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いいお天気に

2013-05-20 | 日記

昨日の雨が一転、きょうはとてもいいお天気です。

日赤前から歩いて舟入まで所用で外出。便利な場所だけど、一歩大通りから入ると静かな住宅街で、今の季節は庭木の緑がきれいです。

化粧品と雑貨を売る店に涼しそうな器があったので買いました。

出汁入れは五人分だと小さいかも。私はそうめんなどは氷を入れずに一口大に丸めて平たいお皿に入れるので、または中華冷麺のように各自に付け合せてしまうので、サラダボウルにする予定。気に入った器、先日またまた割ってしまったので。

帰宅したら、業者さんからもらったお弁当がありました。おかずいろいろ、牛肉もたっぷりでおいしく頂きました。

きょうは午後からも暑くなりそう。気が付けばもう20日、月日が経つのは本当に早いもの。歳とるはずです。

 

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「従軍慰安婦」の証言を聞く

2013-05-19 | 日記

本日はこれに参加しました。こういう場合、早めにいかないといい席がないので30分前に到着、かぶりつきで話を聞きました。

これは開演前。

主催は日本軍「慰安婦」問題解決ひろしまネットワークで、220人の市民が集まりました。女性が6~7割くらい、若い女性もたくさんいて関心の高さを伺わせました。男性、特に若い男性は(いたかもしれないけど)見かけませんでした。

若い男性も、日本軍がどんなことをしたか勉強してもらいたい。勉強してないと、単純で勇ましいこと、時には為にする嘘にやすやすと騙されるから。

まずは主催者土井桂子さんからの挨拶、続いて通訳、翻訳業の梁澄子さんの記念講演、そのあと休憩をはさんでアニメ鑑賞、吉元玉さんの証言、韓国側の活動家尹美香さんの訴えがあり、広島市立大学広島平和研究所の田中利幸教授の閉会の挨拶で終わった。

二時間半と長丁場だったけど、中味の濃い話で、今まで知らなかったことも分かり、私にとっても有意義な講演会でした。

分かったことの一つとして、私は今まで、一部は軍隊が武力でかき集めたとのではないかというイメージを持っていましたが、そうではなく、あっせん業者に外注し、あっせん業者が「仕事がある」と騙して連れて行くという手口が一般的だったようです。つまり、略取(=さらわれる)だろうと誘拐(=騙して連れて行く)だろうと大きな違いはない、連れて行った女性たちを監禁状態にして連日大勢の兵士が強姦するというところに事の本質があるということです。

戦争時にはいろいろな悲惨なことが起こりますが、女性をこのような形で略奪するのは人間の最も醜い姿ではないでしょうか。それも兵士個人が逸脱するのではなく、軍がそういう制度を持っていたというのはあまりにおぞましく、二度と起きないよう、日本政府は真相を明らかにし、悪かったところは素直に謝るべきと私は思います。

世界各国似たような制度を持っていたという橋下の言い分は、何をもとにしているのでしょうか。あったという証明は一つ一つ証拠を探して証明しなければなりません。それができるまではあったとは言えないのではないでしょうか。

橋下の話すことは、世界中の人間が過去の様々な過ちを乗り越え、人権を大切にしようという大きな流れに逆行するもので、許してはいけないと思います。

連日テレビに出て、言い訳と話のすり替えに躍起になってますが、テレビとはその人の人間性をも映し出すメディア、軽薄でえらそげで、嘘ばかり並べたてる全く信用できない人間が、大きな権力と発言する場を持っているのが私はつくづく腹立たしい。

また日本政府も早急に真相を究明し、謝罪するところは謝罪したほうがいいと思います。

「お金が欲しいから今頃になって騒いでいる」と残念なことを言う人も私の身近にはいますが、今日の証言者は政府から生活は保障されていて、もし日本政府から賠償金が出たら、世界各地の紛争地域で性被害に遭っている女性の救援のために遣いたいという話でした。

11歳の時に騙されて中国東北部(満州)で慰安婦になった本日の証言者、ご高齢ながら迷いのないはっきりした態度が印象的でした。

政府はきちんと真相を究明し、間違いから得た教訓を、これからの東アジア地域の平和のために生かしてほしいと思います。それでこそ日本は偉い、さすがと尊敬されるのではないでしょうか。

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南関揚げ

2013-05-18 | 日記

このところ珍しいものを次々いただきますが、昨日は九州名物の南関揚げというものをいただきました。

見た目は揚げのようですが、揚げかすを平たく成形したような感じ。触るとぽろぽろと砕けます。

http://www.town.nankan.lg.jp/meisan/pub/detail.asp?c_id=48&id=4&mst=2&tmst=

いろいろな煮物、味噌汁など応用範囲は広そうですね。

取り敢えず、ワケギ和えに入れました。ふわりとした触感で、何にでも合いそうです。木の芽は余計でしたね。

敷物は自作。模様が複雑で織るのに苦労しました。


 

 

最近は少しずつ涼しげなお皿を使っています。角皿は自分で絵付け。習い始めの頃なので稚拙です。小皿はそれに合わせてあとで買ったもの。7枚あるはずが普段使う4枚だけにして片付けたら出てこない。どこへ潜り込んだのやら。

