを検索してみると、同じニュースが何行も出てきます。私は神戸新聞を拾ってニュースを見ました。福島民報と同文です。

 このあたりで気づくところがあって、共同通信ニュースを閲覧するとやはり福島民報と同文でした。福島民報も神戸新聞も共同通信の契約地方紙でした。

 共同通信の配信ニュースとわかっても、衆議院比例区の北関東ブロック圏域のローカルネタが近畿ブロックの神戸新聞、東北ブロックの福島民報に載ることに疑問が残りました。しかし、その当たりの詮索はやめておきます。



 上のニュースにある故青木幹雄元官房長官、森喜朗元首相、故小渕恵三首相の人間関係を見てみましょう。

 故小渕恵三首相は2000年4月、脳梗塞で倒れて意識不明となりました。この緊急事態に際して当時の青木幹雄官房長官が派閥領袖のうち4人を急きょ招集しました。5人の密室会議として当時から有名になったエピソードで、私もよく覚えています。

 森喜朗氏の後継首相就任はこの密室会議で決まったと言われています。

 小渕内閣の青木官房長官は、後継森喜朗内閣の官房長官も務めました。
 青木幹雄氏は一方、小渕首相急死の後を受けて、小渕優子氏の政界後見人と認められてきました。

 小渕優子氏は当選回数も多く、今やベテラン議員に入る実力派議員です。
 小渕優子氏 1973年12月11日生まれ。2000年6月、26歳、衆議院議員初当選。



 この3氏の人間関係に注目してみると、上のニュースが生き生きとしてきます。通常国会会期末6月の衆院解散問題と共に内閣改造も政界の興味を呼んできましたが、会期末解散が無いとなれば内閣改造がさらにクローズアップされてきます。

 6月14日小渕氏パーティー席上の森元首相の「小渕氏を華やかな舞台にもう一度登場させたい」 発言は、6月14日の小渕パーティー時点で、森喜朗元首相が衆院解散無しを知っていたことを示し、次の衆院解散前に内閣改造があると観測していることを示しています。

 夏の終わりごろに内閣改造があれば、小渕優子氏の入閣はありそうですね。
 反対に、問題満載の高市大臣は消えるでしょう。



       岸田首相 「今国会の会期内では衆議院を解散しない」
 
           NHK 2023年6月15日 20時15分

  岸田総理大臣は6月15日夜、総理大臣官邸で記者団の取材に応じました。

  この中で岸田総理大臣は「立憲民主党が内閣不信任案を出すというのであれば、
 即刻否決するよう、先ほど自民党の茂木幹事長に指示を出した。公明党の山口代表
 にも協力を求めた」と述べました。

  そのうえで、記者団が「今の国会で衆議院を解散しないということか」と質問した
 のに対し、岸田総理大臣は「今国会での解散は考えていない」と明らかにしました。


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第211回通常国会会期末衆院解散中止と次の解散時期など

2023-06-16 14:50:51 | Weblog



 昨日6月15日夕方、岸田首相が今通常国会期末の衆院解散は無いと記者発表しました。この1カ月ほど衆院解散の思惑を巡ってどの政党も落ち着かない日々を送ってきましたが、これで解散騒ぎは暑中が過ぎるまで小休止となりました。


 統一地方選挙が4月に前期・後期の2回ありました。全国の多くの地方議員たちとその陣営・後援会は全力疾走し終わって、5月に入って一息つき始めたところでした。


 統一地方選の年の通常国会開会中の衆院解散は、疲れ切っている地方議員や後援会を苦しめ痛めつけることになります。ですから、参院選などのように定期循環が重なるものを除いて、統一地方選の年は8月、葉月のお盆が明けるまでは、衆院解散総選挙などを避けるのが普通なのです。


 臨時国会の開会は通常、9月中旬から10月始めのころです。
 内閣改造があるとすれば、臨時国会開会前です。


 内閣改造がなければ、制度的には臨時国会冒頭解散だってあり得ます。
 内閣改造があれば、次の衆院解散の機会は臨時国会開会中の11月です。

 

 このたびの第211回通常国会会期末の解散危機で、
 すぐさま表面化したのが、①自公間の東京都内小選挙区選挙協力の解消です。
 引き続き表面化したのが、②首相公邸赤じゅうたん階段の写真です。



