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5/9 ヴェリチカ岩塩鉱へ

2017-05-21 | ポーランド慰霊の旅

さて、寝苦しいアウシュビッツ見学の日の夜も明け、本日、郊外の岩塩鉱の見学です。

クラクフ南東15キロ、バスで30分ほどで着きました。ツアーが36人と大所帯なので、添乗員さんが毎日席替えをしてくれたので、気持ちいい旅になりました。感謝です。

入り口前。朝ですが、見学者がもう並んでいます。

ユネスコ世界遺産

10人ずつくらいがエレベーターに乗り、一気に地下へ降ります。

https://www.youtube.com/watch?v=0f5uuCuhPWA

騒々しい私。反省。

展示

坑道。木で補強。金属は錆びるので不適。

ポーランド建国神話?らしい塩の像。全体を彫り出したものらしい。

塩の結晶

吹き出す塩

塩がしみ込んで木組みは頑丈になるらしい。

触ってなめてみる。ミネラルたっぷり。まろやか。

坑内、暑くなく寒くなく、湿度低く、ミネラルが浮遊しているのか、気持ちいい。

展示

大きな結晶と塩水のたまり


さらに降りていくと大きな空洞に教会がありました。

塩の壁を掘ったレリーフ

レリーフ

シャンデリア。ガラスに見えるのは塩の結晶をつづったもの。

上がっていきます。

大きな池。向こうへ洞窟が続く。

酔っぱらって船から転落死した人がいて、現在は遊覧船は運航していないとのこと。

塩の結晶と濃い塩水

地底の土産物店。ガイドさんはここで買わないようにと言ったけど、それは特定の店からバックマージン貰うからのようでした。

塩の入浴剤など。


地上で買い物して、外へ出ます。

色彩にほっとします

見えていたのはツアー客御用達のレストランでした。

スープです。寒いのでおいしかった。

ビエロギ。ポーランド風餃子。中国からロシア経由で伝来したとか。

ケーキはしっかりとした生地、甘くて半分くらい残す。

この日の昼食、向かい合わせは、我が家と同業者らしいマダム風奥様。

食事時の話題、ペットのワンちゃんはホテルへ預けてきたとか、昔はアメリカへ行くとレストランでインド人並みの扱いを受けて差別されていたけど、安部さんが何度もアメリカへ行ったから扱いがよくなった・・・・などと。

安部さんって前の内閣の時?とお聞きしたら、そうだそうです。

安倍さんが日本人差別しないでほしいと頼んだ話、寡聞にして知りませんが、そうだとしら何と親切な国民思いの人でありましょうか。しかし、いったい誰に頼んだんでしょうか。謎??

マダムにはそうですか?それはありがたいですね。とでも言えばよかったかな。

旅に出ると、普段決して出会うことのない人と隣り合わせになったりするわけで、これからの人生の指針となるような方、世間の広さを思い知らされる場面、などいろいろあります。

私はかねてから「**の奥様のオーラがない」と言われ続けてまいりました。その言葉は私にとって、永遠に解けない謎でしたが、今回、オーラとはどういうものか、その一端がわかりました。大変参考になりました。

しかしまあ猿真似は見苦しい。いまさら変えられないし、自分は自分らしく暮らすだけ。かな。

イタドリ。

ポーランドにもあるんだあ。折って齧りたかったけど、人様の敷地に生えてるので断念。

ヨーロッパまで行ってもやっぱり野草に反応してしまう、オーラとは程遠い私。

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君はアウシュビッツを見たか

2017-05-21 | ポーランド慰霊の旅

昨夜苦労して書いた記事にYou Tubeの動画をはめ込んだら、それ以後の部分が飛んでしまったので、がっくり。今夜再チャレンジです。それにしてももう帰ってから6日も経つのに観光半日分だけのアップ。いったいいつ完成することやら。


アウシュビッツ公式サイト日本語版

http://auschwitz.org/en/more/japanese/

最後の行をダウンロードすると、あなたのパソコンに日本語のPDFファイルが保存されます。

現地で私が撮った写真はすべて、二度とこのようなことがあってはならないという強い思いで公開するものです。展示資料の写真は情報源:www.auschwitz.orgに拠ります。

