作家のこだわりのものと生活。
自分の気に入ったものを少しだけ持つ。無理をせずに暮らす。
確かにものをたくさん持つと管理が面倒だし、家は狭くなるし、捨てるときに心は痛むし、少ないもので豊かに暮らせるなら全然問題ないわけで。
で、著者のこだわりというのが半端なくて、味噌はどこそこの取り寄せ、ふきんはまた別の取り寄せ、心をリフレッシュするため、毎年ベルリンで暮らすとか。その心はわかるけど、私はそこまでのこだわりが却って窮屈。それは私がいい加減な人間だからで、ここまでこだわるのも却って潔いと思った。
だって、著者はちょっといいなあと思うくらいで心が動かないんだから。
自分にとって何が必要でこれはなくてもいいと、ゆるぎなき価値観があれば人生はだいぶ楽になると思う。この歳になてもまだまだです。
きょうは午前中、山菜の処理、すぐに旅行行くのに私もまあ欲かいてたくさん採ったものである。夫が、私の留守の間、草食べるのかあーーーと焦っていたけど、夕食に山菜たっぷりのちらし寿司をしたらだいぶはけたので、良かった。おいしいとたくさん食べていた。
午後からJRの乗車券を買いにゆめタウンまで。それ以外は家でいろいろな用事を片付け、ついでにフォートラベルの旅行記を読んでいた。私と同じようにツアーに一人参加した女性の体験記が面白かった。
一人で来ている人と友達になる。街歩きもつかず離れず、一緒に行きたい場所だけ付き合う。とまあ、そんなところでしょうか。
アウシュビッツはとっても悲しいけど、怖くはない。怖がったら殺された大勢の人に申し訳ない。
しかし、年取って閉所恐怖症気味の私は、地下深く下りていく岩塩鉱が怖い。地震が起きたら、水漏れで水没したら、停電したらと心配。伏見稲荷の鳥居の中を通るのさえ怖いのです。この私としたことが。何かあったときすぐ逃げられないのが怖いのでしょう。何か忘れている幼児体験でもあるのかな。
子供のころは怖い夢をよく見ていた。それと夜中に何かの音がするととっても怖かった。昔の家、建てつけは悪いし、隙間風は吹くし、何かと物音がしたものでした。
その年代によって怖くなるものも変わるようで。