 ①の次期衆院選について、東京都内小選挙区における自公選挙協力解消の方針は今日6月16日現在、変わりありません。


 そして、東京以外での自公選挙協力については、公明党の石井啓一幹事長が今日6月16日の記者会見で、自民、公明両党が次期衆院選に向け、東京以外での協力に関する合意文書を今月末にも交わす方向で調整していると明らかにしました。 



 ② 首相公邸赤じゅうたん階段の岸田親族若者の集合写真は、首相補佐官長男のアホさを国民の前にさらけだしました。このことがあったのは昨年12月30日。


 日常の公邸に住んでいるのは父首相と長男翔太郎氏の二人ということです。もう住み慣れているのですから、公邸生活がどうあるべきかという心構えができていなければいけません。それができていない翔太郎氏は、政治家としての素質がないと断定できます。適性が無さすぎます。民間で平凡なしあわせの道を探求されるようお勧めいたします。


 これを許した父親の緩さにも、公私混同としては「ばれたのは運が悪かった」というていどの認識だろうと想像します。自民党支配が揺るがない日本政界における大物政治家の公私混同倫理はこのように緩いものなんでしょう。


 ついでに言えば、赤じゅうたん階段に一人で寝そべっていたのは、岸田首相の3歳下の実弟の子息です。この岸田首相実弟氏は、外国人の国内労働を支援する『フィールジャパンwith K』代表取締役の岸田武雄氏。会社のホームページには「『特定技能制度』を活用したインドネシア人採用の支援を行っています 」とあります。インドネシア人の特定技能制度採用に特化していて盛業のようですから、岸田首相の実弟という立場が有利に働いていることはまちがいありません。



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55歳の女性が亡くなりました FNNオンラインで悲哀のニュースストーリーを伝えています 夜明け前に涙抑えがたし

2023-06-09 04:28:11 | Weblog


  ※2023.5.21. FNNプライムオンラインの記事に拠っています。



 昨年、55歳の女性が亡くなりました。息子が世話をしていました。
 
 その母親は糖尿病とうつ病を、長年、患っていました。
 一日のほとんどを寝て暮らしていました。

 37歳の息子から暴行を受ける日がつづいた末に、
 息子が呼んだ救急車で入院し、2か月後に亡くなりました。


 この事件が起きたのは2022年7月。
 息子は傷害致死の罪に問われ、検察の求刑は懲役7年。
 先月2023年5月、東京地裁で懲役5年の判決が下りました。

 
 息子が10歳のころ両親が離婚しました。
 その後は母親、息子、7歳下の妹の3人暮らしでした。

 妹は6年前に結婚して別に暮らすようになりました。

 息子は高校卒業後、
 接客のアルバイトや派遣の仕事を転々としましたが、
 妹が別に暮らすようになった30歳ごろには仕事をやめて、
 つきっきりで母親の世話をするようになりました。
 
 母と息子二人暮らしの生計は、母親の生活保護費に頼っていました。



妹への証人尋問

──母親はどんな生活だった?

 基本的にゴロゴロ、だらけている感じ。
 浴びるようにお酒を飲んでいた。
 朝起きると焼酎のボトルがあって、ひっきりなしに飲んでいた。


──被告人やあなたに対しては?

 暴力をふるったり、嫌なことを言ったり。高校の制服を破られたこともあった。


──母親がうつ病で困ったことは?
 
(母が)「1人でいられない、寂しい、1人になりたくない」と言って、
 小学生の時に学校に行かせてくれないことや、
 遊びに行かせてくれないこともあった。


──家事は?

 母はできなかったので、兄が積極的にやって、私も手伝っていた。

    被告(息子)は10歳のころから、料理や洗濯、掃除などの家事を全てこなして
    いたという。

    妹は「母親の良いところは」と問われると「正直良い思い出がない」と話した。


──当時、誰かに相談は?

 できなかったです、そういう力がなかった。みんなバラバラになってしまうと思っていた。幼少期に、兄がいてくれて本当に助かった。



被告人質問

    被告は携帯電話を持っていなかった。「無職であることに負い目を感じ、友達
    との関係も絶った」と話した。


──お母さんとあなたとの関係、狂気だと思うが、どう思う?

 母は普通じゃない人間だったが、自分も普通じゃないことばかりをやった。
後悔しています。


──暴力をふるわれたお母さんの気持ちは?

