頑張って起きて男子リレー見ていたら・・・
勝負は時の運とは言え、この日に掛けていた選手の皆さんがあまりにも痛々しくて見るのがつらかった。
走りたかったでしようね。失格が残念過ぎる。
1994年に広島でアジア大会があり、閉会式の前の男子リレー、あの時も選手がバトン落として、あとでテレビ見たら泣きじゃくっていた。と思う。あの時は会場で見ていたのです。そのあとサッカー、閉会式なども。
近くの人が「小学生の運動会でもバトン落とさんでぇ」と言ってましたが、それが起きるのが勝負の怖いところ。
明日は朝、男子マラソンでしょうか。男子マラソンと言うと、東京オリンピックで銅メダルになり、後に自殺した円谷幸喜選手のことをどうしても思い出してしまう。
次のメキシコ目指して練習するうちにスランプに陥り、自殺してしまうんですよね。哀切な遺書は涙なくしては読み切れません。
あの頃は、選手には日本を背負ってという期待が今よりもうんと大きかったように思う。国威発揚にオリンピックを使うといいことなんかない。そう思わされる出来事でした。
今回のことも、私は責めたくないです。選手自身が自分のことを一番せめて悔しい思いしていると思うので。
長くなりました。昔のレンタル日記などから古い写真を。
20年くらい前。夫と息子の親子喧嘩ではなくて相撲。
息子劣勢ながらもこの後巻き返して逆転勝ち。
どうしても子供に着物着せたくなり、着せたくて着せたくてたまらなくなり、いきなり長男に名古屋帯巻き付けたら「何するん?!」と驚いていた。
わけを話すと相撲好きらしく「まわしならいい」とのこと。はてさて、まわしって知らないからテキトーに。
一人で構えてやる気満点。
20年近く前、実家へ行っての帰り、バスセンターから元安橋に回ってみる。
長く広島にいるけれど、8/6に平和公園付近へ行ったのは二度くらい。軽い気持ちで見物に行くのは遠慮しています。
実家地方の盆灯篭。
お墓に持って行き、火をともします。
我が実家はお盆に三晩墓参り。竹で枠を組み立て、そこに吊るします。
広島では地面に支柱を突き刺し、その先、朝顔形に開いた部分にろうそくを付ける。形は広島の方がシンプル。
そのシンプルのさえ、我が家は準備しません。明日は急にお墓参りに行くことになり、嫁ちゃんと孫が来ることになった。息子は用事があって来ないそうで。残念。
次男はまだワクチンしてないそうで、今回は不参加。
昨日の写真ですが
綜絖完了。2本取り488本。60羽/10cmの筬に通す予定。今日は出歩いていてできなかった。しばらくまたできないかも。
健康で、滅入らずに、暮らしていきましょう。それで十分。
さっき、ブログのお友達にコメント入れさせてもらった。
その方は姑様97歳、ご本人は嫁歴47年だとか。
私は姑様は98歳、嫁歴48年。
何という長寿の時代。
昔、私の実母と祖母の会話。
祖母「私は8年も姑の辛抱した」
母「私はもう15年も辛抱している」(だったかな。詳しい数字は忘れた)
祖母「・・・」言い返せずに黙る。
その母も50過ぎには舅、姑を見送り、羽を伸ばして旅行など遊びまくっていた。
私はこの年でまだ嫁。嫁もあまりにとうが立ち過ぎた。
長生きはおめでたいことだけど、周りに迷惑かけたり、寝たきりになっても命は尊いけれど、私はどれだけ生きるのかなあと考えさせられた。
姑様が在宅だったころ、デイサービースと訪問介護で年間500万くらいの利用料金。一割負担で月数万円だったけど、多額のお金が動くので驚いた記憶があります。
昔なら嫁のタダ働き。それを金額にするとそのくらいになるということで。うちの姑様は素直にデイサービスに行き、ショートに行き、とうとう家には帰れていません。
二年前のお正月明け、二週間の予定で着替え、歯ブラシとコップ、薬だけ持って黙って行ってくださったその姿を今も覚えています。
最近は残りの時間から逆算して、したいことや行きたい場所、全部細かくしておくことにしています。
この月末、やっと面会できるそうで、義妹と夫が行く予定。それまで、うちの姑様に限って大丈夫でしょう。