川本ちょっとメモ

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母のこと――脳梗塞を発症したときのもよう(4)

2008-11-03 21:38:46 | Weblog


2005年(平成17年)1月5日、一応、脳梗塞の病状が安定したということで、母が退院しました。元気でした。活気があり、脳梗塞患者には見えません。生活を共にしている家族以外には、脳梗塞の後遺症として痴呆の気が出ていることもわかりません。

母は退院当初、自宅の自室8畳間を左に出てすぐ左にあるトイレがわかりません。その向かい側、すなわち洗面所と風呂場の方に行こうとします。しかし、それは1週間ほどで分かるように、記憶が戻りました。

発病の前は、朝1時間、夕30分の散歩を欠かしませんでした。同じ時間帯に散歩で出会う人とは何人か親しくなっていたようで、それは犬を連れていた人でした。毎日会う犬たちも母になついていたといいます。

母は犬好きでした。まだ洋犬がめずらしかったころに、白いスピッツを飼いました。次にポメラニアンをつがいで飼いました。その次に、コリーを飼いました。当時、京都の中京に住んでいましたが、「ラッシーや、ラッシーや」といって近所の人気者でした。テレビで「名犬ラッシー」が人気を得ていた時代のことです。このコリーはけっこう長生きをしました。次に母は、ヨークシャーテリヤを飼いました。

このヨークはずいぶん長生きをして、足腰も弱りおしっこももれ放題という老衰で亡くなりました。ぼくは無精者で動物の世話はほとんどしません。家内は行動派で、生き物を飼うと外出に制限されるので、やはり動物の世話は必要な分だけしかしません。

母は年とともに犬の世話をするのが負担になっていて、そのうえ息子夫婦の助けを得る見こみがないので、ヨークが亡くなったあとは猫を飼いました。猫なら、犬にくらべて手間がぐんと省けるからでした。

発病前の習慣通り、母は散歩に出かけようとします。一度家を出ると、まちがわずに帰ってこれそうにありません。それでも1週間ほどして、100mほど離れたファミリーマートまでは行って帰ってこれるようになりました。

しかし、健脚だったのに足元がおぼつきません。少しふらふらするような感じでゆっくり歩きます。散歩のときは、直線的に早足で歩いていたのに、すっかり変わりました。これは2回目の脳梗塞(その翌年7月)を起こしたあとにわかったのですが、「視野狭窄」という後遺症のせいで見える範囲が限定されて、そのためにうまく平衡感覚を取ることができなかったのです。



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