絵変わりの皿は有田の柿右衛門・・・の隣の窯です。数年前、有田へ行って購入。また行きたいなあ。器大好き。


最近とみに物忘れがひどく、年寄り道まっしぐら。昼から買い物行くつもりで出かけ、途中で財布忘れていることに気が付いた。財布失くして何事もならず。引き返したらちょうど夫が車で出かけるところなので便乗して中心部まで。

ズボン二本(最近はパンツというらしい。昔のパンツはショーツ、トランクスなどに細分化。でも私たちの年代だと、人前でパンツというのはやや抵抗あり)、Tシャツ二枚。久しぶりにそごう、福屋、本通りを歩いて都会の風に吹かれてきた。

明日は雨の予報。先週は孫とお嫁さんが来て、夜は息子もやってきて賑やかだったけど、明日は予定なし。冬物もあらかた片付いたし、久しぶりにのんびりできそう。

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「末裔」 絲山秋子

2013-05-18 | 読書

都の職員省三は、世田谷の静かな家に一人で住んでいる。結婚した息子には子供がなく、娘は母親ががんで死んだあと家を出たきり寄りつかない。

家は荒れ、次第にゴミ屋敷になる。ある日家に帰ったら、鍵穴が消滅していて、入れない。ホテルに泊まり、鎌倉の今は空き家になっている叔母の家に勝手に入ったりしながら、役所勤めだけは続けている。

家庭がなくなり、一族がバラバラになり、子供もの代で自分の血脈も終わりになるという寂しさと投げやりな気持ちを抱えたまま、あちこちをさまようしかない省三。

鎌倉で知り合った人の家に招待され、古都で静かに暮らすインテリの老人が、偶然、省三の父親と同時期に東大で教官だったことを知る。人のつながりと古き良き時代の教養主義が懐かしく、ふと自分の家系のルーツである長野県の村を訪ねて、神社に刻まれた名前にその手がかりを見つけて納得する。


 

希望はないのか。長くアメリカで研究生活をしていた弟と部下の女性の結婚、娘との再会と、かすかな再生の希望を作者は準備しつつ、最後に省三を家へと向かわせる。窓を破ってでも家に入らなければならない。その前に庭に、下着の形の花を咲かせる木の花を摘まないといけない。自分は何をしているのだろうと、笑いたくなる。そこに再生の希望がある。

家族って、今の時代、多かれ少なかれ、省三の家族と似たようなものかも知れない。しかし、いつの時代にも「世は末だ」とか「人の絆がなくなった」とか「今の時代はわからない」という言説があり、それでも脈々とこの社会は続いてきた。途絶える家も栄える家もあるけれど、人が毎日をまっとうに生きていれば、それでいいのではないか。最後はそう言っているようだ。


 

と言うようにまとめてみても、この小説の魅力を説明したことにはならない。神は細部にこそ宿り給う。ディテールの描写の確かさは、荒唐無稽な導入部、変幻自在な乙と名乗る男、男に紹介されたホテルは今度行くと消滅している。現実にはそんなことは起こりようもないのに、今の時代の都会生活は人やモノとのかかわりもそれと近いほどの希薄さだと思わされる。

読んだ後には自分の家系、夫のを振り返り、人にはそれぞれ理由があってそのように振る舞うのだから、むやみにshut outしてはいけないのだと思った。少しだけ自分の幅が広がったように思う。これは心だけにして、身幅は広がっていませんように。

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橋下妄言まとめ

2013-05-17 | 日記

私がまとめるまでもなくこちらを。

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20130516-00010000-newsweek-bus_all&__from=mixi

円安に株高で浮かれているととんでもないことになりそう。「国の誇り」とか「国益」を声高に言う人間が実は国益を損ねているというparadox。東洋の端の田舎者と言ったら、地方在住の方には失礼。東京や大阪のど真ん中にいても、自分の狭い見聞の中から何事かを導き出す態度を、都会の田舎者とこれからは呼びましょうか。これを無知と言わずに何と言う。

国民の側もまたしかり。観念としての共同体=国家にしか自分のidentityを見つけられない退廃の行きつく先が、いつか来た道でないことを私は切に願う。

周辺のどの国も、ことを構えるのが得策と思っていない。落としどころを探り合うのが成熟した外交。単純な頭で考えて、すぐにこぶしを振り上げる子供の喧嘩みたいな外交では、この国の未来は危うい。

結局は選挙制度かあ~。いやいや、選挙なんてまどろっこしいことしてる場合じゃないと、私たちの世代はつい思ってしまう。

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橋下大阪市長の品性と人権意識

2013-05-16 | 日記

橋下大阪市長が、従軍慰安婦は必要だったと言い、沖縄駐留米軍も(素人の女性を襲わずに)風俗を利用したらいいと発言したことが批判を浴びている。

前々からはなはだしく人権意識の欠如した人だと思っていたけれど、今回の騒ぎはその頭の中身がいかにお粗末かを露呈してしまい、これが弁護士で公党の代表かと呆れてしまった。

