■2017九州場所、横綱白鵬のふるまい
九州場所11日目(2017年11月)、横綱白鵬と関脇嘉風の取り組み。嘉風が寄り切り、白鵬は土俵の外に転げ落ちました。行司の軍配は嘉風に上がりました。
しかしそれから1分10秒間、横綱白鵬は手振りや表情で軍配に抗議して、土俵下から動きません。行司と関脇嘉風は、土俵上の定位置で立ったまま動きません。ようやく審判役が白鵬を促して、白鵬が土俵上に上がりました。NHKアナウンサーの声が放送に乗ります。
「これはいけません。こんなことがあってはいけません」
それでもなお、白鵬が片手を上げながら審判役を見て不服を表します。勝ち名乗りを受けた嘉風が土俵を下り、弓取りが土俵に上がります。それでようやく白鵬が土俵を下り、花道を退いていくのを待ち受けていた付き人がタオルを差し出します。それを白鵬は手で払いのけ、落ちたタオルを付き人が拾っていました。
九州場所千秋楽、横綱白鵬。土俵横の優勝インタビューでこう話しました。
「この土俵の横で誓います。場所後に真実を話し、膿を出し切って、日馬富士と貴ノ岩関が再びこの土俵に上げてあげたいなあと思います」
これは横綱日馬富士の関脇貴ノ岩傷害事件のことを言っています。モンゴル出身力士たちが寄っている酒席で白鵬が貴ノ岩に説教をし、それを聞いている貴ノ岩の態度が悪いとして日馬富士が激怒したのです。しかも頭部裂傷出血をした貴ノ岩と別れて、白鵬、日馬富士ほかが連れ立って次の酒席を楽しみました。
白鵬の貴ノ岩への説教がこの傷害事件を誘発した。したがって白鵬は事件の当事者の一人です。当事者であるにもかかわらず、何ら悔やむことなく他人事のように、「真実を話し膿を出し切る」と誓うその「膿」とは何でしょうか。この事件の誘発関係人である白鵬にそんな資格はありません。
■千代の富士を思い出した
九州場所であからさまになった今の横綱たちのふるまいを見て、昨年7月に亡くなった横綱千代の富士(九重親方)を思い出しました。
わたしは相撲ファンです。横綱千代の富士、全盛時代の大阪場所を何回か見ました。実際にまじかに見た関取たちはみな、体に力がみなぎって膚が光っていました。そして、今となっては幸せであったことに、土俵に近い桝席から千代の富士の横綱相撲を何回か見ることができました。
■貴ノ花親方の相撲道への信念
今、相撲部屋に入門してくる新弟子たちや新しく関取に昇進していく力士たちは、今の時代の子です。「伝統」は重んじるとしても、伝統に名を借りた昔ながらの風習を受けつがせようとすることには無理があります。外国人力士ならなおさらのことです。
貴ノ花は、相撲道の現状を正すべきだと考えています。彼は相撲道の伝統を再興しなければいけないと考えています。
しかし貴ノ花親方が再興しなければいけないと考えている「相撲道の伝統」は、相撲の歴史のうちから彼の好みに合う部分を取捨選択のうえ強調して組み上げていると、わたしには見えます。そして根幹の相撲思想ともいうべき部分において、現代の国民一般に受容されるものではありません。
貴ノ花親方のメールやブログから彼の大相撲への考え方を以下に見てみましょう。
■貴ノ花支援者である高野山清浄心院住職・池口恵観氏宛て
■貴ノ花メールに表れた相撲道への信念
11月末に池口恵観氏が受け取った貴ノ花メールの文面が週刊朝日12月22日号、AERAdot12月22日に掲載されました
“観るものを魅了する”大相撲の起源を取り戻すべくの現世への生まれ変わりの私の天命があると心得ており、毘沙門天を心にしたため己に克つを実践しております。
毘沙門天は仏法守護の神です。この文章だけでは定かではありませんが、貴乃花親方は大相撲再興の使命を自分に与えています。それだけでなく、何かの生まれ変わりとしての意味を自分に付しています。何かとは毘沙門天のことかもしれません。こういう考え方が一般に受け入れられるものかは疑問です。国家安泰を目指す角界でなくてはならず“角道の精華” 陛下のお言葉をこの胸に国体を担う団体として組織の役割を明確にして参ります。
