川本ちょっとメモ

★所感は、「手ざわり生活実感的」に目線を低く心がけています。
★自分用メモは、新聞・Webなどのノート書きです。

「あいつはアホな奴や」、原発に関するマイブック16冊

2011-04-10 10:57:10 | Weblog


<國井先生は原子力発電を「アホ」と言った>

40年も50年も昔のことです。

母の知り合いに國井という京大工学部の教授がいました。学力の劣った私に、「数学だけはしっかりやるんやで、京大へおいで」と言ってくれました。京大の先生からそう声をかけてもらえるだけで、少年の私にとってはうれしいことでした。その國井先生も亡くなられてずいぶん年数が過ぎました。私の母もすでに故人となりました。

先生は後輩のS教授のことを「あいつはアホな奴や」とつぶやいていたと母から聞きました。母も同感で、思い出話をするときに何回かそのエピソードを私に聞かせました。その教授は原子力発電に賛成で、産業界と懇意にしていました。メーカーや電力会社に協力して、原子力発電の普及を進めていたのだろうと思います。

原子力発電の放射性廃棄物を無害化する技術がない。その放射能がどれほどひどいものか、ヒロシマ・ナガサキで被害者となって経験したではないか。それなのに……。人間の欲望とは無残なものだ。

それを國井先生は「アホ」と言い、アホなことをする後輩教授を「アホな奴」と言いました。


<原爆も原発も同じ>

私の母は、原爆投下の翌日、1945年8月7日に広島駅に着き、私の父をさがして広島市街地を歩きました。東北大津波と同じようにすべてを原爆に吹き飛ばされた街の跡を、やけどをした人たちがふらふら歩いていたと言います。

大火傷をした人たちは、体と腕が触れないよう一様に両脇を浮かしていました。そうして両腕をだらりと下げて、どこへともなく歩いていました。火傷した腕の皮膚が肩からずる向けに垂れ下がり、それは腕の形を残したままで手首で留まり、腕・手の形を残したままの皮膚を手首から下にぶらさげて、ふらふらと歩いていたと言います。

当時の母と同年輩の父方の親類の娘さんが原爆投下の3か月後に死んだありさまも、母から聞きました。電話交換手で建物の中にいて、さいわいに怪我らしいものはなかった。ところがしばらくして歯茎から血が出るようになり、髪がどんどん抜けて死んだと聞きました。

原爆も原子力発電も同じや――というのが國井先生の考えだったのでしょう。母は被爆ヒロシマ8月7日の目撃者です。強烈な体験でした。放射能を作ることに怒りを持っていました。私は幼児のころから、くり返しくり返し「8月7日」のヒロシマを母から聞いてきました。自分が見てきたようにその情景を思い浮かべることができます。そして私も、理屈ぬきで放射能を作ることに反対です。


<チェルノブイリ原発事故 1986年4月26日>

①『東京に原発を!』
 集英社文庫 1986年8月25日 第1刷発行
       著 広瀬 隆

②『われらチェルノブイリの虜囚』
 三一新書 1987年4月15日 第1版第1刷発行
      著 高木仁三郎、水戸 巌、反原発記者会

③『チェルノブィリクライシス――史上最悪の原発事故PHOTO全記録』
 竹書房刊 1988年5月26日 初版発行
      1988年5月30日 第2刷発行
      撮影 ウラジミール・シェフチェンコ(1987年3月被曝障害にて
         死亡)
      本文 奥原希行

④『原発事故から身を守る』
 第一書林刊 1988年9月1日 初版第1刷発行
       編 自治労原発問題研究会

⑤『北陸が日本地図から消える日――能登原発恐怖の疑惑』
 別冊「宝島」 1988年9月25日 発行
        編著 広瀬 隆

⑥『原発大論争――電力会社 VS 反原発派』
 別冊「宝島」 1988年9月25日 発行
        1988年10月5日 第2刷

⑦『新版 危険な話』
 新潮文庫 1989年4月5日発行
      1987年4月 八月書館より刊行された『危険な話』に大幅加筆した
      著 広瀬 隆

⑧『チェルノブイリ報告』
 岩波新書 1991年4月19日 第1刷発行
  著 広河隆一

⑨『新版 眠れない話――刻々と迫りくる日本の大事故――』
 新潮文庫 1991年6月25日発行
      1988年10月 八月書館より刊行された『眠れない話』に大幅加筆
      著 広瀬 隆

⑩『原発の経済学』
 朝日文庫 1993年9月1日 第1刷発行
      著 室田 武

⑪『原発をよむ』
 アテネ書房 1993年10月29日 第1刷発行
  著 高木仁三郎

⑫『原発事故…その時、あなたは!』
 風媒社刊 1995年6月10日 第1刷発行
      1995年8月15日 第2刷発行
      著者 瀬尾 健

⑬『脱原発のエネルギー計画』
 高文研刊 1996年2月15日 第1刷発行

⑭『原子炉を眠らせ、太陽を呼び覚ませ』
 草思社刊 1997年8月18日 第1刷発行
      著 森永晴彦

⑮『市民の科学をめざして』
 朝日選書 1999年1月25日 第1刷発行
      著 高木仁三郎

⑯『恐怖の放射性廃棄物――プルトニウム時代の終り――』
 集英社文庫 1999年8月25日 第1刷


上の16冊はチェルノブイリ原発事故以後・福島第一原発事故以前に買って、今私の手元にある本です。自慢をするのではありません。

これだけたくさんの原発警鐘本が出ています。人類にはまだ、放射能を解決できる能力がない。誰もが知っていることです。それにもかかわらず、国と電力会社・プラントメーカー大企業連合は原子力発電を促進し、立地自治体はお金をもらいつづけてきました。それを世論は阻まなかった。世論とは、私たち自身のことです。15冊のマイブックを記すことによって、私たち「民」自身の愚かさを確認したいのです。

チェルノブイリはロシア、スリーマイルはアメリカ、福島は日本。世界の三つの大国で多くの人々が、民が、原発災害のために苦しんでいます。それでも原発をやめないのでしょうか。

私たち日本人はヒロシマ・ナガサキで放射能体験をし、チェルノブイリでも放射能の恐ろしさを知りました。今は、わが国土で放射能体験が進行中です。それでも原発をやめないのでしょうか。

何十年も昔に國井先生が言っていた「アホ」なことを止める方向へ、民の力で、政界や経済界に圧力を強めようではありませんか。



コメント