誰の人生にもままならないことがある。しかし、どんな人も自分の体だけは、自分の意思に反して蹂躙されてはならない。暴力にさらされることも、意に反した苦役を強制されることも、望まない性関係を強要されることもあってはならない。

これは基本的人権の一番根底をなすものだと私は思っている。それなくして、自由な発言も、職業選択や居住の自由も成り立たない。今の時代に当り前のことを勝ち取れたのも、長い時間と地道な闘い、努力の成果。それを忘れてはならないと思う。

風俗産業とは、女性が自分の好みや意思を封じ込め、性的サービスを貨幣と引き換える仕事。同じだけの収入をほかの仕事で得られるなら、わざわざ選択する人はほとんどいないのではないかと思う。(東電OLはどうよと突っ込まれそうだけど、あの被害者はそうすることで仕事と家族関係の疎外から自分を取り戻していたのではないかと思う。一人で街に立たなければならないほど彼女の寂しさは深かったのだと私は理解している。蔑んではいけないと思う)

橋下市長は、風俗産業の女性は素人の女性を守るため、米軍兵士の遊びの相手をしろと言っているわけで、男と女が対等な立場で性交渉をするのではなく、お金で男の言うなりになる関係を認めていること。そうせざるを得ない女性へも思いやりが一切ない。

じゃ、どうしたらいいのっていう話になるけれど、下半身の話は白昼堂々としないのが、大人としての約束事。恥じらいというものです。各自で解決してもらう問題です。米軍基地に、風俗産業の営業に行ってるみたい。ああー、みっともない。

広島でも戦後、占領軍が来る前に市や県が率先して、慌ててプロの女性を集めた施設を作り、素人女性を守ろうとした史料が公文書館に残っている。以前、講座に行ってその話を学芸員から聞いた。日本軍が、戦争をしていた各地でどんなことしていたかが分かろうというもの。

軍隊に慰安婦が必要だったと、なんであんたが決めるの。世界のどこの軍隊も持っていたなんて、世界中の軍隊をきちんとした資料を基に調べたんだね。調べて言ってるんだね。私は到底調べていないと思う。自分の意見を補強するために想像で言っているという印象を私は持っている。

自由意思だろうとなかろうと、慰安婦になるしかなかった、させられてしまった人の辛さへの想像力が橋下市長には全く欠如している。自分の体を好きでもない男に提供する、これほど女性の人権を踏みにじることがあるだろうか。そういう立場の人間はそれが当然と考えるなら、旧軍の固陋頑迷な人権意識と何ら変わるところはない。

歴史的な常識も政治的センスもない無責任な発言が、どれだけ日本の国益を損なっているか、少しは自覚したらどうか。テレビに出てわあわあ騒々しくしていると思ったら、いつの間にか政治家になってトンチンカンなことばかり言って、これが時代の自画像だとしたら、この国もつくづく劣化したもの。危ない時代へ行くのではないかと心配。

先年、彼は自分の出自を暴いたとして週刊誌の記事をやめさせ、関係者に謝罪させた。差別はよくない。よくないからこそ、慌てて蓋をするのではなく、あの時もっと検証するべきだったと思う。公人としてのプライバシーはどこまで認められるかということを含めて。

自分が差別されることは許せない、しかし人を差別していることには鈍感。こんな筋の通らない話はない。

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郷土料理いろいろ

2013-05-16 | 日記

昨夜、BS3で香川県の「鰆の押し抜き寿司」を紹介していた。鰆に山椒のシンプルなもの。実母の作るのはこんな感じです。

鰆の酢絞めのほか、薄焼き卵、紅生姜、えんどう豆、山椒が載り、蕗だったかな?がサンドされています。柿の若葉に載せて出来上がり。

初夏の香りいっぱい、五月ならではの郷土料理です。一つでお茶碗一杯以上のご飯があるので、二つも食べるともうお腹いっぱい。これは五年前、実家へ行ってもらってきたもの。私もいつか見よう見まねで作るようになるのかな。餡餅雑煮のように。

母の送ってきたソラマメ、小さい方は真っ赤な豆が鮮やか。

そのまま炊き込むと、あら不思議ソラマメの赤飯になりました。新しい豆なので前もって煮る必要もなく、手軽な赤飯です。ソラマメの風味が美味しいです。

小豆もきっと採れ立ちには同じようにできるのかも。讃岐にはこの他に、乾燥したソラマメを焙烙(かーらと言う)で炒ってから甘辛いたれに付け込んだ醤油豆という郷土料理もあります。売っているのは味が濃いけれど、家で作るのはもっと優しい味です。田植えの後、お酒飲んだりするとき食べていましたね。

さてこの竹皮で巻いたものは?

