謹賀新年、不安な時代がつづきます。一に、原発不安。二に、生活不安。三に、東アジアの安全保障不安です。
原発不安は、新設・再稼働不可、廃炉に着手、と方向性は単純なものです。しかし大中小の企業と国民の利害がからんで、その方向性が簡単に定まりません。私なんかには理解に苦しむ状況です。
生活不安について、ずっと昔の学生時分から、私の視点は「生活弱者中心」に定まっています。しかしこれまた、企業・中高所得層(富裕層)と低所得層、退職者世代と現役世代、正規雇用従業員と非正規雇用従業員、病者・障害者と健康人・健常者、などなど国民のうちの利害対立の調整がなかなか難しい。戦後昭和の好景気を期待できない時代にあって、パイの取り合いの調整が難しい。
東アジアの安全保障。北朝鮮ははみ出し者で、神経を使います。中国は経済国力上昇と共に膨張主義を国是としていることが、私にもわかるようになってきました。
歴史を見れば、経済国力の上昇が世界的なパワーバランスの変化をもたらしています。第一次世界大戦、第二次世界大戦と極端な苦しみを経て、米ソ冷戦時代というパワーバランスの安定時代が出来上がりました。ソ連崩壊で平和な時代が来ると期待しましたが、それからというもの、パワーバランスの不安定さが拡大する一方で、新しいバランスに向かう不安な変革期に入っっています。
原発は廃炉にするべきだ。生活弱者の生活を保証し、また次世代に向かって健全な子を育てられるよう保証するべきだ。パワーバランスの変化に立ち向かうについては、武力紛争を起こさないことを絶対条件にするべきだ。
この時代認識のもとに、私は勇気を持ってこの時代を切り拓いていこうと思います。どのようにして切り拓いていくのか。
たいそうなことができるわけでもなく、たいそうなことを考えているわけでもありません。私の住んでいる場所で、堅実に生活をして周囲の人たちから信頼を得、折あれば語りあい、聞かれれば答え、周囲の人々個々に共感を得ていくということを心がけています。
時代を作っていくのは、私のような普通の人々であると確信しています。原発反対の流れががそれを証明しています。
私は高校生のころから、放射能を始末できないという観点で原発反対でした。母が原爆投下翌日の広島に入り、その悲惨な見聞を何度も何度も聞いていたからです。父方の親類の若い娘さんが被爆の1か月か2か月後、髪が大量に抜け、嘔吐をくり返した末に死んだという話も聞きました。その人は被爆時に電話局の中にいて外見上なんの傷もなかったそうです。
私が高校生のころは、原発反対が話題になることはありませんでした。その時代にも反対をしている学者もいたのですが、世間で話題になったという記憶はありません。
しかし時代を経て、各地で原発新設反対運動が始まり、原発の小事故が発生するたびに少しづつ共感者を増やし、チェルノブイリやスリーマイル、東海村核燃料加工施設臨界事故を経て、多くの人々が原発不安を念頭におくようになり、福島原発事故によって、原発をやめようということが、普通の人たちの共通認識になりました。
原発反対の歴史を見れば、原発反対はごく稀なこととして世間から相手にされないところから、一般人々の共通認識にまで高まってきました。時の政治指導者や企業・経済界の指導者と、それと利害を共にする多くの人たちによって押し戻されることが常にあります。それでも大きな流れにおいて、原発反対はここまで力を得てきました。
原発事故が後押しをしたのであって、普通の人たちが各地で反対してきたことの結果ではないという人もいるでしょう。私はそうは思いません。各地で原発反対の声を上げていた人たちが正しかったことを、事故が証明したのだと積極的に考えています。