五人の作家の短編、アンソロジー。
いずれも下北半島を旅する話。下北半島は本州の北の果て、人の思いがそこで行き止まり、いたこが口寄せする恐山もある、過去と現在が、交錯する場所。
人はそこまで来て自分を振り返り、新しい一歩を踏み出す。たとえそれが身をちぎられるほどの決別としても、土地の持つ力が後押しをする。
文庫本なので特に期待していたわけではないけれど、この中では井上荒野の「下北みれん」が面白かった。倦怠期を過ぎて最早別れの兆しのある、ゲイのカップル、若いシンゴと中年の俺。
二人は旅に出る。途中で耳の聞こえない若い女性ジーンと道連れになり、宿に三人で一泊して恐山を目指す。三人のやり取りの中に、終わるしかない男同士の恋愛の細部が埋め込まれている。捨てられるのは中年の俺。シンゴは女の子と仲良くして見せることで、関係が終わるのだと釘をさす。
これ、同性愛の場面でもそうだけど、普通の男女関係、友達関係でもよくみられる光景。仲良かったつもりでも相手はそうでもなく、別な人と親密な様子を見せられて傷つく。自分が知らない話をしていて、自分が誘われずに二人で出かけているとか。
そんな時には、いくら頑張っても流れは逆には行かない。そうやってボーイフレンドを得て、高校時代からの親友と疎遠になった苦い経験が私にもある。(私が横取りしたわけではありません。相手が寄って来ただけです。と言い訳)
またうんと年取ってからでも、お稽古ごとの中の人間関係でも、いつの間にか自分がのけ者になっていることもありそうで。
それはまあ仕方ないこと、人の気持ちは流動的。いい悪いではない。自分に何か落ち度があるわけでもない。相手はそうしたいからしているだけで、自分が原因ではない。
そこらあたりがよく書けていると思った。男が男を好きになって肉体関係を持つ。それでも二人は入籍するわけではないから、恋の終着点は同棲。同棲は不安定だから、養子縁組して身内になる手もありそうですね。想像ですが。
でもこの作品の中の俺みたいに妻子がいるとそれも不可能。一時いい思いをして人生を二倍楽しめたのだから、終わり方も痛手がある。それもまた人生。ばあちゃんはいい勉強になりました。