開くとこうなっています。

これは鹿児島地方の粽ちまきです。今の季節の食べ物だそうで、お姑様の親戚が送ってきて、二つ貰いました。

作り方は、夫の話によると、草木灰の汁にもち米を一晩浸け、竹皮に包んで煮るんだったか、蒸すんだったか。。。とにかく熱を通して仕上げるそうです。

ミネラルたっぷり、保存性のいい粽は、島津軍の兵糧として朝鮮出兵に、関ヶ原の合戦に携行されたそうです。腹持ちもよくて消化もよさそう。

正式には糸で切るそうですが、却って難しいので濡らしたナイフで。微妙な苦みというか風味がおいしく、よく冷やしたのを砂糖と黄粉で食べました。黒蜜もいいかも。

先日、息子一家と一緒に食べました。二歳の孫も小さく切ってやったらパクパクと美味しそうに食べました。

大学時代、鹿児島出身の下級生が五月の連休明け、研究室へ持ってきていました。みんなは「?????」という顔でこわごわ覗き込んでいました。というような話を、この粽を貰うたびにしていたら、先日、夫が切れました。笑われたと思ったのでしょう。

はいはい、まことに相済みません。soul foodには敬意を払うべきでした。深く反省し、これからの生きる糧としたいと思います。夫は以前開聞岳に一人で登った時、スーパーで粽を買って兵糧としたようでござった。「各々方、粽さえあればわが軍は無敵と心得よ」なんて昔の島津軍も言ってたかどうかは知りませんが、今でもスーパーで売っているようです。

息子が母の日のプレゼントにお嫁さんと選んだのは、フルーツ各種入りのフレーバーティとハーブコーヒーでした。甘くていい匂いがします。ありがとね。郷土料理ではないけれど、豊田松坂屋内、生活の木出身。

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三国湊と丸岡城

2013-05-15 | 旅行

5/5 東尋坊を見た後立ち寄る。

三国湊は九頭竜川の河口に開けた、港町。北前船が立ち寄る天然の良港でした。交通体系が大きく変わった現在、往時の繁栄のあとを留めた落ち着いた街並みが残っています。

まず丘の上のみくに龍翔館へ。明治時代の小学校を別の場所に復元し、内部は資料館になっています。

立派な洋建物に、昔の繁栄ぶりがしのばれます。連休なのに、というか連休だから?人少な目。女の子二人と出会っただけ。ほぼ貸切で見学しました。学校の遠足などで活用される施設のようです。

北前船の縮尺復元模型。江戸時代の繊維工業の発達は、丈夫な綿布の織物を生み出し、それを帆に使って、遠距離の航海が可能になりました。川上交通と海上交通の結節点、三国湊は物流の一大拠点でした。

毎年5/20は夏を呼ぶ三国港。武者人形を乗せた山車が街を練り歩きます。往時の繁栄がしのばれます。

町並みは狭い範囲に集中、みくに文化未来館に車を停めて徒歩で観光。一時間もあれば見どころは全部廻れます。

山車を納めている蔵。各所にあります。

廃業した骨董店。

旧森田銀行本店。大正時代建築。福井県で最も古い鉄筋コンクリート造りの建物。内部も立派で、この日は地元グループのパッチワークの作品展をしていました。


 

続いて丸岡城へ。

国宝丸岡城。現存する最古の天守閣と言われている。1948年の福井地震で壊れたものの、部材を再利用して再建。今も国宝です。小さな天守閣ですが、どっしりとして風格があります。

1576年柴田勝家の甥、勝豊築城、以後、安井、青山、今村、本多、有馬各氏が城主となって明治維新を迎える。

70度くらいの急な階段、ロープがついています。

城内には一筆啓上の書簡碑、麓には一筆啓上茶屋があります。

日本一簡潔な手紙「一筆啓上・・・」というのは六代目城主、本多成重の父で、徳川家康の家臣、本多作左衛門が陣中から妻にあてた書簡。

正しくは「一筆申す、火の用心、おせんやさすな、馬肥やせ、かしく」というもの(磯田道史著、殿様の通信簿より)。おせんと書かれた仙千代が後の本多成重である。作左衛門は勇猛果敢な戦国武将で、エピソードもいろいろあるが、晩年は不遇だった。

はるか歴史に思いをはせ、古風な天守閣を見上げると、時代と立場の制約の中で懸命に生きた戦国武将が身近な人のように思えたりする。

一筆啓上茶屋でそばを食べる同行人。大だと三杯。そば大好き。私はそば嫌い。旅行中はそれでよく揉める。いろいろなものがある店でよかった。

広島県の豊平の山奥で有名な蕎麦屋がありますが、ミシュランには漏れてた。やっぱり。客を一時間も炎天下で待たせるところでもうアウトでしょう。ホスピタリティ大切。


 

芦原温泉駅前で車を返し、再びJRで福井まで。特急に乗り換え京都まで。京都からはのぞみに乗り換えて帰宅。

福井駅

歩道にサトイモ。友人でお父さんの実家が福井市という人が、たまにサトイモをくれた。ほっこり甘くておいしいサトイモでした。

列車の中から息子に「今、私達って湖西線を通ってる?」とメールしたら、「北陸本線特急は原則湖西線、災害時などは大津周り」と鉄ちゃんらしい懇切丁寧な返メールがきた。

水を張った水田は田植え間近、むこうは琵琶湖。

京都駅では舞妓奉公に出した娘と再会し、、、しつこい\(・・)ペシッ

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季節料理なかしま

2013-05-15 | 日記

以前行った時の料理の写真、前のブログにいくら探してもないので諦めて、こちらにのリンク付けておきます。

http://blog.livedoor.jp/yamada_staff/archives/50602351.html

この酒屋も夫がよく行きます。お酒の種類が多く、ワインもこのお店は外れがありません。

どちらも知っている店なので嬉しい。ちょっと興奮気味。

いやあ、よかったよかった。昨日、プリンスホテルで発表を兼ねた表彰式があったらしい。星の数ほどあるお好み焼きの店も一つ星でだいぶ入ってるらしいけど、スタッフの方は食べ歩くの大変だったことでしょう。