 自分の息子から無慈悲な暴力をふるわれて、とても苦しかっただろうと思い
 ます。

 「母親への復讐だったのか」と問われると「恨みや憎しみはなかった」と否定
 した。



 「幼少期に、兄がいてくれて本当に助かった」という妹の証言からは、被告人となった心やさしい兄を支えようとする気持ちが伝わってきます。


 被告人質問で、裁判長の「親子が狂気の関係だと思わないか」という問いかけに、被告息子は「母はふつうじゃなかったが、自分も普通じゃなかった。後悔しています」と供述しました。心からそう思っているのだと思います。



 もう一つの被告人質問。母を死に至らしめた激しい折檻、1週間で50回から100回くらいと息子自身が供述しているほどの暴行について、裁判長は「母親への復讐か」と問いかけました。

 被告息子は「恨みや憎しみはなかった」と供述しています。これもまた、私はわかるような気持でいます。


 そういう親子関係もあるだろうと思うのです。



 明治生まれでとっくに亡くなっている私の祖母は第1子出産後に、まったく耳が聞こえなくなりました。以後死ぬまで聴覚ゼロ。もとからの自分中心屋で嫉妬心が強く執拗な性格に、猜疑心が加わりました。そのうえ祖父は三十代後半で病死しました。

 とにかく人を見ると、仕草や態度、目つき表情を異常なほどに観察します。自分をバカにしてないか、異常なほど神経を立てています。

 それだからとにかくつきあいが難しい。4人の子を産みましたが、4人とも祖母のおかげで大変な苦労を強いられました。孫である私でさえ、皮ベルトか鯨尺3尺の竹尺で叩かれたことがたびたびありました。叩かれたところはみみず腫れになりました。

 四六時中、自分中心でないと荒れて、手に負えない私の祖母でした。次男家族と同居していて、ほかの3人の子それぞれが少なくとも週に1回、祖母のごきげん伺いをしていました。4人の間で祖母を罵りあって憂さ晴らしすることはしばしばありましたが。


 私はかなり極端な性格の祖母を見てきました。祖父病死後の私の母の少女時代は祖母を抱えてたいへんな生活環境にあった様子を何度も母から聞いています。


 ですから、暴行致死に至ったとげとげしく希望のない親子生活の中にあって、「後悔している」とか「恨みや憎しみはない」という被告息子の心を自然に受け留めることができます。



 母親はうつ病だったと言います。妹の証言から察するに、片時も一人でいられないほど不安に駆られています。息子か娘のどちらか一人がいつも自分のそばに居てほしい、というありさまでした。

 被告息子は、そういった母を可哀そうに思う気持ちがあり、それをどうにもできない自分自身のふがいなさとの間に葛藤が宿っていたのだと思います。


 とにかく、被告息子には、母親を恨む、憎むという心が無かった
 母親の心も、この被告息子に呼応するものであったに違いありません
 折檻に苦しんでも、息子を恨む、憎むという心は無かったものと思います


 被告息子の暴力行為のために意識不明となって救急入院しました。
 命絶えるまで2カ月の間、意識不明であっても思いはいろいろ巡っています。

 その間、母親は息子が供述したと同じように「後悔」していたでしょう。

 そして、二人の子に「済まなかった」というお礼とお詫びの気持ちが巡っていたに違いありません



 被告息子の供述やその妹の証言を見て、その心中に思いを馳せているうちに夜明け近くになりました。各地に線状降水帯の予報が出ていて、外は雨が降っています。



 この裁判事件について心のひだに触れるような記事を書いてくれたTBS社会部の記者も、さまざまな思いに駆られたのではないでしょうか。記者の心に響いた感傷が下の一文に隠れているように思います。


 傍聴席では、被告の妹が幼い子どもと一緒に、裁判の様子を見守っていた。  



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<頭の体操 首相公邸は首相専用貸家>  首相は借家人、貸主は国民、国民奉仕期待で賃貸料免除

2023-06-04 09:53:21 | Weblog


 5月25日、昨年2022年12月30日の岸田首相家親族の忘年会の模様をbunshun.jpが伝えました。場所が首相公邸であり、岸田翔太郎首相秘書官を真ん中にした親族の若者12人のひな壇集合写真、さらに若者1人がひな壇に寝そべる写真が衆目の好奇心を呼び、非難が巻き起こりました。その結果、長男の首相秘書官は6月1日付で辞職しました。

