東日本大震災から10年以上たった今でも帰れない村がる、東京電力福島第一発電所
から20~30km離れた「旧津島村」かってTOKIOが農業体験をしたDASH村
のあった地域
村は原発から北西に20-30km離れていたが、大気中に放出された大量の放射性物質は
風にのって北西方向へと運ばれやがて雨と雪で野山に降り注いだ・・
住民は避難を余儀なくされ事故から11年たった今でも誰一人として故郷へもどれない
いつからかそこは「帰れない村」と呼ばれるようになった。
村に一歩踏み込むと、朽ち果てそうな商店が背丈を超える枯草に覆われている。
民家の軒先からは突然巨大ないのししが飛び出してくる。
旧津島村の入り口はすべてバリケードで封鎖されている、事前に役所に申請を出して指定の時間に
バリケードを開けてもらう。
かってそこに暮らしていた住民でさえも役所の許可なしでは自宅に帰ることができない。
僕たちはすぐに多くの事を忘れてしまう。
あの大震災だってそうだ。
11年前、あれほど津波や原発事故の被災地の惨状に心痛めたはずなのに、今はもう
新型コロナウィルス日々の生活のことで頭がいっぱいだ・・・・
三浦さんの本は昨年南三陸日記を読みました。