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祝・ミュシュラン広島版発刊

2013-05-14 | 日記

午後テレビを見ていたら、17日発売のミュシュラン広島版の内容が一足早く報道されていた。

そこで三ツ星、広島県全体でトップに輝いたのはこちら

http://blog.goo.ne.jp/samubuto/e/5f31bd845b049407a2578b9d588ade69

本当にびっくりした。嬉しくて久しぶりに胸がドキドキした。だって知っている人のやってる店ですもん。自分のことのように嬉しい。

発表前はどんな老舗料亭がと思っていたけれど、開店八年の店が選ばれるのが意外。でも落ち着いて考えたら選ばれて当然のとても気持ちのいいお店です。

最近行かないけど、また落ち着いたら行ってみたい。しばらくは電話対応などで大変だと思うけど、嵐はいつかは過ぎるもの、どうぞ乗り切ってください。

この店のいいところ。

美味しい。安い。早い。目の前で作っているのが見える。店主もおかみさんもスタッフも本当に気持ちのいい人。威張ってない。

ちなみに四周年記念フェアーのメニュー

前采  三種盛
お造り 四種盛
煮物  松茸の土瓶蒸し
焼物  牡蠣の葱焼き
     自家製ローストビーフ
     茄子の味噌田楽
     えびしんじょのイガ栗揚げとシシトウ素揚げ
揚げ物 蓮根まんじゅう
蒸し物 たらこの白子茶碗蒸し
飯物  餅かゆ 香の物
デザート

これにフリードリンク一杯付きで、3,000円。夜でこのお値段、金沢の威張り返したあのお店(名前失念)の方も見らなってほしい。15分待たされてでてきた雑炊一杯が1,100円くらいだった。私は高いのが嫌いです。夫について泣く泣く入ったけど、いつも後悔している。

うーーーん、他のブログ見たら4,000円とあったのでそうかもしれん。何しろ気分悪くなって、夫を残して先に帰ったので。

うーーーん、フリードリンク一杯付きではなく、何杯もお代わりできたらしい。何しろ気分悪くなって、夫を残して先に帰ったので。すみません、あいまいな情報で。有名店になったので、もうフェアはないかも。

中心部の高い地代のところよりは、少し外れた場所で、味に惚れ込んだ人だけに来てもらえばいい、そういうお話でした。子供さんが小さくて、おかみさんは実家のお母さんに預けて、夜遅くまで奮闘されていた。おかみさんも明るくてとても気持ちいい人。折敷の季節ごとの絵は日本画の心得のあるおじいちゃんが描いておられる。みんなで頑張っている良心的なお店。アレルギーにも対応してもらえます。

それにしても、よかった、よかった。

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鰆サワラとソラマメの季節

2013-05-13 | 日記

朝、次男夫妻からプレゼントが届きました。フレーバーティにハーブコーヒー、おしゃれなお嫁さんらしいセレクトです。ありがとうね。

右上のお皿は自作の絵付け。ちょっと見せびらかす。


 

今年も実家から鰆とソラマメが届きました。こちらも見せびらかします。すみません。

ソラマメは鞘が大きいので、料理すると見た目ほど大量ではありません。

左、スナックエンドウ 右、赤い実の小さなソラマメ。赤い豆はご飯に炊きこんで、豆ご飯にします。

春、瀬戸内海へ産卵のために回遊してくるのがサワラです。私が子供の頃は五月の定番の魚で、身は白いけど、濃厚、赤身魚の仲間だそうで。

http://www.chugoku-np.co.jp/kikaku/satoumi/w030922b.html

昔は農繁期前、お嫁さんが実家に里帰りするとき、丸々一匹を、舅、またはお婿さんが口に紐を通して棒につるし、それを担いで持って行ったそうで。

一日、ごちそうを食べて骨休めして、来たるべき農繁期に備えるという意味があったのでしようか。鰆は刺身にして食べ、ソラマメ、サンショウの葉などと一緒に載せた押し抜き寿司にして、婚家への手土産に持ち帰ります。

実家の母は、この押し抜き寿司を作るのが得意で、今の時期に行くとよく食べさせてもらいます。これは五年前の携帯画像。左側がサワラの切り身です。たぶん酢絞めにしていると思います。

農家に嫁いでわけでもなく、一年中骨休め中の自堕落な娘もすっかり薹がたち、今や孫までいる身の上ですが、母は律儀にサワラを送ってくれます。一時漁獲量が激減して品薄だったのですが、今は少し回復したとか。

