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登場するのは

2014-10-28 | 読書

 懐かしすぎる方々。

 1、田村高廣(俳優)
 2、岡潔(奈良女子大名誉教授)
 3、朝比奈宗源(臨済宗円覚寺派管長)
 4、沢村貞子(俳優)
 5、森繁久彌(俳優)
 6、谷口千吉・八千草薫(映画監督・俳優)
 7、佐田の山晋松(横綱)
 8、遠藤周作(作家)
 9、林家三平(落語家)
 10、湯川秀樹(京大教授)
 11、篠田正浩・岩下志麻(映画監督・俳優)
 12、檀一雄(作家)
 13、池田大作(創価学会会長)
 14、瀬戸内晴美(作家)
 15、荒川豊蔵(陶芸作家)
 16、市川寿海(歌舞伎俳優)
 17、松本清張(作家)
 18、山田風太郎(作家)
 19、堀田真快(高野山真言宗管長)
 20、飛鳥田一雄(横浜市長)
 21、小田実(作家)
 22、中山善衛(天理教真柱)
 23、坂高麗左衛門(陶芸作家)
 24、浪越徳治郎(日本指圧学校校長)
 25、三浦綾子(作家)
 26、筒井康隆(作家)
 27、貴ノ花満(小結)
 28、庄司薫(作家)
 29、鈴木清順(映画監督)
 30、陳舜臣(作家)
 31、稲垣足穂(作家)
 32、滝田ゆう(漫画家)
 33、中村武志(作家・東京間借人協会会長)
 34、土井勝(料理研究家)
 35、近藤啓太郎(作家)
 36、畑正憲(作家)
 37、ミヤコ蝶々(タレント)
 38、横山隆一(漫画家)
 39、井上ひさし(作家)
 40、佐伯達夫(日本高等学校野球連盟会長)
 41、永井龍男(作家)
 42、中村汀女(俳人)
 43、岡本太郎(画家)
 44、草野心平(詩人)
 45、平山郁夫(画家)
 46、林家正蔵(落語家)
 47、谷川哲三(哲学者)
 48、寺山修司(詩人・天井桟敷主宰)
 49、ドナルド・キーン(コロンビア大学教授)
 50、山藤章二(イラストレーター)
 51、小林亜星(作曲家)
 52、三國連太郎(俳優)
 53、横尾忠則(画家)
 54、森敦(作家)
 55、中村紘子(ピアニスト)
 56、熊谷守一(画家)
 57、今東光(作家・中尊寺貫首)
 58、西川きよし(タレント)
 59、中村歌右衛門(歌舞伎俳優)
 60、辻嘉一(懐石料理辻留主人)
 61、市川房枝(参議院議員)
 62、悠木千帆(樹木希林)(俳優)
 63、田村隆一(詩人)
 64、麿赤児(舞踏家・大駱駝艦主宰)
 65、高橋義孝(九大名誉教授)
 66、金子信雄(俳優)
 67、小池朝雄(俳優)
 68、大宮敏充(喜劇俳優)
 69、小西得郎(野球解説者)
 70、丹羽文雄(作家)
 71、柳原敏雄(日本料理研究家・近茶流宗家)
 72、三遊亭金馬(落語家)
 73、川口浩・野添ひとみ(俳優)
 74、斎藤茂太(精神科医)
 75、小野正吉(ホテルオークラ料理部長)
 76、梅原猛(京都芸大学長)
 77、丹下健三(建築家)
 78、鰐淵晴子(俳優)
 79、大島渚(映画監督)
 80、松本幸四郎(歌舞伎俳優)
 81、田辺茂一(紀伊国屋書店社長)
 82、半村良(作家)
 83、アントニオ猪木・倍賞美津子(プロレスラー・俳優)
 84、八代英太(参議院議員)
 85、唐十郎(状況劇場主宰)
 86、江田五月(参議院議員)
 87、山田太一(シナリオライター)
 88、色川武大(作家)
 89、フランソワーズ・モレシャン(ライフ・コーディネーター)
 90、中野重治(作家)
 91、杉浦明平(作家)
 92、荒川寒村(社会運動家)
 93、植村直己(冒険家)
 94、美川憲一(歌手)
 95、志村喬(俳優)
 96、物集高量(著述業)
 97、小沢栄太郎(俳優)
 98、中野浩一(競輪選手)
 99、新藤兼人・乙羽信子(映画監督・俳優)
 100、千秋実(俳優)