5/8 午後 クラクフから一時間余り、アウシュビッツに着きました。

バスを降りて今から強制収容所の見学です。

https://www.youtube.com/watch?v=l0AdDBX_WRc

入り口

高校生くらい?平和学習に来ているようです。

本日のガイドさんは中谷剛氏。ただ一人の外国人ガイドで、日本人専門にガイドされるそう。

しかし日本人の団体でも、時間が重なるとESGになるようです。

立派な方でした。

著作は「アウシュビッツ博物館案内」凱風社など。

入り口ゲート

https://www.youtube.com/watch?v=EVhUymkYNm4

当時は、高圧電流の通る有刺鉄線が二重に張り巡らされていた。

広いです。入場料は無料とのこと。

建物は元兵舎

珍しい花が。葉が合わさっています。寒さに適応したのでしょうか。

勝手に「ポーランドツキヌキナズナ」と名前つけてみました。

展示を見ます。ヨーロッパ全体からユダヤ人が連行されました。

駅に降ります。

働けない者はすぐ殺害。働けそうなものはわずかな食事で強制労働。2、3か月で絶命したそうです。補充は欧州一円からいくらでも。

初め銃殺。後に薬殺。使ったのはチクロンBという殺虫剤。個体で、水蒸気と反応して猛毒ガスになるそうです。

その空き缶の山。

アウシュビッツが狭くなり、ビルケナウに収容所を増設。

連行されるユダヤ人は、手に持てるだけが全財産。後で返すと言われ、トランクに名前を書く。

食器。食器は食べ物を受ける器。命の綱。

携帯コンロなども。

ブラシ各種。小さいのは石鹸を泡立てて髭剃りに使う。

このあと、教室三つ分くらいの広さの部屋いっぱいの女性の髪。毛布や毛織物にしていたそうです。

お下げ髪を切ったのも別に展示。持参の念珠で思わず手を合わせました。

髪の毛の写真は撮っていません。

髪の毛はこちらにあります。→ http://4travel.jp/travelogue/10152639

死の壁。この前で8千人くらいが銃殺されたそうですが、殺す方の負担が大きいとして、ガス殺に変更されたとか。

この先には拷問をした部屋などもあるそうですが、この日は見学しませんでした。

通路は石交じりの堅い土。収容者が整地したそうです。

ローラーが残っています。

所長官舎跡。真ん中やや右寄りのシダレシラカンバの先に屋根が少し見えています。

ここで家族で暮らしていたとか。

立ち入れません。

戦後、所長を処刑した絞首台。

ガス室へ行きます。

ガイドさんに案内されて今から入ります。

 

当時は照明はあったのでしょうか。天井は低いです。

シャワーを浴びると言われ、服を脱いでここに入ります。

チクロンBを投げ込む穴。人間の体から出る水蒸気と反応して青酸ガスが発生、2~30分で全員死ぬそうです。

隣は焼却炉。灰は川に流したり、原野に捨てたり。

主な見学は終わりました。

ガイドさんについて元へ戻ります。


バスに少し乗って、次はビルケナウの見学です。

向こうに見えてきました。

引き込み線が向こうに続きます。

あの先で、ユダヤ人が貨物車から下ろされた。

有刺鉄線の囲い、見張り台、収容所など。向こうが見えないほど広いです。

この建物はトイレだったそうです。用便は指定された時間だけ。

このトイレに新生児を隠し、現在まで生き延びた人が何人かいるとの話でした。

収容所内部。藁を敷いて布団代わりにしていたそうです。


https://www.youtube.com/watch?v=0KCPu9J7l_0&feature=youtu.be

外へ出て見学は終わりました。流れ解散になってしまいましたが、全員で中谷氏にお礼言う場面がぜひ欲しかった、残念です。

ポーランドにわたってガイドの資格を取り、立派な案内をされることに感銘を受けました。そのおかげで、虐殺の内容の一端と平和への思いを新たにしたわけですから。

今でも時々、あの髪の毛を思い出す。心の中で手を合わす。気持ち悪いとは思わず、成仏してくださいとも言わない。思いは受け継ぎます。それだけです。それ以外に何がある?


見学終わったらもう夕方。それからまたクラクフまで帰ります。この日はとても寒く、最高気温が8度くらい。

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