東シナ海で獲れるサワラを時に店で見ますが、香川県で食べるのは50センチ以上の大型のサワラ、大きいほうが脂がのっておいしいように思います。

鰆も豆もいつまでも続くかなと思いながら、今年も無事届きました。親の元気なことに感謝。


昨日は孫が来ました。「**ちゃんが三歳になったら赤ちゃんが産まれるんよ」だそうで。

屋上で水やりのお手伝い。

トマトができるんだよ。

**ちゃん、忙しいの。

ほら、トンボの赤ちゃんがいるでしょ。どこ~? よく見てごらん。あっ、いたあ、小っちゃいの。

お祖父ちゃんにピンクのじょろを買ってもらいました。また来たときお手伝いするので、置いて帰りました。

 

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持ち寄りで食事

2013-05-11 | 日記

マカロニで作ったスナック菓子、砂糖とココア、塩と青海苔をまぶしてみた。

マカロニをゆでて粗熱を取り、小麦粉をまぶした後よくはたいて、高温でカラリと揚げます。熱いうちに袋に入れて調味料と混ぜ合わせます。ビールのおつまみにどうぞ。


きょうは以前観察会で一緒だった友人の家に、昼前、三人がお邪魔し、話して、食べて、飲んで、楽しく過ごし、夕方解散。

友人の家は市内中心部近く、アストラムラインの駅至近、広い敷地に広い家、庭先には来客用のコテージがあり、そこで話した。暖炉付きの部屋、トイレとシャワールーム付き。ロフトは寝室に。ご家族に遠慮なく話せてよかった。

本日の献立

他の人の作ったもの・・・タケノコご飯、鰤の刺身、魚介の練製品、スィートポテトサラダ、ダッチオーブンで作った鶏肉と根菜の煮物(絶品!)・鶏皮とネギの一味とポン酢和え、野菜サラダ、チーズと牛スモークハムのサラダ

私の持参したもの・・・赤飯、山菜の天ぷら(ヨモギ、カラスノエンドウ)、鶏ささ身の天ぷら、ツユクサのおしたし(一昨日採集したもの)、マカロニのスナック菓子(塩青海苔、砂糖ココア、ゆかり)、

デザート

おとし文(和菓子)、シュークリーム、広島レモンを使った洋菓子、スイカ、イチヂクのコンポート・砂糖と醤油味(友人の庭のイチヂクで手作り)、ヨーグルト(友人の手作り)、スイカ。

飲み物はビール、日本酒、コーヒー、お茶など。

あまりに楽しく、あまりに居心地がよかったので、忘れないために書いておきます。一人は20歳年上で、現在グループホームに入所中。食べ物が口に合わないけど、「きょうはよかった、寿命が延びました」と喜んでおられた。楽しい一日でした。

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雄島で自然観察

2013-05-10 | 旅行

5/5 JR芦原温泉駅前で車を借りて東尋坊へ向かいます。東尋坊では無料の駐車場を探すうち、小さな島の見えるところへ来ました。

神社があるみたいなので、取り敢えず行ってみます。

無人島のようです。見事な海岸の岩。柱状節理というらしい。鳥居の向こうは急な石段、その上に本殿があるようです。

島の山頂にある小さな社殿は、漁業の神様。古くから信仰されたようです。

島全体が社叢ということでしょう。うーーん、いい感じ。原生林に期待が高まります。

この付近はスダジイなどが多い様子。広島の元宇品と植生が似ています。雪国だけど、対馬暖流に洗われるこの島は思った以上に暖かいのでしょう。

鳥居横の浜独活ハマウド。夏には白い花を咲かせるはず。見たいなあ。

浜払子ハマホッス。さくらそう科。小さな花です。日本の海岸に広く分布するらしいけど、初めて見ました。

島の南海岸から東尋坊が見えます。この雄島だけは観光開発しないでほしいものです。

海桐トベラ。いゃあ~、地元にいるみたい。嬉しい。

シロダモ(タモは漢字がないらしい)。 これも照葉樹

繁茂する海桐トベラ。こんなに大きいのは初めて見た。ますますワクワク。

海と(元)少年。

丸葉車輪梅マルバシャリンバイ。大島紬の媒染に使う植物。暖かいんですねぇ。びっくりした。

柱状節理。切り口はこんな感じで

背中側から見るとこんな感じ。

瓜割の水

岩の隙間を水が流れ、表面に出てくるという説明。

南海岸、スゲの群落。

灯台がポツンと。その下で海を見ながらたたずむ女。でもドラマは起こりそうにないので、先を急ぐ。

指導標が充実しています。

紀国菅キノクニスゲ・・・これも初めて。福井県以南に分布する。絶滅危惧Ⅱ類。社叢だからかろうじて残っているものと思われます。

これですね。花は出たばかり。たくさんあります。薄暗いので写しにくかった。

こちら浦島草ウラシマソウ。元宇品だと四月二十日前後。

苞の先が長く伸びているのを釣竿に見立てた名前。

こちらの方が分かりやすいかな。

と油断していたら、稚児百合チゴユリが。やっぱり、、、涼しいところの植物が南方系と同居している。驚いた。

広島県だと県北や、高い山にしか見られません。分布はこちらをhttps://www.digital-museum.hiroshima-u.ac.jp/~museum/plant/index.php/%E3%83%81%E3%82%B4%E3%83%A6%E3%83%AA

北側は波が荒く、東映映画みたいな海岸が続きます。磁力を持つ磁石岩もあるそうで。よほど鉄分の多い岩でしょうか。


 

東尋坊も寄ってみる。

駐車場はすべて有料。お店多数。この図から外れて下側、方角で言うと南側には無料駐車場もありますが気が付かなかった。残念!!

