今年の干し柿用の「蜂屋柿」は大豊作。
昨年の大不作から見れば天と地ほども違います。
昨年は成らない分大玉でしたが、今年は成り過ぎだけに当然ながら昨年より小さい。
出来るだけ小さいものは除き、段ボールで山盛り6箱ほど。
昨年の大不作から見れば天と地ほども違います。
昨年は成らない分大玉でしたが、今年は成り過ぎだけに当然ながら昨年より小さい。
出来るだけ小さいものは除き、段ボールで山盛り6箱ほど。
昨年は200個余りでしたが、今年は倍以上はあるでしょう。
昨年は別として、例年500個程度の干し柿を作ってきましたが、老体の身には負担が大きくなってきました。
そろそろ300個くらいに減らそうと考えていたところでした。
しかし、今年のように沢山成るとどうしても多く穫ることになってしまいます。
小さい柿はモチベーションが落ちます。300g程度あれば望ましい大きさです。
昨年は数は少ないながら大概大玉で、400g級の特大玉もありました。
今年は小さいと思いましたが、以外にそうでもありません。さすがに特大玉はないものの300g級はかなりあります。
右から大玉、中玉、小玉。数的には中玉が多い。
昨年は別として、例年500個程度の干し柿を作ってきましたが、老体の身には負担が大きくなってきました。
そろそろ300個くらいに減らそうと考えていたところでした。
しかし、今年のように沢山成るとどうしても多く穫ることになってしまいます。
小さい柿はモチベーションが落ちます。300g程度あれば望ましい大きさです。
昨年は数は少ないながら大概大玉で、400g級の特大玉もありました。
今年は小さいと思いましたが、以外にそうでもありません。さすがに特大玉はないものの300g級はかなりあります。
右から大玉、中玉、小玉。数的には中玉が多い。
大玉の比率は低いながら絶対数は昨年程度はありそうです。大玉は贈答をメインにします。
皮剥きのやり方は例年と変わりません。
今年も文化財級の道具を使用します。年一度の出番です。
皮剥きのやり方は例年と変わりません。
今年も文化財級の道具を使用します。年一度の出番です。
小生の幼少期からあったと思われる皮取り器(木製ピーラー?)とナイフ。
1年経っても殆ど変わらず錆も付いていません。
黒光りしているのは汚れているのではなく、柿渋によるもの。
この柿渋が防錆効果があるのです。軽く研ぐだけで十分。
皮剥きのやり方については例年と変わりませんが、一通り流れを記します。
まずは通称肩回し。ナイフを使ってヘタの周りの皮を剥きます。
ナイフの背の先を柿の軸にあてます。
1年経っても殆ど変わらず錆も付いていません。
黒光りしているのは汚れているのではなく、柿渋によるもの。
この柿渋が防錆効果があるのです。軽く研ぐだけで十分。
皮剥きのやり方については例年と変わりませんが、一通り流れを記します。
まずは通称肩回し。ナイフを使ってヘタの周りの皮を剥きます。
ナイフの背の先を柿の軸にあてます。
軸をテコにし一回しして皮と一緒にヘタを取り除きます。
剥く時は、ナイフは動かさずに柿の方を回転させます。これが大事。
さらに、肩の部分をナイフで1回しか2回しします。
さらに、肩の部分をナイフで1回しか2回しします。
大きな柿は2回しした方が後の作業がやりやすい。
ナイフを動かさず柿を回すことで早く綺麗に剥けます。機械剥きで柿の方が回転するのと同じ理屈です。
次に皮取り。
皮取り器は利き手の親指と人差し指で鉛筆を持つような形で持ちます。
ナイフを動かさず柿を回すことで早く綺麗に剥けます。機械剥きで柿の方が回転するのと同じ理屈です。
次に皮取り。
皮取り器は利き手の親指と人差し指で鉛筆を持つような形で持ちます。
中指、薬指、小指を柿に添え、柿をテコにして皮取り器を動かします。
柿を持った手も左右に動かしながら先端まで一気に剥きます。
柿を持った手も左右に動かしながら先端まで一気に剥きます。
途中で止まらないようにして細く剥くと綺麗に仕上がります。
発泡スチロール箱一つ分終了。
昼食後直ちに開始し休みなしで頑張ったものの、結局残業となりました。
数は数えていませんが、吊す段になればハッキリします。
数は数えていませんが、吊す段になればハッキリします。
これは一晩おき早朝写したもの。
本来は、皮剥きから吊すまでを一連の作業として終わらせるべきものです。
今、我が家では翌日に硫黄燻蒸し吊すため、二日がかりの作業となっています。
小生が何故皮剥きの作業を容易にできるかについては以前にも書いています。
昔、我が家は柿園があり干し柿の生産農家でした。
干し柿を作る時期は11月の限られた期間に集中するため猫の手も借りたい状況になります。
子供も手伝いするのが当たり前。小学校高学年ともなれば完全に剥き手の一員にカウントされていました。
小生も通算すれば万の単位の柿を剥いています。
しかし、長じては柿穫りはしたものの、皮剥きをした記憶は殆どありません。
小生が再開したのは母が亡くなった平成13年から。
雀百まで、一度乗れた自転車はブランクがあっても乗れるのと同じ理屈です。
今、我が家では翌日に硫黄燻蒸し吊すため、二日がかりの作業となっています。
小生が何故皮剥きの作業を容易にできるかについては以前にも書いています。
昔、我が家は柿園があり干し柿の生産農家でした。
干し柿を作る時期は11月の限られた期間に集中するため猫の手も借りたい状況になります。
子供も手伝いするのが当たり前。小学校高学年ともなれば完全に剥き手の一員にカウントされていました。
小生も通算すれば万の単位の柿を剥いています。
しかし、長じては柿穫りはしたものの、皮剥きをした記憶は殆どありません。
小生が再開したのは母が亡くなった平成13年から。
雀百まで、一度乗れた自転車はブランクがあっても乗れるのと同じ理屈です。
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