比治山と初めて聞いたのは受験の時。受験の付き添いで(にかこつけて旅行したかったので)広島に来た母が、呉の、自分の叔母夫婦を呼び出し、一緒に比治山に行ったと聞かされた。
こちらの学校時代にも何度か行ったが、平和大通りは川で終わり、京橋川には自転車と人が渡れるくらいの木造の橋が架かっていた。
比治山も総じて地味で、ご便殿あとはただの広場、その上の美術館付近も広場、陸軍関係の慰霊碑、陸軍関係の墓地などが点在する丘だった。
そうそう今でもある放射線影響研究所は初めはABCCと呼ばれ、原爆の医学的影響を長期間にわたって研究する施設。地震に備えて建物は、屋根と壁が一体になった半円形は建築当時から。アメリカ人の研究者が今もいるはず。
ご便殿というのは、日清戦争のときに明治天皇が滞在した建物を広島城内から移築したものだとかで子供たちもお参りしてたそうだけど、1945年8月6日の爆風で倒壊したんじゃなかったかしら。
子供三人、比治山麓の幼稚園でお世話になったので、ご便殿あとは遠足で馴染の場所。
この20年余りできれいに整備されたけど、その前は何となく寂れた感じの場所だった。
と、私と比治山の関わりはそんな感じかな。同居人と付き合ってた頃、歩いて比治山まで。細い橋を渡って、平和大通りまで。底のの薄いかかとの高い靴でよくも歩いたこと。そこはそれ、若さということで。体重だって今よりだいぶ軽いので足裏に掛かる重さも違う。
などとつまらないことはさておき・・・
ずっとタヌキだと思っていたけど、リスかも。いや写真見たらやっぱりタヌキ。この手すりはずっと昔からある。
なぜか次男を思い出す。きっと昔、家族でここへ来て次男が何か言うかするかしたのだと思う。今はおじさんだけど、小さくて可愛かった。当たり前か。今夜顔見せることになってます。一月振りくらいかな。いくつになっても、おじさんでも息子は息子、心配するし、余計なことも言いそうになるし。。。。
車道はぐるりと回っておりますが、柵の付け根の隙間から広場へ入ると近道ができます。
比治山で好きな場所。
行くところのネタが切れたら五人で来てたように思う。今はもう五人で出かけることはない。当たり前なので、寂しくはないし、それぞれの生活をしていることを喜ぶこととしよう。
こんなんがあちこちに。誰も手入れしないので草が生えています。
こちらは現代美術館開館に合わせて置かれたオブジェ。ブロンズ製。
名残のヤブミョウガ
シロダモ
サザンカがもう咲いている。
山の反対側は原爆の被害がなかったので、うっそうとした森になっている。カシ、クロキ、クスノキ、カクレミノなど。
森閑とした道を歩くと、街中にいるのを忘れそう。
季節は、足早に秋から晩秋、冬へと急いでいるのでありました。