 さらにFRIDAYのサイトが、岸田翔太郎氏辞職当日の6月1日、岸田首相夫妻を真ん中にした親族集合写真を1枚、掲載しました。


 このことについて日刊スポーツ5月30日が、当日のニッポン放送「辛坊治郎ズーム そこまで言うか!」の辛坊治郎氏発言を紹介しました。そのうちの首相公邸に関する発言が次のことばです。


「多くの人は勘違いしてませんか。官邸じゃないんだよ、公邸だよ? 公邸って言うのは自宅の代わりだよ」

「歴代の総理大臣の中には、公邸ってオバケも出るし住みにくいから嫌だって言って自宅(私邸)から通っていた人もいる。公邸と官邸はつながっていて、危機管理上は本当は総理大臣は公邸に住んだ方がいい」


 首相公邸は首相のプライベート空間であると、辛坊氏は言います。
 首相公邸は首相官邸という公的空間につながっていると、辛坊氏は言います。
 それは国家の危機管理の必要性に呼応するためだと、辛坊氏は言います。
 それでも歴代の中には私邸に住んだままの首相がいたと、辛坊氏は言います。
 
 そして …… 


「俺がもし総理大臣なら、公邸だよ? 官邸じゃなくて自宅だよ? 俺は住みたくないんだけども、危機管理上、住めって言うから、しょうがねぇから住んでやってんだよ! 宴会しようが、どこで写真撮ろうが、大きなお世話だバカヤロー! って私なら言うね」


 辛坊治郎氏は大阪読売テレビのアナウンサー出身で、こういった物言いの調子が売りで、人気があります。どこがいいのか、私なんか好みに合いません。


① 住みたくないのなら、首相を辞職すれば良い。現職首相の退任を神仏に祈っ
 て好機を待つ数々の政治家が、即座に名乗りを上げるでしょう。
 
        (注)国会は国会議員の集合体、国会議員は国民の代理人と見ます。

② 公邸は国有財産で、管掌は財務省。公邸の使用権者は総理大臣。

③ 憲法第六十七条 内閣総理大臣は、国会議員の中から国会の議決で、これを
 指名する。この指名は、他のすべての案件に先だって、これを行う。

④ 公邸には、通常の意味での所有権者がありません。日常感覚でとらえてみま
 しょう。

  ・公邸は国有財産 → 主権在民だから、所有権者は私たち国民 → 国民が家主

 ・首相を決めるのは国会 → 衆参両院事務局 → 賃貸仲介不動産屋さん

 ・首相の公邸使用権は就任日から退任日の限定期間 → 首相は借家人

 ・首相が国民奉仕に尽くしてくれるよう願って、貸家賃貸料免除。

 ・首相の公邸利用には通常感覚を越えた「特別の節度」をお持ち願います


 辛坊治郎氏の特別人感覚と暴言にはとても耐えられません。


 朝日新聞5月27日~28日全国世論調査(電話)が、
 岸田文雄首相長男の岸田翔太郎秘書官が公邸で親族と忘年会を開いたことについて、
 どの程度問題だと思うか聞いてみた結果は次の通り。

   大いに問題だ  44%       あまり問題ではない 19%
   ある程度問題だ 32% 小計76%  全く問題ではない   5% 小計24%



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2023 G7広島サミット

2023-05-21 07:32:08 | Weblog


 (はじめに) 原爆資料館の正式名は広島平和記念資料館です。


 一昨日2023年5月19日、G7広島サミットに参集した各国首脳が広島平和公園原爆慰霊碑献花に続いて、広島原爆資料館を訪問しました。


 7年前のG7伊勢志摩サミットでは …… 。


 2016年5月27日、G7伊勢志摩サミット終了後に他国首脳と別れて、当時の米国オバマ大統領が単独で広島に移動し、原爆慰霊碑献花、原爆資料館を訪問しています。当時の安倍首相が案内し、岸田外相が随伴しました。

 慰霊碑献花では、被爆米兵を調査してきた被爆者の森重昭さんをオバマ大統領がそっと抱き寄せた、立ち姿のシーンが人々の共感を呼びました。

 そうではありましたが、オバマ大統領は原爆資料館に入ったものの館内の観覧もせず、ロビーにおいて10分間、館長からレビューを受けたにとどまったと、当時の館長が残念そうにNHKニュースで述懐していました。


