石州和紙会館。
立派な建物でした。予約していると紙漉き体験ができるそうです。
道の駅ゆうひぱーく浜田から。
港や島へ渡る橋など。
ここも15年くらい前、三男と来た。
あの時は戸河内ICからR191で益田まで。あとはR9を東へここまで。同じ道を帰る。
浜田道はできてなかったのかな?記憶にない。
R191はお盆の大雨で安芸太田町内が通行止め。8月末開通とのこと。
山の多い広島県の宿命。今年も川が溢れ、山が崩れて死者が出た。早めの避難大切。
石州和紙会館。
立派な建物でした。予約していると紙漉き体験ができるそうです。
道の駅ゆうひぱーく浜田から。
港や島へ渡る橋など。
ここも15年くらい前、三男と来た。
あの時は戸河内ICからR191で益田まで。あとはR9を東へここまで。同じ道を帰る。
浜田道はできてなかったのかな?記憶にない。
R191はお盆の大雨で安芸太田町内が通行止め。8月末開通とのこと。
山の多い広島県の宿命。今年も川が溢れ、山が崩れて死者が出た。早めの避難大切。
さて、8/22午後、浜田で雨は降り始めるし、と思いつつ、車で山を下り反対側へ行くと立派なP、記念館、遊歩道と、こちらが正規ルートのようでした。
さっきお弁当食べた護国神社の裏が、城跡への入り口でした。
門は元は津和野城にあったのを、明治になって浜田県の県庁の門に。浜田県が島根県と合併すると郡役所の門として。やがて郵便局の門になり、1967年合同庁舎が完成後はこちらへ移築されたそうです。
つまり、津和野→浜田城のふもと→浜田城と2回移転した門。
城にはこのほかに建物はありません。
説明版。
山城の頂上に近い。
本丸跡から日本海を見る。
断崖絶壁、入江は島があって北前船が立ち寄る良港がいくつもあったそうです。
市中心部。ゆめタウンがランドマーク。
雨が本降りに。
城のある山は植生が豊富。多分昔のまま。
天守閣は明治5年に倒壊。
それ以外の建物は第二次長州戦争(最近では幕長戦争というらしい)の際の激戦地。大村益次郎率いる長州軍はこの城をよく攻め、松平氏の石州軍は建物を焼却して津山の飛び地へ退却したそうです。
麓の記念館にはその時の焼けた瓦なども展示。
浜田城記念館は元は、皇太子時代の大正天皇が山陰を旅行した時の宿泊所として、旧藩主松平家が費用を負担して建てたそうです。
見た目は和風、間取りは洋風の近代建築でした。
足掛け4日の滞在。そのために作られた建物。
玉座の間で一段高くなっています。手前が拝謁の間?
見学者は段差につまずかないように。
15年前に宗教団体から浜田市に寄贈され、記念館へ。
雨がひどいのでもう家に帰ることにしました。途中も豪雨。早く帰りすぎて、夕食にまた出かける予定でしたが、雨だし、めんどくさいので結局家で。
とりあえず買ってきたノドグロ、焼きます。
白身で柔らかくておいしかった。
久しぶりにおいしい魚に出会えて、終わり良ければ総て良し。
九州より近くて楽ということで、また出かけたいものです。
島根県の漁村にいきなり現れる、教会の回廊風中庭を持つ石正美術館。
隣はそれにデザインを合わせた中学校。周りは緑深い山々。
よき校舎を誇りに、子供たちは学び巣立っていくことでしょう。
いいものを見せていただきました。
教会の回廊は雨除け、日除けのほかに思索を練る場所でもあったそうです。
歩いて行くに従って、見える柱の並びが変化していく。その軽快なリズムが面白いなと思いました。
モンサンミッシェル/フランス 2014年4月。
両側に柱が2本ずつ。ずらしているのでどこまでも柱が続くように見えるそうです。
トゥールーズ/南フランス 2014年6月。
この地もスペイン巡礼のルートだそうで、立派な教会でした。
いい石材のない地方だそうでレンガ造りの教会。レンガだと建物は柔らかな印象。
続いて螺旋階段各種
フランス南西部アルビのホテルで。華麗な装飾がフランス的。2014年
アルビはトゥールーズから80キロくらい離れた古い街。
シャルルドゴール空港で乗り継ぎ便待っていたら、居合わせた年配日本女性から「どこへ行くの」と聞かれた。
「トゥールーズは私もいたことあるけれど、何もない街よ」いえいえ、立派な街でした。
アルビは司教区のあった古い町で、そのほかにロートレックの出身地。ロートレック美術館が見ごたえありました。
ん?旅行自慢???
すみません、日々物忘れが激しく、こうして時々固有名詞を確認しておかないとすべては忘却の彼方へと。
ミュンヒェン。駅近くのホテルゲルマニアで。2012年。
カシの木らしい硬い建材。小さくて質素なホテル。
ゲルマニア・・・日本風に言うと駅前大和旅館とでも。
私はエレベーター待つより階段使う方が好きなのですが、朝、この階段降りているとパンが焼けるいい匂いが。ヨーロッパやなあ~としみじみ。
質素なホテルの使いやすいスイッチ。
大きくて押しやすい。暗がりでも探しやすい。
ベッドの明かりと部屋の明かり。
ドイツ的合理精神はこのほかあちこちで見られたのでした。
階段繋がりで、強引に。
ポツダムのツェツィリエンホフ宮殿。2012年11月。
ポツダム会談の部屋が保存されています。二階はホテル。
観光するのは日本人ばかり。
ベルリンが空襲で焼けてしまってこちらで会議をしたそうです。ここで日本の戦後の枠組みが決められたんですね。この時はもうヒットラーは自殺していたと思う。
2017年、アウシュビッツ(オシフェンチム)へ行きましたが、天井まで積み上げられた人毛、靴、食器など見た後で気分悪くなった。
そのあと、ABCマートのCMで靴が大量に流れてくるの見ても気分悪くなった。
もしかしたら大量の靴が並んでいても反応するかも。
生々しい、生きていた人の気配。
ミュンヘン、2012年11月。
連日10度以下。雨続き。コタツ布団みたいなダウンコート着てニンフェンブルク城で。
バイエルン王家の夏の離宮だったそうで、避暑地は寒い。ルードヴィッヒ二世の生まれた部屋なども。
後ろは古伊万里でしょうか。割ったら大変。
いゃあ、教会、お城などの固有名詞はほとんど忘れている。大変だあ~。
まだ自分の名前は言えるけど。それもいずれは。。。。