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ポーランドから帰りました

2017-05-14 | ポーランド慰霊の旅

今朝帰国しました。前半、冬の寒さ、みぞれも降り、後半少し暖かくなりました。

ポーランドの良き景色

ワルシャワから60キロのジェラソヴァ・ヴォラ、ショパンの生家が復元され、周りは公園になっています。

ミニコンサートが開かれ、散策していると、ショパンのピアノ曲が流れてきます。


観光一日目、5/8午後、アウシュビッツ(オシフェンチム)とビルケナウへ行きます。

 

ガイドは日本人の方です。先日、この方の本を読んだばかりです。

静かな語り口の心にしみる説明で、悲惨さを一層感じました。

個人でも、メールでガイドの予約もできるようです。

ガス室の脇にタンポポが咲いています。

アウシュビッツが手狭になり、二キロ離れた場所、ビルケナウにさらに広い収容所を作ったそうです。

長い引き込み線の先はユダヤ人たちをここへ連れてきて下ろした場所。

再びここを引き返せた人はほんの僅かだったことでしょう。

私なりの慰霊は何かと考え、念珠を持って行って仏式に手を合わせました。手を合わせたのは遺体からはぎとったお下げ髪、大勢の人が銃殺された死の壁、そしてこの線路の向こうに広がる広大な収容所跡です。

安らかにお眠りなさいなんて、今もとても言えません。涙さえ出ません。

殺された人は安らかに眠ってなんかないと思う。人の世から民族差別がなくならない限り、ヘイトスピーチが続く限り、おびただしい死も教訓になってないということです。

夜中、あまりの息苦しさに目が醒めて(寒いので布団二枚重ねていた)、動悸はするし、頭の上におびただしい数の靴や髪の毛や、食器や、ガス室の光景が渦巻き、広がっています。

悔しい。怖い。生きたかった。私たちの思いをずっと伝えてほしい。その叫びが聞こえます。眠れません。

団体ツアーで、寝不足から体調不良になるくらい辛いことはない。そう思うと余計眠れず、日本の朝になるのを待って夫に電話。

疲れているならとりあえずバファリンを呑む、腹式呼吸をするというアドバイスをもらいます。それと**(夫の名前)は偉いと三回唱えるといいそうで。ちょっと笑うと楽になりました。

人類史上最悪の出来事、それがユダヤ人他の大量虐殺だと思う。人はこんなことさえしてしまう恐ろしい生き物。それ以後の人間はそれを深く心に刻み、二度と間違いを起こさないよう、それを生き方の基本にすべきと思う。

なんか熱く語りましたが、安らかに眠ってもらってはいけない。死者をして語らしめよ、そう思った慰霊の旅でした。

コメント (2)
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