大勢の人です。42年前には寂しそうなところと思いましたが、いやはや。。。。

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今週も多忙

2013-05-09 | 日記

旅行から帰ってホッとするのもつかの間、毎日何かで出かけています。忙しいけど、それだって楽しまないとね。

6日、タケノコ狩り。田植えも間近。

7日、午前中忘れた服を取りに再び山まで。往復、車で二時間。夕方、友人が来てお菓子を貰う。

8日、友達に会う。お菓子を頂く。きんつばとスィートポテト、とてもおいしかった。ありがとうございました。

8日、息子夫婦から花が届く。ありがとね。

五月に入って本二冊読了。まだ感想を書く時間がない。

タケノコ入りスパゲッティ。

タケノコとワカメと、金沢で買った大型の出しイリコを炊き合わせる。

9日、午前中は先日のタケノコでメンマを作る。これはゴマ油でいためたところ。このあと多めの中華スープでじっくり煮込み、途中で醤油で色づけし、煮詰めて出来上がり。

 

そこで止めとけばいいものを、海へ行ってまたまたワカメを採る。少しの予定がやはり大量。メカブがだいぶ育っていたので、細かく切ってからぬるま湯につけて湯がき、あとは混ぜる。ネバネバがおいしい。空き瓶、空き容器を動員して詰める。と、ここまで書いたらもう真夜中。

福井の旅行記はいずれまた。明日は織りのお稽古、土曜日は、友人の家で料理を持ち寄って遊ぶ。日曜日は孫が来るかも。忙しい。。。。

 

 

 

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金沢街歩き

2013-05-08 | 旅行

5/3 午後は再び金沢市内に。車を返却して市内はバスで移動します。

金沢三茶街の一つ、ひがし茶街に行く。昔風の建物が並びます。二階は、窓の半間ほど外に明かりとりのついた戸を巡らせています。京都のお茶屋には見られない構造です。雪国の寒さを防ぐ工夫でしょうか。

お茶屋、志摩は営業当時のままに保存して内部を公開中。建物は国指定の重要文化財だそうです。

洗練された和風空間、坪庭も京都的。石灯籠が複数あるのが金沢?

このあと浅野川を渡って主計町茶屋街へ。だいぶ日も傾いてきました。

歩いて兼六園へ行くつもりが、もう薄暗くなったので断念、香林坊までバスで行って、夕食に行くことにしました。

私は食事にはお金なんか掛けない人、一人で旅行するときは、朝はホテルでしっかり食べて、家から持参した空きペットボトルに作ったお茶を詰め、昼はそれを飲みつつ、コンビニのおにぎりを公園で食べるなど。夜はたいてい中華や和定食など暖かいもの。居酒屋はお酒飲まないものには居心地悪い。

夫の好物は握りずしに海鮮丼、エスニック料理、お酒は必須と、旅先では店がなかなか決まりません。いつも、お互いが妥協してストレスが溜まります。すったもんだの挙句に入った和食の店がこれまた最悪で、ちょっとだけ食べて逃げるように店を後にしました。

この日は駅裏のR&B・・・というホテルに宿泊。お値段庶民的、部屋も狭くてなんでもすぐ手が届いて便利。その上朝食のパンは自家製。とってもいい匂いが上の階まで漂ってきます。うーーーん、ヨーロッパのホテルみたい~、とまた気を取り直し5/4も金沢市内観光です。


5/4 兼六園は朝7時開園、素晴らしい。朝4時から7時までは無料開放。こちらはもっと素晴らしい。夏の朝に散歩したら気持ちいいことでしょう。

カメラを使いこなせず、うまく撮れない。今度のカメラは、朝など、コントラストの強い場面では暗い方に合わせる印象。

いちいち露出を手動で換えて、きわめて面倒。

逆光でないとまあ何とか。

花は小さく上品、でも豪華。大名文化と京風雅のmixした金沢風の桜だと思った。

園芸の盛んだった江戸時代は桜も様々な品種が作り出されたという。絶滅したのも多いが、庭園にあって今に伝わってきたのだろう。貴重な園芸遺産。

こんなのもありました。

触ってみると確かに硬い岩石。不思議。

土産物店街。懐かしい眺め。

向かい側にある金沢城。42年前には城の敷地の中に金沢大学があったけれど、どこかへ移転したらしい。

 

このあと夫は21世紀美術館、私は金沢能楽美術館へ。能衣装の着付け体験に、能面、能装束の見学。

この歳で初めて、テイカカズラの謂れを知った。藤原定家の思いがつる草になって、式子内親王の墓に絡みついたからだそうで。いゃあ、一つ偉くなった。じゃあ定家以前は、テイカカズラってなかったのかと言えばそうではなくて・・・なんと言ってたのかしらん????