 前回オバマ大統領の広島原爆慰霊碑献花と原爆資料館訪問と今回のサミット首脳の献花・資料館訪問とでは、世界への「非核あるいは核制限」ニュース発信訴求力の差は比較にならず、段違いと言えます。


 2016年と2023年とで、「広島原爆」のニュース発信力にここまで大きな差異ができたのは、G7議長国の主催者である2016年安倍首相と2023年岸田首相の思い入れの違いにあると、私は強く思っています。


 2016年G7議長国の折に、オバマ大統領を広島原爆慰霊碑と原爆資料館に呼び込む力になったのは、当時の安倍首相の主導ではなく、当時の岸田外相の主導によるものだと、私は考えます。

 2016年G7で、当時の安倍首相の気持ちは「伊勢神宮」にありました。そしてG7サミットを伊勢神宮のひざ元で開催しました。


一方、同じ2016年G7で、当時の岸田外相の気持ちは「広島原爆」にありました。そしてG7外相会合を広島で開催し、G7外相そろって原爆慰霊碑献花と原爆資料館視察を行いました。

 資料館視察は40分間でした。オバマ米大統領(当時)のロビーで10分間とは大きく異なります。

 ケリー米国務長官(当時、他国の外相相当)は特に感じ入ることが大きかったと言われています。

 ですから、オバマ大統領を原爆慰霊碑献花に押し出すことには、ケリー国務長官の提言もあったのだろうと推察します。要は岸田外相(当時)の思いが通じたということでしょう。



〇 2016年G7サミット、安倍首相(当時)の背景

 2016年のG7伊勢志摩サミットで、当時の安部晋三首相はG7首脳に「伊勢神宮」をアピールしました。

 2016年G7伊勢志摩サミット当時の総理大臣は故安部晋三氏でした。

 故安倍晋三首相がG7サミットを伊勢神宮の地を選んだことには、彼の政治信条があったでしょう。バックボーンとして彼を支える神道政治連盟議員や日本会議所属議員たちは、きっと喜んだに違いありません

 2016年5月26日、G7各国首脳が伊勢神宮訪問。


 2016年のオバマ米国大統領の広島原爆慰霊碑献花は日本国内では広く知られていますが、日米間のこととして諸外国の注目を得てはいません。

 おまけに米国内では、広島原爆投下の正当性否定につながるようなことを歓迎しないのが世論の多数派ですから、アメリカ国内報道の扱いは小さなものでした。

 2016年5月27日、オバマ米国大統領(当時)がG7首脳会議解散後に、広島訪問。


 それでも、広島原爆慰霊碑オバマ献花は、当時の岸田外務大臣の思い入れが実ったものと推察できます。

 なぜならば、2016年G7外相会合は広島市で行われ、G7外相がそろって原爆慰霊碑献花をし、原爆資料館で40分ほど過ごし、特に当時の米国ケリー国務長官(※外務大臣に相応)は1時間近くも資料館に滞在したと言われているからです。このときのG7外相会合のコースは、今回の2023年G7首脳会合と同じものです。



〇 今回の2023年G7サミットの慰霊碑献花・資料館視察

 5月19日 G7首脳 …… 原爆慰霊碑献花、原爆資料館40分視察
     〈日本〉岸田首相、〈アメリカ〉バイデン大統領、
     〈イギリス〉スナク首相、〈イタリア〉メローニ首相、
     〈カナダ〉トルドー首相、〈ドイツ〉ショルツ首相、
     〈フランス〉マクロン大統領、〈EU〉フォンデアライエン委員長 

 5月21日 G7招待8カ国 …… 原爆慰霊碑献花
   〈インド〉モディ首相 …… 主要20カ国・地域(G20)議長国
   〈インドネシア〉ジョコ首相 …… 東南アジア諸国連合 ASEAN 議長国
   〈オーストラリア〉アンソニー・アルバニージー首相 … クアッド議長国
   〈韓国〉ユン・ソンニョル(尹錫悦)大統領
   〈クック諸島〉マーク・ブラウン首相 …… 太平洋諸島フォーラム議長国
   〈コモロ〉アザリ・アスマリ大統領 …… アフリカ連合(AU)議長国
   〈ブラジル〉ルーラ大統領 …… 新興5カ国(BRICS)構成国
   〈ベトナム〉ファム・ミン・チン首相 …… 東南アジアの主要国 

