きょうの午前は県立病院で定期検診でした。4年前の4月に膀胱がんの手術をしました。きょうは膀胱鏡(内視鏡)検査で無事に済みました。私の腫瘍は幸いにも表皮性の一つだけできれいに切除できました。浸潤も転移もなく、今も健康体で生活しています。
泌尿器科外来で待っているときのことでした。診察室から出てきた老夫婦が目に留まりました。患者の大方が中高年以上の人たちですから、夫婦であろうが女性であろうが男性であろうが、ぼんやりとした待ち時間の前を通り過ぎていくだけで、記憶に残るようなことはありません。
それなのにきょうは、なにげなく診察室の方へ視線が流れたとき、その老夫婦の後ろ姿が目に留まりました。垣間見えた横顔から、老夫婦の年の頃は九十近くだろうと思います。いえ、それは遠慮と言いうもの。本当のところは九十過ぎかなと思いました。主人は私とほぼ同じくらいの背丈に見えますから175cmくらいでしょうか。戦前生まれにしては背が高く鼻筋の通ったひとでした。奥さんは150cmそこそこで、海水浴場でよく見かける男物のつばの小さいストローハットをかぶっていました。服装は二人揃えではないものの、ベージュ系のズボンの上に、より薄いベージュ系色の半袖シャツの裾を出していました。質素なふだん着姿です。
二人とも、腰をわずかに前かがみした姿でエレベーターのある方向に向かい、ゆっくりゆっくり、一歩一歩、おぼつかない足取りで歩いて行きます。
私はぼんやりと後姿を見ていました。主人が先に、すぐ後ろを奥さんが行きます。すると、奥さんが主人の後ろにすうっと身を寄せて、無言のまま何かを払い落とすようなしぐさですばやく、前を行く主人の半袖シャツの裾を直しました。
主人は診察室で椅子に腰かけて医者先生に向い、それから腰を曲げたまま立ちあがって、その動作がゆっくりゆっくりなので、そして歩くのもゆっくりゆっくりなので、シャツの裾が上に向ってしわになったままでした。ズボンのベルト付近のどこかで引っかかっていたのでしょうか。ぼんやり見やりながら、そんなことを思いました。
主人は振り返りもしないで、何も感じていないようなありさまで、ゆっくりゆっくり前へ行きます。奥さんも主人のシャツの裾を直したことなどなかったかのように、主人の後ろについてゆっくりゆっくり歩みます。
私が老夫婦の後ろ姿をぼんやり見ていたのは、病院廊下のわずか10数メートルほどの間でした。二人は始めに一度、横顔を見せたときに何か言葉を交わしただけで、そのあと私が見ている間、無言でした。なにげない県立病院の外来待合の風景ですが、老夫婦の静かな後ろ姿に胸の琴線が鳴りました。少し前かがみでゆっくりゆっくり歩いていく、老夫婦の後ろ姿が目に残りました。