昼ごはんでもめるのが嫌なので、夫と別れて一人で食事。この解放感。やれやれ。

こんな感じで。

これも。ドリンク飲み放題。


 

長町武家屋敷跡、土塀の色も統一、中には実際に人が住んでいるので、住みながら公開している家はない模様。

立派なお屋敷が続きます。

武家屋敷跡野村家。元は千坪あまりの広大な屋敷だったが、今はその一部が保存公開されている。

一部だが、当時の豪華な造りがよく残っている。これは展示品の古九谷の鉢。男女や風景がが伸び伸びと描かれている。

このあと前田土佐家資料館見学、金沢駅から山代温泉へ向かいます。

温泉街は連休なのにほとんど人通りはありません。すべての娯楽が温泉旅館の中で済んでしまうのもどうでしょうか。

街に、浴衣姿のお客さんがそぞろ歩きしている眺めはなかなかいいもの、ロビーの土産物をやめ、外へ店を持って行くだけでだいぶ違うと思います。歩いて楽しくないと温泉街ではない。なんて、私が街の活性化を考えても仕様がないんだけど。旅行会社の言いなりに宿を選んだのもまずかった。でも、ハイシーズンはまず旅行会社に卸すんじゃないかしら。ネットでいくら探してもないのに、カウンターへ行くとあるんですもの。

泉質はさらりとして普通でした。今度から温泉旅館はやめようと固く誓った加賀の夜。


 

金沢の印象。豪華で雅。名古屋をベースに京都を上からtopingした感じ。京都人はよそ者に冷たく、いけずとよく言われますが、言い方が洗練されているので、私のようにぽーーーとした田舎者は気が付かず(たぶん)、高級なところへ近寄らない限り嫌な感じはほぼ受けませんが、金沢の場合、出会った皆さんはどなたも気位が高く、それをはっきり出されるので、初めは本当にびっくりしました。

バスのdriverさん、和食屋のmasterさん、和菓子屋のご主人、観光ボランティアの方、果ては旅館の仲居さんまで。小京都というのが各地にありますが、金沢はその筆頭格、小よりは中京都くらい、価値のあるものの周辺部にあるものの方が、より強烈にそれらしく振舞うという好例ではないでしょうか。

とにかく説明がぶっきらぼうで、こちらが聞いても詳しく教えてくれないので困りました。一日乗り放題バス500円券は京都でも名古屋でもバスの車内の売っているのに、金沢では売ってません。慌てて飛び乗ったものには不便です。

「車内では売ってません!!」と客に怒らず、「すみませんが**で買ってください」くらい言ってもいいのでは。「どこに売ってるんですか」と客に聞かせないでほしい。

車内放送も全くやる気なし。わざとマイクを外して、最小限のエネルギーしか使うまいと固く誓っているらしく、ぼそぼそとしかしゃべらず、すぐそばにいる客にしか聞こえない。朝から気が滅入る。よほど職場環境が悪いのでしょうか。

某和食屋、高級な店構えで、高い、量少ない、出てくるのが遅い。洋服掛けの場所を指定して他へ掛けると店主不機嫌。無愛想。Why?なんか気に障ることしました?

和菓子屋のご主人は「これは何ですか」「なんというか、そんなお菓子です」「おまんじゅうですか」「いゃあ、おまんじゅうじゃないです」「お煎餅ですか」「いや、お煎餅でもないです」と、初めから説明する気が一切なし。この私にケンカ売ってるとしか思えない。それでもちょっとだけ買ったけど、今に悔しい。

他にもいろいろあるけど、いちいち書いてたらこちらの気が滅入るし時間もかかるのであとは省略。私は人に特におべんちゃらいう人間ではないけど、横柄ではないつもりです。ごく普通のおばさん。ごく普通だからなめられるのかも。


 

でもきょう、磯田道史氏の「殿様の通信簿」を読んで腑に落ちた。

ここからは私の考え。加賀藩は外様とはいえ、百万石の大大名、秀吉亡き後天下も狙える位置にいたのに、家康の策略狡知に敗けた、敗けたけど、日本一の雄藩、その誇りは藩内の隅々まで行きわたり、今に至る気風を作っていることだろう。

北陸一、二の都市なのに、日本海側にあるだけで近代以降も何かと冷遇されてきた。その思いが複雑に屈折して、よそ者にたいしてあんな態度取るのかも。私の狭い見聞の範囲だけですが、今まで行った日本の観光地でも、ほかに思い当たらないくらい感じ悪かった。

金沢の人はいまだに、先祖の前田家との距離の遠近で、お互いの立ち位置を決めるということをしているのかも。よそ者なんて、見下すだけの存在なのかも、と拗ねる。

磯田氏の著書でも、金沢出身の大学の同窓生が、利家公と呼ぶのに驚いたと正直に書いている。


金沢に対してちょっと辛口になってしましましたが、ひがし茶街で骨董の古九谷の膾皿、一枚千円とお手頃値段なのに買わなかった。それだけが心残り。もう金沢へ行くこともないだろうけど、もしかしたら、買い物しなかったのはまだご縁が残っているということなのかも。

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