 5月21日 G7招待国際7機関トップ …… 原爆慰霊碑献花
     国連、国際エネルギー機関(IEA)、国際通貨基金(IMF)、
     経済協力開発機構(OECD)、世界銀行、世界保健機関(WHO)、
     世界貿易機関(WTO)
      ※国連事務総長の姿をニュースで見ましたが、ほかは見当つきません。

 5月21日夕方 G7招待国 …… 原爆慰霊碑献花、原爆資料館視察
   〈ウクライナ〉ゼレンスキー大統領 …… アラブ連盟会議からフランス政府
                       専用機で20日午後広島入り


 このように、諸国トップ・諸国際機関トップの広島原爆慰霊碑献花は過去最多であって、これだけでも私はこのたびの岸田外交を歓迎します。

 もちろん人それぞれに、日ごろ、岸田政治へのさまざま注文、批判がおありのことでしょう。私だって同じです。しかし、平和への歩みは遅々として進まずが常態。一歩前進二歩後退のウクライナ戦争、台湾・南シナ海不安の国際情勢に応じた今回の「核兵器使用への戒め」横並び一歩について、G7議長国岸田首相とG7首脳、招待国首脳、グテーレス国連事務総長はじめ招待国際機関トップの広島参集を私は高く評価します。



〇 2023年G7サミット首脳の広島平和記念資料館芳名録5・19公開  

〇 岸田文雄首相
 歴史に残るG7サミットの機会に議長として各国首脳と共に「核兵器のない世界」をめざすためにここに集う。

〇 アメリカのバイデン大統領
 この資料館で語られる物語が、平和な未来を築くことへの私たち全員の義務を思い出させてくれますように。世界から核兵器を最終的に、そして、永久になくせる日に向けて、共に進んでいきましょう。信念を貫きましょう!

〇 イギリスのスナク首相
 シェークスピアは、「悲しみを言葉に出せ」と説いている。しかし、原爆の閃光に照らされ、言葉は通じない。広島と長崎の人々の恐怖と苦しみは、どんな言葉を用いても言い表すことができない。しかし、私たちが、心と魂を込めて言えることは、繰り返さないということだ。

〇 イタリアのメローニ首相
 本日、少し立ち止まり、祈りを捧げましょう。本日、闇が凌駕するものは何もないということを覚えておきましょう。本日、過去を思い起こして、希望に満ちた未来を共に描きましょう。

〇 カナダのトルドー首相
 多数の犠牲になった命、被爆者の声にならない悲嘆、広島と長崎の人々の計り知れない苦悩に、カナダは厳粛なる弔慰と敬意を表します。貴方の体験は我々の心に永遠に刻まれることでしょう。

〇 ドイツのショルツ首相
 この場所は、想像を絶する苦しみを思い起こさせる。私たちは今日ここでパートナーたちとともに、この上なく強い決意で平和と自由を守っていくとの約束を新たにする。核の戦争は決して再び繰り返されてはならない。

〇 フランスのマクロン大統領
 感情と共感の念をもって広島で犠牲となった方々を追悼する責務に貢献し、平和のために行動することだけが、私たちに課せられた使命です。

〇 欧州連合(EU)のミシェル首脳会議常任議長
 80年近く前、この地は大いなる悲劇に見舞われました。このことは、われわれG7が実際何を守ろうとしているのか、なぜそれを守りたいのか、改めて思い起こさせます。それは、平和と自由。なぜならば、それらは人類が最も渇望するものだからです。

〇 欧州連合(EU)のフォンデアライエン欧州委員長
 広島で起きたことは、今なお人類を苦しめています。これは戦争がもたらす重い代償と、平和を守り堅持するというわれわれの終わりなき義務をはっきりと思い起こさせるものです。



 2016年G7にくらべて、2023年G7をとりまく世界事情は大きく変化しました。今回のG7では、ロシアの戦術核威嚇やザポリージャ原発・チェルノブイリ原発がロシア軍に占領されているという原発危機に対する認識が目前にあります。


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<原発> 運転可能年数、一気に60年超へ 南日本新聞が賛否調査