相撲界は国家安泰を目標としなければならない。日本相撲協会には、天皇陛下を中心に戴いた政体(*=国体)を支えていく役割がある、としています。相撲は競技(格闘技)です。国技という文化性の高い特殊性をまとっている競技(格闘技)です。政治団体ではありません。「国家安泰を目指す」、「国体を担う団体」という標語は、考え違いも甚だしいと言えます。
角道の精華とは入門してから半年間相撲教習所で学びますが、力士学徒の教室の上に掲げられております陛下からの賜りしの訓です。力と美しさそれに素手と素足と己と闘う術を錬磨し国士として力人として陛下の御守護をいたすこと力士そこに天命ありと心得ております。
◎[角道の精華] 大井光陽作
技を磨き心を練る 春又秋
文を学び武を振い 兩ながら兼ね修む
阿吽の呼吸 君知るや否や
角道の精華 八洲に耀く
八洲に耀く、とは古事記に現れている古代日本の領域です。
「角道の精華」大井光陽作、と筆で書かれています。文は大井作でしょう。陛下からの賜りしの訓となっていますから、相撲教習所掲示の書は陛下の筆に成るものかもしれません。そうであるとしても、昭和天皇かそれ以前の天皇かも、今のところわたしにはわかりません。
国士として力人として陛下の御守護をいたすこと力士そこに天命ありと心得ております。
力人とは相撲取りのことです。国士とは、辞書によれば、身をかえりみず、国家のことを心配して行動する人物。憂国の士。
しかし、天皇を守るのが力士の天命であるとは、時代錯誤というか考え違いとしか言いようがありません。親方が弟子に厳しく教えこむとしても、相撲協会が力を入れて新弟子たちに教えるとしても、力士や力士の卵たちの行動規範に定着するとは信じがたい。力士や力士の卵たちといえども、当代の時代の子であり、現代の若者なのです。
報道とは民衆が報われる道を創るのが本分であると思いこれまで邁進してきております。
角道、報道、日本を取り戻すことのみ私の大義であり大道であります。
貴ノ花の相撲に取り組む姿勢は非常にストイックなもので、余人が真似することは実にむつかしいことだろうし、厳しすぎる姿勢は余人にとって煙たいこと極まりないものだろうと思います。しかし、相撲へのストイックな情熱は賞賛に値するものです。
とは言っても、日本を取り戻すことが貴ノ花にとっての大義であるとは、相撲とどうつながっているのか、やはり理解に苦しみます。
さらに、貴ノ花はメールの末文において、「陛下から命を授かり現在に至っておりますので」とも書いています。これもどういう思考経路で考えているのか、理解に苦しみます。
■貴ノ花親方にとって「相撲」は天皇と結びついてこそ存在意義がある
貴ノ花親方の考える「相撲」は、天皇との結びつきを存在意義の根拠にしています。天皇を守ることが力士の天命である、としていると明言しています。また、どういう思考経路でそう思ったのかはわかりませんが、「陛下から命を授かり現在に至っております」と言っています。
■国技の伝統に現代国際社会に開かれた新たな意義や価値のブレンドを
相撲という国技は、文化性の高い競技です。競技(格闘技)ではありますが、歌舞伎などにも劣らぬ日本文化の一つです。一方で外国人力士が増えた今、外に開く寛容性も、時代が要請しています。
貴ノ花親方は相撲の「伝統」に力点を置いています。守旧に新たな意義や価値をブレンドしてこそ、伝統を後代に伝えることができます。守旧だけの伝統では多年の重みに耐えきれず、後代を待たずに消滅していくのではないでしょうか。生活環境の変化によって、数々の伝承が消えていったという歴史的事実があるように。