亡くなられた方も多い。西川きよし師匠は今朝もテレビで拝見しましたが。。。。

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家は大切

2014-10-28 | 日記

お金が無限にあり、自分の好きな家を好きな場所に建てられるならともかく、殆どの人は限りあるお金で工夫して、なんとか妥協点を見出し、ある程度は我慢して、いいところを生かして住んでいると思う。

また賃貸でも、場所、陽当たり、風通し、など考えて選ぶのが普通。

どんな場所に誰と住むか、これをなおざりにしては人生そのものが成り立ちませぬ。

家・・・モダンで便利そうな家は子供のころからのあこがれ。

農村地帯に突如現れた市の分譲住宅。約30戸。それが二つ出来たのは昭和30年頃。地元住民は「ジュータク」と呼んでいた。住宅地にはコの字型に道路があり、真中の並びは南北にみちがあるという立地の良さ。

みなサラリーマン、でも裕福な人が多かった。お父さんは大学の先生とか、一部上場企業の支店長とか。当然奥さんはみな専業主婦、家事のほかには手芸したりしてたかも。今思ったら土地が30坪、家は20坪くらいの平屋。伝統から切れた新しい戦後の暮らし。

小学校の帰り道にジュータクがあり、友達のO野さんが住んでいた。彼女の家で遊んでから、今度は彼女が我が家へ来る。

我が家の敷地は広い。家の前の菜園と花畑を合わせたら、500坪くらいはあったかも。

いえいえ、お天気のいい日には牛を歩かせるミニ牧場みたいなスペースもあったので、もっと広い。これは宅地ではなかったかもしれないけど、建物とは一続き。そして私有地という観念も今ほどない。我が家の敷地は近道として利用する人もいて、郵便配達の人も平気で横切っていた。

まあ、こんなことは昭和30年代の地方では普通だったと思うけど。

どんな田舎やねん、と突っ込まれそうですが、一応県庁のある市、叔母の一人は娘のころ、県庁に歩いて通勤していたそうだから、県庁から徒歩圏ということでお願いします。

でも私はO野さんの家がとってもうらやましかった。コンパクトで、明るくて、伝統的建築の我が家がとってもダサく見えていた。

ふだんは忘れてるんですよね。こんなこと。我が家にあったのはその他に広い広い農地。小学校の四年くらいからは半人前くらいには手伝いましたね。だから今は野菜も花も作らない。せっかく農家でないところに嫁に来たんだから、求めて土なんていじらない。もう一生分の土いじり、子供のころに済ませたもん。

人は自分の生まれる家を選べない。いいとか悪いとかは考えないけれど、どんな家に住むかで、誰と住むかで大きく運命が変わってくることは確かにあると思う。

でやっと初めの話題に戻るわけですが、最近心に引っかかったのは国分寺カレー殺人未遂事件。和歌山カレー事件ではありません。

私は誰をも断罪する立場にはないけれど、暗澹としてしまった。

家は大切、もっと角突き合さずに済む工夫はなかったのかしらと、手持ちの家関係の本をつい出してみた。

藤森輝信氏のは新聞に連載していたエッセィ。諏訪地方の子供時代がとても面白いので家とは直接関係ありませんが。

小住宅はカラー文庫。1960年代の都市サラリーマンの家。そうそう、こんな家に憧れたのです。

実父は1961年に住宅会社に勤め始め、我が家にもようやく近代化の波が押し寄せてきたのでした。土地の一部に貸家を何軒か建て、その家賃でできょうだい三人は遠くの学校へ行かせてもらったのでした。

今はがらんどうになった我が家。二人では広すぎるし、この先誰が住むのかもわからないけれど、家族五人で暮らしたのは僅か12年間、その家をメンテナンスしながらいつかこの家を離れるまでは大事に住んでいこうと思う。

息子でございます。この日は素直に写真撮らせてくれた。

やれやれ。

あらよっと。

いつもは孫たちが目立ってしまうけど、この日は一人だけ。ご飯食べてないので残り物の炊き込みご飯にシチュー、冷奴などを食べさせる。肉は要らないという小食なやつ。いろいろ話して20時過ぎ解散。


 

ついでに出てきたのがこの本。アサヒグラフ連載のグラビアページ。

食事の場面にその人の生活が全部顕れている。たいそう面白かった。今見るといっそう面白い。

例えばこれです。荒畑寒村に杉浦明平。当時は明治生まれの人がまだまだご存命でした。いゃあ、寒村は私のお祖父ちゃんに似ている。着ているものも。

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