2023-05-10 15:32:56 | Weblog



2023年2月28日、「脱炭素社会の実現に向けた電気供給体制の確立を図るための電気事業法等の一部を改正する法律案」が閣議決定され、同日、開会中である第211回通常国会に提出されました。  経済産業省関係サイトから←クリック

こう紹介されても普通の人なら、それがどうしたん、私に何の関係があるのん、と煩わしい思いで聞き流して記憶にも残りません。


しかしこれは、次の新聞記事に関わる重要なことなんです。

(2023.4.27. 17:04  毎日新聞記事から)  電気事業法など五つのエネルギー関連法を改正し、原発の60年超運転を可能にする束ね法案「GX(グリーントランスフォーメーション)脱炭素電源法案」は4月27日、衆院本会議で賛成多数により可決され、衆院を通過した。参院に送付される。(毎日記事引用おわり)


毎日新聞記事が伝えているように、当該原子力発電炉(以下、原子炉)供用開始後の正味運転可能年数を現行40年から、60年に延長し、そのうえ点検・修理のために運転休止していた年月数合計を加算することを認める話です。法案は衆議院を通過し、参議院審議待ちですから、これで決まりです。

もともとの原子炉運転年数規制は30年でした。
それが40年に延長されました。
そしてこのたび一気に60年を超えた。

点検・修理等の運転休止年月を加算すれば、運転可能70年くらいまでいくかもしれません。


 
〇 川内原発、運転延長40年超・60年超に関する賛否調査

九州電力川内原発(鹿児島県薩摩川内市)が2022年10月に、20年の運転延長(運転期限60年まで)を原子力規制委員会に申請しています。現行40年の期限が迫っているそうです。

先月、2023年4月に、南日本新聞が鹿児島県民を対象に、川内原発運転20年延長に関する意識調査をしました。


  原則40年の運転期限が迫っている川内原発の運転延長について賛否は?
    ・賛成 48.2%  ・反対 45.6%

 ▽60年を超える原発の運転延長を可能にする国の方針について賛否は?
    ・反対 31.5%  どちらかといえば反対 26.6%  横計 58.1%
    ・賛成 15.4%  どちらかといえば賛成 19.0%  横計 34.4%
    ・分からない 7.5%


 ▽運転延長賛成の理由は
    ・電力供給量が不足するから 37.5%
    ・再生可能エネルギーが普及するまで必要 31.3%
    ・40年を過ぎても安全性に問題ない 15.8%
    ・地域の活性化に必要 12.3%


 ▽運転延長反対の理由は
    ・安全性に疑問がある 37.6%
    ・原発は廃止するべき 31.2%
    ・できるだけ早く再生可能エネルギーに移行するべき 25.0%
    ・電力供給量は足りている 3.3%

 ▽調査は4月15日、16日に行われた。回答数は1062人でした。



〇 上記調査のうち「原発運転延長賛成の理由」について考えること

 ▽「電力供給が不足するから」という理由

  ・2011年3月、福島第一原発メルトダウン。
   その年の夏は全国の原発が停止していたが、電力不足を回避できた

  ・だから、電力不足を回避することはできない相談ではない。


 ▽「再生可能エネルギーが普及するまで必要」という理由

   ・1997年12月 京都市で地球温暖化防止京都会議(COP3)開催。
           京都議定書が採択された。
  ・2005年  2月 京都議定書発効。

  ・京都会議、京都議定書は、脱炭素推進への大きな契機になっているが、
   日本政府に実質的な熱意が見られない。
 
  ・大きな課題である発送電分離について有効な進展がない
   政府にやる気がない

  ・新規の個人住宅・事業所建築物・公共建築物などに太陽光発電装置据え付け
   を義務付け、売電でなく、電力の自家発電自家消費を制度化すれば、脱原発
   は飛躍的に進捗するだろう


 ▽「40年を過ぎても安全性に問題はない」という理由

  経年劣化は供用年数が増えるごとに危険性が増加するこれ、常識

  ・全国の原発で、配管の損傷修理が常に発生している。

  ・人々の多くにとって原発の脆弱性情報に接する機会がない。

  ・福島第一原発に関わった一流の人士、すなわち有力政治家・官僚・技術者・
   学者のすべてが、「想定外」の事故と言う。

  「想定外」とは正確に予見できる技術」を持たないという意味に
   なるので「安全性」に問題があるのです
  


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